●誰がための復讐か 4
テオドールとシェリアが朝食を終えてしばらくしたのち。二階のリビングに上がってきたロサルヒドは、すっかり身支度を整えたふたりの様子に目を丸くした。
少し慌てたシェリアが椅子から立ち上がり、挨拶のためにぺこりと頭を下げる。
「ロサルヒドさん、おはようございます」
「おう。おはよう。……なんだ。起きてたんなら、降りて来りゃいいのに」
シェリアに向かって片手をひらりと上げたロサルヒドは、軽く頭を下げたテオドールにもその手を揺らしてみせた。
ロサルヒドは特に気を悪くしたわけではない。大方、自分を気遣って静かにしていたのだろうと察しがつくからだ。少なくとも前回は、起きるまで放っておいてくれと告げているのだから、当然といえば当然だろうと考えていた。
「朝飯は食ったのか?」
「ああ」
テオドールが答えるとロサルヒドは、交互にふたりを軽く見遣ってから、ちょうどいいとばかりに頷いた。
「んじゃあ、降りて来い。ファムビルの奴はまだ来てねえが、その前にやっておきたいからな」
ロサルヒドはそう言い残して、さっさと階下に向かってしまった。
顔を見合わせたふたりもまた、彼の後を追う形で階段を降りていく。階段下で待っていたロサルヒドは、顎先でくいっと玄関の方を示して再び歩き出した。
ふたりは再び顔を見合わせたものの、ついていくより他に選択肢がない。
外に出ると、爽やかな朝の空気が波の音に乗って届いていた。
今日は天気自体も、そして風も穏やかなようだ。
白百合を避けて少し開けた場所まで歩いて行ったロサルヒドが振り返る。テオドールは怪訝そうに、シェリアは困惑気味にして、顔を見合わせた。彼の意図が、どうにも理解できなかったからだ。しかし、ロサルヒド当人にはまるで気にした様子がない。
「ここでいいだろ。シェリア、こっちに来い。テオドールは、少し離れてろ」
その言葉に、シェリアは緊張した様子で身を強張らせた。
「取って食うわけじゃねえよ。警戒すんな」
ロサルヒドが呆れたように言えば、テオドールが一歩踏み出してシェリアの肩を軽く叩いた。
まだ意図は不明だが、悪いようにはしないだろう。相手は全く知らない男というわけではないのだ。説明が不足しているだけで。
大丈夫だと告げるかのようにテオドールが頷けば、シェリアはおずおずと前に踏み出した。
「ファムビルみてえに、魔法使いの家系じゃなくても魔法の才能を持って生まれるヤツはいる──ってのは覚えてるな?」
「は、はい」
「で、お前も魔法を使えるんじゃねえかと、俺は睨んでんだよ」
緊張しているシェリアを前に、ロサルヒドはにんまりと笑みを浮かべた。
なかなか人の悪そうな笑みだ。
テオドールは少しだけ眉を寄せてしまった。
「魔法の才能ってのは、もはや貴重だぞ。あるってんなら、せっかくだから開花させておこうと思ってな。これを持ってみろ」
ロサルヒドが取り出したのは、掌に収まるサイズの水晶だ。シェリアの小さな手には大きいが、片手で持てないサイズではない。
「これって……」
シェリアはまじまじと水晶を見てから、そっと空を見上げた。真上の空は青く晴れ渡っているというのに、水晶の中には曇り空が映っているからだ。
いや、まるで水晶の中に雲が広がっているようでもある。
「そいつも魔法の道具だ。っつーても、魔法を使わせるための道具じゃねえ。魔力がなきゃ反応しねえ代物だ」
魔法が使えない者に魔法と同じ効力をもたらすものが、一般的な魔法道具だ。
しかし、あれは魔力がある──魔法使いのための道具だという。テオドールはうまく理解できずにいたが、質問は控えた。
「ま、簡単に言えば、魔力の有無と制御を確認するための道具だ。今は曇天になってんだろ。それを変えてみろ。強くイメージしてな」
ロサルヒドは簡単そうに言うものの、シェリアはすっかり戸惑っていた。
どうすればいいのか、さっぱり分からない。
強くイメージしろと言われても、何をどうイメージすればいいのかも分からなかった。
しかし、ロサルヒドはそれ以上の説明はする気がないらしい。
「……」
誰も口を開かずにしばらく沈黙が続くと、シェリアは戸惑いを抱えたままで目を閉じた。そして、瞼の裏側に青い空をイメージする。太陽があって、雲がない。朝特有の空気感。薄青。
ほどなくして、シェリアが両手で包むように持っている水晶が光を帯びた。
その様子にロサルヒドが僅かに眉を寄せる。
やがて光が強くなると、一瞬ばかり水晶全体が白く染まった。そして直後、水晶の中に現れたのは青い空だ。雲ひとつないそれは、まるで今の空を映し込んでいるようでもある。
空の端できらきらと光っているのは、太陽によって作り出された光の帯だ。
「目を開けろ」
「は、はい」
慌てて目を開いたシェリアは、水晶の中に映っている空がきれいに晴れ渡っていることに目を瞬かせた。
「──上出来だ」
口の端を釣り上げて笑ったロサルヒドが、機嫌の良さそうな調子で頷く。
そうすれば、ひたすら見守っていたテオドールは自分が妙に緊張していたことに気が付いた。無意識のうちに詰めていた息をそっと吐き出して、一旦気持ちを落ち着かせる。
「今まで、魔力が……いや、魔法を使ったことはねえのか?」
「は、はい。ええと、知らないので……」
「ほう? おい、テオドール。どうだ。お前が見る限り、魔法や魔力の《《暴発》》はなかったか」
戸惑いながら水晶を覗き込んでいるシェリアから視線を外したテオドールは、ほんの少しだけ考えた。
確かに、不可思議な出来事は今までに何度か起こっている。その時は、彼女が魔法を使ったものとは思えなかった。だが、山賊を払った火も魔女の火を封じた水も、彼女が使ったのだと考えれば納得はいく。いいや、山賊の火については彼女のものだとは思えないが、少なくとも水と氷は彼女のものだろうと思えた。
「あったんだな?」
テオドールが小さく頷くと、ロサルヒドは更に笑みを深めた。
「……そうなの?」
テオドールは何も言わなかったものの、ロサルヒドとのやり取りで反応を知ったシェリアが顔を上げた。自分が無意識のうちに魔法を使っていただなんて、にわかには信じがたい。
しかし、傍から見ていたテオドールも、そして魔法の専門家であるロサルヒドも否定はしていないのだ。自覚はしていなくても、自分が魔法を使った可能性は高いということだろう。
──まるで、魔女みたい。
そう思ってしまったシェリアは、慌ててその思考を振り払った。
「たまにいるんだ。天性の才能ってやつだな。お前の場合は、まあ、かなり特殊だろうが……」
まじまじとシェリアを見たロサルヒドは少しばかり考えた。
感情の高ぶりによって暴発してしまうこと自体は、魔法を習い始めたばかりの魔法使いでも有り得るものだ。魔力の制御ができないせいで、魔法の威力を加減できない。
魔女との接触を繰り返すうちに、シェリアの魔力が少しずつ解放されている可能性は大いにあった。その場合は、制御の方法を知らない方が危険だ。
「……ふん。ま、いいだろ。魔力を持ってんなら、使わねえ手はないな」
「で、でも、どうすれば……」
「今のお前は、穴が空きまくった布袋みたいなもんだ。どこから水が出るかわかんねえ」
ロサルヒドはそう言いながら、懐から例の通りに布の袋を取り出した。しかし、当然ながらその中には水が入っているわけではない。
彼が取り出したのは、金と銀が編み込まれたデザインのブレスレットだ。細いブレスレット本体に、透き通った色とりどりの石がついている。
「だから、穴を塞いで正規の出入り口を確保してやるんだよ。そうすりゃ制御しやすくなる。魔法が使えるって自覚すりゃ、尚更な」
シェリアから水晶を取り返したロサルヒドは、持ち上げさせた左の手首にブレスレットを巻いてやった。しかし、彼女の細い手首には少し大きすぎるようだ。
片眉を上げたロサルヒドが確かめるように、余った部分の鎖を軽く揺らす。そうすれば、ブレスレットは一瞬きの間に適正なサイズに縮んでしまった。
あれもまた、道具自体が行っているものなのか、それともロサルヒドが何かをしたのか。傍から見ているだけのテオドールには、判断がつかなかった。いや、ロサルヒドは魔法使いではないのだから、やはり道具の問題か。
「ブレスレットは単なる補助だが、ひとまずいいだろ。これで知っている魔法が使えるはずだ」
「でも、私、魔法なんて何も……」
「そんなことねえよ。意図せず使ってんだからな。見聞きしたもんがあるはずだ」
「だけど……」
「いいから、ソイツに触れて強くイメージしろ」
ふんと鼻を鳴らして口の端を歪めたロサルヒドは、困惑しているシェリアの右手を取って、左手首のブレスレットに触れさせた。
「このブレスレットは、魔法使いの杖と同じだと思え。魔法を放つための道具だ」
「は、はい……」
「意識を集中させろ。水晶の天気を変えたように、強くイメージしてみろ」
「イメージ……?」
「何でもいい。っつーても難しいか。……なら、水の壁をイメージしろ。それでテオドールを守ってみせろ」
急に名前を出されたテオドールは、僅かに肩を揺らした。シェリアの後ろから腕に触れているロサルヒドに少し思うところがないわけではない。だが、つまらない嫉妬心など出すべきではないことは確かだ。
テオドールは不満を飲み込んで、離れた位置からゆっくりと頷いてシェリアを見た。





