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逃げる兎はあえかなる世界で魔法(希望)を見る  作者: ISCREAM
パンドラボックス
4/4

1‐3「同情か泥棒か」

私の持っている立派な不幸が狙われています。


お願いします。


どうかこれだけは持っていかないでください。


だってアナタは傷ついていないでしょう?



 優れた兵士になるための最も重要な条件の一つは、どんな状況下でも眠ることできることだ。


 私は兵士ではなくただの日本の女子高生だし、学校の先生が米国のMarine(海兵隊)出身の将校だったわけでもないので、多分その言葉は小説かネットのニュースで見たものだと思う。睡眠には単純に疲労を回復させる他に記憶の整理や精神を安定させる役割もあるが、戦闘行動中の兵士は極度のプレッシャーとストレスから不眠になることが多いらしい。一瞬の判断ミスや些細な動きの遅延が即、生死に繋がる場所――それが戦場というところだ。そんな中で長く戦い続ける、否、一秒でも長く生き延びるのであれば、ベストとは言わないまでもどれだけ自分のコンディションを高い位置で維持できるか――即ち、どんな劣悪な状況下でも眠って英気を養えるということがが兵士に求められるスキルの一つと言われれば、なるほど、言われてみれば確かにその理屈には一理あるな、と私も思う。

 

 私は兵士ではない。けれど、劣悪な状況下で眠ることについてはある程度耐性があった。部屋の電気が消えていなくてもさほど気にならない。テレビがつけっぱなしだったり周りに雑音が溢れていてもあまり煩わしいとは感じない。寝る場所は布団やベッドなど快適な寝床でなくてもそこまで苦にならない。そう、とにかく私は眠れた。どこでも眠れた。いつでも眠れた。眠れる森のアマゾネス、兎束遥姫――


 平和な海なし県のベットタウンに今、最強の戦士が誕生した!!


 ……などとちょっと面白可笑しく誇張して自分を表現してみたけれど、簡単に言ってしまえば学校とか会社に良くいる『どこでも眠れちゃう系女子』というわけだ。兵士?何それ。ここは平和の国ジャパンで時代は二十一世紀。たまに大陸間弾道ミサイル打ったりするヤンチャな人が近隣諸国にいたり、国内でもチャカ持った怖い人が白昼堂々大暴れすることがあったりするけれど、基本的に現代日本人、それも一般人が眠るときはただただ安らかに、明日の朝食のことなど呑気に考えながら眠ればいいと思う。


 だって、ここは平和で温かい世界。


 一瞬の判断ミスや些細な動きの遅延が即、生死に繋がるような世界なんかじゃ――




(――――ーん)




 意識の片隅に貼られた琴線に触れたもの――それは『影』だった。




 「――っ!!」


 一瞬前まで意識が落ちていた――眠っていた私の目には正直何も映ってはいない。ただ私の中にある全ての感覚が近寄る『影』、忍び寄る『雰囲気』を排除しろと全力で叫び声を上げたため、私はソファーで仰向けに寝たままガムシャラに右上段蹴りを繰り出した。


 「うお!?」


 しかし、振り回した足に衝撃は無く、無駄に空を切るだけだった。未だ意識が完全に覚醒していない状態の中では、視界に意味をもった実像が浮かび上がってこない。自分が見当違いの方向に蹴りを入れたのか、それとも当たる寸前で『影』によけられたのか。靄のかかった脳が解の出せない計算式を組み立て始めようとするが、今は『一瞬の判断ミスや些細な動きの遅延が即、生死に繋がるような状況』だ。私は頭の中の計算書を無理矢理破くべく、自分の身体にかけられていた布状の何かを両手でつかみ、そのまま真上に放り投げた。


 「ちょ、ちょい待った!!」


 布を放ると同時に、真上にピンと伸ばした両腕を振り子のように動かして反動をつけて上半身を起こす。そして左手でソファの背もたれを軽く押しながら身体を捻り、ソファの上からフローリングへと転がり落ちて『影』との距離を取る――が、運悪く落ちた際ガラス製のセンターテーブルの脚に左足の踝を強打してしまった。


 「――ーっ!!!!」


 一瞬激痛で動きが止まってしまうが、そのおかげでようやく意識も現実に戻ってきた。唇を噛んで痛みをグっと堪えることに成功した私は、本能的にセンターテーブルの上に置いてある黒い棒状の何かに手を伸ばした。


 逃げろ。


 逃げろ。


 兎に角逃げろ。


 逃げるためなら、敵は全て粉砕しろ!!


 「ぅぅううううああああアアアアアアアアアアアア!!ぶっ殺してヤル!!」


 テレビのリモコンを鈍器として力の限りで握り締め、そして、女子が出すには憚られるような奇声を発しながら痛む足とは逆足で床を踏ん張り、私は『影』を撲殺しに飛びかか――


 「――待てと言ってるだろ」

 「えっ――」


 私が放ったタオルケットを頭から被り、視界を潰された状態のはずだった敵は、しかし振り上げたリモコンを持つ私の腕をいとも簡単に掴み取った。そこから単純な腕力で強引に私の身体を引っ張り上げると、がら空きになった私の鳩尾に容赦の無い右フックを叩き込んだ。


 「が、ん、ぐぇ……ふ、う、ううぅ……い、痛い……」

 「おい、小娘、痛いじゃねぇよ。さっきから調子に乗りやがって、ご主人様に手上げるとはどんな了見だ、コラ」

 

 呼吸困難とお腹の痛みで嘔吐く私の腕を放した敵……ではなく、黒廼所長はソファ越しにもかかわらずそのまま容赦なく私の左側頭部に延髄蹴りを打ち込んできた。無論、履歴書の特技欄に『カポエラ』『セパタクロー』と本気で記載する人間の鋭い蹴りを、未だ痛みに打ちひしがれている私が避けられるはずもなく、私は更なる痛みを感じながらそのまま再度ソファにつっ伏すように倒れ込んだ。


 「ったく、獰猛なウサギちゃんとか見てて不快感しか湧いてこねぇな」


 怖がって、強がって、荒れ狂って、誤魔化して……そんな醜悪な姿は見るに耐えないということなのか、黒廼所長は頭から被っていたピンク色のタオルケットを引っ張って取ると、蹲る私に向けて乱暴に投げつけた。


「おい、さっさと起きろ、ミス遥姫。今日は朝から出かけるから、俺が『お楽しみ畑』に水撒いてる間に朝ごはん食べて準備をしておけよ」


 タオルケットと共に業務命令を投げつけてきた黒廼所長はそのまま窓際に歩み寄り、勢い良くリビングのカーテンを開け広げる。ずっと薄暗かった室内に夏の朝陽が勢い良く飛び込んできて、所長はその日差しを気持ちよさそうに身に纏いながら、さらに鍵を解錠し窓をスライドさせた。すると、今度は七月の爽やかな風が待ってましたと云わんばかりに猪突猛進してきて、眠気を孕んだ停滞した室内の空気を外に追い出してしまった。


「――♪♪」


 寝起きが怪物的に悪い女子高生に襲いかかられてから若干機嫌が悪かった黒廼所長だったが、窓から部屋を出て軒下にあるグレーのクロックスに足を通し、如雨露に水を入れて庭の角に作られた広さ三畳ほどの『お楽しみ畑』に水を撒き始めると、急にご機嫌になったのか90年代のアニメソングを鼻歌で歌い始めた。


「……」


 誰もが羨むゴージャスな邸宅。


 外界を隔絶するようにそびえ立つ整えられた生垣。


 楽園を想起させるような芸術的に刈り込まれた芝生が敷き詰められた庭園。


 そんな整然とした空間の中に異物のように存在しているスペース――奇妙なほどふかふかに耕された茶色い盛土地帯。地面に突き刺さった白い杭、その上部に取り付けられたベニヤ板に黒のスプレーで『お楽しみ畑』と書かれたその場所を、黒廼所長は基本的に毎日欠かさず手入れをしていた。


 ――何が植わっているか知らないし、いつ芽を出すかもわからない。何が出来るかは成長してからのお楽しみ。だから『お楽しみ畑』……どこかの漫画かアニメで聞いたことがあるかもしれないけど、面白いだろ?


「……ばっかみたい」


 タオルケットを被り、ソファの上から水やりをしている様子を眺めていると、この家に来たばかりの頃の風景を思い出した。普段はとんでもない皮肉屋で、冷血漢の人間のくせに、訳のわからない畑の話をするときだけ、彼は穢れを知らない少女のような無邪気さを見せていた。そして、私はそんな姿を見ていつもなんだかとても気持ち悪い……否、心の中に苛立ちを抱えていたのだった。


「ふぅ……朝からイライラしてもしょうがないか」


 だんだん部屋が熱くなってきたのでピンクのタオルケットは膝の上で綺麗に折りたたみ、とりあえずソファの肘掛部分にかけておく。殴られたお腹の痛みはすでにだいぶ引いていて、昨晩二時間近く吐き続けた胃の方も割と調子が良さそうだった。ここ数ヶ月、事あるごと……人の死と向き合うたびに嘔吐し続けている所為で、もしかしたら胃腸を含めお腹全体が強くなっているのかもしれない、と考えてしまうのはなんとも不謹慎というか、情けない話ではあるけれど、事実意識が覚醒し始めてから私の空っぽの胃袋は既に何度も節操なく力強く空腹を訴えているのだから、そこはある程度は認めざるを得ないのだろう。

 ベッド替わりにしているリビングの黒革ソファから降りた私は、おぼつかない足取りで素足のままフローリングの上を歩く。ペタペタと間抜けな音を室内に響かせながらまず向かったのは、朝食が用意されたダイニングテーブルではなく、シンクのあるキッチンだ。


「コップ、コップ……」


 寝起きの口の中が雑菌だらけというのは有名な話。本当はすぐに歯磨きでもすれば良いのだろうけれど、非常に面倒くさがりの私は大抵うがいで済ませてしまうことが多い。しかも、さきほどお腹を殴られた際、結構胃液が逆流してきたので、そんな最悪な口腔内については何としてもまずは濯ぎたかった。


「……このワイングラスでいいか」


 昨日の夜、洗って食器籠に入れたはずの愛用の赤いマグカップがなかったため、シンクの上にある収納スペース――そこに取り付けてあるグラスホルダーから葡萄の房みたいにぶら下がっているバカラのワイングラスを一つ手に取って、それに水道水を溢れんばかりに注いで念入りにうがいを行なった。


「ふぅ……最高だね」


 文字通りただの水道水を入れて、しかも口に入れた後吐き出す。高級グラスの本来の用途とは真逆の使い方をすることによって、なんだか朝から無駄にリッチな気分を味わうことができた。何か気分が良いので、グラスは水道水で軽く濯ぐだけにしてそのまま使うことにしよう。

 背後の壁面にビルドインされているドイツ製の冷蔵庫を開けると、ドアポケットにはオレンジジュースやアップルジュースなどの定番商品を始め完熟マンゴージュース、グァバジュースなどの珍しいジュースがいくつもラインナップされていた。一応、黒廼所長からは好きに飲んで良いと言われているけれど、元々は『パンドラボックス』の事務所に訪れるお客様用の飲み物として用意をしてあるものなので、さすがにそれらに手を付けるのははばかられる。かといって、ドロドロのグリーンスムージーや超苦い青汁、米麹甘酒など妙に健康を意識した所長の飲み物に手を出す気分でもないので、最終的には牛乳パックを取り出し、それをワイングラスに注いでダイニングテーブルに向かった。

 

「さて、今日のご飯は……」


 テーブルの上に用意されていたプレートに載っていたのは……まずは、私好みのミディアム目に焼かれたベーコン(カリカリは苦手)とバジルソースがかかったスクランブルエッグ。サラダは綺麗に手でちぎられたレタスの上に妖刀で切ったのかと思うくらい切断面が綺麗なみずみずしいトマトが乗り、傍らには所長お手製のポテトサラダがお団子サイズで添えられていた。さらにその横の白い丸皿の上に用意されていた主食のクロワッサンは、私が友達の佑里ちゃんと一緒に食べに行って滅茶苦茶美味しかった、と以前所長に話していた学校近くの商店街にあるパン屋のものだった。


「……ここまで露骨だと、いくら雇い主だとしても文句の一つも言いたくなるってゆーの」


 私好みに用意された洋風な朝食、の話ではない。そんな洋食の片隅に置かれた漆塗りのお椀――汁物のことだ。この洋風なラインナップに用意されたのは何故か和風の味噌汁で、もちろんこの場面で用意される味噌汁といえば、昨日の夕方、港の丘中学校で食べた、そしてその夜トイレで嘔吐してしまったあの具沢山が特徴の『飯塚家の味噌汁』だった。


「……いただきます」


 小学校の給食のとき以外、手を合わせてそんな言葉を言ったことはなかったけれど、何故か今日に限ってはそんなことをやってみたい気持ちになった。


「ふぅ、あちぃあちぃ……ていうか、まだのそのそメシ食ってんのかよ、ハルちゃん。お出かけするって言ったじゃんかよ」


 大根、豆腐、舞茸、茄子、長ネギが入っている汁よりも具材がメインの味噌汁をもそもそ食べていると、水やりを終えた所長が庭から戻ってきた。まだ午前八時前とはいえ、光沢のある黒いシャツとこれまたツヤ感満載のノータックの漆黒スラックスで真夏の朝日を浴びていれば、そりゃ暑いに決まっている。何故そんな暑苦しい上、不吉な格好をするのか私には謎しか残らないのだが、出会ったときからこの人の黒尽くめスタイルは変わらないので、今更驚きはなかった。


「……休日の朝ごはんくらいゆっくり食べさせてください」

「確かに女子高生にとって土曜日は貴重な休日だろうよ。そして、休日くらい朝ごはんをゆっくり食べたいという心情も痛いほど理解できるんだが、営利最優先団体『パンドラボックス』、その構成員にして悪の魔法使いの一番弟子であるキミには残念ながら休日など認められないのだよ」


 平然とした顔でそんなブラックな発言を発した黒廼所長は、味噌汁を食べる私の向かいに腰掛け、まだ手つかずだったクロワッサンを手に取り、半分ほどちぎって口の中に放り込んだ。


「所長……」

「なんだよ、別に俺が半分クロワッサン食べたっていいだろ」

「……拓海くんの最期はあんな形で良かったんですかね」


 パン職人の芸術的技術で織り込まれた何百もの極薄の層がもたらす得も言えぬサクサク感と絶妙なバターの香りがたまらない至高のクロワッサン。確かに楽しみで取っておいたクロワッサンを了承も得ずに食べられてしまったことに対して、僅かなりでも文句を言おうと思ったのだが、そんな心とは裏腹に味噌汁が入ったお椀を抱えた私の口から漏れ出たのは、昨日の出来事に対する消化できない率直な疑問だった。


「彼が自分の命と引き換えに望んだ希望がこの味噌汁……」

「不服か?それとも俺が偽った願いを顕現させたとでも思ってるのか?」

「いえ、そうじゃないです。確かにこの味噌汁が彼の最後の願いであることは私もあの場にいてしっかりと感じました――けど、それでも私にはなんだか納得できなくて」


 飯塚拓海くん。元は利発で運動神経も良くみんなの人気者だった少年は、最愛の母親を乳がんで亡くしてから塞ぎ込むことが多くなった。目は虚ろになり、他人からの問いかけには生返事を繰り返し、所属していた陸上部では誰とも関わらず、毎日下校時刻までただひたすら百メートルダッシュを延々と繰り返していたらしい。


「大会に出場する訳でもない。ベストタイムが出ても喜ぶわけでもない。時間が誰にも平等に二十四時間与えられ、その中で部活動の時間を二時間割り振られたから。ただその一点の理由で、とにかくそれをこなすためだけに走る彼の姿は、やがって周囲から気味悪がられるようになった。『アイツは母親が死んで精神がイカれた』『父親は狂った息子を捨てて、会社で一緒になった若い愛人の元に走った』『親がいないことをいいことに、小学生の妹のカラダで欲望を満たしている』なんて、事実無根のことを流布されて、ますます学校で孤立して……」

「それで屋上から飛び降りました、てか? おいおい単純すぎだろ、最近の若者は」

「ちょっと!!」


 昨晩一緒にあの場所にいた人とは思えない発言に、思わず抱えていたお椀を強く叩きつけるように置いてしまった。幸い、既にほぼ食べ終えていた汁気の少ない味噌汁の中身が溢れることはなかったけれど、


「まったく、命粗末にするなんてアイツのクズ親は一体何教えていたんだろな」

「――っ!!!」


 代わりに、乳白色の液体をぶちまけてしまった。


「ふぅ、ふぅ……」

「おいおい、ハルちゃん。あちぃあちぃとは言ったけど牛乳ぶっかけてくれとは言ってないぜ」


 よくドラマなどで見る必殺技――食事中の修羅場にしか発動できない水かけ攻撃、通称『水バシャ』。最終決戦奥義ともいえるそんな技を繰り出し、ワイングラス片手に怒りで肩を震わせる自分の姿を、しかしあざ笑うかのように白い球体――牛乳は、私と黒廼所長の狭間で軟体動物、いや、もっと原始的なアメーバのようにうにょうにょしながら宙に浮いていた。


「『他人の日記を盗み見るものじゃない』」


 ダイニングテーブルに右ひじを付いてまま黒廼所長が人差し指を右に二周回すと、白い球体はぐにゃりと変形した。蛇のように長細い形状に変化した牛乳は蜷局を巻きながら一度天井近くまで飛翔すると、そこから急降下して私の持つワイングラスへと舞い戻ってきた。


「お前は今なんで怒っている? 拓海をクズと呼ばれたからか? それとも母親を侮辱されたからか?」

「……両方です」

「お前はお人好しだな」

「お人好し、ですか」

「そうだろ。そもそもそれはお前が怒るべきことなのか? 拓海がお前に怒ってくれと頼んだことなのか?」

「そ、そんなことは、頼まれてないですけど……」


 私が言い淀むと、黒廼所長は意地悪な笑顔を浮かべながらワイングラスをひったくり、そのまま中身を飲み干してしまった。


「誰かの物語、特に不幸にまつわるエピソードに触れると、人はお節介なことに同情ってやつをするらしい。同情――他人の気持ちに共感し、自分のことのように親身になって考え、まるで自分が体験したかのごとく怒ったり悲しんだりすることだけど、俺から言わせればそんなのは他人の人生の上澄みをすくって、美味しいところだけをただ卑しくしゃぶりついているだけだぜ」


 同情するな。


 共感を覚えるな。


 哀れみを抱くな。


 己の人生は己の物。


 それがたとえ目を覆いたくなるような悲劇であったしても、横取りすることは赦さない。


 それがたとえ善意の発露からの行為であったとしても、勝手に共有されることは我慢できない。


 だって、


 だってそれは


「『俺の人生(くるしみ)だ。お前のじゃない』」

「……」 

「『これで良かったのか』なんて、俺がもし拓海だったら他人にそんなことを考えられたと思うだけで腹が立つだろうな。テメェの自尊心かなんかしらねぇけど、そんなものを満すために俺の不幸をダシにすんじゃねぇ、て。テメェらはただ俺の地獄を観光気分で遊覧船から高みの見物していただけだろうって。当事者でもなんでもねぇ奴に死んだ程度で同情されるくらいだったら、それだったらそのままずっと口汚く罵られた方がまだマシだ」


 ――お、おかあさん……


 私は……同情してたのだろうか。母親を早くに失った可哀想な少年がいて、その少年はその不幸が原因でいじめられ、最終的には自らの意志で命を絶った。そんな『飯塚拓海という人間の物語』の欠片に触れてしまった私は、いつの間にかその物語の作者にでもなった気でいたのであろうか。


 こんな可哀想な男の子の人生の終わりが、味噌汁一つ(こんなもの)であっていいものなのか、と。


「勝手に拓海の物語の結末を求めるなよ、ハルちゃん。それはお前がしていいことじゃない」


 話はこれで終わり、ということか黒廼所長は席を立つとワイングラスを持ってそのままキッチンまで行き、それを綺麗に洗うと洗い籠の縁にかかっていた布巾で水気を拭いた。


「――と、さて少し話し込んじゃったけど、さっさと準備しろよ。土曜日の病院ってのは午前中からすげえ混むんだから」

「病院?何しに行くんですか?」


 残ったクロワッサンをはむはむしながら反射的に聞き返してしまった。朝から出かけるとはさっきから言われていたけれど、それが病院とは初耳だった。どこか体の調子でも悪いのだろうか、それとも性格が悪すぎるので精神科にでも通うつもりなのだろうか。いつもその悪逆非道、支離滅裂、傍若無人の振る舞いによる被害を被っている私としては、できれば後者の方であってほしいのだけれど、


「今日、麻雀打つから」

「はい?」

 

 まあ、この魔法使いに常識を求めるのは無理なのだろう。


 というか、今この男なんて言った?


「麻雀だよ、麻雀。女子高生だし、分かるよな?」

 

 分かるはずがなかった。


遅筆なりにこつこつと。


今回もご覧頂きましてありがとうございます。

感想等ありましたらよろしくお願い致します。

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