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勇者という名の…  作者: K.T
3/3


「ふぅ…」


 会議も無事終わり、私室に戻った魔王が椅子に腰掛けながら嘆息する。と、軽く扉を叩く音がした。


「魔王様、茶をお持ちいたしました」


「ああ」


 音も無く部屋に入った吸血姫が、手馴れた手つきで茶を二人分用意する。


「吸血姫よ、()()は?」


 白磁製のティーカップを受け取りながら魔王が対面の席を視線で促す。吸血姫は頷くと、そこに腰を下ろした。


「これまで通り。勇者と戦士は死体を徹底的に損壊させた上で、フレッシュゴーレムとして出身国の城門前へ飛ばしておきました。僧侶は継続して繁殖母体に、魔法使いは脳みそだけ取り出して情報処理用に加工する手はずになっております」


「ご苦労」


 深く頷く魔王だが、その表情は険しく晴れない。そして、それは吸血姫も同じことだった。


「結局、王とやらも外れでしたわね」


 会議の後、報告を受け取った魔王だが…それは期待に到底そぐわない結果だった。


 どうにか僧侶から、彼女と昵懇(じっこん)にしていたという国王の存在は吐き出すことが出来た。はじめて取っ掛かりになるかもしれない情報を得られたことに勢い込んだ魔王は即調査に向かわせたのだが…


「ああ。ブレインサッカーからの報告だが、脳の隅々まで調べたがそ奴が直接女神から託宣なり預言なり受けた記憶は無かったそうだ」


 ブレインサッカーは人間大のナナフシのようなモンスターである。

 長い口吻で対象の脳を喰らい直接情報を得る能力を持つ。その能力の前には、例え偽を真だと心の底から思い込んでいる狂人ですら真実を隠すことはできない。


 余談になるが、王は勇者一行の中では僧侶――の肢体の抱き心地――が一番記憶領域を占有していたらしい。女神や勇者といった、それ以外には興味が無かったようだ。

 当事者意識がまったく無いことを見るに、どうせ女神への信仰など口先だけのものだったろう。


 そして報告を受け取り次第、魔王は念を入れて人間に化けられる魔族を幾人か送り込んだが、側近たちは軒並みすっかり元勇者のことを忘れていた。国王がまだ記憶を残していたのには恐らく、地位や立場で記憶するしがらみの多さが関わっているのだろうと魔王は推察している。


「ともあれ、これでまた振り出しに戻ったわけだ。これでまた、新しい勇者が見つけ出され、|(なだ)(すか)された結果のぼせ上がってわざわざ魔王領へ攻め入ってくる。まったく、わずらわしいことだ」


 うんざりしたように吐き捨て、椅子に寄りかかる魔王。


 彼は勇者たちとの戦いにいい加減()いていた。


 と言っても、別段魔王は人族を殺すことに罪悪感を抱くようになったとか、可哀想になったから嫌だといった理由からではない。


 彼にとって、ただの人間は元より、勇者を殺すこと自体は大した労力ではない。


 只人が降り立っただけで瘴気に焼き殺されてしまう魔界だが、修練を積んだ者ならば踏み入ることができる。その上で襲い来る魔族を倒せる勇者たちは、人族の中ではぬきんでて強い存在だと言えよう。


 だが、ある程度腕に覚えのある魔族からすればそのようなこと何をか言わんや、である。


 それというのも前提として魔族は人族と比べると肉体のつくりがあまりに違いすぎて、鍛えた者とそうでない者との戦闘能力の差が人間のそれを遥かに超えるためだ。無人に等しい荒野を徘徊する有象無象やそれ以前に瘴気に耐え切れず薄い人族の領域へ逃げた雑魚と、あらゆる魔の頂点に立つ魔王やその直属の部下たちとでは比べるべくも無い。


 弱肉強食を文字通りに行ってきた魔王からすれば、魔族軍随一の戦闘力を持つ側近の吸血姫と言えど稚児同然。そんな彼女ですら、今回の勇者より数百段強いだろう。

 ちなみに下級淫魔が給仕として仕えているのは、庇護を求める部族からの人質、兼瘴気の濃い魔王城での生活で強化されることを期待されてのことである。


 そのような頂点に立つ存在が、否、だからこそ、一々塵芥程度の相手をするのが煩わしい。

 人族に置き換えて言えば、潰しても潰しても現れる薮蚊のようなものでしかない。数百年ならまだ殺戮に酔うこともできようが、千年を超えるといい加減億劫にもなろうというものだ。


「いっそ人間界ごと滅ぼしては…」


「無駄だ」


 倦怠を汲み取った吸血姫の提案を、魔王は一蹴する。


「先々代の魔王が行ったらしいがな。一切の畜生草木に至るまで焼き払ったが人族はいつの間にかまた蔓延っていたそうだ。そのせいで動植物は新しい物にそっくり成り代わっているはずが人間だけはしれっと巣食っていたのを見て、怒りの余りそのまま月をも吹き飛ばしたと伝わっておる」


「では、あの月がえぐれているのはそのときの…」


「そういうことだ。地虫よりたちが悪いと当時仕えていた先々代の怪虫王が嘆いておったことを思い出す。まったく、たちが悪い」


「ですが、今の魔王軍は当時と比べても戦力が充実しております。それならば今度こそ」


 吸血姫の言葉に魔王は首を振る。


「無駄だろうな。確かに、魔王軍自体の戦力は充実していると言える。だが、それは強大な相手に対して拮抗しうるものだ――例えば、天上界の神や女神どもといった相手に対してのな。人間を駆逐するなら、まだゴブリンだけの軍団を用意したほうが効果的だ」


「それは…」


 確かに、脆弱な人間相手にドラゴンやジャイアントを大量に連れて行ったところでオーバーキルにも程がある。何よりそういう者は往々にして矮小な存在である人族を見落としがちだ。


 かといってゴブリンばかりを揃えては、いざ勇者が来たら抑えられない。被害が甚大になってしまう。


「だからできることなら“勇者”という存在がちょっかいを掛けてこないようにしたいのだが…実に不愉快な存在だなあれは。適当に殺すと何度でも蘇ってくる。アンデッドになれないくらい肉体を損壊させると別の人間が勇者を名乗ってやってくる。封印すると女神が力を預けた別の手合いに解放される。かといって放置すると下手な部下より強くなるのだから放置することも出来ない。やっかい極まりない」


 苦々しい口調で魔王が吐き捨てる。


 このせいで執政に専念できないのだから不快感は一入というものだ。


「魔王様。一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」


 それまで考え込んでいた吸血姫が顔を上げた;。


「なんだ。言ってみよ」


「ありがとうございます。何故、連中はこれだけ見せしめを用意しても勇者とやらを送り込んでくるのでしょうか?」


「女神どもの考えは余にはわからぬ。余であればこのような戦力の逐次投入など愚かしい真似など…」


「い、いえ、申し上げましたのは神々ではなく、人族のことです」


「うん?」


「確かに、女神なら直接の痛手も無いため気にせず送り込んでくるのは理解できます。女神にとってみても戦力としては期待できないものだからでしょうが…人族にとっては他人事ではないはず。特にここしばらくは、我らですら怖気をふるうほどの痛々しい目にあわせたものを送り返してやっているにも関わらず…」


 人間からすれば強力な戦力を返り討ちにしているのだから恐怖してもいいはずだ。吸血姫はそう言いたいのだろう。

 魔王は渋い表情を崩さず答えた。


「ああ、それならば想像はつく。他人事だからであろうよ」


 だが、その回答に吸血姫は反論した。


「…魔王様、お言葉を返すようですが、人間は確かに地虫の如く放っておけば勝手に増える生き物ですが、獣よりは知性がある生き物ですわ。それに、同族に対してだけはそれなりに情愛もある様子。獣ですら、痛みを感じたときは怯えて近寄らないもの。ならば、尚のこと怯えて近寄らなくなるのでは? 事実、辺境の小さな村などではここ数千年、ほとんど抵抗が無いと聞き及んでおります」


 魔王は首肯する。


「ああ、それはその通りだ。……一般人なら、な。勇者にだけは、その考えは当てはまらないと考えた方が良かろう。何度死んでも己が存在を喧伝(けんでん)することを止めようとせぬ。魔王城に入るまでは幾度でも蘇れるからなのだろうが…そう考えると、獣以下ということになるな奴らの警戒心は」


「獣以下の警戒心…あ」


 魔王の呟きに、吸血姫がぽつり漏らした。


「そういえばアレもそうでしたわね」


 それを、魔王は聞き逃さなかった。


「吸血姫、何か思い当たることがあったか?」


 そう問うた魔王に、吸血姫は慌てて首を振った。


「そんな、滅相もございませぬ。これは私の推察、いえ、それどころか妄想でしかありませぬ。そのようなものを魔王様のお耳に入れるなどという無礼、平にご容赦を…」


「よい」


 だが魔王は先を促す。


「もしやしたら、その方の想定は余が求めていた答えに合致するやも知れぬ。良いから話せ」


 そこまで言われては仕方ない。


 吸血姫はかしこまりました、そう答えると話しはじめた。


「魔王様は先ほどこう仰られました。『獣ですら、痛みを感じたときは怯えて近寄らない』と。だが、それには一部例外があるのです」


 ちょっと考え、魔王が答えた。


「ふぅむ…子連れ、或いは手負い…か?」


 その答えに、吸血姫は頭を振る。


「魔族であればそれもありましょう。ですが、瘴気の届かぬ野の獣においては逆効果となります」


「ふむ、であるなら…ええい、しばし待て。そのまま答えを言われるのは、何か悔しい」


 あごに手をやり真剣に考え込む魔王。


 結局小一時間待った挙句魔王は判らぬと答え、吸血姫はくすりと笑みをこぼした。


「申し訳ありませぬ、魔王様。少し意地悪な問いでございましたわね。これは野に棲まう獣の生態に詳しいものでなければ思いつかぬことでありましょう。事実、私がこの推論に辿り着いたのも、元はといえば偶然によるものでした」


「ふ、焦らすな焦らすな。はやく申せ」


「判っておりますわ…こほん。過日、私が怪蟲王に会いに行ったときのことでございます。彼奴の領土で、不思議な蝸牛を見つけたのでございます」


「不思議な蝸牛…?」


「さようでございます。その蝸牛は、目だけが突出して異様に肥大化していたのでございます」


「目だけ、だと?」


「さようでございます。それは、今思い出してもぞっとするものでありました」


 そういうと、吸血姫は右手の小指だけ立てて見せた。その先には、子供の手のひらほどもあるまがまがしく尖る爪がある。


「私の、手のひらに収まるほどの蝸牛の、目だけがこの爪先よりも長く、巨大に肥大化しておりました。だけでなく、伸縮したり、ぐるぐる回転しておりました」


 その言葉に魔王が眉をしかめる。


「…そんなことをすれば、他の生き物に襲われ易くなるのではあるまいか?」


 吸血姫が頷く。


「慧眼、さようでございます。実際、私が見ていた鼻先で、物の数分と経たず鳥が咥え去っていきました。その後私が見たことについて怪蟲王に話したところ、奴はげらげら笑っておりましたわ。奴曰く、『その中には我が眷属が住み着いており、鳥に食われるためにあえて宿主を操っていたのだ』と申しておりました」


「わざと…ではもしや」


 吸血姫が頷く。


「その寄生虫は、次の宿主に移るためあえて目立つ行動を取っていたのだそうです。…似ておりませぬか?」


 魔王ははっとした。


「まさか、お前はその寄生虫に取り付かれた状態が“勇者”だと」


「推論に過ぎませぬが…」


 吸血姫は目を伏せそう答えたが、魔王はふぅむと腕組みしてしばし黙考した。


「…すべて説明できるとは言わぬ。だが、面白い。その理屈ならば他も説明できるぞ」


「と、申しますと?」


 魔王は茶を一口飲み干すとつづける。


「例えば一つ。勇者、というモノになると、ある傾向が生まれる。魔力を操ることができるようになり、同時に自分こそが魔王を降す唯一無二の存在である勇者であると自意識が塗り替えられる。その結果、個体によっては自信過剰になることもあるようだ」


 吸血姫が同意する。


「そうでしたわね。今回も、身の程を弁えず魔王様に勝てると思い込んでいたようですし。三代前の勇者はまだ和解案を提示しようとしてきただけマシでしたわね…条約が人間優位過ぎて話しにならないものでしたけど」


「うむ。まあその傾向は個人差によるものであろうから一先ず置くとして…二つ目に、“勇者”に罹患した者はその周囲にいる人間を無意識化で巻き込み、従僕とする。そして、従僕となったものも、幼少時から勇者の従僕だったという認識を刷り込まれるようだ。ついでに言えば、これはどうもそれ以外の周りの人間すべてに及ぼすらしい。要するに、もっとも身近にいる三人が僧侶などとなり、それ以外の連中は四人を勇者ご一行様として下にも置かぬ扱いをするようだが」


 壊れる前に魔法使いから引き出した情報だが、今回の勇者は元々農園で働いていた農奴らしい。それが、“勇者”が発症してからは農園主が“旅費をわざわざ工面してくれた”のだそうだ。


「つまり、周囲にまで影響を及ぼすと。…件の寄生虫より回りを巻き込む分、いっそう性質が悪いですわね」


「まったくだな。そして、更に迷惑なのは、宿主である勇者が死ぬと、接してきた連中はそいつのことを忘れていってしまう。そして、その中から次代の勇者が現れる…というより、現れた」


 最後の言葉に吸血姫が目を剥いた。


「なんと、もうですか?!」


「ああ」


 魔王がうんざりしたように返す。


「残しておいた他の部下から、その街の宿屋の中年夫婦が勇者だと名乗りを上げたという連絡が来た。同い年の妻が僧侶で、正面の食堂の親父が戦士、右隣の煙草屋の老婆が魔法使いなのだそうだ。ただ、或いは単なる名誉のおこぼれに預かろうとした詐欺師の可能性もあるから、とりあえずしばらく様子を見るように伝えておいてある。勇者として他国へ移動したり、国王へ謁見するようならそのときは確定してよかろうな」


 そう説明され、吸血姫はなるほどと同意する。


「確かに、そう聞くと魔王様の推察は当っているように思えます。ですが…」


 魔王も頷く。


「そう。肝心の、勇者が何のために生まれるかということについては未だ皆目見当がついておらぬ」


 寄生虫ならば、捕食者に寄生するための行動であることは理解できる。しかし、肝心の魔族で寄生されたと思しき者、或いは事象についてはこれまで一切報告が無かった。


「これまでに勇者たちと接して生きて帰った魔族の中で、肉体のみならず精神に変調をきたしたものは特に見当たらん。もっとも、それならば余が最も勇者たちと相対してきておる。影響を真っ先に受けるならば余のはずだからすぐわかる筈だ」


「そのようなこと…魔王様は、これまでもこれからも強く美しいままですわ」


 熱っぽく答える吸血姫の言葉に、魔王は苦笑する。


「そうであれば良いがな…まあいい。話は戻すが、この点が実に不可思議だ」


「確かに…良くわかりませんわね」


 吸血姫も同意する。


 生息範囲が現状人間界でしか広がっていない理由が最大の謎だ。


 仮に寄生虫だとしたなら、何故わざわざ魔族の前にまで出てくる必要があるのか?


 しかもこれまで勇者から魔族へ感染に成功した事例も無い。


「大体、宿主を求めての行動ならば、魔界くんだりまできて出向く理由が無い。魔族に寄生した例は無いのに、死んだ時点でこれまでの接触した人間から新たな勇者が生まれているのですものね」


 魔王が深く頷く。


「うむ。奴らは神との繋がりが深いようなことも言っておったからな。もしやそこに何か推理の取っ掛かりがあるのかも…とも思ったが、所詮は狂信者の妄言でしかなかったようだ」


「神が命じた、でしたかしら。…そういえば、それで思い出しましたけど…あの僧侶の娘。妙なことを言ってたことがありましたわね」


「妙なこと?」


 ふと漏らした呟きを聞き取られた吸血姫が慌てて両手を打ち振った。


「いえ、大したことではありませんわ。どうせ意識が混濁していたときの幻覚ではないかと…」


「良いから言ってみよ。ここまできて何でもないと言われると逆に気になるではないか」


「それもそうですわね…判りましたわ。確か、牢に入れられた晩のことですが、私が夜の見回りに出たときに壁に向かってぶつぶつ呟いていたのです。『そんな、悦楽のためだなんて』とか『私は村で彼と穏やかに暮らしたかったのに』とか。本来はどうにも心の弱い娘だったのかもしれませんわね」


「人間界の神が、悦楽のため…か」


「魔王様?」


 魔王は、思わず顔をしかめていた。それを見た吸血姫が心配そうに見上げる。


「…いや、何でもない」


 魔王は人間の神というものが嫌いだった。


 魔族にも神という概念は存在する。


 しかし、それは魔族にとってはアニミズムと祖霊信仰の混じったようなものであり、信徒に庇護を与える全知全能の唯一神といったお優しいモノではない。


 人間はか弱い。だからこそ救いを大いなる存在にすがる。そう、魔族に囚われたときにですら。


 だが、魔王は常々疑問に感じていた。


 弱者にただ与えるだけのモノなど果たして存在するのだろうか?


 そんな弱者にとって都合のいい存在が果たしてありえるのだろうか?


 自分なら、そんなことは決してしない。


 何故なら、強者が得られるものが無いからだ。しかも長期間何かを与えつづけられると、与えられることに慣れてしまう。魔族より寿命が短い人族なら尚のこと顕著であろう。


 弱者に乞われるがまま、ただ延々と与えるだけしか無い存在など魔王の理解の範疇を超えている。


 まったく、搾取されるだけの存在など実に馬鹿馬鹿しい。


 かといって脆弱な人類から得られる財宝などたかが知れている。奴等の肉を食らいたいなら一々お伺いなど立てることもない。そう、あの猫と同じで



 あの猫と同じ…?



 そこまで考えた魔王は、かくんと口を開いた。


「そうか…え? いやいや、いやいやまさかそんな…しかし…」


 魔王は天啓に導かれたような心持ちになっていた。


「魔王…さま?」


 吸血姫の心配げな声に、魔王ははっと我に返った。


「魔王様、いかがなさいましたの?」


「判った…気がする」


「何がですの?」


 魔王はごくり、と生唾を飲んでからはっきり答えた。


「女神が与えた勇者という存在の役どころが、だ」







 それから一月が経った。


「報告せよ、ブレインサッカー。新たな勇者が生まれたという情報は入ってきたか?」


 謁見の間で居並ぶ側近たちの前で、かしこまったブレインサッカーははっきり頭を振った。


「イイエ、まいろーど。アラタナ勇者ガウマレタトイウハナシハアリマセン」


 その回答に、魔王は満足げな笑みを浮かべて頷いた。


「うむ。だろうと思っていた。下がれ」


「ハッ」


 ブレインサッカーが辞去した途端。


「魔王様、これは一体どういうことで?」


「勇者が現れないとは…」


「何をなさったんですかい?」


 食卓についていた側近たちがいっせいにざわめいたのを、魔王は苦笑いしながら片手を挙げて制した。


「そう騒ぐな。まあ、気持ちは判らないでもない。はっきり言って、余自身この結果は出来すぎではないか、そう思っておるからな」


 そういって吸血姫を見やる。彼女もまた、どう反応していいか判らず苦笑を返した。


「さて、では種明かしだ。と言っても、種は簡単なこと。我々は、人間の神についての理解が圧倒的に足りていなかった…ということなのだ」


「どういうことです?」


 触腕をくねらせながら海獣王が訪ねる。よほど気になっているのだろう、余りにもくねらせすぎて触腕が今にも絡まりそうだ。


「人間たちはよく言うだろう、自分たちの神は無償の愛に溢れた厳しくも慈愛溢れる神だ…とな。それを我々も鵜呑みにしていたのだ。まったく愚かな話しではないか。矮小な人間と、我々や神とでは認識力自体が違うというに」


 そこまでで半分の側近ははっと表情を変えた。残りの半分――海獣王もこちらだ――は依然魔王が何を言おうとしているのか理解できない。


 そんな彼らに向け、魔王が噛み砕いて説明する。


「余が気付いたのは、そんな存在などありはしないということだ。諸君らだとてそうだろう?」


 まだよく判らないといった側にいる怪虫王を目に留め、魔王はにやりと笑った。


 偶然とはいえ彼の言葉が謎解きの一端を担ったのだ、それに敬意を表してやる。


「怪虫王には悪いが、蟻を例えに出そう。怪虫王は優れた力を持つが、一々蟻の願いを聞き届けてやるか? やらんだろう? 見返りを求めるにしても、相手は矮小すぎて自分の望むモノなどまず持ち合わせてはおらん。であるなら、庇護を与えるなら何を代償とする?」


 しん、と室内が静まり返る。やがて聞き取りづらい声を発したのは、


「…マサカ」


 怪虫王だった。比較に出したのが眷属だったからこそ連想が容易だったのかもしれない。


「ソノ身、カ?」


「そうだ…と言っても、肉体そのものではない」


 魔王がくく、と喉奥から笑い声を上げる。


「奴が、女神が人間界の神が人間どもに庇護を与える代わりに求めてきた報酬は…生き様なのだ。無作為に抽出した、“勇者”と呼ばれる存在のな」


 側近たちがどよめく。


「だからなのだろう。我々魔族に打ち勝てるほどの力を与えず、微妙に認識をゆがめるほどの手間を掛けてあるにも関わらずあっさり使い捨てるのは。要するに、勇者とは女神の掌上で踊らされる玩具なのだ」


「ナント…」


 怪虫王をはじめとした大勢が驚きの声を上げた。


「人間は知覚力が無いため神の真意は決して理解できぬ。が、虚仮の一念何とやら、か。先の勇者一行の僧侶はほんのわずかなりと神と意識が繋がった。元々思い込みの激しい娘だったのだろう。まあ、そのおかげで余が気付くことが出来たのだから、世の中何がどう関わるかわからぬのが面白い」


 僧侶の叫びは事実神に向けてのものだったのだろう。脳の皺のひとつひとつまで寄生虫の住処となった今となっては知る由も無いが。


「恐ろしい話しですな…」


「何ガ慈愛溢レル、カ」


「我らの神は決して優しくは無いが、そこまで外道ではない…」


「別に奴らの神がどうあろうと我々には関係あるまい。それより魔王、理屈は判ったが…実際にはそなたは何をどうやったのだ? 種明かしというなら、そこまで触れていただかないと片手落ちであろう」


 一人の質問に、居合わせた全員――吸血姫もだ――の視線が魔王に向けられる。表立って同意をする者はいないが、その表情を見れば誰もが期待していることは明らかだ。


 そして、魔王はその期待を裏切るほど無粋でもない。


「そうか、殊更明け透けにするようなことでも無いから言わなかったから諸兄らは知らなかったか。まあ、そんな対したことはしておらぬ」


「まあ魔王様、そんな卑下なさらずはやく答えを仰ってくださいまし。生殺しとは後生ですわ」


 吸血姫にまで乞われ、魔王は判った判ったと諸手を挙げて答えた。


「何、そんな大層なことではない。捕らえた新しい勇者を、決して殺さない程度に拷問をしてやっているだけだ」


 その言葉に、居並ぶ側近たちは顔を見合わせる。


 拷問なら、これまで他の勇者たちにもやってきている。何が違うというのか?


 その意を汲んだ魔王がにやり、口元をゆがめた。


「そして、その際に一言追加してある。『せいぜい派手にしろ』とな」


 尚更意味がわからない。


 だが、皆がそれを口にするより先に魔王が補足する。


「言っておくが派手に、と言っても別段過剰な演出や大仰な舞台装置を用意させたわけではないぞ」


「まだよく判りませんわ…拷問ならこれまでもしてきたではありませんか」


「目的からして違うのだ。これまでは、情報を吐かせるのが主な目的だったであろう? 余は、此度の勇者に対しては別に命じたのだ。『生かさず殺さず、生まれてきたことを後悔するような、ひたすら絶望と苦悩と後悔を与える拷問を行え』とな。言うなれば…そう、必要に応じての拷問から、()()を意識して楽しませるような拷問へ変えた。そう言い換えてもよかろうな」


 幾人かがほぅ、と嘆息した。


 魔王は気付いたのだ。


 勇者とは、人間とは…要するに、人間の神の玩具。


 ならば、(女神)が楽しむように扱えばいいのではないか。


 彼が本質に気付いてからその結論に達するまでは早かった。


 一々勇者としてちやほやさせるところから推察するに、どうやら人間の神は酷く悪趣味らしい。一旦上げてから落とすというやり方を多用するのを見るに、徹底的に魔族の手で嬲ればいいのではないか。そう考えたのだ。


「なるほど…」


 説明を聞いて一同が得心する。


「ですが魔王様。単に死んでいないから次代の勇者が生まれないだけなのでは?」


「そうかも知れん」


 吸血姫の問いに魔王があっさり同意する。


「だが、今の勇者はただ死んでいないだけだ。もはや二度と動けぬし、喋ることすらできぬ。家族が見たところで気付かぬほどの見た目にもなってもう一月になる。そのくらいなら、今まではあっさり見限って次代の勇者になっておるはずだ」


 そう言われてみればと側近たちは思い出した。


 かつて殺しても封印してもよみがえるならばと、生きたまま細切れにして肉食バクテリアに食わせてみた勇者がいた。微細に粉砕してもよみがえろうとする肉片はやがて組成がすべてバクテリアの廃棄物に置き換わっても生きようとしたが、そのときは一週間で死亡しきっちり人格を持たないバクテリアの糞として生まれ変わった。


「まあ人間の肉体はもろいから、もって百年というところだが…」


 魔王が酒を喉に落とした。


「そのときになればまた勇者とやらを探せば済む。なに、そうでなくてもあちらからやってこよう。そうなったら、懇切丁寧にもてなしてやればいい」


 魔王たちが苛立っていたのは、塵芥が調子に乗ってちょっかいを掛けてくることだ。


 魔族が自ら人間たちを弄ぶこと自体は、なんら忌避することでもない。

 その調子に乗るのも、その後の味付けと考えれば可愛らしくすらある。


 側近たちもその辺りは同様のようで、皆納得したように頷いていた。


「折角だ、今代の勇者を今宵の肴とするか」


 そういうと魔王は手をさっと振る。


 直後、拷問の真っ最中であった元宿屋の親父が壁一面に映し出された。


「ころして…ごろじでえええええ」

「あぷぶー、ぶりぶりー、ちょんわーちょんわー」

「もけけけけっ、うけっけきょっ、けひひっ、めひげげげげ」

「あがあぁぁ、どうじて…どうじてぇ……おで、ゆうしゃのはずじゃながっだのぉぉぉ……」

 今、勇者一行は一つの生物として生まれ変わっている。

 勇者は両腕をそぎ落とされ、その両脇に正中線で割られた戦士がくっつけられている。下半身は魔法使いのそれだ。背面には僧侶の弛んだ乳房がぶら下がっており、腹には正面と左右に彼らの頭部がつけられており今尚苦悶に呻いていた。


「ほぉ…見事な飾り付けでございますな」

「ええ、悲鳴が実に心地よいですわね」


 来賓の反応も上々なようで、魔王は満足げにうなずいた。


「貴君らも、何か注文したい拷問があれば念話で獄吏に伝えるがよい。命を粗末にさせるものでなければなんでも受け付けるよう伝えてある。獄吏もその道のエキスパートを揃えてある、きっと要望に応えてくれよう」


 側近たちは目を輝かせると、勇者だったものの苦鳴を皮切りに宴を開始した。


「人間の神、か」


 吸血姫に新たな酒を注がれながら、魔王は独り言ちる。


「これまではどうにもいけすかぬ偽善者だと思っていたが…存外、余とは気が合うやも知れん。いずれコンタクトを取る方策を考えてみるのも良いかも知れぬな」


 時間は幾らでもあるし、玩具も幾らでもある。おまけにうっかり失敗しても新しいのがどこからか生えてくるのだ。


 お楽しみはこれからだ。


 数千年ぶりに魔王は、良き友ができたかもしれない期待で己が心が躍るのを感じていた。

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