9.地下都市の主
眼前のおっさんを観察する。
白髪交じりの髪をオールバックに纏めた四十代前半と見られる男。恰好だけを見るなら陽気なおっさん。だけど、鋭い眼光と歪められた口元、身に纏う雰囲気がそれを否定する。
この雰囲気には覚えがある。人が苦しんでいるのが愉快でたまらない。そういう嗜好の持ち主特有のねちっこい嫌な感じだ。
チョイ悪オヤジ、なんて程度の人じゃないだろうな。
「おっと、警戒されているのか」
俺達が口を開かなかったからなのか、おっさんが言葉を続ける。
「オレは藤堂龍治、この町の管理者だ。フロアボスを倒した勇敢なお二人が来たと部下から聞いてね。こうして足を運んだという訳さ」
ボスがわざわざやってきたって事か。浅倉さんもそうだけど、リーダーなのにフットワークが随分と軽いねえ。
藤堂さんとやらがペラペラとここに来た理由を語っている横で、遥がこっそりと耳打ちする。
「京さん、この人、超能力者っす。さっきも言ってた『罪を裁く』力の人みたい」
「……へえ」
この人がか。しかもよりにもよって『罪を裁く』力とは。こんな見るからに悪人寄りの人に渡しちゃ一番いけない能力じゃないか。
純粋に強そうな超能力として『空間を静止する』力と『刀でなんでも斬れる』力の二つを挙げたが、この目の前の男の持つ『罪を裁く』力はまた別格。モンスター相手には大して役立たなそうであると同時に、人間相手にはこれ以上なく効果を発揮するだろう力だ。
遥の探知で得られた情報では、広く敷かれた法とリンクして脱法者に罰を与えたり、自分ルールに基づいて私刑を加えられるらしいが、一番ヤバいのは人間の持つ自罰的な感情を形にする力。
こんな状況だ。沢山の人が死んでしまったのに自分だけ生き残ってしまった。そんなサバイバーズ・ギルトは程度の差はあれど大半の人は感じていると思う。どの程度の影響があるかは俺にはわからないが、人に向けて力を使えば圧倒的な有利が得られる筈だ。
向こうにも立場があるから、安易に戦いを仕掛けてはこないだろうけれど。ただ、藤堂さんがこの力を使うのに躊躇いを感じるタイプには見えない。
……少しだけ気を張った方がいいか。
「なるほどね。遥はともかく、俺には抜群に効くだろうからちょっと怖いな」
「いやいや、流石に京さんよりは私の方が効くと思うっすよー」
「は?」
「え?」
なんだか変な間が流れたが、気にしない事にした。
小声で喋るのをやめる。
「……これはどうも。浅倉さんから聞いていると思うけど、こっちの紹介はいるかい?」
「いや、不要だ」
「そう。それでここが気に入ったかだっけ。まあまあって感じだよ。こんなものを真っ先に作ったのがどうにも……ほら、俺って一般的な小市民だからこんな野蛮な所は性に合わないんだよね」
「クク。まあそう思うのも当然か。とはいえ、ガス抜きは必要でな」
藤堂さんがコロシアムの中心での戦いをチラリと見つめる。
「君達も生き残った奴らの皆が他人のために行動するようなお利口さんだとは思っていないだろう? 手に入れた力を好きに振るいたい、強者として弱者を支配し虐げたい。そんな輩はいくらでもいてね。このまま放置しておくわけにもいかないという訳さ」
藤堂さんの視線と口調には明らかに侮蔑の念が籠っていた。
……ただ、言っている事はすごく真っ当だな。ちょっと意外だ。こんな方法で解決しようとする人ならもっとぶっ飛んだ事を言いそうなものなんだけど。
「ここではそういう血気盛んな奴らが合法的に暴れられる場所を提供してやっている。もちろん、安全面には気をつかっているがね」
「ふうん。ま、人間同士でつまらないイザコザ起こして自滅するよりは、よっぽどマシなんじゃないの」
「興味なさげじゃないか、つれないねえ」
「自分ができないゲームを横から眺めるだけってのはどうもね。これもさっきと同じで性に合わないって事さ」
「おや? ここで暴れたいと言うのなら、こちらとしては大歓迎なのだが……」
「ああ、違う違う。そっちの事情じゃなくてこっちの事情なんだ。気にしないでくれ」
一対一で向かい合って、よーいドンで戦う方式じゃ俺に勝ち目が全くないからなあ。そんな戦いを楽しめる程、俺はマゾじゃない。
……それはともかくだ。
「……で、そんな話をするために俺達に接触しにきたわけじゃないんだろう? 何が目的?」
腹の探り合いをし続けるのも面倒だ。とっとと要件だけ聞いて帰るためにもこちらから単刀直入に切り出す。
「ふっ、生意気なガキだ。まあいい。そのくらいの方がこちらも使い甲斐がある」
藤堂さんが人を食ったような笑みを見せる。
うん、このくらいストレートに話してくる方がこちらもやりやすい。
俺が密かに好印象を抱くと同時に、藤堂さんが口を開いた。
「この町はもう見ただろう。浅倉の奴にはある程度になら好きに管理していいと許可をもらっていてな。これからもこの町はオレ好みに発展させていくつもりだ……ただ、将来的に少々グレーな事に手を出した時が心配でね。正義感と力の有り余ったガキが一時の衝動で敵に回るなんてのはこちらも御免なのさ」
飄々と嘯いている。
俺達のような子供にまで警戒するのは過大評価も甚だしい……とも言い切れないのが今の世界の怖い所だ。ただでさえ蓮みたいな無茶苦茶な力を持った奴や超能力なんていう何をしてくるかさっぱりな力を持つ奴が出てきている世の中だ。綿密に立てた計画がガキ一人の癇癪で壊れるなんてのもあり得ない話ではない。
「オレだって無闇矢鱈に敵を増やしたくはない。だから、自らこうして警戒に値する相手かどうか見定めているのさ。……君達の事は気にする必要がなさそうでなによりだ」
「ふうん。案外節穴だねえ。俺と遥は衝動で動く奴筆頭だぜ?」
「だが、それ以上に正義感なんてものには欠片も興味はないのだろう? 後ろの彼女はともかく、君は自らの信念や欲望に従う個人主義者の類だと感じたが……違うのかね?」
「うーん、似たようなもんだし、返す言葉もない……まあ、俺がどうとかは置いといて。最低限のモラルを守っているなら、何やったっていいと俺は思うけどね。それに、浅倉さんと協力してるって事は、どっちにしたってそっちも暫くは大人しくするつもりなんじゃないの?」
俺の言葉を聞いて、藤堂さんの雰囲気が少しだけ和らげなものになる。少しだけ意外そうな表情も見せていた。
冗談を交じえながら向こうの考えを探ってみたけれど、これは俺の言葉通りって事でいいのかな?
「……こちらの事をお見通しだからこその余裕か。フ、気に食わないが、嫌いじゃあない。訂正しよう。君とは仲良くやっていけそうだ」
「そうだねえ。ギスギスするのもほどほどにしようよ。こんな世界で生き残った人同士仲よくしようぜ?」
「クク、思ってもない事を言ってくれる。まあいいさ。君の事はよくわかった。これからも邪魔なモンスター共を片付けるためによろしく頼むよ、逆蒔クン?」
「うんうん、よろしくね。……あ、状況が落ち着いたらカジノも作ってよ。俺、ラスベガスとかの賭博場行ってみたかったんだよね。この町の雰囲気にも合うからいいだろ?」
「……クク、ハッハッハ! いい提案じゃねえか。風俗営業は金になるからな、そのうち作ってやろうじゃないか」
「やりい♪ 言ってみるもんだねえ。藤堂さん、アンタも結構話がわかる人じゃん。……それじゃあ、用事も済んだみたいだし、俺達は今日はこのへんで失礼するよ。ほら、行こうぜ遥」
「あっ、はいっす」
どこかぼうっとしてた遥の手を引き、未だ愉快そうに笑う藤堂さんと、その後ろで仏頂面のままの部下達の横を抜ける。
急にあんな危険人物がやって来たから結構ビビったのだけれど、なんとかなってよかったぜ。
心の中でほっと一息ついてから、遥に話しかける。
「なんか見逃してもらえたぜ。いやあ、向こうさんがやる気なくて良かった良かった。お陰で拙いやり取りでも乗り切れた」
「いやいや、あの人明らかにカタギの人じゃなかったんすけど……よくあんだけスラスラ言葉が出てきたっすね」
「え、もしかして一言も喋らなかったのって藤堂さんにビビってたからなの? なんかゴメン。怖がってたならさっさと切り上げるべきだったわ」
「こ、怖がってなんかないっすよーだ! ほら、京さんの顔を立ててあげたんすよ、いい女は男の三歩後ろをついてくるものでしょ?」
「ふっ、じゃあそういう事にしとこう。……いざとなれば守ってもらうのは俺の方だけどな!」
「そんな情けない事をいい声で誇らないでほしいっすよー……」
遥は残念そうなものを見る目をしてそう言った。
◇
「……よろしかったのですか? 子供ごときにあのような態度を許して」
未だ笑いを含みながら、逆蒔と黒乃の後ろ姿を見つめている藤堂に部下の声がかかる。
「構わんさ。あんなガキ共でも今の世では貴重な駒になる。それにあの態度は力に振り回されているが故のものではない。自分の価値を把握して立振る舞いを取り繕える人間には、オレは寛容だとも。……それとも、お前達はオレの決めた事が不服だったのか?」
「……失礼しました」
そのやり取りで口を閉ざした部下の男を一瞥すると、藤堂は思考に耽る。
(……にしても、面倒な奴らだな。《正義とは》はまず効きそうにない。黒乃とやらはあんだけビビってるような素振りを見せていて、感情が乏しいって感じでもないのに罪悪感をほとんど感じてねえ。……逆蒔の方はそれ以前の問題だ。まるで人形でも相手にしているみたいになんにも感じ取れやしねえ。超能力は使えないって話だった筈だが……いや、他にも手段はあるか。とにかく絶対なにか隠してやがる)
藤堂の超能力。『罪を裁く』力──《正義とは》。その力の一つに相対する生物の自罰的な感情を具現化する力があり、藤堂はその力の副産物として生物の感情を限定的な部分で読む事ができる。
今回こんな所にまで足を運んだのは、逆蒔達が自分に敵対するような人間性の持ち主かどうかを見極めると同時に自身の超能力が通用するかどうかを確かめるためだった。
結果は最悪でもあるが、思わぬ情報が手に入った。
元々ふって湧いた力だ。効かなかった所で藤堂に思う所はない。少し面倒だと思うだけだ。
だがしかし、子供ながらに口が回る少年の、恐らくは秘匿されている情報の一片に触れたのは本当に思わぬ収穫だった。
(思えば、浅倉の野郎はどこか逆蒔に対して遠慮しているような素振りだった。なにか知っているのか? ……少し探りを入れてみるのもいいかもな)
そこまで考えた所で藤堂はフッと息を吐く。
(まあいいさ。どれだけ不気味だろうと暫くは味方だ。調査はゆっくりやればいい。……思っていた展開とは随分と違うが、今の環境はオレにとっても最高だ。オレのクビを切る理由も余裕もない上、オレがいなくなれば荒くれ共が暴走してギリギリの所で保ってる治安が破壊される。やりすぎなければいくらでも力を溜め込める上に、面倒事は全部表のリーダーの浅倉に押し付けられる。漁夫の利もいい所だが、世界の支配ってのも夢物語じゃねーな、これは)
「……クク、こんなに楽な話があるかよ。本当に、阿保らしい世界だ」
小声で呟かれたその言葉には明らかな侮蔑の念が籠っていた。