幕間 ささやかなお礼を
一週間経って騒動の影響も薄れた事もあり、京也と黒乃はたびたび学校に顔を出すようになっていた。
「それじゃあ、俺は外で蓮達に付き合ってくるけど、遥はどうする? 一緒に来るか?」
騒動の後、学校に滞在する人のほとんどが力を手に入れる事を選んだ。
モンスターではなく同じ人間に攻撃された事で、今まで脳裏にあった「耐えていれば誰かが助けてくれる」という認識を疑問視するようになったからだ。
こんな世界になって法の制約もなくなった今、何の力も持たない人間は力のある人間にただいいように利用されるだけではないのかと疑念を持ち、足踏みしていた者達は徐々にこの世界に順応しようと、力を求めるようになった。
……というのは建前で。蓮が原因で起きた騒動を経て、子供達の空気が疲れ切ったものや半ば投げやりなものから少しだけ活気が戻った事が大きく、その空気にあてられて学校に避難してきた人達も協力的になったというのが事実だった。
そんな背景の中で今日、京也が学校に来たのは蓮に模擬戦闘を頼まれたからだ。
レベリングだけでは戦闘経験を積むには不十分だから、そこそこの強さで殺さないように手加減ができる京也のモンスターを使って戦闘経験を積ませたい。蓮や学校の先生達から受けたその依頼を京也は条件付きで受けた。
京也が学校についた時には、既に校庭で男子学生を中心とした二十人前後の集団が体を動かしていた。
京也も校舎内まで黒乃を送ってすぐに外に向かおうとする。
「う~ん、今日はそんな気分じゃないんすよね。図書室に漫画でも読みにいきます」
「うし、じゃあ一人でいってくるわ」
「いってらっす~」
一応、黒乃にも声をかけた京也だったが、返答を聞いてさっさと外へ行ってしまった。
京也を見送り、黒乃は校内を進んでいく。
「さて……そうだ。図書室に行く前に柚子ちゃん達の様子を見に行ってもいいかも……」
「遥さん! おはようございます!」
「お、おはようございます」
「ちょうどよかった。おはようっす。様子を見るに今は自由時間っすか?」
「はい!」
手を振り近づいてくる柚子と、その横を歩く蜜柑の姿を見つけ、黒乃は小さく手を振って答えた。
「あの! いま暇だったりしますか?」
「うん?」
唐突な申し出に黒乃は首を傾げた。
「なるほどなるほど……世話になった分のお返しを京さんにしたいと」
「うん。ほら、逆蒔さんって目を離すとすぐにどっか行っちゃいそうだから。お世話になった分のお礼は言える時に言っといた方がいいと思ったんですよ」
「あー……」
それは私も人の事言えないんすけどねー……と思った黒乃だったが、空気を読んで口にはしなかった。
「……とにかく、お礼ついでに京さんの好きなものを作って送ろうって事っすね。ふむ……相談してくれたのは嬉しいっすけど、私も付き合いは短いんでそういうのはわからないっすねえ」
「そっかあ……」
「でも、あの人基本クソ童貞なんで女の子が作ったものならなんでも喜ぶと思うっすよ」
「うわあ、すっごい辛辣な事言われてる……」
「あっ、悪い意味じゃないっすよ。ほら、女の子としては自分の行動一つでドキドキしてくれる方がやりがいあるじゃないっすか」
「そう、なのかな……?」
蜜柑は訝し気に首を傾げた。
「こういうのだと形が残るものは重いかもっすね」
「そっか、じゃあお菓子でも作ってみようかな。蜜柑そういうの得意だったよね」
「月一くらいでしかやってなかったから、わたしあんまり自信ないよ」
「なら私も手伝いましょうか」
「……えっ! 遥さん料理できるの!?」
「……そんなに意外っすかねえ」
柚子からの評価に黒乃はしょぼんと肩を落とす素振りを見せた。
「ああいや、そうじゃなくて! だって私達が遥さん家に居た時も料理っぽい料理してなかったし……」
「……なんて冗談っすよ、冗談」
「もう、やめてくださいよう!」
慌てる柚子を見て満足したのか、にへらと黒乃が笑った。
「料理って面倒くさいじゃないっすか。それに京さんと二人暮らしっすよ。そんな状況で女の子が手料理を振る舞うってのはなんか、こう……恥ずかしいというか……えへへ」
「……ねえ、蜜柑」
「うん、お姉ちゃん。これは……」
茶化しながらも頬を少しだけ染める黒乃の姿に、姉妹の心は言葉にしなくとも「この人可愛いな……」という思いで一致した。
「遥さん、一緒にやりましょう!」
「うん、やろうやろう! 遥さんもなにか作ろうよ!」
「なんでそんな急に乗り気に……? ああ、はいはいわかりましたから。そんな目で見なくてもやってあげますよー」
妙にテンションの高くなった姉妹二人に手を引っ張られ、黒乃は後ろをついていった。
「あっ、お久しぶりです!」
家庭科室に三人がつくと、中にいた女子生徒数人が黒乃の姿を見て挨拶してきた。
いずれも騒動の時に黒乃が救出した生徒達だ。彼女達は手分けして大きな鍋などを使って調理に勤しんでいる。
「久しぶりっすねえ。そっちは……調理担当っすか?」
「はい。戦うよりかはみんなを支える方が向いているかなって思って。人がいっぱいいるから大変ですけど、何もしていなかった今までよりかはよっぽどいいです」
「そうっすか。まあ無理しないくらいに頑張れっすよ~」
軽い会話が終わると、三人は窓際の空いている机に向かう。
「電気やガスが使えないのにどう料理したものかと思っていましたが、最低限のものはショップで買ったんすね。これが掲示板で話題の魔力で動く家電製品っすか?」
「そうみたいです。魔石っていうのを電池みたいに交換すれば半永久的に使えるみたいですよ?」
「へぇ、私も今度ショップをもう一度見てみようかな。テレビとか新しいの欲しかったんすよね」
冷蔵庫が一台に机毎に備え付けられたコンロと電子レンジを見て、黒乃は感心したように呟いた。
「材料もショップから買えばだいたい揃えられそうっすね。これなら大丈夫っす。なにか作りたいものはあるっすか?」
「ケーキ! チョコレートの奴!」
「……蜜柑ちゃん、なにかないっすか?」
「ちょっとー! 無視しないでくださいー!」
「お姉ちゃん、ケーキはすっごく面倒くさいし、キッチリとしたのは初心者ができるようなものじゃないから……うーん、作るならカップケーキぐらいが丁度いいんじゃないかな?」
「あっ、それも好き! そうしよう!」
やっぱり自分の好きなものを選んでいたなと思った黒乃だが、まあそれでもいいかと考え直す。贈り物なんてどうせ自己満足だ。特別な間柄でもあるまいし、一般的に貰って嫌なものじゃなければなんだっていいだろう、と。
作るものさえ決まれば後は早かった。
卵や牛乳、薄力粉などの基本的な材料に、柚子の要望に応えチョコやチョコチップも揃え、後は黒乃の指示に従って材料を混ぜていく。
「……ねえ、遥さん。あの外にできた町、本当に大丈夫なのかな?」
カップに生地を入れ、オーブンレンジで温め始めた時に、蜜柑が窓の外を眺めながらポツリと呟いた。
校舎の三階の窓の外からは、未だ残っているビルや住居の向こうに円形に建てられた壁が見える。
「新自治区『トウキョウ』っすか。掲示板で言っていた通りっすよ。安全な居住地を無償で提供するなんて太っ腹ですよねえ」
「でも怪しくないですか? タダより怖いものはないって言うし……」
「まあ、本当の意味で百パー善意って事はないでしょうよ。例えばですけど、またフロアボスが来た時にバラバラに過ごしていて各個撃破されるよりも、強い人も弱い人も纏まって生きていた方が守りやすいし、協力して戦いやすいでしょ。他にも理由はあるでしょうけど、打算は絶対ありますよ。……後、蜜柑ちゃんが気にしてるのは、前に自分がされたみたいに力を持たない人達が酷い目に遭わないか心配って所っすか? 男の人からすると女子中学生や女子高校生に手を出せる機会は逃したくないでしょうからねえ」
「はい……守ってもらうために対価が必要って考えも今の状況だと仕方ないって思うけど、やっぱり女の身からするとちょっと怖いです」
蜜柑は目を伏せる。安全な場所という甘い言葉を信用しきれていないのだ。
東京東部に突如として現れた壁に囲まれた町、掲示板では新自治区トウキョウと名乗っていたその場所には今、この東京で生き残っている人が集まりつつある。
トウキョウの出現後、すぐに掲示板にて町の責任者を名乗る人から無償での人の受け入れを行うと通告されたためだ。
まだ通告から数日という事もあり、そこまで多くの人間はやってきていないようだが、掲示板では連日トウキョウ絡みの情報が飛び交っていた。
「今の所は大きい問題もないみたいっすけどね。一応、何度かヘリコプターを飛ばして偵察してみたけれど、中は平和なもんでしたよ?」
「でもさ、これからがどうなるかなんてわからないじゃん。遥さんや蓮にいみたいに強い人がいっぱい集まったらそれこそやりたい放題みたいな感じになるかもよ?」
不安に思っているのは柚子も同じようだ。軽い口調だったが懸念を見せる。
「やりたい放題できるくらいの戦力はもうあの街に集まってるんすけどね。でも、きっと大丈夫っすよ。みんながみんな悪い奴なわけないし、蓮くんや京さんみたいなお人好しだってそれなりにいるでしょ」
「……? 逆蒔さんが、お人好し?」
「えっ、お人好しじゃないっすか?」
「そうかなあ……?」
三人の間に奇妙な沈黙が流れた。
「……まあ、それは置いといて。私や蓮くん、ついでに京さんもいるし相手だって強気には出れないはずっす。だからそんなに心配しなくてもいいっすよ」
黒乃がそう言った所でチンとレンジの音が鳴った。
「おっ、できたっすね。串を刺してー……うん、大丈夫そうっす!」
「おー、おいしそう!」
「綺麗にできましたね。よかったあ……」
柚子が歓声を上げ、蜜柑がホッとした顔を見せる。
「それじゃあ、一緒に食べよ遥さん!」
「あれ、いいんすか? これ京さんへのお礼でしょ?」
「それもそうだけど、遥さんにもいっぱい助けてもらったからね!」
「だから、遥さんにも感謝の気持ち、です」
「そういうことなら、ありがたく頂きましょうか」
黒乃は二人の厚意を受け取る事にした。
出来立てのチョコカップケーキを口に運ぶと、三人に笑みがこぼれる。
「んーっ♪ やっぱり甘い物は美味しいっすねえ」
「えへへ、美味しくできたみたいでよかったです」
「それじゃあ、逆蒔さんもよぼっか! 今は外にいるんだよね」
「はい、まだ訓練中だと思うっすけど……って、サッカーやってるし!」
黒乃の驚いた声を聞いて、室内の全員が手を止め窓の外を見る。
「ホントだ……四宮先輩まで混ざってる……」
「まったく、男子はこれだから嫌だよねー」
「ねー」
「でも楽しそうだね」
「今は遊んでる場合じゃないけどね、もう……」
調理担当の女の子達が呆れたように口を揃えて文句を言っている。けれど、どこか微笑ましい雰囲気が流れていた。
「これは京さんを呼び出さなきゃっすね。どうせ京さんがやろうって言ったんでしょうし」
「それは多分そうだろうけど……たまには息抜きだって必要、みたいな?」
「私のいない所で勝手に楽しんでるなんてズルいじゃないですか!」
「あっ、そっちですか……」
黒乃がオレデバイスを使って京也にメッセージを送る。すると、すぐに校庭で京也がクロノグラフを見て「げっ」という顔をした。
校舎内へと京也が入っていって数分後。
「……なにか勘違いしてるみたいだけど、ただ遊んでいたわけじゃないんだぜ。ちゃんと戦闘訓練だってやった後さ。ほら、ずっと気を張ってちゃ持たないし、たまには息抜きだって必要だろ?」
息を切らして家庭科室に入ってきた京也はなにか言われる前に自分から弁明を始めた。
「ええ、確かにそうですよね。息抜きも必要ですよね」
「だろー、だから俺は全然悪くな……」
「それはともかく、私をおいて楽しそうにしてたっすねえ……」
「ヒエッ……」
黒乃が出すいかにもな不機嫌ですというオーラに京也がたじろぐ。
「実はですね、さっきまで柚子ちゃんと蜜柑ちゃんが今まで助けてもらったお礼にってカップケーキを作ってたんですよ」
「あっ、あー……いい匂いだねえ! 美味しそうだ! ありがとう柚子、蜜柑!」
誤魔化すように大声でお礼を言う京也だったが、そんな事で黒乃が逃がしてくれるわけもなく。
柚子と蜜柑の憐れむような目線の中、ジリジリと近づいてくる黒乃から離れる様に後ずさる京也だったが、ついに背が壁についた。
「それでですね。よく考えたら私も普段京さんにお世話になってますよね?」
「どっちかって言うと俺の方が遥に世話になって……」
「これは、私もなにかした方がいいっすよねえ……?」
「あっ、ハイ」
「よし」
逃げられないと悟った京也は黒乃の言葉を受け入れた。
黒乃は満足そうに頷くと、フォークで手頃な大きさにしたカップケーキを京也に差し出す。
「これは?」
「はい、あ~ん」
「……正気か?」
黒乃の一言に京也は戦慄した。
まさかこれだけ女子に囲まれた中で羞恥プレイを決行するつもりか……! と。
「あのですね、遥さん。ここじゃ人の目があるだろう? な、やめよう?」
「だからやるんすよ♪」
「…………アイアイサー……」
意思は変わらないと見て、京也はとうとう覚悟を決めた。
大きく口を開けて、カップケーキを頬張る。
調理担当の女の子達のキャーキャーという歓喜の声の中、無言で京也は咀嚼する。
「美味しいけど、はっず……」
「まだまだあるっすよー!」
「もう勘弁してくれー……」
京也から弱々しい声が出るが、当然のように黒乃は無視した。
「……なんでこの二人、こんなに仲いいんだろうね」
「もう付き合っちゃえばいいのにねー」
柚子と蜜柑は傍でカップケーキを頬張りながらその様子を眺める。
自分達が発端という事もあって少しだけ京也に申し訳ない気持ちを抱いていたが、年頃の女の子らしく京也と黒乃のやり取りを楽しんでいたのだった。
次話から新章始めていこうと思います。
相変わらず亀更新ですが、感想などでの応援ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。