幕間 怪異殺しの侍少女
橘由紀は政府が設立した組織に所属する裏世界の住人である。
物心ついた時から刀を振り、小学生の内から祖母の仕事に同行するようになり、13の頃にはもう立派な一人前と呼べるような腕前を見せていた。
半引退した祖母から引き継いだ生業は怪異殺し。因果のもつれで現世に迷い出た怪物を極秘裏に滅殺する事こそが彼女に与えられた使命だ。
「それにしても災難だったねえ。まさか、こんな事になるとは思いもしなかったよ。アンタもこんな形で表舞台に立たざるを得なくなるなんてのは不本意だったろう」
「まったくです。もう数年は父の元で秘書として経験を積む予定だったのですが……」
「…………」
そんな彼女は目の前で行われる会話に口を挟む事なく、黙って後方に控えていた。腰に下げた刀に手こそかけてはいないが、警戒心から集中は研ぎ澄まされている。
由紀の祖母──橘千春の前に座るのは浅倉と名乗った男だ。由紀と祖母、それと十数人が共同生活を送っているショッピングモールについ先程やってきたこの男は祖母の問いかけに苦笑しながら答えた。
雰囲気から察するに浅倉は祖母の知己らしい。問題は男の後ろに控える護衛と思われる2人だった。
欠伸をかみ殺す男性と余りにも浮ついた様子の少女には緊張感の欠片もなかったが、戦いの日々に長く身を置いていたが故の直感が訴えかけている。この2人が自分と同類であると。
同業ではない。断言できる。2人ともこんな異変が起こらなければ只の一般人として暮らしていけるような人間だ。それでも、今は誰もが戦う力を得られる世界。巡り合わせが良ければ自身と同等の力を得てもおかしくはない。ましてや、戦闘態勢にも入ってないのにこれだけ警戒を抱かせるとなれば。
由紀の頭に思い浮かんだのは自身にも発現した力の事だった。
「それで、要件はなんだい? わざわざこんな死ぬ間際の老いぼれに話を持ってくるんだ、よっぽど切羽詰まってるんだろう」
「そうですね。単刀直入に言いますと人手がまるで足りていません。今は落ち着いていますが、これからのモンスターの侵攻を食い止める為には一人でも多くの力が必要です。軍隊、と呼ぶには抵抗がありますが、似たようなものを設立する予定です。ハルさんにはその指揮役になってもらいたい」
「わたしが? ダメとは言わないがもっと向いてる奴がいるんじゃないのかい? 所詮切った張ったを続けてきただけの使われる側の人間だよ、わたしゃ」
「その経験を見込んでです。上に立つ人間には戦い慣れしている人を一人は据えたい」
「意図はわかるけどねえ……組織の生き残りはいないのかい? 特に司令部の奴らなら上に立つにはピッタリだろう」
「……組織は壊滅しています。この異変を引き起こした首謀者は主要な場所を最初に狙っていたのでしょうね。警察や政府官邸といった異変に対応する人間が集まる場所や、駅周辺などの単純に人が多く集まる場所が大型モンスターの現れた場所だという証言が多くありました。組織もその一つなのでしょう。今の所、司令部の生き残りは確認できていません。……いったいどこから組織の情報を得たのかは謎ですがね」
「そうかい。全然連絡が来ないからもしかしたらとは思っていたけれどねえ。実動部は……ああ、東京にいなかったか。基本世界中飛び回っているからねえ」
「実動部に関しては私も全員の顔を知っている訳ではないのですが、今の所はコンタクトが取れない状況です。……そういう意味ではお2人が東京にいてくれたのは本当に助かりました。会って話した事があるのはハルさんくらいでしたから」
浅倉がそう言って安堵している所を見るに祖母とはかなりの前からの付き合いらしい。少なくともこんな世界で無条件に信じられるくらいの信頼はあるのだろうと由紀は感じた。
「まあ、かな坊がそこまで言うならしょうがないねえ。いつまで持つかは知らないけれど引き受けてやるさ。……にしても軍とはねえ。まるで国でも作るみたいじゃないか」
「国と言ってしまっては後々、面倒になるかもしれません。自治区くらいが呼び名としては丁度いいでしょう」
浅倉はそう冗談めかしたが、言ってる意味は変わらない。つまりはこの壊れた世界を自らの手で立て直すと言っているのだ。
「この数週間で地盤だけは何とか固められました。早ければ来週にも町を作れるでしょう。後はモンスターへの対策さえ進めればいいという訳です。そのためにも超能力を持つ人材はできるだけ多く声をかけなければなりません」
町を作るという不可解なワードもあったが、それ以上に由紀は超能力というワードに反応した。
護衛の2人の雰囲気からして、自身と同じ超能力持ちだと早々に看破していた由紀だ。その2人の首領が超能力というワードを知らない筈がない。しかし、浅倉は明らかに由紀と千春が超能力というワードを知っている前提で話している。
まだ情報が出回っていない今は、超能力の存在を知るのは同じ超能力持ちだけ。つまりは浅倉は由紀達が超能力を持っている事を看破しているのだ。
「それをどこで……!」
思わずといった様子で由紀が口を開き、自らの失策を悟る。これでは自分から認めているようなものではないかと気づいたのだ。
「……やっぱり、アンタに腹芸は向いてないねえ」
「まあまあ、わかりやすい性格というのも可愛らしくていいじゃありませんか」
千春は呆れ、浅倉は笑みを浮かべる。これ以上何か言っても墓穴を掘るだけだと感じた由紀は顔を赤くさせながらも口を固く閉じた。
「戦闘経験が豊富でなおかつ超能力持ちとなればとても心強い戦力ですからね。しかもそれが2人もいるとなれば声をかけない理由がない」
「……確かに超能力とやらはあるけどね。わたしのはそんなに役には立たないから、期待するなら由紀の方にするんだね」
「ハハ、それではそうさせていただきましょう」
「ちょっとおばあさま! 勝手に決めないでください!」
「なんだい。どうせこちらにゃ当てもないんだ。このまま不慣れな事を続けるよりは、能力があってやりたい奴に裏方を任せてわたし達は前線に立った方がよっぽどいいだろう」
「それは、その通りですけど……」
尤もな言葉に由紀からはぐうの音も出ない。それでも由紀には抵抗があった。
祖母にとっては見知った信頼できる相手でも由紀にとっては初対面の相手だ。そんな簡単に世界の命運を託せはしない。
「かな坊、今こっちで面倒見ている一般人の事も引き受けてくれるんだろう?」
「もちろん。東京で生き残っている人達が共存できる世界を取り戻すつもりですから」
「だとさ。まあここは任せてみようじゃないか」
「はあ……」
「なあに、由紀がどうしてもかな坊のやり方が気に入らなかったらその時にまた考えればいいさ。切り捨ててどこへなりとも行けばいいよ」
「……おばあさまがそこまで言うのでしたら。ひとまずは浅倉さんに刀を預けましょう」
不承不承といった様子だが、祖母に押し切られる形で由紀は首を縦に振った。
「ただし、私欲の為に一般人を振り回すようならば容赦はしません。覚えておいてください」
「おお、怖い怖い。なら、私も切り捨てられないように頑張らないといけませんね」
圧をかける由紀だったが、浅倉はそれを柳のように笑って受け流す。
「それではハルさん。今日はこの辺でお暇しようと思います。また後日、準備が整ったら連絡させてもらうので、その時にこちらで面倒を見ている人達も連れて来てください」
「そうさせてもらうよ。……ああ、そういえば」
千春は今思い出したと言わんばかりの様子でそう言った。
「あの御方はもうその計画に誘っているのかい?」
「……もうそろそろ顔を見せに行く予定ですよ。向こうは私を知らないでしょうし、上手く話が進むかは未知数ですがやれるだけの事はやるつもりです」
「そうかい。まあ頑張るんだね」
(あの御方……?)
由紀は訝しむ。どうやら2人の間で共通認識があるみたいだが、祖母がこんなに敬うような相手はてんで検討がつかない。
疑問に思う由紀を尻目に、「それではまた」と言い残して浅倉は護衛と共に去っていった。
「おばあさま。あの御方とはいったい……そんなに偉い人なんですか?」
由紀は自然とそう問いただす。
「ああ、こりゃ癖みたいなもんさ。あの御方はもうただの一般人だよ」
「……? そんな人をどうして重要視しているのですか」
「あの御方の言葉を借りるなら、巡り合わせか。それとも運命って奴だろうねえ。どうして東京なんかにいたのかはわからないけれど、あの御方がいるなら最悪中の最悪にはならないだろうさ」
祖母の要領を得ない言葉に由紀はただ首を傾げるしかできなかった。
「……由紀はそんな難しい事は気にしなくていいよ。目の前の敵を倒して世界の平穏を守る。やる事は異変が起こる前となんら変わりないんだからね」
「……そう、ですね。これから自由に動けるとなれば、浅倉さんの元で刀を振るうのも悪くありません」
話をはぐらかされてしまったが、祖母の言う事にも一理ある。どうせ、あれこれ考えるのには向いていないのだ。刀を振るって敵を倒せば、世界が平和になる。それくらいに簡単な話にしてくれるというならば、使われる側の人間としては望む所だ。
由紀はそう意気込むのであった。
(由紀は考え過ぎると変な方向にいっちゃうからねえ。かな坊かあの御方に手綱を握らせて単純明快な仕事をさせた方がいいだろう。……はあ、こんな事になるなら戦闘技術だけじゃなくてもっと色々な知識をつけさせときゃよかったよ……)
……内心で祖母である千春が由紀の行く末を心配している事に、当の彼女はまるで気づかなかった。
橘由紀は怪異殺しの少女である。
人生の殆どを戦いに費やしてきた彼女は、祖母から心配されるくらいに戦い以外の場面で何もできないポンコツであった。