幕間 小休止
蓮との話の後に俺と黒乃は学校を離れた。
あんな事件があった以上、学校にいる人達は部外者の俺達を警戒するだろう。関わっていくにしてももう少しほとぼりが冷めてからの方がいい筈だ。
それ以前の問題で俺が集団行動を面倒くさがったという事情もあるのだが……まあ、とにかくそんな理由で学校を1時間程前に離れた俺達は、今はいつものように黒乃の家でだらだらと過ごしていた。
「丁度よく反乱があってよかったな。相手には申し訳ねーなーって思うけど」
「あれのお陰で、流れで学校の人達に蓮くんが味方だって伝えられたっすからねえ。こっちも変な手間がなくてよかったっすよ。……ほんと、あのオジサン達は最悪に間が悪かったっすねー」
蓮と柚子と蜜柑が少しの間滞在していたのだが、3人は当然のように学校に残っている。今は久しぶりに2人きりだ。
少しの寂しさから話を振った。
学校で起こっていた反乱については正直想定外と言えば想定外だった。似たような事をやらかす輩は一定数いると思っていたが、あんなちょうどよくそんな場面に出くわすとは。グッドタイミングと言えばいいのかバッドタイミングと言えばいいのかわからない。
巻き込まれた俺達と反乱を起こした男達にとっては本当にバッドタイミングだったけど、蓮にとっては間違いなくこの上ないグッドタイミングだった。黒乃の言う通り、あれがあったお陰で話は格段にしやすくなっただろうし。
「そういや、黒乃はあっちに合流しなくて良かったの? 柚子達と結構仲良くしてただろ」
「ん~、フレンド登録してるからいつでも連絡取れるし、その気になればすぐに会いに行けるっすから。それを考えるとあっちの集団との合流は別にいいっすね。……それに私がいなくなったら誰が京さんの面倒を見ると言うのですか!」
黒乃が学校の集団と合流するなら長く続いてた居候生活も終わりかなと思っていたが、黒乃は当然のように俺と一緒に学校から離れた。
柚子達の事はもう大丈夫と判断しているのだろう。特に心配する様子はなかった。後は、やっぱり俺と同じように集団生活への面倒くささがあったのだろうとも思う。
「はいはい、本当に助かってますよっと」
それはともかく、雑に返事をすると黒乃が頬を膨らませて近寄ってきた。寝転んでいる俺の顔を上から覗き込むような姿勢だ。
「むう、京さん、最近どんどん私の扱いが雑になってません?」
「そりゃあ、会ってからもうちょいで一か月じゃん。遠慮もなくなるってもんだろ。これでも本当に感謝はしてるんだぜ」
そう言っても黒乃の機嫌は変わらない。本当に触れてほしくない部分以外はお互いに気を使わないのは元からだったというのに何をそんなに不機嫌になっているというのか。
「どうしたんだよ。学校でなんかあったか?」
「べっつにー。言わなきゃ気づかないなんてどうかと思いますよーだ」
「うん……? ああ、やっぱり相手がいくら悪人だからって人と戦うのは嫌だったよな。頭でも撫でて慰めてやろうか?」
「違うっすよー!」
キレられた。バッドコミュニケーション。最後の一言は余計だったらしい。
というか、黒乃がそんな事で悩むとは思えないし、なにか別な事でこっちに文句があるんだろうけど……
「……名前」
「ん?」
「名前っすよ。柚子ちゃんや蜜柑ちゃんは名前呼びしてたのに私だけいつまでたっても苗字呼びじゃないっすかー……」
「え、そんな事? そもそも兄妹を苗字呼びしたらどっち呼んでるかわからないじゃん」
ちょっと拍子抜けしてしまった。まさかそんな事で機嫌が悪くなっていたとは。さっさと言ってくれればよかったのに。
そういえば、最初に会った時には冗談で遥たん呼びしろとか言ってたなあ……
「正論禁止ですー……ふん、だ」
「わりいわりい。機嫌直せよ遥」
いまいちよくわからんが、遥はきっと情けなくアタフタするクソ童貞の姿が見たいのだろう。しかし、俺は異性の名前呼びに抵抗などない。
折角の機会だし、呼び方を変える事にする。
「……なんでサラッと言っちゃうんすかーっ! こっちが恥ずかしくなるじゃないっすか!」
「うおっ、やめろって! お前が言えって言ったんじゃねえか!」
キレられた。再びのバッドコミュニケーション。
照れ隠しなのか頬をぺしぺしと触れる遥の魔の手から逃れるために抵抗する。
マウントを取られていたせいで苦戦したが数分程でわちゃわちゃした状態から抜け出せた。
「ふしゃーっ!」
「ステイ、ステイ……!」
膝立ちのまま両腕を上げて威嚇する遥。俺は必死に宥める。直接戦闘で俺が勝てる道理はない……!
幸いにも遥はすぐに腕を下ろした。
「うう、顔が熱くて仕方ないっす。京さんにこんな辱めを受けるなんて……」
「呼べって言ったのは遥の方だろー」
遥が顔を手で隠して俯く。
そりゃあ俺だって女性関係の対応に強い訳じゃないが、黒乃も負けず劣らずじゃないか? なるほど受け身じゃなくて攻め手に立てばいいのか……
また新たな気づきを得てしまった。
「ふふっ、いいなこういうの。俺の数少ない友達相手じゃこんなやり取りできないから新鮮だ」
「むー……こっちはすっごく恥ずかしいんですけど」
「前は俺が恥ずかしい思いしたからどっこいどっこいって事で。これからもよろしく頼むぜ、遥」
「今日のせいで名前呼びにしばらく慣れなさそうっすよぅ」
遥がぼやく。
面白いのでこれからも名前呼びは続けていこう。そう決めて、ソファーに身を埋める。
「あー、面白い。生きるのが面白いなあ。これからももっと面白くなるといいなあ」
こんな世界になってどうなる事かと思っていたけれど、今回の出来事でまだまだ人間捨てたもんじゃないなと思わせてもらえた。
蓮みたいに世界を大きく動かす何かを持っている人はまだまだいる筈だ。遠くない内にもっと面白いものが増えていくだろう。
遥と2人で過ごす時間も面白いが、これだけで終わらせるには余りにも勿体ない。蓮の誘いを断った身でなんだが、どうせいつかは何処かの集団に属する事になるだろう。いつまでも部外者ではいられないだろうし、周りがそうさせてくれない筈だ。
だから、その時がくるまでは小休止だ。変わっていく世界を傍目にのんびりするのも悪くないだろう。
世界に平穏が戻るか、騒乱が再び起きるか、それはまだわからないが、今はこの和やかな時間を楽しもう。
「……ふふ、そうっすね。私ももっとこの世界を楽しみたいっす」
遥は俺の言葉を聞いて微笑んでいた。