5.再会
「……うん、無理! 諦めよう!」
フロアボスのデータを見て、俺は目標を諦める事を決意した。
イベントの項目から各地に出現しているフロアボスの写真とステータスが確認できたので、東京のフロアボスの情報はわかった。
その写真に写っていたのは赤い竜。見た目からして恐らく、俺が乗るはずだった新幹線を蒸発させたあの竜だろう。
竜と戦えと言われても現実味がないが、倒さなければいけないのならそうするしかないだろう。……そんな事を考えてられたのもフロアボスのステータスを見るまでの事だった。
俺は見間違えてないかを確認するためにもう一度、画面に写るフロアボスのステータスを見る。
――――――――――――――
龍王 ア・ドライグ・ゴッホ
Lv:20
Attack:4000
Defense:3500
Speed:4000
――――――――――――――
「はぁー。ほんまクソゲー。なんで、最初のボスでこんなにステータスぶっ壊れてるんですかねえ……それにコイツ空飛んだり、炎吐いたりするんやろ。こんなん無理やんけ」
溜息を吐くしかない。こちらの最大戦力のイブキを大きく上回るそのステータスを見て、挑むだけ無駄だという事だけがハッキリとわかってしまった。
一応、レベルが反映されているという事は、挑む時には最低でも敵と同レベル帯までは上げておけという事なのだろうとは推測できる。……まあ、俺がいくらレベルを上げてもクソステすぎて役に立たんとは思うけど。
気になる事はステータスにHPの項目がない事だろうか。わざわざステータスを公開しているのにHPだけ非公開にしている理由がわからん。
「まあ、ボスの事はどうでもええわ。やるだけ無駄やし逃げる事だけ考えよ。それよりも……」
画面を操作して、イベントの各地に出現しているフロアボスの欄を見る。そこには日本の都道府県の他にも、アメリカなどのよく知った名前の国から名前も聞いた事もないような国まで様々な外国の各地域に出現しているフロアボスの情報があった。
「これ、日本だけじゃなくて世界中でこんな事になってるって事でええんかな。でもクルルは各都道府県とか言ってたような……いや、どうせ言語変えなあかんのやからそんな細かい所気にしても意味あらへんか」
クルルは各都道府県に1体フロアボスが出現したと言っていたがこれはその言葉と矛盾している。そう考えたが、全世界に日本語で放送している訳がない。あの言葉は単に自分達に伝わりやすいようにそう表現しただけなのだろう。
「やめやめ。考えても意味ないわ。……これからどうするかなあ」
なまじ余裕ができてしまった為に現状の詰みっぷりをしっかり理解してしまい気が滅入りそうになる。
とにかく最初に立てた『家に帰るついでにフロアボスを倒して回る』なんて目標は達成できそうもないだろう。戦力差が絶望的すぎる。ボスを倒せない以上、むやみに動き回る事は避けた方がいい。よって家に帰る事も断念するしかない。……そもそも東京から兵庫までの長距離を移動する術がない。
途方に暮れるしかない。救いなのは、人が力を得る条件が思ったより緩い事だろうか。
スライムの倒し方をクルルがご丁寧に説明していたし、ゴブリン程度なら拳銃でもあれば倒せそうだ。だからそのうち俺以外にも戦える人は出てくるだろう。フロアボスを倒すのはその人達に任せよう……あっ、そうだ。
「追加命令だ。モンスターにはトドメをさすな。瀕死にまで追い込んだらそのまま放置しろ。あと、スライムは見つけても無視しろ」
クロノグラフを通じて、俺の使役する召喚済みのモンスター達に命令を追加する。
これで、駅のなかにいる人達も比較的安全に力が手に入るだろう。……多分。
命令ついでにドローした《ゴブリン》の瞬間召喚カードを使い、駒を増やす。ウッドソルジャーと共に駅構内に入っていく所を見送る。
「さて、これで本当にやる事がなくなってしまった。……ガチャでも引こうか」
手持ち無沙汰になったので、休みながらさっき引き損ねたガチャを引こうかと思ったが、どうやらそれはできないようだ。
「あれはモグラ、なのか?」
正面に開けた大きな道路の向こうから、駅に向かってモンスターが突進してくる所が見えたからだ。
その見た目はモグラそのものなのだが、大きさが普通のものとはけた違いだ。アスファルトの道路を掻き分け、車を押しのけながら進む一軒家程の大きさのモグラの姿はまさに土竜と呼ぶのが相応しいだろう。
その土竜がスポーツカーも真っ青な速度で駅に迫ってきていた。このまま東京駅に衝突すればどうなるかなんて火を見るよりも明らかだ。
これからの拠点になるかもしれない場所を、目の前で破壊されるのを黙って見ている訳にもいかない。それに駅の中にはまだ人が沢山いるはずだ。俺が逃げたらその人達は見殺しだ。そう考えると簡単に逃げれない。
やるだけやってみよう。俺は立ち上がり、イブキから離れてから命令した。
「イブキ、あいつを止めろ!」
俺の意図をくみ取ったのだろう。駅の前方に緑色の蔦が出現し、壁のように絡み合う。
そして次の瞬間、ズドン! という大きな音と共に大気が震えた。衝撃と突風が顔に叩きつけられる。
蔦でできた即席の壁は大きく凹んでいる。今も蠢いている所を見るに土竜が諦めずに食い破ろうとしているのだろう。
「ひょえええ……やばすぎい……」
イブキの陰からそーっと様子を窺う。最初の一撃こそ防げたが、壁が破られるのも時間の問題だろう。
そんな事を考えた瞬間に、蔦の壁が衝撃と共に弾け飛んだ。
「あっ」
ヤバいと思った時には既に壁の向こうからやってきた土竜がイブキと衝突していた。ミシミシと嫌な音が大樹から鳴っている。
土竜の突進をその身で受け止めたイブキは木の枝を触手のように動かして土竜に攻撃を仕掛けているが、木の枝は土竜の体表を少し傷つけるだけでその身を貫ける程の力はなかった。
土竜は木の枝の攻撃で体の所々から血を流しているが、まるでそれを気にせずにイブキを圧し折ろうと体当たりを続けている。
「これは、ヤバいよな。イブキが勝てないんじゃ打つ手がないぞ……いや、まだガチャがあるか」
少し離れた場所でその様子を見ている俺はイブキが倒されるのは時間の問題だと判断した。
攻撃が通っているからステータスの差はそこまで開いていないのだろう。だが、土竜の方が強い。俺の今の最高戦力のイブキで勝てないのであれば、俺に打つ手はない。
唯一ここから勝つ可能性を手繰り寄せる方法があるとすれば、それはガチャでこの状況を打開できる能力を持ったカードを手に入れる事だけだった。
デッキチェンジはあと1回できる。イブキのカードも手札にあるから時間稼ぎは可能だ。ガチャの結果次第ではどうにかなるかもしれない。
ガチャで爆死したら、駅にいる人達には悪いけど逃げよう。
「うわーでっかい。ねー、逆蒔さん。もうちょっとあのデカモグラを抑えておけるっすか?」
「……え?」
情けない決意と共にガチャを引こうとクロノグラフの画面へと手を動かす。そんな俺の後ろからまるで緊張感のない間延びした声が掛けられた。
知り合いのいないこの地で自分の名を呼ばれた事に動揺して振り向く。そこに居たのはダボっとしたフードつきのトレーナーと足のラインがわからないゆったりとしたズボンに身を包んだ見知らぬ小柄な女の子だった。
肩程まで伸ばした黒色のセミロングヘア、端正な顔立ちながらもどこか幼さが残る彼女からは活発そうな印象を受ける。
彼女を見た10人全てが美少女だと褒め称えるだろうそんな少女。抜群に顔がいい。
だからこそ、そんな少女が俺の事を知っているという事が解せなかった。どこかで知り合ったのならば絶対に忘れないだろうに。
「……何ぼーっとしてるんすか」
「え? ……ああ、体力の減り具合からして多分1分くらいは持つと思う」
彼女が何者か考えていると、彼女はジト目で早く質問に答えろと催促してきた。
そういやそれどころじゃなかったなと、俺は慌ててクロノグラフの画面からイブキの残り体力を確認した。
押されているように見えるがイブキの体力はまだ3分の2くらいは残っている。このまま土竜を抑え込むだけなら持つだろう。
「それじゃあ問題ないですね。衝撃に備えるっすよ」
「え、あっ、ハイ」
俺の返事が満足いくものだったのだろう。彼女はそれを聞くと、スマートフォンのようなものを操作し始めた。俺は流されるままにその様子を見る。
「1日1発限りの超必殺技の大盤振る舞い! 跡形もなく消し飛ぶっす! 《イレイザー=ガルガンチュア》!」
スマホの操作を数秒で終えた彼女は土竜に向かって指を指す。高らかにそう宣言した彼女の姿はとても頼もしいと思える。
そんな事を考えていられたのも一瞬だけだった。
目の前を白の極光が覆った。
「……ウワー、キレイダナー」
遥か上空からの極太のレーザー攻撃。音を置き去りにしたその一撃を認識したその瞬間、地面が蒸発する音と土竜の悲鳴のような奇声が鳴り響いた。
俺は半ば放心しながら目の前の真っ白な世界を眺めていた。
空からの光は十数秒の間、絶え間なく降り注ぎ、やがて僅かな残滓を残して消え去った。目の前には何も残っていない。
イブキ諸共、土竜は塵も残さずに消し飛んでいた。熱で溶け、ドロドロになったアスファルトの地面だけが先程の攻撃が現実に行われた事を示していた。
「おおー。すっごい。いやー、何とかなるもんっすねぇ」
俺が放心している中、攻撃を行った張本人はケラケラと笑いながらそんな事を言っていた。それを見て俺はようやく「あっ、こいつやべー奴だな」と認識した。
引き気味に彼女を見ていると、俺の視線に気づいたのか彼女はこちらを向いてこう言った。
「さっき振りっすね、逆蒔さん」
「えっと、レーザー攻撃で敵を倒して笑うようなサイコな東京の女の子に俺は覚えがないのですが……」
「むぅ。こんな事できるようになったのはついさっきっすよ。……だったらコレならどうです?」
彼女の機嫌を損ねないように震え声でそう言ったら、彼女は不満そうにしながらもトレーナーのフードを被った。
そんなことしても見覚えが……と言おうとして気付いた。ほんの2時間ほど前、国内チャンピオンの座をかけて戦ったフードで目元を隠した小柄な少年の事を。少年だと思っていたあの選手と目の前の彼女の服装が同じだという事を。
「……もしかして黒乃選手?」
「何だと思ってたんすか。あれだけ熱い戦いだったのにもう忘れられたのかと思ったっすよ。はい、そーです。逆蒔さんに運ゲーかまされて負けた黒乃っすよー」
恐る恐るそう訊ねた俺の言葉を聞いて、彼女は呆れたようにそう言った。