22.正しくなくとも
なんか凄く長くなってしまいました…
「こんちはー。話には聞いていたけれど本当に大変な事になってますねー」
高橋が窓を開けると、先頭にいた京也は今の状況にまったく似つかわしくないヘラヘラとした表情で緊張感のない言葉を吐いた。
「おい、サカマキ」
「逆蒔さん」
蓮と蜜柑の咎めるような視線に首をすくめる。
「わーってるよ。予定はだいぶ狂ったけれど、お前らが介入しやすい丁度いいタイミングだ。ちゃんと約束は守ってやるからやりたいようにやってこい」
「はい!」
「うん、行ってくる!」
「うし、いい返事だ。じゃ、引率は頼んだぜ、黒乃」
「了解っす!」
高橋を蚊帳の外に、京也達は事前に取り決めていたようにスムーズに行動に移る。
京也を除いた4人は簡潔に返事をして、窓から校内に入り……
「高橋、先生」
そのまま保健室を出ていこうとした中、蓮は足を止めて目の前の高橋の名を呼んだ。
「蓮くん、お久しぶりです。追手が差し向けられていると聞いた時には心配しましたが……その様子を見ると無事だったようですね。良かった」
「はい。先生もあの時はオレが逃げるのを助けてくれてありがとうございます」
一見すると和やかな空気、されど、高橋は断罪の気配を感じ取っていた。
「先生、今はそれどころじゃないから何も聞きません。……けれど、貴方の職業について後でちゃんと話を聞かせてください」
「っ! ……そう、ですね。君には、知る権利がある」
僅かに言い淀む高橋だったが、それも一瞬の事。高橋は蓮の目を見て答える。
それで納得したのだろう。「じゃあ、ちょっと行ってきます」とだけ言葉を残し、黒乃達を連れて保健室から出ていった。
「……それで、あなたは行かなくても良かったのですか?」
「生憎、別行動を命令されていまして。呼ばれるまでは待機ですよ」
タン、と硬質な音が鳴る。靴が保健室の床と接触した音だ。
「まあ、そんな訳で暇なんです。だから、暇つぶしに貴方の言い分を先に聞いておこうかと思いましてね」
遅れて保健室に入ってきた京也。最低限の敬語こそ使っていてもその傲岸不遜な立ち振る舞いからは眼前の大人を敬うつもりがまるでない事が伝わってくる。
高橋は京也の発する空気に気圧される。フロアボスを倒した片割れ、つまりは強者の証という前提条件があった事も影響していたが、それを差し引いても眼前の青年がただの学生だとはとても思えなかったからだ。
軽薄でまるで重みのない言葉、しかし、そこに唐突に力を手に入れた者特有の浮かれた様子の慢心や驕り、恐怖といった感情が全くない。
(まともじゃないとは思っていたけどまさかここまでとは……!)
フロアボスとの戦闘の映像が掲示板で流れてきた時から頭がおかしい二人組という認識だった高橋だが、それでもまだ足りない事を瞬時に理解した。
あまりにも現状に適応し過ぎている。その事に危うさを感じさせない程に京也は自然体だ。
ここでこうして呑気に話しているのが当然だと言い張るように、非常時に常時の振る舞いをする。それがどれだけ異質なのかを高橋はこの二週間で痛いほどに実感していた。
「言い分、ですか……?」
内心で警戒心を高める高橋。されど、それを感じさせない平坦な口調で京也の質問の本意を問う。
「ええ。……ああ、自己紹介がまだでした。映像が散々流されたから顔は知っていると思うけど、フロアボスを倒した片割れの一人、逆蒔京也です。そこそこ弱いんであんまり抵抗しないでもらえると助かります、高橋センセ」
「謙遜はいいですよ。ここまできて今更逃げようとした所で無駄だという事は重々承知の上です。……それで、逆蒔くんは私に何を聞きたいのですか?」
「んー、まあ言いたい事はいくつかあるけど、まずはこれからかな」
口元に指を当て、少し考える素振りを見せた後に、京也はこう切り出した。
「随分と物騒な職業ですね。催眠術師なんて。まるで薄い本の竿役みたいだぜ」
ド直球に、自分が隠し続けてきた秘密を暴かれ、高橋は瞑目する。
カマをかけたなどというレベルではない。明らかに確信を持った言い方から高橋は反論を諦めた。
「……どうして、わかったのですか?」
「相方の能力がエグいんですよ。詳しくは言わないけど、大体の相手なら情報筒抜けなんですよねえ。本当に頼りになる」
誇らしげに京也は言う。
(相方の女の子の職業は十中八九司令官と呼ばれる上級職。……そういえば周囲の探索能力にも優れているなんて情報もありましたね……)
掲示板に書かれていた情報を思い出し、高橋は納得した。まさかそこまで詳細な情報が手に入るとは思っていなかったようだが。
……事実、ここまでの索敵能力を持っているのは職業とスキルの組み合わせによる向上効果もあってのものなのだが、ここでは語る事ではない。重要なのは、この職業を持っている理由をどのように説明をするかだった。
「それに、ここに来る前からセンセの事は気になってたんだ。元から学校にいたかどうかを問わずに立場を気にせず誰とでも話をできる立ち位置。真に賢しい悪役は集団のトップには立たずに陰から集団を支配するものって漫画で学んだから、センセもそういう感じなのかなって」
いえ、それは論理が飛躍し過ぎでしょう……。
高橋はそう思ったが口にはしなかった。その考えそのものは一笑に付せるものだったが、自分の職業の情報と合わせて考えると途端に現実味を帯びてくるものだからだ。
催眠術師は上級職。字面からすると意思ある生物を思うがままに操る能力を持っているように見えてしまう。
こんな怪しい職業に素養があり、自らそれを使う事を選んだ人間。傍から見れば信用できるような相手ではない事は百も承知している。それこそ、自分がこの騒動の真の首謀者と取られてもおかしくはない。
それでも、何かを言わなければならないと高橋は口を開き……
「それで、高橋センセはどうしてこの力を全員に使わないんですか? 催眠にかかっているのは全体の8割程度。それに考えや行動に影響を殆ど及ばさない程に軽度のリラックス効果だけ刷り込んでいるなんて、まるでアロマセラピーの真似事だ。力の使い方としてはとてももったいないと思うんですけど?」
誰にも話した事のない高橋の行動。京也はその行動の疑問点を言い並べた後に「どうせ人同士の諍いをちょっとでも避けるためなんでしょうけどねー」と高橋の行動の真意を簡単に言い当てた。
「……そんな事までわかってしまうのですね」
観念したように苦笑する。どうやら本当の意味で自分のやった事は丸裸にされていたらしい。その事がわかると、高橋は力を抜いて、椅子に背を預けた。
「俺達が使っている力は元はゲームのシステム。そんな力を使ったから、催眠だってシステム上の状態異常の一つになるみたいっすよ。職業なんて重要情報すら割れているならこういう情報だって手に入るでしょ」
「システムを介して力を行使した以上、システムを欺く事はできない、という訳ですか。……やはり、こんな邪道な方法で人に干渉するのはよくないですね」
嘆息が漏れる。催眠術師が無敵の能力ではない事は使用者である高橋がよく承知していた事だったが、こんなにもアッサリとバレてしまうような能力なら使用するのも考え物だ。
そんな考えを頭の片隅に入れておきつつ、高橋は京也の質問に答える事にした。
「……まず第一に、私の職業の催眠術師は君が思っている程強い能力じゃないです」
「うん? 女の子に『催眠? そんなのかかるわけないじゃーん!』って言わせながらスカートをたくし上げさせたりはできないの?」
「やけに具体的ですね……モンスター相手ならともかく人間相手になると完全に意思を奪うような催眠はできないのですよ。精々が感情を若干操作する程度でしかない」
「ふーん、思ったよりしょっぱい感じの能力なんすね。レベルが足りてねえのかな」
「使用者の私だから感じた事だけれども、きっとレベルを上げても人間相手では簡単には成功しないと思いますよ。上手く言葉では説明できないですが、人間に限らずモンスター以外の生物には能力がかかり辛いのですよ。行動を決定する意思の力とでも言えばいいのですかね。それを曲げさせる程の力は私の職業にはありません」
「へぇ……そう。それは良かった」
「良かった、とは……ああ、人間を自由に洗脳できる能力ではなくて良かったという意味ですか?」
「あー、うん、まあそんな感じ」
やけに歯切れが悪かったが、言いたくない事の一つや二つくらいあるだろうと話を続ける。
「……後は、催眠を全員にかけてない理由でしたか。一応、モンスター相手に使う催眠光線みたいな技はありますけれど、かなり魔力を消費するから全員に使って回る訳にもいかないですし、それに目立つからこんな集団生活の中で使うわけにもいかないでしょう?」
「まあ、そんなのを使ってる所見られたら言い逃れのしようがないでしょうね」
「そうなると、会話だったり、身振りだったりを交えて相手に悟らせないように催眠をかけるしかないのですが、その方法だと相手が私に心を開いてもらってないとかかりにくいのですよ。せめて会話がちゃんとできるくらいには信用してもらわないと……」
「要するに今催眠にかかってない奴らは話もまともにできないチンピラってわけ?」
「……その認識で問題はありません。話ができないのではなく、話を聞いてもらえないだけなのですけどね」
「一緒だよ。今暴動起こしてるのってその催眠できてない奴らが大半じゃん。高橋センセは催眠なんて卑劣な手を使ってでも暴動を防ごうとしたからその職業を選んだ筈だ。そうしないと、近いうちに誰かが壊れてしまうってわかっていたから。……なら、その力を簡単には使えないような心に余裕がない相手こそ警戒しなきゃいけないって事もわかっていたでしょうに。どうせこの力を使うなら、わりかし頑張れてる奴らを味方につけて、要警戒な奴らを強引に催眠にかけてしまえばよかったんだ」
黒乃の探知能力で得た位置情報や映像、催眠の有無から、騒動を引き起こした面子については既に大体の見当が付いている。
催眠をかける条件を聞いた上で京也の中でそれは確信へと変わっていた。
高橋の話が真実だと言うのなら、下手人達は無法な世界で放埓に振る舞うはた迷惑な輩だ。
もちろん、その中のほぼ全員が世界の変貌に耐えきれずに状況に流され、自律する事ができなくなった可哀そうな奴らだという事は理解している。
その上で京也は本当に蛮行を止めたいのであれば、多少強引にでも催眠にかけてしまえばよかったと言い切った。
「こんな力を使っておいて体裁を気にしている辺り、中途半端としか言いようがないよ。どうせならもっと割り切ってやるべきだったと思うけどね」
「……こうなってしまった以上、返す言葉もありません」
過激な言い分だが、間違った事は言っていない。そう高橋は感じた。
「初めは、こんな職業を選ぶつもりなんてなかったのです。人の心を思うがままに操る力。実際にはそこまでの力はなかったけれども、他人から見たらそう思うに決まっています。職業を見られるだけで信頼されなくなる事は目に見えていた」
「それでも高橋センセはそんな職業を選んだ。こんな世界で誰からも疎まれるかもしれないとわかっていながら。それが不思議でならない。どうしてです?」
「……君にはわからないかもしれませんね」
京也の立振る舞いから彼には無縁な考え方だろうと察した高橋は質問に素直に答えた。
「それこそ、こんな世界で君みたいに何の迷いもなく生きれる人はごく少数だと思いますよ。……人は、自分の行いを簡単には肯定できない。誰かと繋がって、誰かに肯定される事で初めて自分を認められる」
「別に俺も見た目ほど浮かれてる訳でもないけど」
「君が浮かれているようには全く見えませんが」
「あっそう? 悪いね、話に茶々入れて」
京也は「てへ!」と舌を出した。
「……話を戻します。人はとても弱い生き物で、こんな世界になる前でも心は容易く傷つけられてしまうものでした。そんな痛みに少しでも寄り添って、否定された生を肯定する。正しさがわからなくなった子供達に大人の一員として多くの道筋を提示する。それが、私の仕事でした」
高橋は遠い目をして窓の外を見つめる。
「だけど、世界が変わってしまって子供どころか大人すら正しさを見失った。世界が壊れて何が間違っているかの根拠すら失われた。人は、人を肯定できなくなってしまった。その結果が過去の暴走です。蓮くんから聞いているとは思うますが、この学校の理事長達は暴走した何者かによって殺されてしまった」
「うん聞いてるよ。……一応聞くけど、高橋センセがやらせた訳じゃないよね?」
「まさか。さっきも言った通り私の力はそこまでの強制力はありませんし、そもそもその時はまだこの職業を選ぶか迷っていました。……証拠はありませんけどね」
「別に証拠なんてなくていいよ。本音を言えばどっちでもいいと思っているし」
「ええ……?」
あまりにもな言い方だった。確かに京也は部外者だから、思い入れがないのは当然だがそこまでドライな言い方をしなくてもと高橋は思ってしまう。
微妙な空気になってしまったがコホンと咳払いを挟み気を取り直す。
「……私は迷っていた事を後悔しました。犯人はわかりませんでしたが、誰もが精神的に危うい状況にある事だけは理解していました。今思えば、理事長達を強引に捕らえた時から暴走の片鱗はあった。……それでも、その時大事だったのは事件のアフターケアです。このまま放置していたら多くの人の心が歪んで狂ってしまう。明らかに間違っている状態を正しいと錯覚してしまう。そして、それを正せる人間は誰もいなかった。……もう手遅れだったかもしれませんが、これ以上間違いを犯させない為に私はこの職業の力を使う事にしました。私は覚悟を持ってこの力を使ったのではなく、使うしか方法がなかったから使ったのですよ……」
高橋が後ろめたさから目を伏せる。
「こんな世界で人が苦しみながら生きなければならないなんて間違っている。それだけが私が確信を持って出せた答えだった。だから、私はこの力を使って人の心をコントロールしようとした。行動の全てを私が引き受けて、全てが終わった時に人がこの世界で起こった事を悪い夢として忘れ去れるように。……後は先程の説明通りです。私の望んだ力にそこまでの効力はなく、苦し紛れを続けてきたけれど、結局はこんな事態を招いてしまった……」
「……なるほど。なんとなくわかったよ。よくもまあ他人の為にそこまでやれるよねえ」
「……一つだけ、聞いてもいいですか?」
「いいですよ? 暇つぶしの礼だ。俺が答えれる質問なら答えてあげます」
長々とした話が終わり、関心した様子の京也に向けて高橋が問いを投げかける。
「私は、正しかったのでしょうか? どれだけの理由があっても、人の心に干渉し……」
「正しくないと思いますけど」
「……即答、ですか」
高橋が椅子から立ち上がり口調がヒートアップしていく寸前で、京也は当然のようにそんな言葉を直ぐに返した。
あまりに冷めた言葉に高橋は呆然として、力が抜けたように再び椅子に背を預けた。
「人の心を操る……実際の所、そこまでの力はなかったにしても、やろうとした事は事実じゃん。それが今暴れてる奴らがやっているような人の心を踏みにじるような行為と何が違うって言うんだ。同じくらいに正しくない事だと思うよ、俺は」
「…………」
「まあ、洗脳だとか刷り込みで人の生き方を他人に決められるってのが、個人的に死ぬ程嫌いだって理由もあるんだけどねー」
「……そうですか。良かった。やはり、こんな事は間違っていた。その言葉が聞けただけでも満足です」
「ちょっと待ってよ。間違ってるだなんて俺は言ってないんですけど。正解じゃないから間違いって考え方は短慮だと思うなー!」
「……え?」
項垂れていた高橋は、思わぬ言葉にゆっくりと顔を上げた。
「センセはこの力を使う事に迷いを抱いていた筈だ。どう考えても今までの倫理観じゃ正しくないってわかっていた筈だ。……それでも、誰かが間違いを犯さないように正しくなくてもやり切るって決めたんだ。自分の中の信念に従って、やるべき事をやったんだ。俺はセンセの行動そのものは反吐が出る程に唾棄する類の行動だと思っているけれど、その献身の覚悟には確かな賞賛の気持ちを感じている。だから、俺はセンセが間違っているとは思わない」
「逆蒔くん……」
「生憎、センセ程の熱量はないから「絶対に間違ってない」なんて保障してやれないけどさ。折角無法になったんだから「何が間違っているかは自分で決めるから黙ってろ!」くらいは言ってもいいんじゃないかな?」
「私にはそこまでの度胸はありませんよ……ありがとうございます。少し胸も晴れました」
高橋の不健康そうな顔に初めて笑みが浮かぶ。
京也はそれを見て改めて「よくもまあこんな事やれるもんだ……」と心の中で呟いた。
変わってしまった世界で生きる事は大多数の人間にとっては苦痛でしかない。今までの会話から高橋が一般的な思考からそう遠く離れていない事は察せられる。ならば、彼だって大多数の人間と同じように苦痛を感じていた筈だ。
自分だって苦しいというのに、それを押し殺して全ての人の苦しみを肩代わりしようとするなんてのは正気の沙汰じゃないと言ってもいいのだろう。
それも、たった一人で誰にも肯定されない事を覚悟の上でやったんだ。よくやるという感想しか出てこない。
状況に照らし合わしても、彼の言葉が嘘であるとは思わない。それくらいには胸の内に秘め続けてきたどうしても譲れない決意──熱量が伝わってきた。
俺個人としては高橋がやった事は許せない類の行動の一つだが、その熱量は信用と尊敬に値する。
『……もしもーし、京さーん、蓮くーん。こっちの人質は無事保護しましたー。柚子ちゃんと蜜柑ちゃんも頑張ってくれましたよー!』
暫く物思いに耽っていた京也だったが、黒乃から連絡がきた事で二イッと笑った。
「喜びなよ、高橋センセ。後は蓮がなんとかしそうっすよ?」
「蓮くんに任せてしまう事になってしまうとは……大人としては不甲斐ないばかりです。誰も傷つく事なく終わってくれればいいのですが……」
「あんまり心配しなくてもいいと思うけどねー。……さて、俺もちょっとは準備しておかないとかな」
祈る様に目を瞑る高橋を尻目に、京也は窓の外に目を向けた。