21.帰還
私立桜雲中学校。そこは夏期講習や部活で学校に来ていた生徒と教員だけでなく、近隣から避難してきた住人や安心して過ごせる拠点を求めてやってきた人が集まり、今や200人近くの大所帯になっている。
世界が変わってしまってから2週間程が経つが、フロアボスがいなくなった事で表面上は平穏に思える場所だ。……しかし、事態はそれほど単純ではない。
モンスターがいなければ人と人が手を取り合い助け合えるはずだ。そんな綺麗事が通用しないのだと思えるような出来事がここでは日常的に起こっていた。
「なあ、俺達だって君みたいな足手まといのために命をかけて戦ってるんだぜ? なら、ちょっとくらいいい思いをしたっていいと思わないか?」
「……や、やめて、ください……っ!」
机と椅子が散乱する教室で、中年の男が1人の女子生徒の腕を掴み、身勝手な言い草をまき散らす。
女子生徒は気丈に振る舞っているが声が震えていた。だが、それも無理も無い。
彼女はまだ中学1年生でついこないだまでランドセルを背負って小学校に通っていたくらいだ。年齢的な幼さが残る彼女が自分より二回りは年が離れている異性に対して抵抗するだけでも相当な勇気がいるだろう。
それに加えて、今の世界ではレベルとステータスという絶対的な力関係がある。今だって男がその気になれば無力な自分の細腕を簡単に圧し折れると理解しながらも彼女は男に歯向かっていた。
しかし、男にとってはそんな反応も興奮を掻き立てるものでしかない。さて、どうしたものかと顔を近づけた所で待ったがかかる。
「……おい、やめろ!」
声を上げたのは中学生にしてはかなり背の高い男子生徒だ。教室の割れた窓から中の様子を見て事態を悟った彼は声を出して男の行動を咎めたのだ。
教室に押し入った彼は女子生徒と男を引き剥がすために間に割って入った。
「ちっ、あんまりいい子ぶってんじゃねーよ」
背の高い彼は自然と男を見下ろす形になる。その威圧感からか、または大事になる事を嫌ったのか、男は文句を言いながらも大人しく女子生徒から手を離した。
「それとも何か、お前も混ぜてほしいのか?」
「……黙れよおっさん」
挑発的な言動にも動じずに男子生徒が男を睨み付ける。乱暴な物言いになったのは男の言葉に怯えてビクリと震えた女子生徒に自分が味方とアピールするためだろう。
「はっ、後で覚えとけよ」
男は頑なな様子に気圧され、再び舌打ちをして教室を出ていった。
「はぁ、よかった。あれ以上絡まれてたら絶対ボロが出てたぞ」
男がいなくなり、安心から息を吐く。こんな風に誰かを脅かすような言葉を使う機会がなかった事もあり、男子生徒はやはり慣れない事はするものじゃないと心の中で呟いた。
「あの。池田先輩ですよね、サッカー部の。助けてくれてありがとうございました」
女子生徒も男がいなくなり安心してお礼の言葉を口にした。
「大丈夫だよ。……ゴメンな、怖がらせちゃって」
「先輩は謝らなくていいんですよ! 謝るならあの人です! なんなんですかあのセクハラおやじ!」
「本当はやめさせなきゃいけないんだけど、先生もあんまり強く言ってくれないからなあ。ほんと、わりぃ」
「だから謝らないで下さいよー!」
むーっと頬を膨らませて怒る女子生徒を前に男子生徒──池田は苦笑するしかなかった。
「もういいです。次にこんな事があった時に、わたしだけじゃなくて他の女の子も先輩が守ってくれればですけど」
「……善処はするよ。それに俺以外の男子だって見かけたら流石に止めてくれるって……たぶん」
「そこは言い切ってくださいよ! あと、こういう時は『俺が守ってやる』って言った方が女子受けいいと思います」
「……そうだな。じゃあ、誰も頼れる奴がいなかったら俺を頼ってくれ。そん時はちゃんと守ってやるよ」
「はい!」
にっこりと笑い、「ありがとうございました!」と言って去っていく女子生徒。池田は彼女を見送りその場に座り込んだ。
少女と話していた時とは違い、疲れ切った表情だ。
「はあ、いつまでこんな事続けりゃいいんだ……警察とか自衛隊とか来てくれねえのかよ」
後輩の女子の前ではかっこつけられても1人になって口を開けば自然と愚痴が漏れ出る。そのくらいには精神を疲弊させていた。
それは今の学校の現状が原因だ。
学校の戦力に数えられる人間は後から学校に集まってきた人達の方が多い。元から学校に居た面々のうち、先生達は生徒に戦う事を強要しなかったためだ。レベルはともかく数的な差があるため、後から学校に来た者達が先程のように横暴に振る舞っていても離反や反乱を恐れて強く言えないという状況になっていた。
それに戦力の問題がなくとも先生や生徒達には、この学校を私物化しようとしていた理事長達を殺害してしまったという負い目があった。
元々は殺すのではなく、捕らえて隔離しておこうという話だった筈なのだが彼らは何者かの手によって殺されてしまった。犯人は未だ不明だ。もし生徒達が下手人だったとしてもおかしくなかったため、生徒たちの精神へのダメージを考え、先生達が犯人を捜そうとはしなかったからだ。
しかし、いくら嫌われていたとしても人が人を殺したという事実は否定できない。その話題を避けるように彼らは人同士で争う事を無意識の内に避けていた。
そんな微妙な空気の中で、戦う力を持っている生徒の1人である池田は自分にできる範囲内で人を助けていた。
高尚な理由があった訳ではない。理性がはがれかけた大人たちの横暴を見逃せないくらいには彼に良心があった事が1つの理由。そしてもう1つの理由は……
「……蓮、お前がいたら、こんな事にはなってなかったのかな」
ここから居なくなってしまった同級生であり、同じ部活の仲間である蓮が関係していた。
彼ら──先生、生徒などは蓮に対して妹を人質にしてこちらの意見に反対をさせないようにしたという暗い過去がある。
蓮が持つ『勇者』の力は発現した当初から圧倒的であり、彼1人でもやろうと思えば学校内の人間全てを相手に戦う事が可能だ。
異変当初に学校を仕切っていた学園の上層部は腐りきっていた。こんな事態になってしまったからそうした隠しておくべき部分が見えてきただけなのかもしれないが、その下について危険な目に遭わされる者たちはたまったものではない。
拠点の健全な運営という意味でも当時の上層部を排除する必要があった。そんな状況にもかかわらず、力こそが物を言う世界でパワーバランスを1人で破壊できる存在であった蓮は迷いながらも人同士で争う事を良しとしなかった。その選択は現状維持だ。
上層部を強硬手段で排除するとなれば、蓮と戦う羽目になる。戦えば必負な上、生徒達の心情的にもそんな事はできない。悩みに悩んだ末の選択が妹を利用する事だ。
戦うよりかは余程マシだと、彼らは非道に手を染めた。勿論、彼らに妹を盾にして蓮を奴隷のように働かせようという思いはない。ただ、自分達の反逆行為を黙って見ていてくれればそれで良かった。
……その結果が、隔離した上層部の人間の不審死だ。彼らがその死に様を見て感じたのは恐怖だ。全員がそう思っていたのかは今となっては確信の持てぬ事だが、少なくとも彼らは上層部の人間に対して殺したいほど憎んでいた訳ではなかった。
自分達が卑怯な手を使った結果、誰も望んでない方向に進んでしまった。もはや引き返せない状況になって彼らがまず考えた事は蓮の妹──柚子と蜜柑の解放だった。
上層部の人間がいなくなった以上、蓮の行動を縛る必要はない。ならば速やかにこんな事はやめるべきだ。……そんな意見は外部からやってきた『勇者』の力を惜しむ人間と、報復を恐れた少数の先生達のせいで平行線のままだった。
「……だーっ、やめやめ! アイツに今更頼れねえよ!」
蓮の事を思い出すとどうしても気分が暗くなる。池田は暗い気分を打ち消すように頭を振った。
「蓮はもういない。戻ってこなくていい。ここの事は俺たちで何とかする。そうしなきゃいけねえんだ」
なんやかんや色々あって、蓮とその妹は卑怯な真似で無理矢理従わせてきた元仲間から無事に逃げきれた。それだけが確かならもういい。後は蓮の分まで俺達が体を張るだけだ。
友人を裏切った自分ができるのはもうこれくらいしかない。池田のみならず、蓮と親しかった者達はそんな思いで自分達にできる事を続けていた。
「……うし! 休憩終わり! 泣き言言ってる暇あったらレベ上げしねえと……」
池田が立ち上がる。
『アーアー、マイクテス。……よし聞こえてるな』
その時だった。
『生徒、先生、その他諸々のお利口さん共。何割かの非戦闘員の身柄は確保させてもらった。まあ人質って奴だ。テメエらもやってたからわかるよな? コイツらをどうにかされたくなけりゃ今いる全員で五分以内に体育館に来い。誰か1人でも逃げたりしたらその分だけ人質を可愛がってやる』
悪意と共に告げられたアナウンスが学内に響き渡った。
◇
校舎1階の隅にある一室。保健室としての役割を果たしているその教室にもアナウンスは響いていた。
「今のは……そう、ですか」
保健室には細身で長身の眼鏡をかけた男性が1人いた。その表情は苦渋と落胆の感情で歪んでいる。
(やっぱり、私の作戦は失敗に終わりましたか……それでも、まさかここまで愚かな真似をするとは)
校内放送で流れた理不尽な要求に対し、もはや呆れるしかなかった彼だったが、こうなってしまっては一刻も無駄にはできない。すぐさま仲間を集めて方針を固めなければと行動に移ろうとする。
トントン
焦燥に駆られる体を引き留めるように、そんなノック音が鳴った。
窓際からだ。こんな時に一体誰が……そんな思いも実際に窓を見ると一瞬で彼の中から吹き飛んだ。
窓の向こうにはデバイスの掲示板に投稿されていた動画で戦っていた2人がいたからだ。
フロアボスをたった2人で倒したカード使いの青年と司令官の少女。今の変わってしまった世界では有名人の2人がなぜこんなところに……
そのような驚きもあったが、それ以上に彼の目を引く者が居た。
「戻って、きてしまったのですね……」
京也と黒乃の後ろにいた2人の少女と1人の少年。四宮兄妹を見て彼──スクールカウンセラーとしてこの学校に勤めていた高橋はそう呟いた。
そして、少し前とはまるで違う蓮の迷いのない双眸を見て──自分のしでかした事を知られていると直観的に悟り、それでも逃げる事無く窓を開けた。