2章プロローグ
――正義とはなんだろう。
こんな世界になる前、漫画を読みながらふと考えた事がある。
主人公が正義である物語は多いが、その正義とはいったいどういうものなのだろう、と。
力を持っている事が正義なのだろうか。いや、力を持っていたって悪い奴らは一杯いる。
なら、周りの人に信頼されるような善い心が正義か。いや、それだけではきっと解決できない事だって出てくるはずだ。
きっと、その2つを兼ね備えた正しい事を正しく行えるような人こそが正義の勇者やヒーローと称えられるような人なのだろう。
……そんな人が《勇者》だったなら、この壊れた世界も何とかして救ってくれたのだろうか? 正しさから目を背けて全てから逃げたオレはそう考えずにはいられなかった。
◇
――瞼が重い。
周りに群がるモンスターの集団を斬り払う、まさに戦闘中だというのに眠くて眠くて仕方がない。
街灯は灯っていないが、星明かりのお陰で最低限の視界は確保できている。問題は今もオレを襲う猛烈な眠気だけだ。
もっとも、夜更けもいい時間だが、このモンスター達を倒す倒さないに関係なく、オレが睡眠を取れる事はないだろう。
フロアボスが近くにまで戻ってきた時の混乱に乗じて、逃げ出した日。
何日経ったかはもう忘れたが、あれからまともに眠れた日は一度もない。
……1人なら。もう少し楽だったかもしれない。仮眠を取っていても自分が襲われれば殺気で目が覚める。それくらいにはこの世界にも慣れてきた。
だけど、今のオレには守らなくちゃいけないものが……
「……っ!」
一瞬、意識が飛んだ。
気がつくと、その隙を狙って飛びかかってきたのだろう人型のトカゲのようなモンスターの姿が眼前にある。
反射的に動いたオレはそのモンスターの攻撃が届く前に自分から間合いを詰めて、モンスターの首を断ち切った。
血が噴水のように失われた頭部から飛び散る。
近くにいるオレにかかるそれは表面で弾かれた。地面に溜まる血は力なく倒れた胴体と衝撃で半分程がごっそりと抉れた頭が消えるのと同時にうっすらと消えていく。
オレの職業の力、らしい。
汚れや呪い、そんな悪いイメージのものを寄せ付けない力。
恩恵を感じる場面は少ないけれど、風呂もまともに入らない今は念じるだけで体を綺麗にできるのはありがたい。
さっきのだって後から消えるとわかっていても、わざわざ血を被りたいだなんて思わない。
……そんな事をボンヤリと考えるくらいには余裕がある。
意識さえあればこんなザコモンスターなら何百匹だって倒せる。魔法を使う必要性すらなく、蟻を潰すように簡単に。
弱すぎて意識を保つのに集中しないといけないレベルだ。何か考えてないと、確実に寝てしまう。
眠気とイライラを振り払うように、モンスターを一体一体念入りに刻む。
作業染みたその戦闘はゲーセンのモグラ叩きみたいだと何度か思った事がある。
こっちはモンスターの動きを見てから、行動しても余裕で対処できるくらいには速さに差がある。
それにこのモンスター達は攻撃の余波で死ぬ程脆い。クリーンヒットどころか、やろうと思えば剣を振るった風圧だけで殺す事だってできる。……そんな事をしたら、それこそ暇すぎて寝てしまうから絶対にやらないけれど。
倒しても倒しても群がってきて、絶対に勝てないオレに戦いを挑むこのモンスター達はただただ邪魔なだけだった。
こんな奴らすら放っておけば、人を簡単に殺せるという事実がとても腹立たしい。こんなのに世界を壊され、沢山の大切な人を奪われたのかと思うと、遣る瀬無い気持ちで胸が締め付けられる。
奥歯を噛み締め、次の標的を定めようとする。……そこで、周りを取り囲むモンスターがいなくなっている事に気付いた。
舌打ちする。こんな夜中に自分勝手に襲ってきてこのザマだ。眠気覚ましにもなりゃしない。
手に持った剣を装備解除して消す。そして膝をついた。
重い体は手を地につけても支えきれないと思う程で、このまま崩れ落ちたら楽になれるのではないかと一瞬思った。
「蓮にい、大丈夫か!?」
落ちかけた意識が覚醒する。声の主を探すと、一時の拠点として選んだ空き家の方角から2つの人影が走り寄ってくるところが見えた。
警戒を解く。声の主はこの壊れた世界で生き残った、たった2人の家族である年が一つ下の双子の姉妹だった。
こんな姿は見せられないと、体に力を入れて立ち上がる。
「……起きてたのか」
「あ、う。ご、ごめんなさい、お兄ちゃん」
オレの言葉を聞いて、下の妹こと蜜柑が怯えたようにビクリとした。
いけない。怖がらせてしまったのか。
鏡は見てないけれど、寝てないから酷い顔をしているだろうし、何よりさっきの戦闘のフラストレーションがまだ残っている。意識はしてなかったが、言葉の何処かにそうした刺々しいものが含まれていたのかもしれない。
「何やってんだよ、蓮にい。妹を怯えさせるなんて兄ちゃん失格だぜ? ほら、もっと笑えって」
そう言ってオレの両頬をグイッと引っ張り、無理矢理笑顔を作ろうとするのが上の妹こと柚子だ。
こんな世界になって色々と辛い目にあったにもかかわらず、こうして明るく振る舞ってくれている柚子には本当に迷惑をかけていると思う。
本当ならそんな事をさせなくてもいいようにオレが頑張るべきだけど、そこまで気を配れる程の余裕がない。
情けないなと心の中で自嘲する。妹に気を使わせている現状は本当に情けない。
せめて、蜜柑を安心させるためにも無理矢理笑顔を作ろうと口角を上げる。
「ぷっ、変な顔」
「柚子がやらせたんだろう」
「そうだった! でもそっちの方がさっきよりマシだって、うん!」
笑おうとしたら笑われてしまった。オレの抗議の言葉に悪びれる様子もなく、柚子は手を離してそう言葉を返す。見れば、蜜柑もクスクスと小さく笑っていた。
……何だか久しぶりに笑った気がする。まだ2週間も経っていないというのに、こんな風に普通に笑えていたあの頃が懐かしく感じる。
まだこんな風に笑えるという安心と、平和だった頃を思い出して少しの悲しみを感じていたオレだったが、襲いくる眠気を誤魔化すためにも気を再び引き締める。
「……ったく、外は危ないから出てくるなって言っただろ」
「……だからって蓮にいがずっと1人で戦う訳にもいかないじゃん。わたし達にも戦わせてよ」
「わたしも頑張る、からっ! だから、お兄ちゃんも休んでいいんだよ……?」
柚子は拗ねたように、蜜柑は怯えながらもしっかりとした覚悟を持って、そう口にする。
彼女達の申し出はすごく嬉しい。そして合理的にはそうするべきだという事もわかっている。それでも……
「……お前達はそんな事気にしなくていいんだよ。安心して守られていればいい。どんな敵が来たってオレがやっつけてやるからさ」
これは、オレのエゴだった。
突然現れたモンスターが世界を壊していく中で、オレは人が変わっていく所を沢山見てきた。
何かを殺さなきゃ生きられない世界で、今までと同じように生きられる人なんていないみたいだ。それはオレも同じだと思う。
中には元の世界では醜悪だと思われる事だって平気でやるようになっていく人もいた。
オレは、そんな彼らに何もしてやる事ができなかった。
……嫌だった。生き残った唯一の家族である妹達がこんな世界に歪められていく事は、それだけは認められなかった。その想いだけが、今のオレを動かしていた。
「でも……」
「大丈夫だって。これからはちゃんと適度に休むさ。さ、お前達ももう寝ろ。起きてたって何もいい事なんてないぞ」
まだ不満そうな妹達だったが、オレの言葉を聞いて渋々納得した。
妹達は何の力も持っていない。さっきのモンスター達が1匹しかいなくても妹達だけなら簡単に殺されてしまう。俺がここで休む訳にはいかなかった。
なので、休む気なんてさらさらなかったのだが、こうでも言わないと、こいつらも心配するだろう。
空き家に共に戻ろうとし、欠伸を噛み締め空を見上げた時にふと思った。
――正義とはなんだろう、と。
今のオレは、色んなものから逃げてここに立っている。
変わってしまった友人から目を背け、
虐げられる弱者から目をそらし、
救うべき世界が目の前に広がっているのに何もできずにいる。
他人よりも圧倒的に優れた力を持ちながら、できた事は生き残った唯一の家族である妹達を助けられただけだ。
そこに正しさなんてものはない。ただ身内を優先して他の物事を切り捨てたのだ。
「……これのどこが正義だ。やっぱりオレに《勇者》なんて相応しくねえよ」
決して妹達には聞こえないように、小さく呟く。
――《勇者》。それがオレに与えられた職業の名前だった。
物語の主人公。世界を平和に導く正義のヒーロー。……今のオレはそんな理想像からは遠くかけ離れていた。