1.クロノグラフ
「……なんやったんや、アレ」
空からビーム状の炎を吐き出した赤い竜はその後、まるで何事も無かったかのように、東京駅とは真逆の方角へと飛んで行った。
乗る筈だった新幹線が目の前で爆発四散、いや、塵すら残らず蒸発したのを見て呆然としていた俺だったが、目の前の脅威が去った事でなんとか正気を取り戻した。
口の中が緊張でカラカラだ。気づけばポテトがなくなっている。どうやら無意識の内にも口に運んでいたらしい。……口の中がカラカラなのはポテトのせいかもしれない。
「……悪い夢を見た、んだよな?」
そんな訳ないだろ。と心の中でツッコミを入れたくなるようなセリフが自然と口から漏れた。現実逃避の一種なのかもしれないが、ここで思考停止してはいけないと自分に言い聞かせる。
運命に流されてはいけない。運命は引き寄せるものなのだ。
「キャアアア!!」
気を改めて引き締めた瞬間、甲高い悲鳴が聞こえた事で体がビクリとなった。どうやら構内の方でも何かが起こったらしい。
辺りを見渡すと俺の他にホームにいた人達も同じような反応を見せている。さっきの新幹線蒸発事件は見逃した人も多かった(見なかった事にした人も多かった)みたいだが、今度のは流石に無視できなかったみたいだ。
何人かが階段から様子を見に行こうとしている。俺もそれに便乗し、階段を上って柱の陰から構内を見た。
「ははっ、現実がファンタジー」
もはや、苦笑いしか浮かばない。
構内では、緑色の体表をした子供ぐらいの大きさの鬼という多くのゲームでは『ゴブリン』という名前で呼ばれる怪物が人を襲っていた。
ゲームなどの物語では最序盤で出てくるモンスター、つまり雑魚だ。チュートリアルとしてはまずまずの相手なのだろう。……だけど、これは現実だ。剣も魔法も使えない俺達ではどうすることもできない。
柱の陰から様子を窺っている間にも、次々と人が傷つけられている。突然の事でみんな動揺しているという事が一番の要因なのだろう。中には抵抗して殴りかかる人もいたが、大人の男性が力負けしている所を見ると、たとえ動揺してなかったとしてもそう変わらないだろう。
……こんな状況で俺にできる事なんて何もない。見つかれば俺もヤバい。
「とりあえず、ここから離れるか……!」
流石にこんな状況で誰かを助けようなんて考えを持てる程に余裕があるわけがなかった。ゴブリンに襲われている人達を尻目に構内をゴブリン達に見つからないように移動する。
着替えなどを入れたトランクケースは音が目立つから置いていく。本当はデッキなどを入れたリュックサックも捨ててしまいたいのだが、カードゲーマーとして自分のデッキを捨てる事には抵抗があった。この状況で何の役にも立たないとわかってはいるが、リュックは背負っていく。
ゴブリン達の数はそこまで多くはない。この階では見える分で8体ほどだ。まだもう少しいるだろうけど見つからずにここから脱出する事は難しくない筈だ。
外に出てどうするか。そんな事はまだ決めてないけれど構内に留まるよりは動きやすいだろう。籠城にもここは向いていない。侵入できる所が多すぎる。そもそもこの混乱の中でゴブリン達の暴動を鎮圧して拠点にする事ができるかと言われると、その可能性は半分もないだろう。
そう決めて移動を始めたが、心の何処かでまだ油断していたのだろう。周囲の警戒が足りてなかったとも言える。
「グギャアア!」
「しまっ……」
後方から響いた鳴き声。それに反応して後ろをバッと振り向くと、ゴブリンがこちらに向かってきて飛び掛かってきていた。
声がなければ完全な奇襲だっただろう。俺は何もわからないままに殺されていたに違いない。
だけど、そんな事が不幸中の幸いにならないくらいに、この状況は詰んでいた。ゴブリンはその小さな足からは想像できないくらいに素速い。学生に交じってインターハイに出てもそこそこいい勝負をするだろうと思えるくらいだ。それに加え、成人男性を軽く凌駕する程の力がある。
……そして。そもそもこの攻撃を防ぐ手段がない上に、回避ももう間に合わなかった。
「うわああああっ!」
せめて頭だけは守らないと!
ゴブリンが頭の上から振り下ろしてくる石斧から頭を守るように左腕を盾にする。その時だった。
「……え?」
頭をかばう為に目の前に掲げた左腕。その手首から肘の間に、見覚えのないものがあった。
青色のガラスのような素材で中が見える円盤と小型の液晶ディスプレイが一体化したような装置だ。円盤の内部では銀色の歯車が噛み合ってゆっくりと回っている。
俺はこれと似たものを知っていた。《ChronoHolder》のアニメで主人公達が使っていた内部で回り続けるクロノギアの力でモンスターや術式を具現化するための装置。
「クロノグラフ!? 何でここに!」
『スタート。《時の蒐集》』
俺がその装置──クロノグラフがいつの間にか左腕に装着されている事に驚いて声を上げたその瞬間、機械的な音声と共に円盤が淡く発光した。
光の奥で歯車が高速で回る。クロノグラフから放たれた光にゴブリンは一瞬驚いた様子を見せたが、そのまま斧を振り下ろす。
斧が左腕に装着されたクロノグラフへと迫った。
『──コンプリート』
再び発せられた機械音。より大きく発せられた光が視界を奪う。
光は直ぐに消えた。くるはずだった衝撃がいつまでもなかった事もあり、すぐさま目を開ける。
「これは……時間が巻き戻った?」
目の前、といっても10メートル程離れた所でゴブリンが棒立ちしていた。辺りをキョロキョロして動揺している所を見ると奴にも何が起こっているかわかっていないみたいだ。
その様子を見て、俺はこの状況を起こしたのはさっきの光の力だろうと推測した。状態を見るに僅かな時間を巻き戻す力だろうか?
さっきの力はアニメでも見たことがない。何がトリガーになったのかはわからないが、この力を使えばこの状況も切り抜けられるかもしれない。そう思い、クロノグラフをチラリと見る。
「……ああ、成程。なんとなくわかった。今のは時間を巻き戻す力じゃなくて……」
クロノグラフのクリアブルーの円盤。その側面には、先程まではなかった見慣れたカードがあった。
それを見てさっきの光の力を理解した俺は円盤からカードを引き抜いた。
「……時を切り取る力!」
『デッキオーバー』
カードを引き抜く──ドローと同時に機械音が鳴り響く。それを気にせず、引き抜いたカードを見る。カードに記された絵や能力を見て自分の推測がそう外れていない事を確信した俺はゴブリンを見た。
ゴブリンは未だ戸惑っている様子だったが、どうやら考える事を諦めたみたいだ。唸りを上げてこちらへと飛び掛かってきた。
「わかってんなら、躱せるっての!」
ゴブリンの体のスペックは人間より高い。だが、対応できない程の隔絶した差がないことはわかっている。攻撃してくるとわかっているなら一度なら避けられる。
横っ飛びでゴブリンの攻撃を避ける。ゴブリンの斧が地面に叩きつけられた。床に転がり、態勢が崩れたままそれを確認した俺はアニメで主人公達がやっていたように、カードを円盤にかざしてこう叫んだ。
「瞬間術式、《サプライズアタック》!」
それは今の俺の唯一の手札。時を切り取り、手に入れたカード。
その効果で俺は石斧を振り下ろしたゴブリンの後ろに立っていた。手にはゴブリンと同じような簡素な作りの石斧が握られている。
相手の意識外から攻撃する効果。軽くカードのテキストを読んでそう判断して発動したそのカードの効果で俺は完全にゴブリンの背後をとった。
声を出すことはしない。恐らくこのチャンスを逃すと運命が敗北に傾くと察していたからだ。
俺はただ無心で、手に持った石斧をゴブリンの頭部に叩き付けた。
「ギャッ……」
グシャリと、嫌な感触が手に伝わった。
か細い叫び声を上げ、ゴブリンが床に倒れた。暫くピクピクと動いていたが、俺が手に持っていた石斧が消えると同時にゴブリンの姿も霞のように消え去った。
「……ハァッ、ハァッ」
それを見て、ようやく危機を脱する事ができたと気の抜けた俺はその場にへたり込んだ。呼吸するのも忘れていたのだろう。息が荒くなる。
まだゴブリン達がいる事はわかっていたが、地面に大の字になって寝転がり力を抜いた。慣れない事をしたという疲弊感以上に、ある事でショックを受けていたからだろう。
「……クロノ・ホルダーの新作は現実世界のデスゲームかよ。はは、笑えねー」
自分が好きなゲームが、こんな風になってしまったのがなんだか悲しかった。
その思いはどうしても消せなかった。