18.運命を引き寄せる②
視界がフロアボスの鱗の色である赤一色になり、その色がすぐに遠のいていく。その時になってようやく鈍い痛みを感じた。
何が何やらわからぬままに視界がグルグルと回る。視界が空で埋め尽くされたと思ったら、強い衝撃と共に視界に真っ黒なアスファルトが広がる。そして、また視界いっぱいに空が映る。
それを何度か繰り返して、原形を留めていたビルに打ち付けられて俺の体は止まった。
「……くっそいたい」
うつ伏せの体勢のまま、呆然と呟く。
腕を支えに体を起こそうとするが、プルプルと震えて上手く立ち上がれない。痛みが理解を通り越してもはや笑えてくるレベルだ。
フロアボスの攻撃力は4000、そして俺の防御力は1000だ。黒乃のバフ能力のお陰で俺のステータスは1割弱上昇しているが、それでも3000近くのダメージを受けた事になる。
これは俺の無駄に増えたHPの10分の1を超える数値だ。
今まで一度の攻撃でそんな大ダメージを負った事はなく、痛みもそれなりだった。
ダメージを受けてもHPが残っている限りは戦闘に支障がない。そんな説明があったから、俺は大ダメージを受けても大丈夫だろうと思っていた。
「こんなん詐欺やんけ……HPがなくなるまで戦いに支障が出ないなんて嘘っぱちじゃねえか」
……違った。
多分、体に異常はない。骨も折れていないだろう。ちゃんと力も入る。動きにも何の支障もない、と思う。それはシステムの説明に書かれていた事だし確かなんだろう。
「……死ぬ程痛いけど、痛みを我慢すれば死ぬまで戦えるので問題はありませんって訳だ。本当、このゲームを作った奴らはいい性格してるなあ!」
……だが、HPのシステムで死を免れ、体に異常がなかったとしても受ける痛みは他の人と同じらしい。
俺と他のプレイヤーはシステムが違えど、相手の攻撃力と自分の防御力によって受けるダメージが変わる事だけは共通している。
俺のクソステで、もしHPのシステムがなかったなら、先程の突進だけで即死していたはずだ。……そのダメージが消えずに俺の体を蝕み続けている。
……成程、なんとなくわかった。これが死ぬ程の痛みというやつか。
こんなに酷い痛みを感じた事なんてこれが初めてだけど、そう確信できた。
「ぐっ……!」
何度も失敗しながらもなんとか立ち上がる。死ぬ程痛いのは確かだけど……死んでない。
こんな有様で「HPがなくなるまで戦い続けられるよ!」とか宣ったこのゲームの運営には文句を言いたくてたまらないが、ひとまずそれは置いておこう。
どれだけ痛くたって戦う力が残っている事だけは確かだ。あの書き方だとHPが残っている限りはどれだけ痛くたって攻撃で気を失う事だってない筈。
俺が自分から戦闘をやめるか、HPがなくなるまで戦える。体が無事なんだからこの痛みも幻のようなものだ。そう考えると少しは楽になった。
今も体に残る痛みに不釣り合いな程、体はちゃんと動く。
突進をまともに受けた上半身がなくなってしまったのではないかと思う程の痛みに襲われているのに問題なく立てている。
……こんなのを続けていると痛覚がおかしくなりそうだ。
「随分と派手に吹き飛ばされちまった。戦いはどうなっている?」
近くに転がっていた《アクセルフレーム》を再びかける。
顔から地面に何度も接触して吹き飛ばされたのに俺が装備していたアクセルフレームは壊れていない。
武装カードで呼び出した装備は一定時間の間だけ具現化される。その間はどんな衝撃を受けても破壊されないらしい。
武装カードのレベルが上がる事で性能と維持できる時間が上昇するみたいだ。今のアクセルフレームはレベル3なので30分の間は現界を維持できる。
また、装備対象がいなくなったり、距離が離れた場合にはそのまま時間が切れるまでその場に残る。それを他の人やモンスターが手に取ると装備対象が変更されるとの事だ。
「やっぱり押されてる。1人じゃ流石にキツいか……!」
アクセルフレームを再び装備した事で黒乃とフロアボスの戦闘を認識する事ができるようになった。
フロアボスの人智を超えたスピードに黒乃はなんとか食らいついていた。
フロアボスはバスケットボール程の大きさの炎の球を視界が覆い尽くされるんじゃないだろうかと思う程に何発も連続で放ち、黒乃を寄せ付けさせないように立ち回っていた。
対する黒乃は火球を最小限の動きだけで躱しながら、回避できないものだけを《剣術》のスキルで身につけた技で対応して斬り払い、致命傷を回避している。
初期装備(といっても《司令官》専用武器でそこそこ性能はいいらしい)の細身の剣に水色の光として現出する魔力を纏わせ、火球を次々と捌く黒乃の姿はとても頼もしいと思えた。
俺じゃ同じ条件であの場に立たされても、あそこまで完璧に立ち回れそうにない。
だけど、彼女の技量を以ってしてもそこから反撃に移る余裕はないようだ。
それに、彼女は全くの無傷という訳ではない。目を離したたった1分弱の間に彼女は体の何箇所かに軽い火傷を負っていた。まともに攻撃を受けてはいないけれど、このまま続けてもジリ貧だろう。
フロアボスは黒乃を特に警戒しているようで、安全に遠距離戦に徹している。黒乃単独ではどう足掻いても動きを抑え込まれてしまう。
「すまん、黒乃! 援護する! 武装、《空歩きのくつ》!」
故に、黒乃を援護する為に俺は痛む体に鞭を打ち、フロアボスの方へ足を進めながら黒乃に対して武装カードを使用した。
まだ、アクセルフレームの効果の副作用による動作の鈍さに対応できていないけれど、これは今から慣らしていくしかない。
今の残り手札4枚だけじゃ、フロアボスにトドメを刺すには一手足りない。そして、それを埋めるカードを引けたとしてもそのルートを実現するには、俺の動きが重要になってくる。
泣き言は言ってられない。ワンチャンを掴む為にはやれる事をやるしかないんだ。
「遅いっすよ、まったく! 体は大丈夫なんです!?」
「問題ない! 黒乃はこのままフロアボスの目を引きつけといてくれ! 無理はすんなよ!」
「了解、っす!」
黒乃の元まで辿り着くと、彼女は器用に攻撃を撃ち落としながら、俺に短い言葉で確認する。いつもは飄々とした態度の彼女も余裕はあまりないらしい。
俺が返答すると、黒乃に装備した《空歩きのくつ》の効果で彼女は空へと向かって駆け出していった。
空中が足場になるので、彼女も攻撃の対処をやりやすくなるだろう。単純に逃げ道も増える。
黒乃はフロアボスに突撃しようとしたが、すぐに対応して空に放たれた火球の弾幕を掻い潜れないとみたのか距離を保ち、回避と撃墜に専念する事にしたようだ。
「さて……こっからだな」
黒乃は俺の要望通り、囮を完璧に引き受けてくれるだろう。後は俺の仕事だ。
手札を切る。
「まずは不確定要素を消させてもらう! 術式、《速度規制 ビギナーズエリア》!」
発動したのは対象の素早さを俺と同じ数値にまで下げる《速度規制 ビギナーズエリア》だ。
普段ならこれなしでは戦闘が成り立たない程、重要なカードなのだが今はその効果には期待していない。
このカードを発動したのはフロアボスの周囲に浮かぶ最後の黒い球体。これを消費させる為だった。
まだ判明していない能力があるとして、最後の最後でその能力を使われてしまうと対応しきれない可能性が高い。それならば、先に見えている可能性を潰しておくべきだ。
フロアボスはこのカードの効果がキッカケで大ダメージを負う事になった。ならこのカードの効果に警戒もしているはずだ。発動すれば十中八九打ち消してくる。むしろ、他のカードをスルーしてでもこのカードだけは通してこないだろう。
もし、これがそのまま通ったとしても、その時には俺と同速度になったフロアボスに対して黒乃が有利に立ち回れる。
「よし、使ったな」
カードの効果が発動し、フロアボスは一瞬スピードが落ちたものの、パリンと黒い球体が割れる音と共に元のスピードに戻る。
そして、フロアボスは俺を一瞥してから空を駆け回る黒乃に向かって炎球を口から放ち続ける。
とりあえず第一関門はクリア。黒い球体が追加で出てくるとかがなければ相手の奥の手はもうない。
「後はこの目に体を慣らしながら、次のドローまで時間を稼ぐ、か。ならやるべき事は――」
次のドローはおよそ3分後。それまでにこの鈍い動きに慣れる。フロアボスの動きに対応できるようにする。それが俺のやらなきゃいけない事だ。
そして、フロアボスの動きに慣れる為にもっとも有効なのは……
「――被弾覚悟で、突っ込む!」
……ダメージを覚悟の上でフロアボスに突撃する事だった。
それはダメージを受ける度に今の体の痛みが倍になる事を意味する。
ぶっちゃけそれは怖い。
けれど、HPはさっきの攻撃ですら全体のギリギリ9分の1に満たない数値しか減っていない。つまり、あと9回まではフロアボスの攻撃を受けれるのだ。
それにさっきの攻撃でわかった。多分フロアボスのどんな攻撃を食らっても俺の体が貧弱すぎて大きく吹き飛ばされる。
そこを追撃するのは黒乃を牽制しながらでは無理だろう。
戦闘前に危惧していた、訳もわからないままにHP全損だけは避けられる。
ならば少しでも最後の一手を通せる確率が高くなるように、激痛を覚悟してHPもギリギリまで消費し、動きに慣れる事を優先すべきだ。それが今の俺にやれる事だった。
フロアボスと俺の間には近接戦を挑むにはかなり距離がある。
万全な状態で、ステータスによって強化された今の運動能力なら俺でも5秒もかからずに踏破できる程度の距離だが、今の鉛のように鈍くなった体では何十秒かかるかもわからない。
残り3枚の手札の内、後で使う予定の2枚のカードをジャケットの内ポケットにしまい、残りの1枚だけを右手に持つ。
そして一歩一歩足を踏み出した。
自分では全力で走っているつもりなのだが、今の俺のスピードの感覚は歩くのと同じくらいでしかない。
……成程、黒乃が心配する訳だ。
なんせ今見てる世界が彼女にとっての普通なのだ。共に戦う奴がこれだけ鈍いとなると前線に出したくなくなる気持ちもなんとなくわかるというものだ。
そんな事を考えていると、距離は半分程にまで縮まっていた。フロアボスもようやく俺に目を向ける。
気づいていなかったのではなく、ギリギリまで放置していただけだろう。