14.反撃
「……黒乃、イレイザーは当てれそうか?」
「いやあ、やめといた方がいいっすよ。多分避けられるだろうし、一か八かの作戦はまだするべきじゃないっす」
「だよなあ。だけど、今切れる手札じゃ有効打がないし……」
俺の劣化イレイザーを受けてフロアボスは大きなダメージを負った。
レーザー攻撃で燃え尽きたのだろう。蝙蝠のような翼の膜がなくなっている。それだけでなく、右の翼は途中でなくなっていた。アレでは俺のカードの効果が切れた後でも飛ぶ事はできまい。
体中から血を流し、所々で融解している箇所すらある。それでもフロアボスは立っていた。立って俺達を憎悪が籠った双眼で睨み付けていた。
初手で倒しきるくらいの勢いでカードを切っていったが、ギリギリ届かなかったらしい。
……いや、本当にギリギリまで削れたのだろうか? 傍目から見るとフロアボスは満身創痍としか言いようがない所まで追い込まれているが、「これだけ好き勝手やってくれたお前達は絶対に逃がさない」という強い意志を感じる。手足を切り落としても頭だけで追ってきそうだ。
なんとかしてここで倒し切りたい。だけど今、残っている3枚の手札は術式カードの効果範囲を増幅する効果を持つ武装カードと、対象の代わりに攻撃を受ける身代わりを作る効果を持つ術式カード、そして、相手の攻撃を1度打ち消す術式カードだ。この手札ではまともなダメージは与えられない。
ダブルクロスの効果であと10秒くらいはフロアボスと同値の攻撃力を得ているが、いくら素早さを下げた所で俺ではフロアボスに近づけないだろう。今からデッキチェンジして攻撃用の術式カードを加えるのも間に合わない。
攻撃面では黒乃に頼るしかないが、彼女の必殺技である空からのレーザー攻撃《イレイザー=ガルガンチュア》を確実に当てるためには、フロアボスの足止めが必要だ。それができる戦力を俺達はもっていなかった。
彼女の剣による攻撃は効いてはいるが、大きなダメージにはなっていない。それに、フロアボスとの体格差があるため、建物を利用してピョンピョンと跳びながら攻撃しなければならないので、非常に危なっかしい。フロアボスの素早さが元に戻ってしまうとハエのように叩き落されてしまいそうだ。
なんにせよ、決め手が足りていない。フロアボスの素早さが下がっている今の内に仕留めたいのだが……
「京さんはゴブリンで牽制しといてください。私がガルガンチュアで仕留めるっす!」
悩んでいると、黒乃がそう提案する。
そういえば、空中戦艦の操縦があったか。ただ動かすだけでも秒単位で魔力が減っていくらしいが、必殺技に負けず劣らずの殲滅力を持つらしい。
今の黒乃の魔力量では全力で動かして20秒持つか持たないか。だけどダメ押しには十分だ。
「了解! いけ、ゴブリン共!」
そうとなれば俺は黒乃が全力で攻撃できるようにサポートに専念するか。いつもとやる事が変わらなくていいというのは気が楽だ。
そんな事を考えながら、先程までは脇に隠れていたもののフロアボスの攻撃の余波で半分くらい数を減らしたゴブリン達に足止めの命令を出す。
その数は14体。クロノグラフの画面に写されている記録によると、この戦闘が始まってから13体のゴブリンがやられていたらしい。あっさりと死にすぎだろうと思ったが、俺の半分以下のステータスじゃこんなものかと思い直す。
元々、倒されるために召喚したのだ。多少の数が減っても役割さえ果たしてくれればそれでいい。ただ倒されるだけでも後の布石になる。
……いや、これだけ倒されているならもうデッキチェンジを使って必要な手札──終盤に使う予定だった切り札を切っていくのもいいかもしれない。上手くいけば黒乃の攻撃と合わせてそのまま倒せる。
うん。いい考えだ。予定とは違うが、まあこういう事もあるだろう。攻め時を逃して負ける事ほど悔しい事はないからな。いけると思ったならいくべきだ。
「黒乃、予定変更だ。デッキチェンジ使って一気に決めにいく。黒乃はそのまま空中戦艦で攻撃してくれ」
「……まあ、今が攻め時っすね。了解っす。それじゃあ京さん、頼むっすよ」
ゴブリンを突撃させた直後、オレデバイスを操作して空中戦艦ガルガンチュアへと乗り込もうとする黒乃に声をかける。
戦いの前に、メインの作戦とは別にいくつかの作戦を立てている。黒乃は俺の言葉で何をするかはわかったのだろう。任せるとだけ言い残しその場から消える。オレデバイスを操作すると即座に空中戦艦内に転移できるらしいので、恐らくそれだろう。
『デッキチェンジ、オールリカバリー』
それを見届けて俺はクロノグラフを操作し、デッキチェンジを行う。残っていた手札3枚が消失し、新たにデッキからカードを4枚引く。
体力の回復と、残っていた手札が消えるのは少し勿体ないが、ここで決めてしまえば問題はない。
『デッキオーバー』
カードをドローすると同時にデッキの残り枚数がゼロになった事を示す機械音が鳴る。デッキチェンジで設定したのは4枚のカードだけで構成されたデッキだ。最初の手札分を引くだけでデッキがなくなるが、これで確実に欲しいカード4枚を引ける。
俺が欲しかったのは、1分間、敵が倒した自陣のモンスターの数×100だけ敵の攻撃力を下げる術式カード《骸の呼び声》と先程も使った《攻防反転──ダブルクロス》だ。この2枚の効果を連動させる事で倒されたゴブリンの数だけ敵の防御力を下げる事ができる。
今の状況だと、フロアボスの防御力を半分程度までしか下げれないが、それだけ下がれば黒乃の空中戦艦の攻撃で押し切れる。
巨大な影がかかる。見上げると、フロアボスに負けない程大きいSFアニメやロボットが一杯出てくるアニメに出てきそうな空中に浮かぶ戦艦があった。……実物は初めて見たけど凄く大きいな。
空に悠々と君臨する戦艦からは備え付けられた様々なサイズの砲身がフロアボスに向けて構えられている。黒乃の言葉1つであれら全てが火を噴くのだろう。あんなの人が食らえば塵も残らない。
と、そんな呑気な事を言っている場合ではない。こうしている間にも黒乃の魔力は減っていくのだ。
俺は《骸の呼び声》のカードを手に持ち、発動しようとしたその時。空に突然現れた戦艦を警戒しながらも群がるゴブリン達を一気に薙ぎ倒すフロアボスの方を見て気付いた。
「……あれ?」
──あんなのさっきまであったか? と
あんなのとは、フロアボスの体の周りに浮いている5つの真っ黒な球体だ。フロアボスの動きに追従するように動くその球体は明らかにフロアボスと関係があるのだろうと推測できる。
一瞬、その球体を警戒したが、もう作戦は変えられない。俺はデッキチェンジを使ってしまったし、黒乃は空中戦艦に乗り込んでしまっている。何の能力かわからないものを警戒して勝機を逃す訳にはいかない。
「……ッ! 術式、《骸の呼び声》!」
意を決してカードを発動した。その瞬間だった。
パリン! と鏡が割れるような軽い音と共に黒い球体が割れたのだ。たったそれだけだったが、何が起こったのかは何となく察する事ができた。
慌ててクロノグラフを見る。画面から今、発動しているカードの効果を見る事ができるからだ。
そこにはある筈のものがなかった。たった今発動したばかりの《骸の呼び声》の効果が載っていないのだ。
「……自身にかけられた能力の無効化か! ボスのくせにちゃっちいな、クソッ!」
つまりはそういう事なのだろう。あの球体を1個消費する事でフロアボスは自分にかけられた能力を打ち消す事ができるらしい。
なんで最初から使わなかったのかはわからない。もしかしたら追い詰められないと使えないのかもしれない。ただ、判明した相手の能力は俺達の計算を大きく狂わせるものだった。
悪態をついたその時、もう1度鏡が割れたような音が鳴った。黒い球体が再び割れたのだ。
何をしたのか。決まっている。自分にかけられた効果を打ち消したのだ。
何を打ち消したのか。決まっている。フロアボスに今かかっている能力は2つ。その内の1つはもはや打ち消しても意味が無いのだから。
《速度規制──ビギナーズエリア》。フロアボスの素早さを俺と同じになるまで下げる効果。俺達が優位に戦闘を進められていたのはこのカードのお陰だ。その能力がたった今、消失した。
これで、俺はフロアボスの動きを目で追う事すら出来なくなってしまう。サポートすらままならないだろう。……尤も、この状況で何ができるのかと言った話にもなるが。
ただ、もはや打ち消すべき能力もないのに3つ目の黒い球体が割れる音を聞いて、なぜかとても嫌な予兆を感じた。放っておけば取り返しのつかない状況になる。数手先で詰まされるような感覚だ。
目の前の少し離れた場所。群がるゴブリンを全て蹴散らしたフロアボスの全身からは壮絶な熱気が辺り一面に放たれていた。見れば、赤の鱗が黒く染まっている。
夏という事で早朝の今でもそこそこの熱気はあったが、そんなものとは比べ物にならない程の熱さを感じる。
それを見て、黒い球体の効果は自身にかけられた効果を打ち消すだけでなく、ああしてパワーアップのような事もできるのだと察した。恐らくあの状態で放たれる一撃は黒乃程のステータスがある敵でも、そして空中戦艦すらも難なく葬り去るだろう。
その熱量が向けられる相手も何となく察してしまった。フロアボスが見ているのは空。フロアボスの動向を見て警戒していたのだろう。砲身を向けたまま沈黙している空中戦艦をフロアボスは睨み付けていた。
端っこでちょこまかしているだけの俺を狙うよりも目の前の脅威を退けようと考えたのだ。
……ああ、くそっ。そんな必殺技みたいなのを使うなら俺を狙ってくれよ。俺なら最悪でもHPが全損するだけで一撃は耐えられたのに。……黒乃にはこれを凌ぐ方法がない、のに。
手札を見る。《骸の呼び声》が不発に終わった事で役に立たなくなった《ダブルクロス》と装備者の素早さを上げる武装カード。そして、いざという時の脱出用の《テレポート》の瞬間術式カードの3枚だ。
《テレポート》のカードは元々、設定している場所へ瞬時に転移する効果を持っているが、その対象と対象に触れているものしか一緒に転移できない。つまり、この状況では黒乃を助けられない。
──この手札は役に立たない。俺の判断ミスだ。せめて防御用のカードを1枚でも入れておくべきだった。
そんな後悔すらも今はしてられない。俺とフロアボスの素早さのステータス差は4倍。実際の動きはそれ以上のものになる。俺が50メートルを走る間にフロアボスは500メートルを走破する事も余裕だろう。それくらいの速度差が生まれてしまっている。
「──クロノグラフッ!!」
『スタート。《時の蒐集》』
俺の眼に映るフロアボスはまだ攻撃を放ってなかったが、それを制するように俺は《時の蒐集》を発動した。
『──コンプリート』
視界を覆う光。それが止んだ先にあったのは鱗が赤に戻っているフロアボスの姿だった。周りに浮かぶ黒い球体は2個だ。
《時の蒐集》の能力は時を巻き戻すのではなく、時を切り取り自分のものにする能力だ。なので、攻撃を打ち消しても黒い球体はパワーアップの為に使用された事になるのだろう。
どうやら、先読みで発動した《時の蒐集》で攻撃はちゃんと打ち消せたらしい。だが、それは何の解決にもなっていない。
フロアボスは鬱陶しそうな目でこちらを一瞥し、そして目線を再び空中戦艦へと向ける。
──鏡が割れるような軽い音が鳴り響いた。
「黒乃逃げろ──ッ!!」
届かないとわかっていながらも空に佇む空中戦艦に向けて声を上げる。何の意味もない。俺の声が届くころには既にフロアボスの一撃が空中戦艦に届いているのだから。
今度こそ、打つ手がなくなった俺が声を荒げたその時には、再び鱗を黒く染めたフロアボスが空に向けて放った黒い炎が空中戦艦を呑み込んでいた。