9.三日後
「はい、チェックメイト」
黒乃がビショップの駒を動かしてそう宣言する。チェックメイト──即ち、「もうお前は詰んでいるぞ」という宣言だ。
「今のやっぱなしで」
見苦しくやり直しを要求するが、俺の盤面はもはやボロボロで戦える状況ではなかった。やり直した手も数手で軽く詰まされてしまう。
「京さんは運が絡まないゲームだと弱いっすねー」
「これでも部内じゃ、そこそこ強かった筈なんだがなぁ……」
黒乃の容赦ない言葉を聞いて、ガックリと項垂れる。
この3日間、チェスでの勝負は俺の全敗という不甲斐ない結果に終わっていた。
弁解にもならないかもしれないが、俺は決して弱い訳ではない。自分の所属していたボードゲーム部ではそこそこの勝率を誇っていた。オンラインで対戦できるアプリでも勝率は6割を超えている。だというのにこの様である。流石に全敗というのは不甲斐ない。
チェスだけではない。この3日間の間でやったゲームの内、運にまったく左右されないゲームでは未だに黒乃から白星を挙げる事ができていなかった。
「黒乃ってチェスとかでも大会で賞とか取ってたりする?」
「ノーコメント。過去の栄光なんてもう意味ないっすからね」
あまりの強さに黒乃がチェスや将棋でもそこそこ有名なプレイヤーなのかと尋ねるも彼女はぼかして答えただけだった。でも、この口振りからすると、そこそこの結果は残しているのだろう。
「次はダイスかルーレットを使うゲームにしよう」
「えー。京さん、終盤になるといっつも出目最大ばっかり引いてくるじゃないっすかー。あんなのインチキっすよー」
何とでも言え。俺だって勝ちたいのだ。
「せめて《ChronoHolder》にしましょうよー」と渋る黒乃に迫りよる俺。そんな時だった。
「ありゃ、残念。来ちゃいましたね」
「遊ぶのも終わりだな」
黒乃のオレデバイスが警告音を鳴らした。
彼女の探知能力と連動して、今、俺達が拠点にしている地域に一定以上の強さを持ったモンスターが侵入した時に合図が鳴るようになっているのだ。
少し残念そうに黒乃が立ち上がる。俺も続けて立ち上がった。無人のデパートで適当に持ってきたルームウェアから動きやすいジャージに着替える。
「……行くか」
手早く準備を終わらせると、俺達は階段を上がって外に出た。
「留守番頼むぜー」
庭では、数匹のゴブリンがたむろしていた。勿論、俺の使役する瞬間召喚モンスターだ。庭の中心では白い大樹──イブキが根付いている。
家を守るために呼び出したモンスター達だ。彼らに一声かけて俺達は強力なモンスターが現れた座標へと向かった。
「おお、でっかいっすね」
「あれは、エイ……いやマンタか? 空飛んでるけど」
「口が前の方にあるからマンタじゃないっすか? まあ、マンタもエイの一種って聞いた事あるっすけど」
「無駄に詳しいな、おい」
100メートル程先にいる空を飛ぶモンスターの姿を確認する。黒乃によるとマンタの姿をしているらしい。今まで出会った強いモンスター達の例に漏れず、そのマンタも通常の大きさから逸脱していた。
本来、海中を遊泳するための両鰭を上下に動かし、悠々と空を飛んでいるマンタは時折、球体状の水を放ち、建物を倒壊させていた。
「イレイザー撃てる?」
「足止めなしだと半分くらいの確率で避けられそうっすね。ぶっぱはやめといた方がいいと思いますよ」
「じゃあ、地道に削り殺すって事で」
「異議なーし」
作戦を手短に話した後、道中でカードを引いたおかげで最大枚数の6枚まで増えた手札から1枚のカードを発動する。
あの日から、ドロップアイテムやガチャで大分、俺のデッキは強化されていた。
「召喚、《土竜 ドラゴモール》!」
召喚したのは黒乃と初の共闘(勝手にトドメを刺されただけだが)の際に手に入れたモンスターだ。
あの日の姿そのままに、俺の目の前に巨大なモグラが召喚される。
「ドロー。そして武装、《空歩きのくつ》を黒乃に装備」
手札を1枚使った事で新たにデッキからカードをドローする。そして元からある手札の中から1枚のカードを発動した。
武装カード。モンスターかプレイヤーに対して装備を装着するカードだ。
カードの発動と共に、黒乃のスニーカーが鳥の羽根の装飾がなされたブーツへと姿を変える。
「それじゃあ、あのマンタ落としてくるっす」
黒乃に装備された《空歩きのくつ》の能力は名前通り、装備者に飛行能力を持たせる。
何度か使用しているので、完全に感覚を掴んでいる黒乃は動揺した様子もなく、地面を踏みしめるように空中を走ってマンタの元へ向かう。
今の俺の最大魔力は220。ドラゴモールのコスト20と空歩きのくつのコスト9で残りは191だ。手札の残りカードを全て使ってもまだ魔力は残る。
だが、今の俺はマンタへの直接的な攻撃手段を持っていない。
というか、直接攻撃する系の術式カードは俺の素早さのステータスがクソすぎるせいで基本当たらないので、そもそもデッキに入れていない。
「術式、《速度規制 ビギナーズエリア》」
なので、俺が発動した術式カードは命中という概念を持たないステータスを変動させるカードだった。
3日間、手に入れたカードを使用して検証した結果、ステータスを変動させる術式カードは発動さえすれば確実に効果が発揮される事がわかった。
なので、普段使っているデッキに入れてある術式カードの殆どはこういったステータス変動系のカードだ。
そして、今発動したカードの能力は一定範囲内の敵の素早さを3分間、俺の素早さの数値を上限とするというものだ。
途端に空を飛ぶマンタの動きが緩慢になる。吐き出している水球の勢いも少し落ちていた。
動きが鈍くなったマンタを黒乃が強襲する。マンタもそれを察知していたが、今や俺のステータスと黒乃のステータスには3倍以上の差がある。その数値差は残酷なまでに動きが示していた。
マンタが迎撃のために水球を放った時には既に、黒乃の剣の一閃によって右鰭を切り裂かれていた。その事をマンタが察知するよりも先に左鰭が同じように切り裂かれる。
「よし、ドラゴモール、落ちてきた所にぶちかませ」
「いよっと」
両翼に傷を受け反撃もできずによろめくマンタの背に、黒乃は軽いかけ声と共に踵落としを食らわせた。
地面に落とすと言っていたので、黒乃の行動が予測できていた俺は、それを確認するよりも速くドラゴモールに指示を出す。
飛行を維持できずに墜落したマンタに、土竜は猛スピードで追突した。
衝撃で吹き飛ばされたマンタは家の壁に打ち付けられる。モンスターの襲撃もあり、所々崩れていたその家はマンタが打ち付けられたのが決め手となり、完全に崩落した。
「やったっすか?」
「やったな」
マンタは崩壊した家の残骸に埋もれ、その姿が見えなくなった。
とはいえ、まだトドメが刺せているとは思っていない。モンスター達は意外としぶといのだ。
空から降りてきた黒乃と共にフラグを立てていると、瓦礫が内側から弾け、マンタが傷だらけの姿を見せた。
そのままお返しとばかりに先程までよりも巨大な水球を俺に向けて放つ。
「クロノグラフ」
『スタート。《時の蒐集》――コンプリート』
マンタにとっては起死回生の一発だったのだろうが、俺にとっては撃たせてあげた一撃だ。
クロノグラフ――時を切り取る力を発動する。
「はい、ご苦労様っと」
機械音と共に放たれた視界を奪う光。
その光が止んだ後にクロノグラフからカードを引き抜く。
《アクア・パニッシュメント》、マンタの一撃は俺のカードへと姿を変えた。
「カードも手に入ったしもういいっすよね。私、イレイザーぶっぱなしたいんですけど」
「オーバーキルだから却下。いけ、ドラゴモール!」
これで完全にあのマンタには用がなくなった。後はマトモに動けないマンタをただ嬲るだけだ。
黒乃が何か言っているが、この状況だと完全にオーバーキルなので却下してドラゴモールに命令する。
ドラゴモールが俺の命令で、ダメージで空を飛べずに地面に横たわったままのマンタを踏みつけたりして攻撃する。
そのまま数十秒程見ているだけだったが、それでマンタの姿は消え去っていった。
「……最近はすっかりヌルゲーになっちゃったっすね」
「俺1人じゃ、まだしんどいんだけどなあ……」
一方的な戦闘のままマンタが消え去っていったのを確認すると、黒乃は少し物足りなさそうにそう言った。
黒乃はそう言っているが、レベル上げを繰り返しているにも関わらず俺は未だに少し強いモンスターにはステータスで負けているのだ。安全に勝負できるならそれに越した事はない。
そもそも黒乃のステータスはもう普通のモンスターより強い大型のモンスターのステータスを優に超えている。色々サポートはしてるけどコレ、俺いらないな……と思う時が多々あった。
最近、俺の存在意義に疑問を覚えつつある。「さっさと帰って遊ぶっすよ~」と能天気に帰路につこうとする黒乃の後ろを溜息を吐きながら追いかける。
「……これで、中ボスは残り2体か」
そう呟く。
レベルが低い人にはしんどいだろうからと始めた大型モンスターの討伐は、巨大モグラも合わせてこれで5体目だ。
モグラを倒してから東京を襲撃しているフロアボス以外の大型モンスター、恐らく中ボスと思われる存在を空中戦艦からの映像で確認した(体がでかいので探知能力なしで確認できた)が、モグラも合わせて10体が暴れていたみたいだ。
俺達の他にも討伐に動いていた人が居たらしく、中ボスはマンタを倒した事で残り2体になった。
「その後はフロアボス、だな」
残り2体を討伐してレベルをギリギリまで上げれば、いよいよフロアボスとの闘いだ。
これは俺が立てた目標だった。このまま放置していると東京に生存している人達がドンドン減っていく。とりあえずの平穏を取り戻す為にも、フロアボスの討伐は必須だった。
黒乃は最初にこの目標を告げた時には驚いた顔を見せていたが、今は「ゲーマーとしてはボスを他の人に攻略されるなんてありえないっす」とか言いながら俺に協力してくれている。
……そういえば。
黒乃がその時「どうしてそこまでするんっすか?」とか聞いていたような気がする。あの言葉からすると彼女はそんなに乗り気じゃないんだろう。それなのに戦闘では彼女に頼りっきりだ。
感謝の気持ちと同時に、「フロアボスとの戦闘までには何とかしないとな」という思いがより一層強くなった。