プロローグ
トレーディングカードゲーム《ChronoHolder》。
プレイヤーは時を操る歯車──クロノギアの力で時の止まった世界、滅びを迎えた様々な種族の時間を再び動かし、自らの僕とする事で世界の時間を止めようと目論む集団──ユニバースと戦う。そんな設定でアニメ化もされた世界中で人気のカードゲームだ。
なんでこんな話をしてるかって? それは……
『ここで、逆蒔選手のモンスターの攻撃によって盤面が返されました! ラストマッチ、序盤から常に優勢を築いていた黒乃選手のフィールドに並んでいたモンスターが全滅です!』
『お見事です。とはいえ、逆蒔選手は2枚の術式カードを掻い潜る為に手札を使い切ってしまいました。フィールドに残っているのは、相手ターンに発動できる効果を持たないトゥバイスと1枚の術式カードのみ。黒乃選手のドロー次第で勝負は決まるといってもいいでしょう』
『たった1枚のドローが勝負をひっくり返す! これがクロノ・ホルダーの醍醐味さ! さあ、泣いても笑ってもクライマックスは近いぞ!』
……俺がこのトレーディングカードゲーム《ChronoHolder》の世界大会への切符をかけた国内予選の決勝の舞台に立っていたからだ。
カードゲームとしての《ChronoHolder》の基本ルールは簡単。プレーヤーはフィールドに自らの僕であるモンスターを召喚する召喚カード、使い切りで能力を発揮する術式カード、プレイヤーもしくはモンスターに装備して力を与える武装カードの3種類のカードを組み合わせた40枚のデッキを使い、相手の体力であるHPを初期の8000から0にした方が勝ちだ。
大会ルールは3マッチ制。先に2戦勝利したプレイヤーがマッチの勝者になる。
そして今の勝負は3戦目。互いに1勝し迎えた大一番だった。
俺のHPも相手のHPももはや風前の灯。あと一撃で勝負が決まるだろう。
相手のフィールドは俺の操るモンスターの攻撃によって全滅してがら空き。そして相手の手札はゼロ。
対して俺のフィールドには、高い攻撃力に加え、召喚時に相手モンスター全ての能力を消去する能力と相手のモンスターを攻撃で破壊するともう1度モンスターに攻撃する事ができる能力を持つ<無双の追撃竜 トゥバイス>と1枚の未使用の術式カードが残っている。
術式カードはフィールドに2枚まで伏せる事ができ、その術式カードは相手のターンでも使用できる。今できる最善の盤面を整え、俺のターンである27ターン目を終える。
……正直に言えば、このターンで勝負を決めれなかったのは、痛い。ヒートアップする解説者の言う通り、クロノ・ホルダーはたった1枚のカードで勝負がひっくり返されるゲームだ。そんな中で、今まで相手の猛攻を凌ぎつつ、溜め込んでいたリソースである手札を使い切ったにも関わらず勝利を決めきる事ができなかった。
確かに盤面だけ見れば、俺が優勢になった。それでも、目の前の相手、目深に被ったフードで目元が隠れた小柄な少年──黒乃選手にターンが回ってしまった。
ターンが回ってきたプレイヤーはデッキからカードを1枚ドローする。ドローは無限の可能性だ。俺のフィールドでこのターン猛威を振るったトゥバイスは相手ターンでは何の効果も持たない。1枚の術式カードが残っているとはいえ、この盤面をひっくり返して俺のHPを0にすることができるカードはいくらでもある。
──それがどうした。やれるだけの事はやった。この盤面、ひっくり返せるもんならやってみろ!
心の中でそう啖呵をきる。ここまでくればもはや結果論だ。負けたら「運ゲー万歳!」と叫びながら舞台の上で狂乱してやれ。
やけっぱちになりながら眼前の、今まさにデッキからカードをドローした黒乃選手を見つめる。
ドローしたカードを見た黒乃選手が俺の方を向き、視線が交錯した……ような気がした。フードと長めの髪の毛に隠れてよくわからん。
黒乃選手は引いたカードをそのままフィールドに出した。
カードの使用にはコストとして魔力が必要だが、もはやゲームは終盤だ。1ターンにつき、2ずつ増えた魔力は既に20を超えている。このカードゲームの中で最大のコストのカードが10なので事実上、この局面でどんなカードを引いても発動は可能だ。
そして、その中でも黒乃選手が引いたのは間違いなくこの盤面をひっくり返す逆転のカードだった。
「召喚、<魔弾の射手 ファントム>っ……!」
そのカードは召喚カード。描かれているのは霧に包まれたガンマンだ。
「効果発動。トゥバイスを消滅させ、自らの攻撃力をトゥバイスの数値と同じにする」
その効果は単純にして明快。相手のモンスター1体を消滅──フィールドから追放し、自らの攻撃力をその消滅させたモンスターと同じにするという強力な効果だ。
アニメではその効果から敵モンスターを弾丸として放つという演出で猛威を振るった。対して普通の弾を撃った時には大抵の場合噛ませになっていたので、ファントムが効果を発動した時には視聴者に「ずっとそれだけやってろ」と言われていたりする。
それはともかく、この効果が通れば俺のフィールドのモンスターはいなくなり、ファントムの攻撃によって俺の敗北だ。
トゥバイスの高い攻撃力をコピーしたファントムの攻撃は今の俺のライフを10回は消し飛ばせる。完全なオーバーキルだ。
だけど……
「運ゲー、万歳っ! 連鎖術式! <攻防反転──ダブルクロス>!」
伏せていたカードを表にする。
「モンスター1体の攻撃力と防御力を入れ替える! 俺が選ぶのは<無双の追撃竜 トゥバイス>!」
本来は相手モンスターの攻撃に合わせて発動し、反撃を狙うこのカードを本来の用途とは外れた使い方で発動した。
だが、この局面では何よりも必要な一手だ。
『これは……珍しい展開ですね』
『前のターンの攻撃ではダブルクロスを発動してもライフを削りとれませんでしたからね。攻撃に対する防御札として温存していたのでしょうが……』
『逆蒔選手のダブルクロスの効果によってトゥバイスの攻撃力と防御力の数値が反転。これによってトゥバイスの攻撃力がゼロになりました』
『トゥバイスは3000という高い攻撃力の反面、防御力は0。このせいで防御モードになってしまうと弱いのですがこの場面ではその低い防御力がポイントです』
そう。ダブルクロスの効果で俺のトゥバイスは攻撃力がゼロになった。これによってトゥバイスの攻撃力をコピーするファントムの攻撃力は0になる。つまりファントムの攻撃では俺の残りライフ200は削れないのだ。
ダブルクロスの効果が適応された後にファントムの効果が発動する。トゥバイスが消え、俺のフィールドはがら空きになるが、黒乃選手もこれ以上は何もできない。
「ターン、エンド」
そのまま黒乃選手は苦虫を噛み潰したような声で自身のターンの終了を宣告する。
顔はよく見えないが、彼が苦しい声を出した理由は明白。俺にターンが回るからだ。
ドローは無限の可能性。どれだけ苦しい状況でもたった1枚のカードで逆境をひっくり返せるのだから。
相手のフィールドに残っているファントムは攻撃力0。攻撃モードのモンスターに攻撃した際に与える相手ライフへのダメージは攻撃したモンスターの攻撃力から攻撃されたモンスターの攻撃力を引いた数値だ。つまり壁にもならない。
相手のライフは残り1300なので攻撃力1300以上のモンスターを呼び出す召喚カードか、攻撃力を1300以上アップできる武装カードを引ければ俺の勝ちだ。
このターンで終わらせる。そんな思いでデッキからカードを引く。
俺が引いたカードは……術式カード。しかし、この局面において俺の勝利を決定付けるものだった。
「勝ったっ! 術式、<時空逆行>! このバトル中に俺が召喚したモンスターの中から1体をフィールドに呼び戻す! 俺が選ぶのは<無双の追撃竜 トゥバイス>!」
先程、フィールドから消えたトゥバイスがフィールドに再び舞い戻る。その攻撃力は3000。
「トゥバイスでファントムを攻撃!」
「……ありません」
トゥバイスの攻撃。それを防ぐ手立ては黒乃選手に残されていなかった。
『決まったーーっ!! クロノ・ホルダー世界大会2018、国内予選大会。チャンピオンの座に輝いたのは逆蒔京也選手だーーっ!!』
『一進一退の最後まで見逃せない熱いバトルでした。両者に拍手を!』
実況の声が舞台の上にも響き渡る。頭がまだ勝負が終わってないかのように働いている。観客席からの拍手が他人事のように感じられた。
「……ありがとうございました。いいバトルでした」
対面の黒乃選手から小さな手を差し伸べられ、そう言われた事で初めて終わった事を認識する。
慌てて彼の手を取り、握手をする。彼の口元はうっすらと笑っていた。この勝負が本当に楽しかったとでも言うように。
「……ありがとうございましたっ!」
だから。俺も彼に応えるように。大きく笑って返事をしたのだった。
◇
「はえー……」
東京駅のマクドにて俺は完全に燃え尽きていた。
腑抜けた声を漏らしながら虚空を眺めては、時折、店員さんに頼んで貰ったコーヒー用の砂糖を大量混入したコーラをストローですする。脳が疲弊していてもはや紙のカップを持つ事も億劫だった。ついでに買ったポテトは時間が経ちすぎて完全に冷めきっている。
もはや立ち上がる気にもならない俺はツイッターを開き、クロノ・ホルダーについて検索する。
出てきたのは今日の国内予選大会について。そして、俺の名前や試合の動画だ。
「ふへ、ふへへ……」
未だ実感は沸かないが俺は今日をもって2018年の日本チャンピオンとなった訳だ。変な笑いが止められない。
しかも俺はそこそこ顔立ちがいい。きっとコメント欄は俺への僻みで溢れているのだろう。
どれ、王者としてそのコメントを高みから見物してやろう。スマホの画面を上へとスクロールしていく。
『黒乃たんの方が名前的にクロノ・ホルダーに相応しくね?』『同意』『運ゲー神、SAKAMAKI』『トップデッキで解決しました』『勝ったっ!(本当に勝つ)』『この手に限る』『ドヤ顔で草』……
ダンッと大きな音が店内に響き渡る。気づけば俺の拳がテーブルに振り下ろされていた。店内を清掃していた従業員がビクリとした後、此方を睨んできた。なんでや。悪いのはネットの悪意やろ……!
「やめよう。不毛だ。それよりも……」
俺が想像するよりもずっとネットの闇は深かった。その事から目を背け、他の記事を見ていく。
俺が探していたのは大会後の運営発表についての記事だった。
「新しいクロノ・ホルダーの世界。今までのカードゲームの要素も取り入れたMMORPGゲームかー」
大会の熱気が冷めぬ内に運営が発表したその情報は観客達のみならず舞台上の俺も歓喜した。
なにせ、新プロジェクトだ。ワクワクしない筈がない。
ツイッターの記事によると、《ChronoHolder》の運営会社であるクロックワークコーポレーションは前年度にあるゲーム会社を合併吸収していたらしい。
そのゲーム会社が運営していたMMORPGがあったらしいのだが、合併に伴い惜しまれつつもサービスを終了したらしい。『俺たちの世界が買収された』『大人の事情で崩壊した俺たちの世界』『俺たちの課金が世界を守れなかった……』などの名言があったみたいだ。
《ChronoHolder》運営の今日の話によると、そのゲームの運営のチームが中心となって、終了したそのゲームの続編であり、世界観を踏襲した《ChronoHolder》の新しいシリーズが近日、カードゲームの世界大会までに発表されるらしい。前シリーズをプレイしていたプレイヤーからは『俺たちの世界が買収されたと思ったら生まれ変わって帰ってきた』とのコメントもある。
俺はそのゲームをやっていなかったので特に思い入れはない訳だが、これから関わってくるだろうそのゲームが気にならない訳がない。
「名前は確か《オレクエスト・オンライン》だっけか。……今の内に情報集めておいた方がいいかなー」
ツイッターを閉じ、関わってくると明言されたそのゲームの情報をネットで検索しようとする……時に気づいた。俺が乗る予定の大阪駅行きの新幹線の発車時刻が3分後だという事に。
今日行った国内予選大会は全国から勝ち上がったファイナリスト達が日本のチャンピオンを決めるための大会であり、東京で行われた。
俺は関西地区代表。東京に住んでいる訳ではない。つまり、自分の住む兵庫県へと帰らねばいけないのだ。
「……やばっ」
脳が一気に覚醒した。冷めて萎びたポテトを片手で抑えつけて店を出る。
「どこから乗るんや……? ええい、ややこしいな、この辺!」
とはいえ、俺は長崎県生まれ、兵庫県育ちの17歳。東京に来たのはこれが初めてだ。
俺は普段、電車にも乗る事も少ない。大会への参加という事で親も居らず、1人でこの東京に来た俺が事前に切符を買っていたとはいえスムーズに手続きを終える事はできず……
「あ、ああ。行ってしまった……」
憐れ、目の前で大阪駅行き(正しくは博多駅行きらしい)の新幹線は出発してしまった。
どうしよう。とりあえず芋食ってから考えるか。呆然としながらも片手のポテトを口に運んでいた。その時だった。
出発した新幹線が米粒程の大きさになった頃に、空から何かが飛んで来た。
まるでCGみたいだ。それを見てそう思ったのはつい最近、ファンタジー系の映画で似たようなものを見た事があったからだろう。
それは赤い竜だった。距離が遠い故に小さく見えるが、それでもここから見る電車と比べればふた周りほど大きい。
竜は空を飛んだまま、口から赤いレーザーのような炎の放射を新幹線に向かって吐き出した。
炎に隠れて姿が見えなくなった新幹線だったが、その炎の放射が終わった後も永久にその姿が見える事はなかった。
「……は?」
目の前で新幹線が蒸発する様を見た俺は、そんな間抜けな声を出した。