幼馴染み以上、恋人未満(併合版)
「今日も何とか無事終わったか……」
授業が終わって、担当教師が教室から出て行くなり、俺はそう言って椅子の背もたれに体を預けた。
この身体になってから既に半年近くになるが、やはり色々と慣れないモノはある。
何処かの有名な漫画の台詞を借りるのであれば、「ありのまま起こったことを話すぜ? 朝起きたと思ったら女の子になってたんだ。何を言ってるのかわからないと思うが、俺自身、何が起こったのかわからねぇ」といった感じだった。
あのときは国立病院にまでいって色々と検査をしたのだが、遺伝子的には性別が異なる以外は全くの同一人物であり、原因も不明であれば戻る方法も不明ということで、やむなく女の子として残りの一生を過ごすことになったわけだ。
今日も今日とて、未だ慣れない月のモノと格闘しながらの授業を終えたところである。何とか一日を乗り切った、と溜息を吐いたところで、幼馴染みの一馬が俺の顔をのぞき込んできた。
一馬は俺が女の子になっても変わらず付き合ってくれている唯一の男子だ。幼馴染みで気心が知れているというのもあるが、女の子になったことで一馬以外の男子の俺を見る目が変わってしまったことも他の男子と疎遠になる原因だったりもする。
「お疲れさま。やっぱり女の子の日は辛い?」
ペットボトルのホットレモンティーを俺に渡しながら、一馬は自分のホット緑茶を口に含む。
「正直辛いなんモンじゃねぇよ……。この日が来る度に思うけど、ホント、よく女子はこんな辛いのを耐えられるな、って実感してるわ」
そう言って俺は椅子の背もたれに預けていた身体を前に倒し、自分の机に突っ伏した。一馬から貰ったホットレモンティーをお腹に当てると、幾分か辛さが和らぐ気がするから不思議だ。
「女子は小さい頃からソレと付き合ってるから、水輝よりなれてるんじゃない?」
「あー……それはあるかも……。中学生の妹が、どうすれば良いか判らなくて固まってる俺よりも落ち着いてて、色々処理してくれたのは衝撃だったしな」
女の子になって初めて月のモノが来て顔面蒼白になり立ち尽くしてしまった俺に、アレしてコレしてと、テキパキ指示を出してた妹を思い出して苦笑する。
「ブラの付け方とかお手洗いの方法とかはあっさり慣れたんだけどやっぱりコレばかりは慣れないわ……」
やはり日常的なものはやらざるを得ないので流石に慣れた。最近は妹に叩き込まれた髪の毛や肌の手入れを、自分から進んでよりよく見せるように色々と凝るようになってきているあたり、徐々に男を捨てているような気がしてならない。
「そういえば水輝、女の子になったばかりの頃より、大分女の子らしくなってきたよね」
「むぅ……。余り嬉しくねぇぞ、それ……」
今は女の子なので、男だったときよりも身だしなみなどには気を付けるようになったのは間違いないが、それはあくまで女の子として人前に出ても恥ずかしくない、最低限のものでしかない。流石に化粧は元男として非常に抵抗がある。せいぜい女の子になる前から使っていたリップクリームを色つきのものに変えたくらいだ。
まあ、自分に彼女が出来たらこんな感じの格好をして欲しい、というのを自分で実践しているのは一部の親しい人にはバレているわけだが。
「お世辞抜きに、今の水輝はトップクラスの美少女だと思うよ?」
「元男としては全く嬉しくない台詞だな、それ。女の子としては物凄く嬉しいんだろうけど」
たまに一馬はこういう事を平気でサラッと言ってくれるので、気を付けてないとドキッとする。
一馬の台詞で少し鼓動が早くなったのを感じた俺は、話題を逸らそうとして周りが騒がしいことに気が付いた。
「ところで一馬。何か女子が騒がしい気がするけど気のせいか?」
一馬との会話に集中してた俺は、いつにも増して女子たちが浮ついているような気がして仕方がなかった。
満面の笑みで教室に戻ってきた女子がいたかと思えば、涙ながらに戻ってくる女子、果ては物凄く挙動不審に教室の中を覗いている女子など、いつも以上に騒がしい。
「……水輝、それ素で言ってる?」
俺は何のことを言っているのか判らず首を傾げた。
「今日は2月14日。これだけ言えば判るんじゃない?」
「ぁー……」
色々とあって忘れていたが、日付を聞いて俺は今日が何の日だったかを思い出した。
それと同時に、朝から机の奥に忍ばせておいた包みの存在を危うく忘れかけていたため、思い出して良かったと安堵する。
「うまい棒の日?」
「何でさ」
うん、この包みを用意していることを誤魔化すため、予め仕入れていたボケを返してみただけだ。ちなみに、今日は本当にうまい棒の日だったりする。
「なるほど、そりゃみんな一喜一憂するわけだ」
お腹に当てていたホットレモンティーを取り出し、封を開けて一口飲む。熱を奪われ程良い温度になった液体から、同じように程良い甘さが口に広がり、その美味しさに思わず頬が緩む。
「女の子になっても、相変わらず幸せそうにレモンティーを飲むね、水輝は」
そう言って一馬もお茶を飲む。一馬の方は俺よりも早く飲み始めていたためこれが最後の一口らしく、傾けたペットボトルのラベルの隙間から、お茶が全部無くなるのが見えた。
「そりゃ、元々レモンティーが大好きだからな」
体は女の子になっても精神的な根っこの部分まではそう簡単に変わらないもので、俺はバレンタインというと、未だに貰う側のイメージが強い。
一馬もそれは判っているみたいで、そういった話題は一切振ってこなかったし、だからこそ今日用意した包みが完全な不意打ちになることも判っていた。
正直、周りには女の子になったんだからもっと女の子らしく暮らせとは言われるものの、そう簡単に今までの男性としての経験値を捨てろというのは無理な話だ。
だから今回の不意打ちも男女のそれではなく、ただ単に渡したときの一馬の反応を見て楽しみたいという一種の悪ふざけでやってる部分が強い。
「……そういえば一馬、お前今年は何個貰ったんだ?」
こう言うのもなんだが、一馬はモテる。去年なんかは義理抜きで10個ほど気合いの入ったチョコを貰っていた。ちなみに俺は、そのおこぼれで義理を10個ほど……。幼馴染みとして誇らしい反面、男として悔しい思いをしていたのは言うまでも無い。
「ああ、今年は全部断ってるよ」
なんで、とは聞けなかった。何故か理由を聞くのを躊躇ってしまったのだ。その理由はわからないが、どこかでほっとしている自分がいたことに自分自身疑問が浮かぶ。
「何というか、水輝が大変なことになってるのに貰うのも気が引けるなって思ってさ……」
「なんでさ」
別に俺に気をつかう必要は無い。そう言おうとしたところで一馬は二人だけの秘密を口走った。
「それに水輝、女の子になりたてのとき、興味があるからって僕のこと……」
「ちょっと待て一馬、ここでそれはまずい。いくら周りがお祭りムードだからって、言って良いことと悪いことがあるぞ」
俺は慌てて一馬の言葉を遮って周りを伺った。うん、誰も聴いてないな。
あのときのことは、正直若気の至りというか、男としての興味が勝ったというか、最初はよかったけど後半はただひたすらに痛いだけだった。正直今となると物凄く恥ずかしい事案である。
「水輝、耳まで赤くなってるけど、ひょっとあのときのことして思い出した?」
「思い出してない! 思い出してなんかないからな?!」
俺は全力で否定するが、これでは思い出してるって言ってるようなものじゃないか。自分で言ってて余計に顔が熱くなるのを感じて、それが余計に自分自身を慌てさせる。
「ぐ……ぅ、一馬、お前わざとだろ?」
苦し紛れに一馬を睨み付けるが、位置的な問題で上目づかいになってしまうのが悔しい。
「さて、どうだろう?」
俺の精一杯の批難も、一馬はさらっと受け流しやがった。
「少なくとも僕は、成り行きとは言え、大切なモノをくれた人に不義理を働きたくないんだ。義理なのか本命なのかよく判らない渡し方してくる人もいるし、それなら最初から貰わなければ良いじゃない?」
一馬の言葉を聞いて俺は、なるほどな、と思った。きっと一馬がモテるのは、こうやって相手のことを思いやる姿が格好良く見えるのだろう。
認めたくないが、俺ですら一馬に一瞬ときめいてしまった。
だが、それと同時に呆れも抱く。
一馬はなりゆきとはいえ、自分自身が初めてを散らしてしまった俺のことを気遣っているのだ。原因は俺にあるにも関わらず。
「まったく、一馬は気にしすぎだ。あれは俺自身が興味本位でやったことなんだから気にするなよ」
自分ではそう言うモノの、あれから何度もそのときのことを思い出してしまうのは、きっと欲求不満なんだろう、と思い込むことにしている。そうしないと、色々とヤバい気がしたから。
「それでも、だよ。あの時の水輝は色々不安だったんじゃない? だからその不安を、別の何かで埋めようとしてあんなことをしたんじゃないかな」
本当に一馬は色々と気が利くし気付いてくれる。何か、俺自身よりも俺のことをよく判ってそうだ。
「とはいうけど、そう深く考えるなよ、一馬」
そう言って俺はレモンティーをほんの少し口に含んだ。
飲み込みはしない。
ゆっくりと席を立ちながら机の中に忍ばせていた包みを、左手で出来るだけ見えないように取り出す。
右手を一馬の首に回して、自分の体重をつかって屈ませる。
そして一馬の唇に口づけをした。
さっき口に含んだレモンティーで湿った舌を一馬の口に割り込ませ、舌同士を絡ませる。
ほんの少ししたら唇を放し、唇から少し溢れたレモンティーを手の甲で拭う。
呆然としている一馬に、チョコを手渡しながら俺はニヤリと笑った。
「どうだ一馬、ファーストキスはレモンティーの味ってな。あとこれ、俺からのバレンタインチョコな。結構チョコ作りって面白いのな……。妹がクラスのヤツにあげるからって付き合いで作り出したは良いんだけど、思いの外面白くて普通に手の込んだヤツつくっちゃったよ……って、おい、どうした?」
いつも割と冷静な一馬が顔を真っ赤にして唇を触りながら固まっている。
というか、クラスの空気も物凄く固まってる気がするんだが……。
それから少しして、俺は自分自身がとんでもない事をしでかしていたことに気づき、羞恥で顔が熱くなっていくのを感じた。
「ぁ、いや、その……ぎ、義理だぞ、義理!! あと、それはだな、深刻な顔をしてたから驚かせてやろうと思ってやっただけだからな?! 他意何か無いからな!!」
俺は余りの恥ずかしさに、チョコを持って固まったままの一馬を放置して教室から飛び出した。
飛び出した教室から歓声やらなんやらが聞こえるが、俺はそれらを無視して走った。
変な胸の高鳴りや、頬が熱いのは走っているからだと自分に言い聞かせて。
でも、何か変に嬉しくて、俺は唇を触りながら頬を緩めて走るのだった。
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「うーん……、キツい……」
あれからほぼ1ヶ月が経った。
2月というのは1月が28日。つまり、俺の生理周期とピッタリ被るわけで、今月も俺は慣れない痛みに苦しめられていた。
何とか根性で登校して午前中の授業は乗り切ったものの、俺は今までで1番キツい痛みに白旗を揚げ、3限目の途中から保健室で絶対安静中だった。
「おかしいな……普段から運動はしてるのに……」
女の子になってから既に半年以上が経っているが、ここまでキツい生理痛は初めてだった。
枕元に置いてあるスマホを手に取って時間を確認してみたが、まだ保険室に来てから30分くらいしか経ってない。
「気持ち的にはもう2時間くらい経ってると思ったけど、まだ全然時間があるのか……」
そういえばチャイムが鳴ってないなと思いながらスマホを枕元に放り投げ、仰向けに転がる。
早退して帰ろうにも、今の体調では1人で帰れるかどうか怪しい。
どうしたものかとベッドの上で唸っていると、保健室のドアが開けられる音と一緒に誰かが保健室に入ってくる音が聞こえてきた。
「月代君、体調の方はどう?」
どうやら所用で席を外していた保険の先生が戻ってきたようで、カーテンを開けて聴いてきた。
「正直キツいです……。というか先生、俺、一応女子なんですけど……」
「ごめんなさい、男子だったときのイメージが抜けなくて……」
まあ、先生たちや近所の人達の中には未だに男子として俺に接してくる人も少なくは無いので、こういった訂正はもはや慣れてしまった。
「月代く……月代さんは日頃運動はしているのよね?」
先生の質問に俺は頷いた。
女の子になってからは筋肉質な女子はどうかとも思って昔ほどの運動はしていないが、それでも運動不足にならないような運動は常日頃から心がけている。
「だとしたらストレスとか睡眠不足というのも考えられるけど、何か心当たりはない?」
「ストレスと言われれば、今のこの身体になったこと自体がストレスになってるとは思いますけど……」
でも本当にそのことがストレスの原因になっているのだとしたら、女の子の身体に順応してきた今になってそれが出てきたというのは考えにくい。
だとすると睡眠不足の方が原因となる可能性があるわけだが……。
「……そういえば、最近あまり眠れてない……」
最近の睡眠不足の原因は、先月のバレンタインデーに俺自身がやらかしてしまった事だ。
正直、未だに何であんなことをしてしまったのか判らないのだが、それ以来一馬のことをまともに見ることが出来なくなってしまい、それについて悩むことが多くなった。
結果として寝る時間が遅くなり、睡眠不足に繋がっていた。
その事について悩み出した時の俺は、他の人から見たら見ていて微笑ましいらしいが、その理由は誰一人として教えてくれなかった。
……この時までは。
「ふぅん……月代さんも恋の悩みかぁ。青いわねぇ」
「んなっ?! こ、恋ぃ?!」
最近ずっと悩んでいた俺のこのモヤモヤが恋? 男の俺が、男の一馬に恋?
確かに気がつけば一馬のことを目で追っていたり、一馬のことを考えていたりするし、一馬が他の女の子と仲良く話しているのを見るとイラっとしたりするけど……って、これって思いっきり恋してるじゃないか!!
「う、嘘だぁぁぁぁ!!」
俺はここが保険室だということも忘れて思いっきり絶叫した。
先生は「若いっていいわね」なんて言ってるけど、俺的にはそんな簡単な問題ではなかった。
▽
「38.2度……風邪ね」
「う゛ー……」
あれから何とか学校から帰宅した俺は、気分転換にとゆっくりとシャワーを浴びた。
モヤモヤとした気分の時はサッパリとしたいと思ったからなのだが……結果はサッパリするどころか余計考え込んでしまい、この有様である。
「氷華ぁー、気持ち悪いぃ……」
月のモノと風邪で体調は最悪である。妹に助けを求める兄というのも情けないが、女の子になってからは幾度となく助けて貰っているので今更である。
「そもそも、なんでお姉ちゃんは春先とはいえまだ寒い時期に、浴室暖房も入れないで長々とシャワーなんか浴びてたの?」
「むぅ……それを聞くか」
「聞かなきゃはじまらないでしょ?」と妹―氷華は言うが、正直面倒な話なのであまり話したくはない。
「言う気が無いなら別にいいけど、どうせカズ兄の事でしょ?」
……何でバレてるんだ?
俺、今まで氷華の前でそんな素振りを見せたつもりは無いんだが……。
「何でバレてるんだ、って顔してるけど、お姉ちゃんはお兄ちゃんだったときから判りやすかったもん。私が義理チョコ作るって言った時に一緒に作ってたお姉ちゃんの顔、恋する女の子の顔だったしねー」
う、嘘だろ……?
俺はどうせ作るなら一馬にでもくれてやるかって思って作ってたのに、その時点で一馬の事を意識してたって事……ってあれ? ひょっとしなくても俺、あの時点で一馬の事好きになってたのか?
「……なぁ、氷華」
「何? 風邪なんだからゆっくり寝てないと駄目だよ」
「精神的に男の俺が、男の一馬を好きになるのって、色々と不味くないか?」
氷華は少しキョトンとした顔をした後溜息をつき、爆弾を放り投げてきた。
「お姉ちゃんはまだ自分のことを男の子だと思ってる……ううん、そう思い込もうとしてるみたいだけど、私たち女の子からして見たら、もうお姉ちゃんは歴とした女の子だと思う。 考え方は男の子っぽくしようと頑張ってる女の子そのものだし、仕草なんかも、もう男っぽさはほとんど抜けてるよ?」
「ぇ゛? まてまてまて、俺はまだ男を捨てたつもりなんかこれっぽっちもないぞ」
「そうは言うけどお姉ちゃん、最近女子の胸元とかお尻とか見ないし、脇や脛の処理だって私が教えたときよりも念入りにやってるよね? それに、男子達がエッチな会話してるのを見て呆れたりしてること多くなったでしょ?」
「そりゃあ自分自身が見られる方になったしな……」
今の身体になってから判ったことだが、意外と男子の視線というのは物凄く気になるのだ。
だからこそ見られるところには気をつかうようになったし、男子がそういった話題をしているのを見ると、自分がそういう目で見られているのかって思うようにもなった。
それに気付いてからは女子のことをそういった目で見ることは出来なくなったし、階段とかも気にしながら上るようになった……というかうちの高校の制服スカート短いんだよ!!
「しかし、何も今日という日に風邪をひかなくてもいいのにねぇ。とりあえず、私もいい加減学校行かないとだしお母さんは残業、お父さんも遅いから、私が帰ってくるまでゆっくり寝ててね」
「この精神状態で寝れたらね……」
内容が内容だったため普通に会話をしていたが、氷華が出て行って落ち着くと、その反動であっという間に俺の意識は落ちていった。
▽
「おばさん、水輝、今日は学校行けないの?」
「ごめんね一馬君。水輝は熱で起きれないの」
これは……私が小さい頃の記憶?
まだ私が男の子だったときの記憶だ。
「じゃあ、僕も学校休んで水輝と一緒にいる!! だって一人じゃ寂しいでしょ? だから僕が一緒に居てあげる!!」
それだとズル休みになる、という考えはあの頃の一馬には無いのだろう。
それくらい、私と一馬は幼い頃から一緒だった。
だからこそ、片方が体調を崩して休むというのは、やはり寂しかったんだと思う。
もっとも一馬は病気知らずで、主に風邪をひいていたのは私ばかりだった。
その度に、一馬は学校が終わると真っ先に私の所に駆けつけてくれた。
私の両親が仕事でも、鍵を借りてまでお見舞いに来てくれたほどだ。
「僕、水輝にいつも助けられてるから、こういうときこそ僕が水輝を助けるんだ!!」
▽
どれくらい時間が経っただろうか。
あまりにも汗をかきすぎたのか、パジャマと下着がベタつく不快さで目が覚めた。
何か懐かしい夢を見た気がするけど、恐らく体調の影響なのだろう。
朝よりは少し楽になった身体を起こして時計を見ると、既に夕方近くだった。
「……気持ち悪い」
少し身体を動かしただけでも、肌にまとわりつく衣服の不快さが拭えなかった。
タンスから替えの下着とパジャマを取り出し、ショーツを除いた全ての衣服を脱ぎ捨てる。
濡れタオルは無いので、ウェットティッシュを使って軽く全身を拭くと、汗でベタついた身体の不快感が消えていく。
胸元を拭こうとしたところで、不意に部屋の扉が開けられた。
「水輝、調子はどう……」
「……え?」
突然のことに、お互いがそのままの格好で固まった。
何で一馬が俺の部屋に入ってきたんだ?
そもそも家の鍵は……ああ、氷華が一馬に貸したのか。
というか、なんで一馬は俺から目線を外してるんだ?
そういえば、なんで俺は胸を触って……胸?
そこまで考えて、俺は今自分がどういう状況かをようやく理解し、一気に顔が熱くなっていった。
「ぃ、いやぁぁぁっ!! で、出ていって、このバカズマ!!」
「ご、ごめん!!」
俺が枕を投げつけるのと一馬が扉を閉めるのは同時だった。
俺が投げつけた枕が扉に当たり、ボスン、と音を立てて落ちる。
一馬を追い出し、息を整えてから身体を拭くのを再開したところで、一馬が扉の外から恐る恐る声をかけてきた。
「その……水輝さん、怒っていませんか?」
「怒ってない」
間髪入れずに答えた。
身体を拭き終わったのでショーツも新しいものに履き替え、ナプキンをセットする。
「そもそも、女の子の部屋に入るのにノックも無しってどうなんだ?」
「返す言葉もございません」
替えのブラを付けるが……うーん、半年前より大きくなった? 最近ブラがキツい気がする。
お小遣いは貯めてあるし、今度氷華と一緒にランジェリーショップに行って測り直してもらおうかな。
「でも昔はノックとか無しで入ってたよね?」
「昔と今は違うだろ。今は女の子なんだから少しは気をつかえよ」
用意していたパジャマを着ようとして……考える。
一瞬の逡巡の後、タンスを開けて女の子になってから買って貰ったものの、一度も着たことの無かったパジャマを取り出して身につけ、さっき取り出した昔から着ているパジャマをタンスに戻した。
その後、最近買って貰った姿見の前に行って、寝癖などがないか自分の姿を念入りに確認して髪の毛に櫛を通して整える。
……うん、多分大丈夫。何処もおかしいところは無いな。
脱いだパジャマを畳んでから洗濯籠に入れて目隠し布を被せ、脱いだ下着とかが見えないようにする。
投げた枕を回収して布団に入り直し、身体を起こして外で待っているだろう一馬に声をかけた。
「一馬、着替え終わったから入って良いぞ」
少し間を空けて、ゆっくりと扉を開けながら部屋の中を覗き込むようにして一馬が入ってきた。
「その……さっきはごめん」
「何度も言うけど、怒ってないからな?」
俺は思いの外しょげてる一馬に苦笑する。
「そりゃ、いきなり扉が開いて裸を見られたから驚いたけど、冷静に考えてみたら俺、裸どころか全身見られちゃってるんだよね……」
そう言って俺はまた苦笑いをした。
あのときの自分は、まだまだ男の子としての意識が強かったんだなって本当に思う。
だって、今の俺には恥ずかしすぎて、きっとできないことだろうから。
「……水輝のそのパジャマ、可愛いな」
「……ありがと。女の子になったばかりの時に買って貰ったやつで、今日初めて着たんだ……」
この間は嬉しくないなんて強がったけど、本当は嬉しかった。
だから今日はその言葉を素直に受け取ることにする。ただそれだけのことなのに、胸の奥がぽかぽかするのはきっと気のせいじゃない。
その熱が伝わったのか、それとも風邪によるものなのか、耳が熱を持っている中で、一馬が部屋に来た理由がふと気になった。
「ところで一馬、今日はどうしたんだ?」
「どうしたんだって……熱出したっていうからお見舞いに来たんだけど」
そう言いながら、一馬は鞄から何枚かの紙を取り出して俺の机に置いた。
「これ、今日の授業で配られたプリントとノートのコピーね。プリントは進路希望調査票が入ってるから、体調よくなったらきちんと提出してって言ってたよ」
「進路か……俺はどうしようかな……」
性別が変わったゴタゴタで、俺は進路に関して決めかねていた。
元々進学を希望していた大学は男子の比率が高く、家から通うことも困難なため、女の子になってしまった今は、正直一人暮らしも怖くてどうしたら良いか迷っていたのだ。
「一馬は……どうするんだ?」
「俺は変わらず、N大学の文学部に行くつもり」
N大文学か……。俺の受けようとしてた大学と偏差値もそんなに変わらないし、一馬が一緒の方が何かと安心なんだよな……。
俺がそんなことを考えていると、一馬は鞄から別のモノを取りだした。
「あとこれ、水輝にお返し」
「……クッキー?」
プリントの後に一馬が鞄から取り出したのは小袋に入ったクッキーだった。
風邪で普通のご飯も食べれていないのに、お見舞いに油を含むクッキーはなかなか辛いモノがある。
「今日はホワイトデーだからね。この間チョコを貰ったお返しだよ」
「ぁ……今日だったのか」
体調が最悪すぎてホワイトデーの事なんか完全に忘却してた。
そして思い当たるのはもう一つの大切なこと。
今日がホワイトデーということはつまり……。
「あと、これは誕生日プレゼントだよ」
そう言って一馬が鞄に入れていたケースから取り出し、俺の左手薬指に付けたのは、綺麗な水色の宝石が填められた指輪だった。
「え……? 一馬、これって……」
「3月の誕生石、アクアマリン。今日誕生日でしょ? 女の子だし指輪の方が良いかなって思ったんだけど、別にそれだけで他意は無いよ?」
他意は無い。
その言葉を聞いて、さっきまでぽかぽかしていた胸の奥がズキっと痛む。
そうだよな、一馬は前からそれなりのプレゼントをくれてたもんな……。
「それじゃ、渡すモノも渡したし、長居すると辛いだろうからそろそろ帰るね」
「ぁっ……」
俺は、ほとんど無意識に一馬の服の裾を握っていた。
駄目だ……もう誤魔化せない。
そう思うと同時に、自然と口が言葉を紡ぐ。
「本当に……他意は無いの?」
「……水輝?」
女の子が頑張って男の子っぽくしようとしている。
氷華の言うとおり、いつ頃からか、昔の口調でいることの方が違和感を感じるようになっていた。
「お……わた、しは……それじゃ、嫌だ……」
だけど、口調を変えることで、男友達として変わらず接してくれている一馬が離れていってしまうかもしれない。
それが怖くて仕方なくて、私は昔の口調で生活しようと決めていた。
「昔のままで居たかったのに……、女の子の身体になっちゃって、一馬に嫌われたくなかった……!!」
けれど、そう意識すればするほど一馬の存在が私の中で大きくなっていくのを感じていた。
だから一馬に嫌われたくなくて、徐々に心が女の子になっていくのを必死に抑えて昔のように振る舞っていた。
「何で私なの? 何で私が女の子にならなきゃいけなかったの? こんな思いなんてしたくなかった……!!」
けれど、もう無理だ。
無理矢理押さえ込んでいた恋心を先生に指摘されて。
氷華に、私がもう男の子ではなく女の子なんだということを指摘されて。
何より、一馬にこんな素敵な誕生日プレゼントを贈られて。
もう、私自身の思いを、気持ちを抑えることが出来ない。
「私は、他意があってほしい……! 私は、一馬のことが好きっ!! もうこれ以上、自分を偽るのなんてやだぁ……」
言ってしまった。
今の告白で、私が男の子として振る舞おうと決めていた枷が外れ、もう男の子として振る舞うことができないという確信があった。
それと同時に今まで押さえ込んできた感情が堰を切ってあふれ出し、涙となって流れていく。
ふわっ、と。
大泣きする私のことを、一馬が優しく抱きしめてくれた。
「ごめん、水輝……。僕にもっと勇気があったら水輝の事を泣かせずに済んだのに」
そういって一馬は私の背中を撫でてくれる。
それだけで大分気持ちが落ち着いてくるのだから不思議だ。
「だから、僕の気持ちを伝えます」
一馬は私の肩を掴んで、涙で腫らした私の顔を真剣な目で見ている。
私はその真剣な一馬の表情に、ドキッとする。
普段あまり見ることのない一馬の真剣な顔に、私の顔が熱くなっていくのが判る。
「月代水輝さん、幼馴染みとしてでも、男友達としてでもなく、結婚を前提とした恋人として、僕と付き合って下さい」
一馬の声は決して力強くは無かった。
むしろ、優しく語りかけるような声だったけど。
でもその声が、言葉が、私の心に響いて……。
「……はいっ、こちらこそ、よろしくお願いします」
私は笑顔で、頷いた。
その時、一筋の涙がこぼれ落ちて、一馬から貰った指輪の宝石の上で弾けたけど。
さっきの涙とは違う、嬉しさによる涙だった。