8 仕事を覚えるのには少なくとも年単位で時間が必要だと思うのですが、いかが?
田中次郎 二十八歳 独身 彼女無し 職業 ダンジョンテスター(正社員)
魔力適性八(将軍クラス)
役職 戦士
ダンジョンに初めて入ったあの日からかれこれ一週間、俺はあれ以来あの広場には近づかず、コツコツと地図を広げながらステータス向上を図っていた。
あれから何度もステータス更新を行ったが、努力した分きっちりと成果が出るのはやはり気持ちがいい。
その上がる量が多いのか少ないかは比べる相手がいないからよくわからないが、現状俺は満足している。
ここ一週間の努力の成果でステータスは上がり、ウッドキッド、小型のパペットと、ウッドパペット、マネキン相手に余裕が出始めている。
余裕が出てくれば出費が抑え込め、効率が上がるので利益が増える。
嬉しいことだが、すべてがうまくいっているわけではない。
肝心の課題である、仲間、パーティメンバーは見つかっていない。
あの時のウッドゴーレムとウッドパペットブラッドを相手にしたとき痛感した問題が全くと言って解決していない。
どこのメンバーも既に固定メンバーが決まっているらしく、こちらから仲間に入れてくれとも言いづらい雰囲気である。
年齢差という名のジェネレーションギャップは意外と深刻だったかもしれない。
それはさて置き、月曜日となったわけで、こうやって週末に仕上げた週一の報告書を提出しにスエラさんの下に来たわけだが、休み明けの月曜日だからかそれともまた別の理由があるかは知らないが、何やら元気がない様子だ。
「はぁ」
しかし、美人は、ため息の姿も様になると実感しています。
憂いた表情のスエラさんに挨拶をすべく、近づく。
「おはようございますスエラさん」
「次郎さん、おはようございます」
報告書片手であるので、俺の要件はすぐに伝わり書類を受け取ってくれ、スエラさんはその場でさっと目を通してくれる。
「問題はありませんね、ご苦労様です。引き続き、この調子で頑張ってください」
本来であれば、報告書の提出は終わったのだからこのまま立ち去っても問題ないのだが、さっきの様子が気になってしまう。
「昨日も仕事だったんですか?」
だからだろうか、立ち去らず、その場にとどまり雑談を振ってみる。
「ええ、まぁ、そうですね」
「休日出勤とは大変ですね」
なんとも歯切れの悪い返答だ。
よほど言いづらいことなのだろうか、また、教官たちが無茶をしたのだろうか?
だが、あの時の必死といった切迫感というものが感じられない。
「経験則ですが、あまり働き詰めだと追い詰められて落ち込むだけなので、無理はしないでくださいね」
「お気遣いありがとうございます、大丈夫ですよ、今日は早めにあがりますので」
笑っている。
その裏は分からないが、笑えているうちはまだ大丈夫だろう。
人間、追い込まれると笑うこともできなくなるのだ。
もしかしたら作り笑いかもしれないという可能性もあるから、裏の方を探るとするか。
「そうですか、俺にできることなら手伝いますので」
「助かります、でしたら今度なにか頼むことにしますね」
社交辞令と少し好感度を上げたいという下心からくる言葉であったが、藪をつついていないか少し不安になるが、とりあえずはこれまでとスエラさんに挨拶してから、オフィスをあとにする。
「で? なにか心当たりはないか?」
「見て分からないのですか?」
あらましの概要、スエラさんが休日出勤をして元気がないことを話すために先週末までの戦利品の買取がてら道具屋による。
ここ一週間で雑談する程度の仲になった、吸血鬼店員ことメモリアに振ってみたが、回答は素っ気無かった。
ここには、ダンジョンに入る前に必ずと言っていいほど消耗品を補給しに来ているからわかるが、変わらず閑古鳥が鳴いている。
その店内のカウンター内で丁寧にビー玉サイズの宝石、魔石を鑑定しているメモリアはルーペを覗き込みながらこちらを見向きもせず相変わらず淡々と答えを投げ返す。
「わからないから、聞いているんだが」
「この店の現状を考えれば自ずと答えは出てきますよ」
「答えって俺以外の客がいない、閑古鳥状態で何を察しろって」
「まさに答えを言っていますよ」
そっと、鑑定が終わったのか、万年筆でサラサラと書き上げた見積書片手にメモリアはこっちに寄ってくる。
「合計して、五千四十円でよろしいですか?」
「時給九百円にもならない額だなぁ……それで、答えって俺以外客がいないのと閑古鳥状態どっちのことだ?」
最初の方でこれぐらいの額ならむしろ稼いでいる方らしいのだが、この額の六割はこのあと消耗品代として消えるので稼いでいるという気がしない。
「両方です」
「両方って……だめだ、余計にわけがわからなくなった」
金を受け取り、今度は俺が店内の品物を籠に入れながら買い物をしていると、その後ろを棚の整理をしながらメモリアがついてくる。
今更ながら、黒い作業用エプロンに白のワイシャツにスラックスというオーソドックスな眼鏡吸血鬼店員とは珍しいのでは?
今は関係ないことだが。
「単純に考えればわかることです。閑古鳥、客がいない。すなわち、テスターが少ない」
「……テスターが減っている?」
「そういうことです」
この店を利用するのは基本テスターだけだ。
そして客は俺一人だけで、時間帯のせいかもしれないがこの店で他のテスターと出くわしたことなんて数える程度でしかない。
それも週末に至っては会っていない気がする。
「考えていたより、いえ、この場合は思ったよりでしょうか、大変な仕事のようで、続けられない方が続出し退職する。そんな方が多いらしいですね」
ようやく話はつながった。
嫌な予感というものはよく当たるという。
俺の予想を裏付けるように、メモリアは肯定の言葉を返した。
要は、仕事が大変だから思ったより面白くなかった、という理由でテスターを辞めていったやつらが多いということだ。
この会社は特殊だ。
世間一般に公開できないような経営をしているせいか、情報関係の管理はきちんとしている。
すなわち、退社するにあたっても概要程度の情報すら外部に漏らしてはいけないのだ。
それの措置に追われてスエラさんの部署は休日出勤をしていたのだろう。
「ファンタジー世界に身を置いても同じことが起きるんだな」
「向こうでしたら生活を放り捨てるような行為で、こちらでは考えられませんね」
身勝手な都合で仕事を辞めて、迷惑が掛かるのはほとんどが残った側の人間だ。
私事都合だとしても、納得できる理由とできない理由では、処理する側の精神的疲労に大きく関わってくる。
故に、面倒なと溢れるように悪態が出てしまった。
「悪態をつくなら、もっとはっきり言ったほうがスッキリしますよ」
「そこは悪態はつくなとか、せめて人目につかないところでつけとかだろう」
「吸血鬼ですので」
「吸血鬼関係ないだろう」
思わず出た悪態に、彼女は嗜めるのではなく煽るように言い、さらにはその言い訳が種族特有だというものだから思わず笑いがこみ上げ、煮だった鍋のような怒りは少し温くなったように感じた。
怒り自体は残っているが、腹を立てるほどではない。
「それと、辞めたテスターの中には無断欠勤をしてそのまま音信不通になった方がいたようです。おかげで緊急処理班が出動、人事部は徹夜です」
しかし、隣の吸血鬼店員はその鍋に、新たな焼石を投入した。
「加えて、人員の減少による増員計画も前倒しでやるみたいです、おかげで人事部はしばらく残業ですかね」
「なぁ」
「はい?」
「一店員が、なんでそこまで裏事情に詳しいんだ?」
「酔いつぶれた人事部のダークエルフの方が、店終いをしようとしていたうちを居酒屋だと間違えて愚痴っていきましたが?」
「ファンタジーぃぃぃぃぃぃぃ」
大事なことなどでもう一回言おう。
「ファンタジーしっかり仕事しろ」
さっきの怒りはどこへとやら、代わりに、居酒屋のカウンターで上司や仕事に対する愚痴をこぼすスエラさんの姿が想像できてしまった。
完全に酔いつぶれて中ジョッキ片手にカウンターに潰れるサラリーマンか。
気持ちはわからんでもないが、店は間違えるなよ。
買い物かご片手に頭痛をこらえるような姿勢で、いきなり変なことを言っている俺に疑問符を浮かべるメモリアに不安要素を確認する。
「ああ、すまん。俺の現実が少し崩れただけだから。それで、そのダークエルフは」
「はぁ、大変ですね。ダークエルフの方ですか? 男性でしたので、あなたが思っている方ではないと思います」
どうやら、俺の想像した心配はなかったようだ。
さすがに、その手のイメージブレイクは避けたいところだ。
「そうか、ならいいんだがな」
しかし、彼女の仕事が大変なのは変わらない。
「差し入れでも持っていくか」
「その前に会計をお願いしますね」
わかっている。
だから、こっちを見ずに手を差し出すな。
料金はわかっているから素直に四千円を差し出すけどな!!
翌日
俺は朝早く外出をするために、装備でもスーツでもなく私服に袖を通していた。
今までタンスの肥やしになっていたが、さすがに会社の外に出るのにスーツはともかくあのコスプレとしか見られない服を着る気はないので引っ張り出してきた。
そのまま、ダークエルフの寮母に外出届を出して部屋の鍵を預け久々に社外に出たのだが、
「って、妙に体が重いな」
早速違和感が出た。
気持ち悪いとか、気だるいといった感覚は一切ないが動かす感覚が鈍く感じる。
昨日もダンジョンに潜ったから疲れが残っているのか。
「午後には戻って、ダンジョンに入るつもりだったけど今日は休んだほうがいいかねぇ?」
自分で思っているよりも疲れているのかもしれない。
鈍い以外に違和感のない体を動かし車に乗り込み、さっさと目的地に向かうべく車のキーを回す。
一ヶ月も放置していたのにもかかわらず、素直にエンジンがかかってくれたことに感謝し、これから度々使うことを検討する。
「えっと、目的地はと」
スマホで目的地を調べ、そのままナビモードにする。
駐車場を出て運転していると通学路と重なり割と早い時間帯のせいか学生服をきた高校生くらいの学生たちが通学していく姿が見える。
「ああいったやつらが召喚されてしまうのかねぇ」
半年も前の俺だったらそんな話は小説の中だけだろうと鼻で笑い、それよりも仕事を片付ける方法を考えただろう。
それが、紆余曲折して神隠しの一つの正体を知ってしまったのだ。
赤信号の待ち時間の間だったが、ああやってバカをやる学生たちの姿がふとした拍子で別の世界に飛ばされてしまうのだろうか。
世の中は小説よりも奇抜にできているのかもしれないと考えているうちに背後からクラクションを鳴らされてしまう。
「おっと、青か」
信号が切り替わったことに気づき、再び走り出す。
そのまましばらく走れば、目的地に着く。
「マジか」
その目的地を見れば既に人が店の前に並んでいた。
都内のおすすめのケーキ屋で検索した結果がこれだ。
近くのコインパーキングに駐めて歩いてきたが、時間は八時前、しかも平日だ。
それなのにこれだけ並んでいるというのは、どれだけ人気があるのか窺うことができる。
「想定が甘かったか」
ケーキだけに?と、うまくもないギャグを考えながら自分の予定の甘さを嘆く。
異世界といっても相手は女性、甘いものがいいと思っておいしい店で検索し、人気の店だからそれなりに早く出れば平日だし大丈夫だろうと油断していた。
「仕方ない、並ぶか」
今日はダンジョンには入れないかもと、頭の中で予定を組み直して列に並ぶ。
結論。
俺はしばらく、人気と名のつくケーキ屋には並ばないだろう。
「三時間待ちとか、これが普通なのか?」
他の店を知らないからなんとも言えないが、少なくともこれ以上並ぶ店は遊園地とかにあるフードエリアぐらいじゃないだろうか。
並び始めて開店まで一時間、さらにそこから二時間となればいくら最近鍛えていたとしても体には響く。
運動とは違った疲労感を感じながら帰社したのはお昼も手前の時間帯、フルーツがたっぷり入ったロールケーキを渡すには丁度良いのかもしれない。
私服のまま会社に入るというのも違和感があるが、社員証も財布の中にあることだし問題はないだろう。
部署の人数分を考えて五本も買ってきたためか箱は二つと、ケーキの買い物にしては多い。
駐車場から社内へ、そしてエレベーターに乗って目的の部署がある階層のスイッチを押す。
エレベーターから降りれば、そこは
「戦場?」
ダークエルフや悪魔の怒号が飛び交い、書類の束を持ったゴブリンたちが右往左往と走り回り、パソコンを覗き込んでいる吸血鬼が片手間に書類をさばき、陣頭指揮を執るように中央で念話と声で指示を出すエヴィア監督官がいた。
納期間近の修羅場を彷彿とさせる光景が目の前に広がっていた。
誰もが忙しく、ケーキ片手に私服姿な俺がすごく場違いなような気がした。
「処置部隊に連絡しろ!!」
「もうやってるよ!! 県外の方へのルート予測出てるか!!」
「ハラヘッタゴブ」
「モウミッカナニモタベテナイゴブ」
「A班に三十分の休息を、代わりにB班を動かせ、記憶処置のためにリッチを呼び出せ。場所は第三処置室だ。どうせ、あそこのダンジョンはいま閑古鳥が鳴いている。徘徊している奴を適当に引きずり出してこい!!」
「この書類があっちで、あの書類を用意して、決済印をもらって」
「書類が一枚二枚三枚四枚五枚……一枚足りない?」
一番ゴブリンのところが平和そうだが、彼? 彼女? どっちかわからないが走り回っているところを呼び止めるのもどうかと思う。
一応、スエラさんの方を見れば、彼女も電話対応でどこかに連絡を取っている。
「ええ、ではお願いします」
だが、タイミングがよかったのかちょうど電話が終わった。
「大変そうですね」
「次郎さん、どうしたんですか? 報告書なら問題ないですがなにか、もしや!?」
擬音で示すなら、ワシッ!!だろうか。
大変そうだが冷静さを保っていた表情が一変、何に思い至ったか、二の腕あたりを掴まれ、逃がしてなるものかと鬼気迫るような意思を強く感じた。
「じ、次郎さん、あなたももしかして辞めるとか!?」
スエラさんの声で、なぜか修羅場がシンと静まり返ってしまった。
「え? いや――」
「どこに問題がありました!? 福利厚生でしたか!? 給与面ですか!? 仕事場の環境ですか!? はっ!! もしや、人間関係ですか!?」
視線が突き刺さるとはこのことだろうか、多種多様のファンタジー種族の方々が俺たちのと言うより、スエラさんがすがりつき傍から見ると俺を説得しているようにしか見えない。
「そ、そんな、唯一の成果が」
視線による針のムシロ、端的に言えば居心地が悪い。
故に何を言えばよかったのかわからず黙っていたのだが、かえってその態度が悪かったのか、ずり落ちるように崩れ落ちてしまった。
私服姿が辞めると思われ、加え最近退職者が増えているらしいから勘違いを生んでしまったのだろうか?
だとしたらタイミングが悪かったのだろう。
少々、罪悪感に苛まれながら、とりあえず誤解を解くために当初の予定通りさっさと渡してしまおう。
「えっと、大変そうだったので、差し入れを」
周りの空気に圧迫されながら、ロールケーキをダークエルフに差し出す人間なんて俺が初めてじゃないだろうか?
「差し、入れ?」
「はい、疲れた時には甘いものがいいと思って、みなさんで食べられるようにケーキを買ってきたのですが……足りますかね?」
最初見たときは少なくともゴブリンはいなかったので、二十人くらいが食べても余る量を買ってきたのだが、現状を見ると逆に足りるかわからなくなってしまっている。
とりあえず、おずおずと手を差し出してきたのでその上にケーキの入った箱を載せてみる。
「……もしかして甘いもの嫌いでした?」
あまりにも無反応だったので、甘いものが嫌いであるかとも思ったが。
「ふむ、ジュエルムのロールケーキか、意外とセンスがいいな」
「監督官」
横から持ち上げるように、エヴィア監督官は俺が持っていたケーキ箱を受け取り箱に描いてあったロゴを見て感心したように頷いた。
「直接渡したスエラはともかく、この量では足りんな……よし、各自仕事が一段落したものから食べてよし! 仕事の遅いものには残さん!」
止まっていた時計が動き出すようにオフィスは再び騒がしくなった。
そんな光景を無視するかのように、除菌ティッシュで手を拭ったエヴィア監督官は指先に魔力の刃を作って、一切れ分を確保し食べる。
食べ歩きの学生みたいな食べ方だが、その仕草は優雅に見えてしまう。
「うまいな、次に持ってくるときはもう少し静かに持ってこい」
「は、はい」
如才なく場の空気を入れ替え、立ち去っていく姿は正しくできる上司だった。
「あの、辞めないんですか?」
「辞める理由がないんですが」
「はぁぁぁぁぁ」
脱力という言葉が似合うため息を吐いて、ようやくスエラさんは起き上がってきた。
「寿命が三年くらい縮みました」
それは、ダークエルフ流のジョークだろうか。エルフという種族は長命で中には寿命がないという説もあると聞いたことがあるのだが
「なにか、騒がせてしまってすみません」
「いえ、私も勘違いしてしまってすみません」
「その、甘いもの大丈夫ですか?」
「ええ、嫌いどころか大好きですよ、それにこちらの甘味は食べる機会が少ないのでこういった差し入れは大歓迎ですね」
監督官と同じように指先に魔力の刃を作ってロールケーキを切り分ける。
「ああ!! スエラずるい!!」
「なら早く仕事を片付けることです」
それを見て向かいの席のダークエルフの女性が叫ぶが、どこ吹く風のスエラさんはさらりと受け流し、魔法で取り皿とコーヒーを引き寄せた。
「せっかくですし、いかがですか?」
「お言葉に甘えます」
近くの空席の椅子を引き寄せ、コーヒーを受け取る。
時折感じる恨みがましそうな視線は無視の方向で対処するとしよう。
Another side
ほう、と彼が雑談とともにコーヒーを飲み終わり少々騒がしくなったが、概ね何事もなく立ち去って思わずため息を吐いてしまう。
「すえら~」
「なんですか、ケイリィ」
「惚れた?」
「ゴホッ!?」
てっきりケーキを食べられなかった恨み節の一つや二つが出てくると思い、軽く受け流そうと構えていたが、予想の斜め上を行かれた同僚であり同じダークエルフのケイリィの言葉でむせてしまい、コーヒーが気管に入ってしまった。
「ほうほう、その反応を見る限り脈はあるのかな?」
「い、いきなり何を!?」
「いや、この前ロイスの誘いを『忙しい』の一言でバッサリ切り捨てていたからてっきり男には興味がないんだなぁって思ってたけど、なるほど、彼がいたからかぁ」
「もう、残業になっても知らないわよ」
からかうケイリィの言葉をどうにか流して、仕事に取り掛かる。
「残念ながら、もう目処は立っているから大丈夫なんだなぁ、これが」
だが逃がさないと笑う、付き合いの長い友人にため息を吐いてみせる。
「あなたになくても、私にはあるの」
だから邪魔しないでと言うつもりだったのだが。
「ふむ、貴様は興味がないとしても、向こうはどうかわからんぞ」
「エヴィア様」
コーヒー片手で現れた上司(エヴィア様)は普段の態度と見た目に反して、悪魔らしく、人を弄るのが好きでこういった話には目がない。
そして鼻が利く。
「この報告書を見る限り、仕事もできる。機王の話を聞く限り、奴の行動はかなり参考になっているようだ」
片手に彼の報告書を持っているのは絶対に偶然ではない。
こっちの様子を察知して、話に混ざるために用意したに違いない。
「そうですか」
裏がなければ喜べた話であるが、この人の話に裏がないということはほとんどない。
悪魔というのはそういった種族だ。
「そうつれなくするな。最近、やれ仕事が辛い、割に合わない、体調が悪い、挙句に逃げ出して後始末もしない人間の惰弱さには辟易していたところだ。そこに朗報と言わずとも、明るい話題が出たのだ、休憩がてら上司の話に付き合うのも悪くはないと思うのだがな」
笑顔でどうにか話を打ち切ろうと短く返したが、通じるとは思っていない。
明るい話題、それは私のことだろう。
逃がす気はないと笑顔で語るこの人に逆らっていいことは絶対にない。
実力的にも立場的にも、そして、殊に、人を転がすことに関してこの人の右に出る方は存在しないとまで言われている。
気づいたら、すべてを告白していてもおかしくない状況で、下手に抵抗するよりもある程度話して、ダメージを減らす方が上策。
向かいの席の友人は、心強い味方を得たと言わんばかりに満面の笑みです。
これは覚悟して、挑まなければ。
「あの、仕事があるのですが」
せめてもの抵抗で、僅かな可能性にかけてみる。
「ふむ、さすがに部下に残業を強いるわけにはいかない……か」
てっきり、問題ないの一言で切り捨てられると思ったが、意外と好感触な反応に心浮かばせる。
さらに、一瞬考える素振りを見せるので、思いのほか簡単に事が進むかもしれない。
「そこに暇をしている奴がいる。今の仕事の半分をやらせろ。そうすれば私と話す程度の時間は取れるだろう」
「え゛」
だが、どうやら淡い思いであったようです。
時間をつくるために友人が生贄に捧げられただけで、最初の予想通り逃げ道はないみたいです。
さっきの仕事に終わりが見えた宣言を言った友人には、エヴィア様の魔法で私の机にある書類の半分がケイリィの机に移動させられた。
顔は、見ないでもわかります。
きっと、楽しもうとしていた笑顔が固まっているだけでしょうから。
「これで余裕はできたといえ、現状忙しいのは事実だ。よって、回りくどいのは無しだ」
まぁ、それは私も一緒でしょうが。
たらりと垂れる冷や汗が私の心内を表してくれる。
「さぁ、私を楽しませろ」
そこから私は洗いざらい、出会ってからの一ヶ月と少しにあった出来事を全て吐かされた。
面接の時に見た表層の記憶から彼のどこかひねくれているが真面目な性格に触れ、研修で努力する彼のひたむきな姿を見て、鬼王様や不死王様に挑む勇敢な姿を見せつけられ、何度見惚れたことか、治療するたびに笑顔でお礼を言ってくれる時に私の胸は暖かくなっていた時など、全て、話してしまった。
「クククク、やはり、ダークエルフの恋話ほどコーヒーに合うものはない」
おかげでエヴィア様の希望通り楽しませることはできたが、私の心情は穴があったら潜り隠れたいと思うほど火照っていた。
向かいの席で仕事をしながら聞いていたケイリィなど、悪魔だと、何を今更と言わんばかりの感想を言っていた。
せめての抵抗など、児戯だと一笑し、まさに無駄な抵抗と言わんばかりに根掘り葉掘り聞かれてしまった。
「まだ、恋とはいかないが気にはなっているか。青い果実、いや結構、存分に堪能させてもらった。スエラ、お前は案外、ダークエルフにしては男を見る目はあるみたいだぞ」
ここまで機嫌のいいエヴィア様を見るのは久しぶりだが、できれば当人ではなく他人事で眺める位置でいたかった。
ダークエルフは種族柄色恋に淡白である反面、一途で情熱的でもあるのだ。
興味のない相手には常にそっけなく、友好以上の感情を決して抱かない。
だが、逆に狭い範囲にいる興味を抱くに値する異性が現れたら、それこそ速さの違いはあれど底なし沼にはまるように意識をずらせない。
なので、悪い男に引っかかったダークエルフが悲惨な結末を迎えたなんて話は聞きあきるほど事欠かない。
エヴィア様の、男を見る目があるとはそういうことだろう。
「いい休憩になった。礼を言うぞ」
「はい」
そう言って立ち去るエヴィア様に冷静に返事をしたが、それとは裏腹に私の両手は熱を逃がすように両頬に当てられ、しっかりと私の手のひらは熱を伝えている。
褐色の肌でも隠せないほどおそらく私の顔は赤くなっている。
加えて、ここはオフィス、私の席はエヴィア様に近いためか中央寄りの配置だ。
そのため、チラリチラリと通り過ぎる同僚に事欠かない。
当然さっきまでの話を盗み聞く同僚に事欠かないということ。
中には、そっと親切にその場から離れてくれる同僚もいたが、娯楽に飢え、晩婚一族のダークエルフは絶対に耳をそらしたりはしない。
公開処刑だ。
思考もグルグルと空回りを繰り返し、最終的にはこの場にいることができないほど顔が熱いことがわかる。
最早、仕事が手につくわけがない。
一瞬、なにか悟るように熱が引いて冷静になれた。
その間を逃さず、手早く机の仕事をまとめ持ち上げる。
「ス、スエラ?」
「お願いしますね?」
「え、でもこれ」
「オ・ネ・ガ・イ?」
多分、私は今、人を殺せる笑みをしているだろう。
だが、構うことはない。
いや、構うことはできない。
「はい、やらせていただきます」
書類の束を、ケイリィに押し付けて、冷静にオフィスを後にしたら
「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「よう、スエ、ばへら!?」
きっとさっきの冷静さは嵐のまえの静けさだったのだろう。
今まで我慢していた羞恥心を少しでも晴らすように、声にならない叫びを上げながら、魔力を全開にして走り出す。
「ロイスが轢かれた!!」
「おい!! 誰か担架もってこい担架!! 壁にめり込んでやがる!! おい!! 巨人族のやつ誰でもいい!! 引き抜くのを手伝え!!」
「おいやべぇぞ!! なんか変な痙攣してるぞ!!」
途中誰かにぶつかった気がするが、そんなことを気にしている余裕はない。
可能であれば、この噂が立ち消えるその日まで部屋に引き篭りたかった。
Another side END
スエラ・ヘンデルバーグ 二百十歳 独身 彼氏無し
職業 MAOcorporation(魔王軍) 人事部テスター課主任
魔力適性六(副官クラス)
役職 精霊魔法使い
今日の一言
二百十年の歳月を経て、恋というものを知りました。
ですが、できればこういう形で自覚したくはありませんでした。
今日はこれまでです。
誤字脱字等ありましたら指摘の方を、感想をいただけたら幸いです!!
これからも、本作をよろしくお願いします。