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756 タダよりも高いものはない

 

 Another side



 エヴィアは研究室の中央で、当人にしては珍しく大きく深呼吸をした。


 大事な儀式であっても、彼女なら飄々とポーカーフェイスを維持してなんとなしにそのまま事を成し遂げて見せる。


 そんなイメージがあった彼女の配下から、これから行われるのがそれほど難しい儀式なのだと、改めて認識して生唾を飲む音が響く。


 その音も雑音として認識しそうになりそうな空気感で、エヴィアはそっと前に一歩踏み出した。


「始めるぞ」


 ただただ短い言葉で、一斉に研究員たちは動き出す。


 様々な素材の配置に間違いはない。


 そして中央に鎮座する神器を中心にした魔法陣が瞬く間に輝き始める。


 その魔力の根源であるヒミクは、祈るような姿勢で跪き魔法陣に魔力を注ぎ続ける。


 莫大な魔力の奔流、一つ一つの魔力回路が悲鳴を上げるほどの魔力の流れ。


 こんな事をすれば、本来ならあっという間に魔力回路が焼き切れてショートし、この儀式は失敗に終わる。


 だが、それを操作する指揮者たるエヴィアによって、その激流も必要な勢いに変化する。


 タンっとこの場では似つかわしくないほど軽やかなステップ音が響く。


 それを皮切りに、素材たちの歌声が響く。


 魔力の流れが来るたびに、まるで妖精たちの歌を奏でるがごとく、魔力共鳴が引きおこる。


 全神経を聴覚に集中し、その魔力共鳴をエヴィアは聞き分ける。


 雑音を混ぜることを禁忌とするかのように、ステップのリズムを崩さず、そして均等に魔力が行き渡るように、魔力経路の負荷の限界を見極め、踊る。


 タタタと短く、ターンと長めにステップ、その繰り返しをしたかと思えば、いきなりリズムが変わり、いっきにスローペースになったりと、素材たちのご機嫌の変化にエヴィアの額に玉のような汗がにじむ。


 素材というものは、本来であれば物理的な過程を隔て、融合していく。


 金属であれば鍛冶。

 薬物であれば調合。

 歌であれば合唱と、方法が異なる。


 魔法陣による儀式で無理やり、一つの物体に合成しようとするのは、物理学に真っ向から喧嘩を売るような所業。


 しかし、配下たちは今、奇跡を見ている。


 天使が沸き立たせる、魔力の泉の奔流の中心で悪魔が躍る。


 相反する存在たちが、神の奇跡に挑んでいる。


 心の中で、美しいと思った。


 作業を止めることはしない、それをしたらこの美しい光景が汚れてしまう。


 それを理解してしまった。


 終わってほしくない。

 だが、汚れてほしくない。


 二律背反。


 見続けたいという気持ちと、邪魔したくないという気持ちが生み出され、配下たちの集中力も増す。


 そんな気持ちを知ってか知らずか。


 用意した素材たちに、変化が訪れる。


 ミスリルやオリハルコンが徐々に溶け出す。


 幻獣種たちの素材に淡い光が纏いだす。


 概念素材たちが魔力に溶け込みだす。


 一つ一つの素材たちの形状がほころびを生じさせ始めたのだ。


 固体が液体になるかのように、徐々に溶け出し、それが魔力の奔流に乗り、流れ始める。


 最初はゆっくり、そして徐々に溶け込むように素材たちが液体になっていく。


 融点に達していないはずの金属たちが液体となる。

 溶けるはずのない生物たちの素材も液体となる。


 そして、概念素材たちが魔力に溶け込む。


 魔力の流れが、だんだんと異質なものへと変化する。


 流体的な気体のような魔力が、質量を帯びて、粘質を帯びた液体のような形状へと変化する。


 その色は黄金のような、はたまた白銀のような煌めきを宿し、徐々に魔方陣の中央に集まっていく。


 魔方陣の中央に鎮座する神器は、そのままなすがままにその液体を纏い、そして形状を変化させていく。


 まるで錆を落とすかのように、表面にこびりついた穢れを剥がしながらその液体は神器にまとわりつき、徐々に神器と融合を果たしていく。


 神器に固着できたのならあとは大丈夫かと、安堵の雰囲気が流れそうになるが、ここで一気にヒミクの魔力放出が増えた。


 いったいなぜ、と配下たちが疑問を浮かべたが。


 その疑問符は一瞬で消し飛ばされた。


 神器からの反発。


 錆のような穢れが剝がされたことによって、神器が目覚めたのだ。


 まるで寝起きの駄々っ子のように、未知の力が暴れ狂い始める。


 荒れ狂う神器から放たれた衝撃波で作業員であった配下のうち数名が壁まで吹き飛ばされた。


 意識は保っているが、そのうち何名かは体を痛めたのか、あらかじめ渡されていたポーションに手を伸ばして飲み、急いで持ち場に戻っている。


 ヒミクが魔力を込めなおしてくれたおかげで、神器にまとわりつく物体は無事、融着しようとしてくれている。


 だが、それでも抵抗するかのように神器が発光して、それと同時に衝撃波が出る。


「エヴィア様!!これ以上は危険です!!陣が持ちません!!」


 観測している配下から、魔方陣に逆流するエネルギーを感知して、それが想像を超える負荷を叩きだしていると警告が入る。


 魔方陣が崩壊すれば、下手をしなくても、この空間に甚大な被害を及ぼす。


「続行だ」


 それを理解できないエヴィアではない。


 汗を拭わず、それでも舞うことを止めず、魔力と融合物質、そして神器からの波動を調和させようと指揮するエヴィア。


 それはまるで、神の怒りを鎮めるために奉納の舞を捧げる巫女のように、彼女は最も危険な位置から避難しない。


 そしてそれは彼女にとって当たり前の行動であった。


 理由はいくつかある。


 一つはこの儀式が戦況の趨勢を決める文字通りの鍵になるから。

 二つ目は、彼女自身この儀式をまだ失敗していないから。


 そして三つ目は。


「ああ、続行できるぞ。エヴィア!!」


 力強く言霊を発して、それを裏付けるように玉のような汗を流しながらもいつもの笑みを浮かべて魔法陣の負荷を一身に引き受けるヒミクがいるからだ。


 もし仮に、この儀式を中断するというのなら、最後に避難できるのはヒミクだ。


 この儀式の魔力を制御しているのはエヴィアだが、動力源はヒミクだ。


 神器に張り付くまでの時間だったら素材を失うというだけで失敗はできた。


 だが、今は暴走しかけている神器を抑えるという役割が残っている。


 少しでもヒミクからの魔力供給が止まってしまうと神器からの反撃が来てしまう。


 そうなればダンジョン内に作っているこの空間がどうなるかわからない上に、この神器がどうなるかもわからない。


 エヴィアは頼もしい彼女の言葉に背中を押されて、さらに一歩、ステップを踏み、魔力の流れを整える。


 さっきまでの舞が、穏やか、そして静かといった緩やかな流れだとすれば、ここからはスイッチを切り替えたかのように激流を泳ぎ切るような激しい動きへと変わる。


 神器に纏わせるべき液体を手足のように操るその姿は、黄金の海を従えた天女のごとし。


 苦悶の表情など欠片も見せず、むしろヒミクの言葉に口元に笑みを浮かべるほど。


 そして周囲の配下を鼓舞するかのようにダンと力強いステップを踏み込めば、危険を感じ、少々弱気になっていた配下たちは、奮起する。


 自分にできることの最善を、上司の美しくも力強い姿に自分もついていこうと一人一人が覚悟を決めた。


「……」


 空気が変わった。


 最初は緊張感に包まれ、次に、これくらいならとリラックスするような雰囲気に、神器が覚醒したときに絶望に包まれかけ、今は、わずかな恐怖心を抱えながらも勇気をもって前に進もうとしている。


 エヴィアは流れが良くなっていることに、気づきつつ、その気持ちは表に出さず、最善の舞を踊る。


 〝掴んでいるなエヴィア〟


 だが、その気持ちを察している堕天使は心の中で悪魔の舞の変化を感じた。


 さっきから無理矢理な魔力の放出に体は軋み、悲鳴を上げているが、この程度の痛みなんてことはない。


 それがむしろ成功への礎になっていることをヒミクは察している。


 自分が全力で流している魔力をうまく使って、エヴィアが神器を磨きなおしている。


 それも初めて触る代物にもかかわらず、不要な錆を落とし、必要な箇所に補填しているという最早神業としか言いようのない行為。


 不可思議な物質が流れるように、神器に触れるたびに錆は落とされる。


 錆で欠けた部分は付着した液体が徐々に癒着し、その元の形状を取り戻すように形が変化していく。


 単純な行為の繰り返しだが、それは絶妙な力加減に加えて、常に危険と隣り合わせ。


 神器の駄々は感情の赴くままに周囲に当たり散らすように暴力を振るう。


 それをエヴィアが用意した素材で防ぐという繰り返し。


 一撃でも貰えば、ただでは済まない。


 そんな危険地帯での舞は続く。


 全神経を集中させて、針の穴に糸を通す繊細さを維持しながら。


 悪魔は踊り続け、その舞踏を堕天使が支える。


「おお!これは」


 それを観測している配下が、ついに神器の変化が訪れることを発見する。


 錆はてた神器は徐々に輝きを取り戻し、欠けた破片が補填されて真の姿を取り戻し始める。


 高天原につながる黄金の鍵が姿を現した。


 しかし、その鍵は特殊な形をしていた。


 鍵穴に差さる先端を持っているのに、その根元にはリング状の輪が三つ備わっている。


 鍵を差した後に、その輪も鍵穴に嵌めないといけないのか。


 咄嗟に観測していた配下はその形状の意味を把握しようとしたが、タラリと鼻血が垂れたことによって、意味を理解することに危険性を感じ取った。


「エヴィア様!!」


 意味を理解しようとするだけで、脳に負荷がかかる。


 これは、物質的な鍵だけではなく、概念的な鍵の意味も備えているとわかり、それを警告しようと配下の一人は叫ぶが。


「!?」


 慌てるなと、流し目でエヴィアはその配下の動揺を諫めた。


 危機的状況だというのにもかかわらず、その美しさに配下は息をのむ。


 きっとこの瞬間だけは、女神を含めてすべての女性の美しさの頂点に君臨したのではと配下は思った。


 危険だというのに、そんなことは関係ないと神器を直し続ける。


 命を賭して何かを成し遂げる女性というのは、美の女神よりも美しいのではとこの瞬間思った。


「仕上げだ!!ヒミク!!」

「ああ!!」


 その美しさにも終わりが来る。


 悪魔が叫び、堕天使が地面から立ち上がり、空に舞う。


 広くとも、限定的な空間でとれる高度はたかが知れている。


 堕天使は空を飛びその三対の翼から魔力を発して、魔法陣を一気に覆う魔力の膜を展開した。


 結界とは違う。


 ただ魔力だけを閉じ込めるだけの行為。


 それはエヴィアをその空間に閉じ込めてしまう。


 だれもがその後に注目する瞬間、神器が最後の駄々をこねる。


 大暴れするように、波動を出し、密閉された空間を突破しようと試みるが。


「大人しくしろ!!」


 ヒミクはそれを防いで見せた。

 一瞬、膜が揺れ、崩れそうになったが、それを立て直した。


 見れば、ヒミクは歯を食いしばり、その口元から血が垂れていた。

 血を吐き出すのを堪えるほど体の内部を痛めた証拠。


 だが、その代価で一瞬、一呼吸の静寂が生まれた。


 それだけの猶予、それだけの時間があれば十分だ。


「これで、終わりだ」


 衝撃波の真っただ中にいたのにもかかわらず、無傷で立つエヴィアは、一瞬ですべての素材を溶け込ませた黄金の液体を神器にまとわりつかせ、黄金の繭を形成した。


 包まれた瞬間の神器は、早鐘を打つ心臓のごとし、ドクンドクンと何度も何度も、その繭を打ち破ろうとしたが、一秒、十秒と時間が過ぎるにつれて、鼓動は収まる。


 最終的な静けさを隔て。


「……成功だ」


 悪魔が、成功だと言った瞬間にこの場には大歓声が響くのであった。



 今日の一言

 タダ働きなんて論外中の論外である


毎度のご感想、誤字の指摘ありがとうございます。

面白いと思って頂ければ、感想、評価、ブックマーク等よろしくお願いいたします。


現在、もう1作品

パンドラ・パンデミック・パニック パンドラの箱は再び開かれたけど秘密基地とかでいろいろやって対抗してます!!

を連載中です!!そちらの方も是非ともよろしくお願いいたします!!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 戦場にいない嫁さん達もそれぞれの戦場で戦ってる事が分かったこと [気になる点] エヴィアさん、お腹の子だいじょうぶ? 妊婦にも少しの運動は必要だけど、ここまでの運動は求められてないような気…
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