677 噂と真実どちらを信じるかはその人次第
Another side
さて、いきなりであるがイスアルの住人にとって魔王軍とはどういう存在か。
どういう認識を持っているか。
一言で済ませるのなら悪鬼で済む。
傍若無人。
極悪非道。
子供に悪さをしたら魔王が来ると、なまはげのような言い聞かせをするくらいにイスアルという世界では魔王軍の存在は悪として周知されている。
それが常識、それが普通。
そう、戦争の準備のしわ寄せで若い働き手が徴収され、税金が上がり、生活が苦しくなっているのもすべて魔王が悪いのだ。
そう役人や貴族たちは、平民に言い聞かせ責任転嫁をしている。
息子が、夫が、弟が、戦場に旅立った。
残った幼い子供、妻、老人が帰ってくる住居を守ろうと必死になっていても、貧困はその必死さをあざ笑うかのように民を苦しめる。
「母ちゃん、腹減った」
「ごめんね、もうこれしかないの。明日になればもう少し食べれるから」
頬がこけた母親が、ふっくらとしていたはずの子供の頬が段々と痩せていくのを悲しくなりつつも必死に工面した食料を見せる。
かご一杯にとまでいかない。
女性が持つにしても少し小柄なかごに六割ほど埋まった野菜たち。
これが親子で一週間喰いつがないといけない食事の量。
絶対に足りないと叫びたい気持ちすら湧かない。
その野菜を家に置いたら痩せた体で、少しでも多くの農作物を育てようと子供の手を引いて、自分も空腹で倒れそうな体を引きづって、残った片手で鍬を持って畑に向かう。
女性の向かう畑まで少し距離があって、その途中で女性と一緒に痩せた村人たちが明日を生きるために畑を耕している。
だけど、ここで育った野菜たちもそのまま自分たちの食い扶持になるわけではない。
戦争で上がった税で半分以上持っていかれる。
太陽の日差しが、自分たちを照らしても、自分たちの未来は明るくならない。
夫たちが兵士として旅立った最初は、すべて魔王が悪い。
自分たちの生活を脅かす魔王がすべて悪いと役人たちや神官たちの言葉を信じた。
だけど、怒りや憎悪は空腹には勝てない。
日々の生活が苦しくなるにつれて恨みを見たこともない魔王に向けようとしても、それよりも現実で食料を夫を弟を家族を連れ去っていく役人たちの方に不満が募る。
自分たちはこんなに痩せているのに、頬が丸々と太った役人たち。
十分な食事もとれないのに、これだけしか用意できないのかと納税の少なさに不満を漏らす役人たちの無茶振りに村人たちの心は折れかけていた。
ああ、これは夢なんだとどこか現実を見れなくなった女性は自分の畑について、子供に手伝いを頼んで畑仕事をしようとした時にそれは来た。
「た、大変だ!!みな、家の中に隠れろ!!」
戦争に連れていかれなかった、初老の男が険しい顔で走りながら叫ぶ。
「魔族だ!!魔族が来たぞ!!」
その内容を聞いた途端に、もうろうとした意識が一気に目覚め、女性は子供の手を取って必死に家に駆け出した。
周りの村人たちも似たようなものだ。
足をもつれさせながらも、自分の家に必死に走る。
明日もわからないやせこけた村人であっても、命は惜しい。
生きていればきっといいことがあると信じて生きてきたのだ。
諦めることはできない。
だけど、それも終わりかもしれない。
役人たちの言葉を信じている村人たちは、悪鬼羅刹の魔王軍が来たことに絶望を隠せていない。
ここは小国の辺境の村。
武器を持てる男衆は戦場に向かい、兵士となれる人は誰もいない。
猪にも怯え、ゴブリンを必死に振り払う程度が関の山の村人たちは息をひそめ、恐怖が過ぎ去ってくれるのを待つことしかできない。
女性が子供の手を取って、家に入り、閂をかけて、机の下に体を滑りこませて、子供を抱きしめる。
「神よ、どうか私たちをお守りください」
できるのは神頼みだけ。
起きるかどうかわからないどころか、起きないことが日常の神の奇跡を信じた。
大国にいる、勇者が突如としてこの村に現れて悪鬼たちを追い払ってくれると信じて。
だけど、この祈りは届かないと女性は知っている。
でなければ、せめて子供だけは守ると必死に抱きしめはしないだろう。
そしてこの瞬間だけ、村人はこれからくる破壊を想像しただろう。
「……」
「母ちゃん」
「大丈夫、大丈夫だから」
怖い、怖いと、恐怖心を抱きながらじっと待っていると。
『おーい、こっちだ!!こっちに持って来てくれ!!』
破壊音ではなく、何か大きな声で何かを呼び寄せるような声が響いた。
『こっちは、これでいいだろ』
『少なくねぇか?』
『んじゃ、もう一袋追加しておくか』
それも家の前で、何かしている。
もしかしてこれから家を壊されるのか、そう思って体を強張らせているけど、ドアを叩くような音は聞こえず、代わりに地面にドスンドスンと何かを置く音が聞こえる。
『おーい!!そっち終わったら撤収だ!!』
『おお!』
そして、その音が聞こえたのを最後に、静かになる。
十分、二十分と警戒したが、一向に襲われる音は聞こえない。
「どこか行ったのかしら」
「母ちゃん」
「あんたはここにいるのよ、何かあったらそこの壺の中に隠れなさい」
ずっと警戒し続けるのは難しい、だから、心配になって外を見ようと恐る恐る閂を外して扉を開けてみる。
「え」
外は荒れ果てているのだろうと思ったが、そうじゃなかった。
思わず、間抜けな声が漏れてしまう光景だった。
「これ、全部食べ物?」
家の前に置かれた大量の食べ物。
最初は夢か幻かと思ったが、瞬きしても消えない。
恐る恐る一番上の野菜を手に取ってみれば、そこには見たことのないしっかりとみずみずしい赤い野菜、トマトが手に収まっている。
「なんで?」
魔族は恐ろしい存在。
そう聞かされているのに、何で魔族が食べ物を家の前に置いていったんだ?
女性の脳裏に浮かぶのは疑問。
何かの罠?
もしかして、この食料に毒でも入っているのだと思ったが、ここは貧しい村。
防備もない、こんな辺境の村相手にそんな手間のかかる方法をするだろうか。
そう考えるも、本能が手元にある野菜を見て、空腹感を伝えるお腹の音を鳴らす。
見たこともない野菜。
だけど、本能がこれを食べ物だと認識している。
これが魔界の食べ物だと言うのなら、もし口にしたら大変なことなるかもしれない。
魔界は恐ろしいところだと神父様も言っている。
もし仮に、その国の食べ物を口にしたら自分も魔族になってしまうのでは、化け物になってしまうのではと恐れが生まれる。
だけど、だからと言って、このみずみずしい野菜を地面にたたきつけられるか。
その女性の葛藤が、一瞬だけよぎり。
結果。
恐る恐るという形で女性は、赤い野菜、トマトに口を付けた。
空腹に勝るスパイスはない。
「美味しい」
その見た目からは想像できないほど、甘く、程よい酸味が女性の口内に広がった瞬間、女性の瞳から涙が流れた。
そこからは止まらない。
手が汚れることも、顔が汚れることも気にせず、むしゃぶりつくようにトマトを食べる。
「ああ」
食べてしまったと言う後悔よりも、食べたことによる幸福感が大きく。
そして、残った食料を見ればまだまだ生きていくには十分な量の食料があることに安心感が出る。
なぜ、魔族が食料を置いていったのかは知らない。
だけど、これだけあればしばらくは生きていけるそんな希望がもたらせた。
「母ちゃん、泣いてるの?どこか痛いの?」
「ううん、ちがう、違うんだよ」
常識を考えれば、この食べ物は捨てるべきだ、手を付けるべきではない。
それはわかっている。
だけど、生きるためには必要なことがあると言うのも理解している。
涙を拭いながら振り返ると不思議そうな息子の姿が見える。
そして、よく見れば女性の近所の家にも同じような量の食料が配られている。
最初は戸惑い、疑っていたが、空腹には勝てない。
一人、また一人と食料に手を付けて、涙を流していく。
大儀で人の心は奮い立つかもしれないが、大儀で人の腹は膨れない。
我慢を強いて、それを当たり前のように考えるのはおかしな話だ。
この食料が配られるという行為は一時的と言え、この村を救った。
明日を生きられると言う希望は、確かにこの村の心にゆとりをもたらした。
「これって、食べ物?」
「ああ、そうだよ。今日はお腹いっぱい食べようね」
子を思う故に、これが誰から渡されたかを口にすることはなかった。
だけど、心の中で女性は初めて、魔族に感謝した。
世の中にはいい魔族もいるのかもしれないと思った。
大義を口にし、それを強いる人よりも、何も言わずに食料を置いていった魔族に感謝するのも常識はずれな行動かもしれないが、それでもいいと女性は思った。
「え、いっぱい食べれるの!」
子供が喜ぶなら、それでいい。
割り切って、食料を家の中に運び込む。
もしかしたら、警戒心でそれを拒否する村人もいたかもしれない。
だけど、この村は既に限界が近かった。
餓死した家もあった。
助け合うことができない、そんな極限の状態でこの食べ物を拒否できる住人はこの村にはいない。
「ああ、母ちゃん腕によりをかけて美味しいご飯作るからね」
そして辺境の小さな村に、一つの常識が生まれた。
もしかしたら魔族にも良い魔族がいるのかもしれないという、ちいさな疑問が混じった常識だ。
その常識はじわじわと広がっていることをこの時、女性は知らなかった。
戦争という行為はイスアルという世界で、大きく民に負担を強いた。
大国であれば、それを計算して備蓄を削るなどして民の負担を減らせた。
だが、見栄を張るだけの小国はそうはいかない。
大丈夫と言い切り、民が頑張れば問題ないと見切り発車を決めて、実際に最初ができるのなら次もできると思い込み、重税を課す。
それによってどれだけの国力が減少するかを彼らは考えない。
そして、とある鬼がそのような外道の行為を見つけ、許すとも思えない。
鬼は渡り歩く、貧しく、そして困っている人に食料を配り、病に困る者がいれば薬を配り、悪事を働く役人がいれば成敗した。
人はそれを戸惑いながら見続ける。
悪いと思っていた魔族が、人助け。
良いと思っていた人が悪事を働く。
どっちが正しいのか、困惑する民は噂を紡ぐ。
戦争で困った人を助ける鬼がいると。
戦争を仕掛けたのはイスアルだ。
そのイスアルの民を助ける鬼がいる。
それが、繰り返される折りに、一人の勇気のある村人が食料を置く魔族に戸を開け問いかけた。
『何で、そんなことをするんですか』
その村人は、先に噂を聞き、それを戸惑いながら期待し、そして現実にそれを見てしまった。
自分の常識が瓦解し、そして何が正しいかわからなくなったが故の疑問。
そして運命というのはなかなかサプライズが好きなのかもしれない。
その問いかけた相手こそ、鬼の王だと言うのを知らず。
人の言葉に耳を傾ける鬼の王はただ一言こういう。
『気に入らねぇからだ』
弱者を虐げた戦争屋に怒りを感じた。
それだけだと、言い残して立ち去ろうとした鬼の王。
そんな鬼を素直に見送っていいのかと考えた村人は。
『ありがとう!!』
魔族に感謝するなんて大罪に等しい、言葉を鬼の王に向けていった。
それに鬼の王は返事を返さなかった。
ただ一つ、黙って手を振り立ち去っていくという姿を村人に見せて、歩んでいくのであった。
今日の一言
噂と真実は異なる時がある。
毎度のご感想、誤字の指摘ありがとうございます。
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現在、もう1作品
パンドラ・パンデミック・パニック パンドラの箱は再び開かれたけど秘密基地とかでいろいろやって対抗してます!!
を連載中です!!そちらの方も是非ともよろしくお願いいたします!!