617 どれも大事なら並行作業でやればいい。
奇跡を起こす。
そんなこと、どうやってやるんだとその時は思った。
だけど、冷静になると話は変わる。
何せ宣言した人が人だ。
結局のところ俺の想像の付かない方法で、あの社長なら奇跡と言われるようなことをやってのけるのではと思える。
そんな方向性でも信頼がある我が上司。
今度はどんな無茶振りが来るかと、ある意味で達観しながら待ち受けていたが。
「まさか、こういう方向で来るとは……」
これでもブラック企業で社畜をしていた経験を経て、異世界企業に転職してキャリアを重ねてきた。
だからこそ、ある程度の予想ができると言うレベルではうちの社長の行動の予想はできないとわかっていたけど、まさかこんな方法で俺の業務効率をあげにかかるとは思っていなかった。
今の俺の仕事場は、まさかまさかのダンジョンの最深部。
ダンジョンの心臓部、ダンジョンコアルームに即日作業台が運ばれてきて、島の運営をここでやるように社長から業務命令が出された。
フェリとちょっと感動的な別れをしてからそんなに時間が経っていないのに、魔石の中に封印されたフェリがいる隣で書類処理をする日が来るとはついぞ思っておらず。
このままいくと、本当に紙とペン、印鑑と机、このセットがあればどこでも書類仕事ができるようになる日が来るのではと一抹の不安がある。
嫌な想像だと、頭を振って、この考えを追い出す。
さて、なぜこんな場所で仕事をしているかと思うが、きちんと社長の指示にも理由が存在する。
まず、ここはダンジョンの最深部だ。
そしてダンジョンを維持するための心臓部でもある。
イコール魔素がとんでもなく濃い。
すなわち。
「んーここ快適でいいわねぇ。お茶も美味しいし」
忙しい俺と違って、一見のんびりとくつろいでいるように見える存在、ヴァルスさんを常時出し続けることが可能になる。
「そうですかい、こっちは常に魔力を垂れ流しにしているような感覚で気持ち悪いんだけど」
ただ可能って言うだけで、それ相応に負担もかかる。
「もう、かれこれ一週間もやっているんだからそろそろ慣れなさいよ」
「慣れるか!!」
どういう負担だって?
なんて言えばいいんだろうか、常時息を吸っている感覚と吐き出す感覚を常に感じるような感じ?
わからない?
俺も体験するまでわからなかったよ。
慣れなさいとヴァルスさんは言っているが、常時魔力を垂れ流しにしながら新しい魔力を吸収するという感覚が絶妙に気持ち悪すぎて慣れなんて一向に来る気配がしない。
「……社長も無茶振りだな。こんな精神状態でダンジョンの中の調整も並行しろって」
できるならやれが、魔王軍のモットーであるのは承知しているが、こんなデスマーチ染みた方法で解決策を提示してくるとは思わなかった。
フシオ教官の救助が間に合うかどうか、猶予がないのがわかっているから愚痴を言っても仕方ないのはわかる。
やれないことはないから、やらないという選択肢はない。
しかし、それでも隣でのんびりとくつろいでいるのを見ていると愚痴の一つや二つは出てしまう。
「書類不備が出ても知らんぞ」
「はいはい、そう言いながらもあなたは根が真面目なんだから、何度も確認するのよね」
しかし、口とは裏腹に俺の体は勝手に仕事に精を出す。
最早、血にも染み込まれ、遺伝子レベルで社畜根性が身についているのでは思うくらいにこのくらいの違和感なら平気だと、目は常に書類を確認して、脳は問題の有無を確認し、手は決済用の印鑑を押し込む。
ダンジョンの設備の活動推移を、常に目を皿のようにして見ている時点で不備を見落とす気がないと行動で語っていた。
その姿を見て、クスクスと笑い声を漏らすヴァルスさん。
照れも何も感じないが、呆れ位は心の隅にあるのかもしれない。
自嘲気味に俺は口元を笑みに変えて、次の書類の束に手を伸ばす。
「うちのダンジョンの主力だからな。ここで下手こいたら目も当てられないんだよ」
見ているのはダンジョン内で早速栽培し始めた薬草類。
これはポーションの原料であったり、他の医薬品の原料になる物だ。
元々、畑違いの俺だったけど、最近ではよく効能や栽培環境に関する資料を目にすることが多くなったから自然と情報が頭の中に入るようになっている。
ちょっとした品種違いだけで、効能の方向性ががらりと変わる薬草。
その性能は栽培状況に非常に左右される。
それは品質維持はもちろん生産性の記録データにもつながる。
これから戦時状態になるのだから、回復用のアイテム生産は急務と言ってもいい。
一刻も早く増産体制を整えないといけないと言う意味では、こちらも急務と言っていい。
薬草栽培のノウハウのある人員はムイルさんに確保してもらって、魔力に関してはフェリに大量導入してもらっているから一定の品質と生産能力は確保できた。
あとはここから品質と生産性をどこまで上げられるかの勝負。
そしてダンジョン内と言う、地形を自由自在に変更できると言うアドバンテージをどこまで生かせるかと言う俺の手腕の話になる。
霧江さんに頼んで、品種改良技術に関する知識も導入して低コストで効果の高いポーションを作ることを目標にしている。
まずは従来のポーションの大量生産、後に低コストハイスペックのポーションを作りたい。
そのための成果づくりには、時間がいくらあっても足りないくらいだ。
高速で書類を読み進めて、書類の中身を確認するとたった一週間の成果にしては上々の結果が出ているのがわかる。
試作で作ったポーションの品質は市場に回しても問題ないレベルの品質。
制作時間も、従来の生産性レベルには到達している。
だが。
「ひとまずは成果が出ているが、これで満足はできないんだよな」
これではだめだ。
ダンジョンと言う特異性を得た環境で、従来通りの成果ではだめだ。
一週間で、薬草の栽培、生産、発注と言う異次元と言えるような速度で生産はできた。
しかし、逆に言えば早くポーションを作れると言うだけの結果でしかない。
「さて、さて、ここからどう手を加えていくか」
薬草栽培部門からの報告書を手に取り、品質向上のために必要な処置が具申されていないか確認するが、目下検討中という文章で締めくくられていてそれらしい情報はない。
生産部門からの報告書を手に取って中身を見るが、新しいポーションは試験的に作っている薬草の成果待ちと言う文言で締めくくられている。
結局のところ成果はまだ待てと言うことだ。
専門外である俺だが、時間が足りないとの言葉に関しては一定の理解はある。
無理な納期はいい仕事をさせない。
ブラック企業で学んだことだ。
善き仕事は、善き仕事環境でこそ、生まれてくる。
急かして、相手の余裕を奪ってしまえばたちどころに成果は遅くなる。
「悩みが多いわね、契約者さんは」
「匙加減って言うのはいつも難しいモノなんだよ」
差配次第で、仕事の環境と言うのはいくらでも変わる。
飴と鞭の加減と言うのにお手本というものは存在しない。
人の性格が千差万別なように、人への匙加減も千差万別なんだ。
この空間には机の上の書類を精査している俺と、巨大な蛇の頭の上で羊羹を頬張っているヴァルスさんしかいない。
元々この空間に入り込める人材と言うのは限られる。
俺はもちろん入れるが、直属の部下で入れるとしたらケイリィとムイルさんだけ。
後はコアメンテナンスを担当する部下が数名。
それ以外の人員は、よほどのことがない限り入れることはない。
前に揃っていたのは特別だからだ。
ケイリィやムイルさんも単独では入れないようになっている。
それ故にただでさえ入れる人数が絞られている状況でもっと人数を絞ったら、こんな広い空間に寂しく作業台を置いて精霊と会話をしながら仕事をする男が爆誕するわけだ。
ちなみにケイリィやムイルさんも別件で仕事中のためここにはいない。
前者はダンジョンの中で現場監督を、後者はより一層怪しくなってきた世界の情勢の情報収集をするために奔走してくれている。
そんな二人や他の部下も真剣に働いているのならトップの俺もサボるわけにはいかないと言うわけだ。
「そっちはどうなんだ?」
「手がかり無しね。この子の知覚領域内でも捉えるのはなかなか難しいのよねぇ」
しかも俺は仕事が一つじゃない。
そしてそれが魔力の垂れ流しの原因なのだ。
ヴァルスさんもただ無駄に顕現して、のんびりと羊羹を頬張っているわけではない。
きちんとその状態でも仕事をしているのだ。
「……ダンジョンが混沌と接続するのに一番適している場所って聞いたときは意外とどうにかなるって思ったけどそう簡単にはいかないか」
フシオ教官の捜索。
それがヴァルスさんに与えられた仕事だ。
教官の生存が神から知らされて、まずは捜索と言う形で行動を起こした。
並行で、社長が救助方法を模索している。
あの社長だ、助ける算段に関しては心配していない。
リスクとリターンが釣り合っていなくても、現実的に可能な領域の方法を社長なら見つけ出してくる。
そんな信頼があるから俺はひとまずノータッチだ。
「ちなみに聞くけど、混沌の中を探るってどんな感覚なんだ?」
ダンジョンは大陸ともイスアルとも地球とも違う、異次元としか言いようのない空間にその本体を作っている。
ではその異次元とはどこか、有体に言えば何もないとも言えるし何でもあるとも言える。
これは決してなぞかけではない。
単純にそういうものだと思ってくれればいい。
何にでもなれる材料がそこにあって、けど何か特別なことをしないと何にもならない材料がそこにある。
何もないところにダンジョンを生み出すことは神でも不可能、しかし何かあるところに異空間を生み出すこともまた不可能。
そしてダンジョンを構成するために必要な何かと言われれば、それが混沌だ。
俺が学んだ知識が元になるが、混沌と言うのはまだままだ未知な要素が多い物質だ。
「そうねぇ、霧の中を見渡そうと必死に手探りで頑張ってる感じかしら?」
手応えがあるようにも見えるが、手ごたえがないようにも感じる。
矛盾を常に兼ね備えた存在。
学べば学ぶほど意味が分からないと頭を抱えたくなるもの、それが混沌だ。
そんな空間に教官がいると聞いて、探すのはいいが、俺が探しているわけでもない。
俺はあくまで魔力を対価に、業務を委託している身。
出来ると聞いて頼んでみたが、返ってきた感想は割と絶望的な例えだった。
「それ、大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないわよ。探せるだけマシって言うレベルね。手を振り回しても怪我をする心配はない、足場はしっかりして転ぶ心配はない。だけど視界は伸ばした手の先も見えないくらいに濃い霧に覆われている。そんな想像するのが馬鹿みたいに広い空間を探っている感じかしらね」
「大丈夫じゃないなそれ」
普通に考えて、諦めてもおかしくないレベルの話だぞ。
これに挑戦するのが俺でいいのか?
ステータスの中でも運の数値だけが、マリアナ海溝レベルで陥没している俺だぞ。
ある意味で、俺が見つけたら奇跡って言われうんだろうけど、そう言う意味での奇跡じゃないよなこれ。
「そうねぇ、正直魔力と時間の無駄って……」
「ヴァルスさん?」
「あらららら」
「え?」
そう思っていた矢先のことだ。
「契約者さん」
「なんだ?」
「明日、あなたの頭の上に隕石が降ってくるかもしれないから気を付けなさいね」
「だからなに!?」
「あの神の言う通りになるのは癪だけど、見つけたわよ」
こんなに奇跡ってあっさりと起きるモノかと思うくらいに、想像の百倍速く朗報が届くのであった。
今日の一言
作業量が倍なら成果も二倍であってほしい。
毎度のご感想、誤字の指摘ありがとうございます。
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パンドラ・パンデミック・パニック パンドラの箱は再び開かれたけど秘密基地とかでいろいろやって対抗してます!!
を連載中です!!そちらの方も是非ともよろしくお願いいたします!!