583 誰かに見られている時は不安を感じる
間違ったことはしていない。
けれど、ここから先に何かミスがあるかもしれないと思うと強靭なはずの肉体に備わる胃が悲鳴を上げ始めるのがわかる。
トラブルは止めてくれと、社畜時代のトラウマを呼び起こすような不安が備わった会場で、会社の最高責任者が見ているかもしれないという情報は、俺の胃にストレスをぶつけてくる。
穏やかで、癒しをイメージし、ゆっくりと触れ合うことを考えた曲がこの会場に響き、場の雰囲気に流されて、数組の男女が手を取り合い、踊っているのにも関わらず、さっきから遠距離から与えられているプレッシャーがマズイ。
何でこんなことにと嘆きながら、順調に進んでくれと切に願う俺の心。
「どうかしましたか、先ほどから表情が硬くなっておりますが」
ポーカーフェイスを維持しているはずなのだが、霧江さんには表情が硬く見えるらしく指摘される。
ここで素直に俺の心情を暴露したいところだが、それをしてはいけないというのはわかり切った事実。
「いえ、このまま何事もなくうまくいってくれればと思っただけですよ」
嘘を吐く時は信実を織り交ぜながら言うと良いと聞くが、今回の場合嘘は言わず本音も言わずと言った感じの言葉だ。
笑顔を向けて、なんでもないと言うと疑問が残るだろうが、明確に答えを返している時点である程度の疑問は解消する。
「そうですね。私も橘の件もありまして責任を感じておりましたが、今はこうも和やかに話が進んでくれて嬉しく思います」
その和やかな空気の裏に不穏な空気が流れていると言えないのが辛い。
日本側のトラブルはわかりやすく目立っていたが、それ故に対処しやすい。
逆にこっちは徹底的に仕込まれた暗部の技を持っているが故にわかりにくく対処にしにくい。
どっちがいいと聞かれればどちらも嫌だと言えるが、まだ目立って対処できる方がマシだと思ってしまう。
このまま何事もなければと口にはしたが、経験則で何も起こらないという事はないと直感が囁いている。
純粋に戦闘になるなら鎮圧は容易。
実力的に見て、この会場で一番の実力者は間違いなく俺で次点でケイリィさんと言ったところ。
外部からの襲撃はエヴィアのダンジョン内に武装勢力を送り込もうとした段階でバレて、鎮圧される。
転移魔法による奇襲もできない。
懸念するのは、料理に毒物を混入することで外交先の相手を害して俺の印象を落とす工作。
なので料理関係に関しては細心に注意を払い、人材に関しても精査に精査を重ねて信頼できる存在を配置してある。
なので飲食関連に関しては心配はない。
では、次に警戒するのは暗示系統の魔法。
魔眼を使ったり、魔道具を使ったりと方法は様々だが、男性陣の中に魔力抵抗が低くかかりやすい人がいて、暗示を仕込まれ後日接触という段取りが組まれていたら目も当てられない。
幸いにして暗示を見分ける方法はいくつもあるし、大抵の暗示は魔素がなければなんの意味もなさない。
社外に出てしまえば不発に終わる。
だけど、魔素があればいつでも発動できるような爆弾を仕込まれるのは勘弁願いたい。
「ええ、本当に。平穏なのが一番です」
声色とは裏腹に、脳内ではトラブルが起きた時に色々と対処できる方法を検討している今の俺に、にこやかに話しかけてくる霧江さんには申し訳ないが、今は全然余裕がないのだ。
幹事として、霧江さんの対応をせねばならないのでここでジッと立っている様に見えるが、その実魔力探知により会場内にいる人員をすべての動きを把握している。
マルチタスクができて本当に良かった。
「しかし、異世界と言っても使っている楽器はあまり変わらないのですね」
「技術の発展をするにあたって、何らかの共通点はあるのかもしれませんね。楽器名は違いますし、素材も異なりますが、ヴァイオリンやピアノに近い形の楽器は向こうの世界にも存在します。一見すればこっちの世界は文化的に劣るという見方の出来る異世界ですが、日本どころか世界でだってできない技術を持っている。空間干渉技術や、薬草分野などがいい例ですね」
「ええ、あの日の交渉の時も色々と説明していただき、資料も拝見しました。確かにあなたの言う通り進むべき分野が異なるだけで技術力的な差はあまりないのかもしれませんね」
思考の大半を警戒に割り振り、残った脳で会話を成り立たせるのは中々大変だ。
迂闊に瞳を動かすこともできず、霧江さんの隙を見て左右に瞳を動かし、おかしな動きをしている人がいないかを探る。
ケイリィさんに注意された四名は当然警戒対象なのだが、それ以外にもいる可能性はある。
四名しかいないという断定情報が切実に欲しいと思う。
そうすればもう少し警戒度数を下げれるんだけど。
普通に考えればこの会場で仕掛けるのはリスクがでかい。
異世界との橋渡しのような場ではあるが、権力的、利権的観点から見てもここで抜け駆けし、後々のトラブルを抱えるようなリスクを負う必要はないのだ。
ただし、そのリスクを負わなくていいのは頭のまともな貴族の面々を指す。
ちなみにまともなと表現したが、正確な言い方をすれば表向きまともに領地を経営したり、地位を守れているという意味だ。
清廉潔白とか、聖人という意味合いは含めていない。
そんな意味合いの貴族連中以外の面々なら、多少の、いやリスク度外視で逆転の目を狙って勝負してくる可能性は十分にあるのが悲しい。
旨く行けば、一部とはいえ異世界との交流ルートを確保できるのだ。
そこから流れる利益はうまく使えば金の卵を産む鶏で養鶏場を経営できるくらいの利益を生み出す。
正しく逆転劇と言うわけだ。
そんなことになれば俺の管理不行き届きとなるので、社長も黙ってはいないだろう。
勘弁願いたいよ本当に。
ここでのトラブルが、将来的に足かせになり得るのだから俺の心境的に迂闊に気が抜けない。
何かを仕掛けてくると予想することは出来るが、確信を得られないままゆっくりと婚活パーティーが進んでいく。
「将来的には、そういった技術も日常的に使えるようになればいいのでしょうが」
「難しいですね。軍でもその手の技術にはかなり制限をかけて、市井では使いにくくしています。ポーションとかの薬品なら問題はないかもしれませんが、薬草の中には非常に珍しく効能の強い物も存在します。利益優先で乱獲し今後一切採取できなくなるという事も過去にあり、そこら辺に関しても厳しくなっていますね」
「どこの世界にも似たような話がありますね。そう言った失敗があるからこそ、人は進んでいけるのでしょうけど、その進みの先を私は見ることはないですね」
「転移魔法が、国営で使われるようになるまで何年、いえ何十年かかるかもわかりませんね」
目の前で色恋の話で盛り上がる男女を見つつ、こっちは政治的分野の話で花を咲かせ、表向きは友好的な態度を示しつつ、会場を見回すという名目で警戒している俺。
霧江さんの内心が知れない現状だと、俺の一方的な感覚で温度差がひどいなと心の中で笑うしかない。
しかし、笑っているだけで事が好転することはない。
何もかも予定通りのように進んでいる婚活パーティー。
そのように見えてしまっている俺の瞳とは裏腹に、脳内ではもしかして何か不穏なことが起きているのかと懐疑的な思考に偏りつつある。
「何十年ですか」
「霧江さんとお袋なら平気な顔して生きていそうですけどね」
「可能性は、ありますね。あなたは普通に生きていそうですね」
「半分人を辞めているんで」
「あなたと言い、姉と言い、そちらの家系は破天荒な血が多いようですね」
「否定はしませんし、これでいいと思ってますけど、親戚があっさりと人を辞めてることに対して驚きませんね」
「神と言う超常的な存在と日々接しているとなんとなく相手の雰囲気を察することができるんですよ。あなたの場合それが顕著なんですよ。見る人が見ればわかります。それに姉からあなたが愛する人とともに時間を過ごすために人を辞めたと事前に聞いておりますので」
「……ちなみにどこまで?」
「なかなか熱烈な恋ですね。子供のころを見れたのは数少ないですが、その時のあなたを思い出したとだけ言っておきます」
「ほぼすべてですね」
「さて、私の口からは何とも」
仕事の話を織り交ぜつつ、未来の世界はどう変化するかを語り合う、
その先を見届けることができるかもしれないが、もっと先の未来は見れないだろうと語る霧江さんであるが、俺の脳裏には元気に笑う二人の姉妹の姿が描かれている。
なんとなく直感で悪いが、お袋も霧江さんも何らかの手段で長生きしてそうなイメージなのだ。
霧江さんはきっと神関連。
お袋は……なんか気づいたら若返ってそう。
「そんなあなたみたいな恋愛を彼らもできればいいのですが」
「少なくとも、俺の恋愛はお勧めしません。命がいくつあっても足りませんから」
「あとは、あなたほどの財力を備えていないと複数の女性を養うことはできませんからね」
「……なんていうか、現代の女性からしたら霧江さんの価値観のほうが変ではないですか?」
スエラとメモリアとの交際までは、割と普通な恋愛……ではないな。
スエラとはゴーレムに殺されかけたことをきっかけに心を通わせたわけだし、メモリアの時は緊急時に対する対処訓練の時に暴露されたし。
つり橋効果が仕事しまくった結果二人と交際し、さらにヒミクとは襲われて何やら俺の魂の色に惚れ込んだと言って居候開始、結果交際。
エヴィアとは半ば政略結婚だけど……ある意味一番平和な恋愛なのは彼女との交際なのかもしれない。
付き合った経緯が、まともな物が一つもないことに驚きつつ、俺のような恋愛はしないでほしいと切に願う。
しかし、驚くことに霧江さんはハーレム云々に関しては嫌悪感はないようだ。
普通に考えて、女性から見て複数の女性を相手にする男性と言うのは嫌悪する対象だと思うのだが。
「うちの組織の男衆と比べれるのもおこがましいほど、あなたは真面目に女性たちと向き合ってますよ」
経験的にこれ以上聞いてはいけないと思わせるほど綺麗な笑みで、様々なことを経験し見てきたのだと語る霧江さん。
多分だけど、暗黙の了解で複数の女性と交際している男が周りに多い所為で、俺の状況をとやかく言う気が起きないのだろうな。
それがいいのか悪いのか。
「そうですか」
「そうですよ。いつまでも女性を大事にする次郎君でいてくださいね」
何を見てそう言ったかは気になるところだが、それを聞く暇はなさそうだ。
一瞬だけど、魔力の波長が乱れた。
その女性を注視するよりも先に。
「霧江さん、ちょっと失礼します」
隣にいる霧江さんに断りを入れて、魔力の波長が乱れている女性とは反対方向に歩き霧江さんから見て死角に入った途端全力でその乱れた波長の女性に向かって走り抜く。
そして、あからさまに腕を組み仲良くしてますよというアピールをしながらゆっくりと物陰の方に移動していく男女のカップルを見つけた。
普通ならスルー案件。
このまま仲良くしてくださいよと、応援するところなのだが、その男性にまとわりつく不穏な魔力。
その特有の魔力反応は薄く、感じ取りにくい物ではあるけど、目視できた段階でどのような魔力かはわかる。
「そこまでだ」
そしてこの後起こるであろう出来事を防ぐために、俺は一瞬でその女性の意識をこちらに向けるのであった。
今日の一言
見られながらだと、緊張してしまう。
毎度のご感想、誤字の指摘ありがとうございます。
面白いと思って頂ければ、感想、評価、ブックマーク等よろしくお願いいたします。
現在、もう1作品
パンドラ・パンデミック・パニック パンドラの箱は再び開かれたけど秘密基地とかでいろいろやって対抗してます!!
を連載中です!!そちらの方も是非ともよろしくお願いいたします!!




