568 結果的良ければ、過程はある程度無視できる。
怖い、唯々怖い。
エヴィアの完全ブチ切れモードは初めて見たかもしれない。
いままで何度も怒っているところは見たことあるけど、ここまで完全にキレている状態は見たことがない。
あの社長が冷や汗を流して、笑みを引きつらせているのがわかる。
「魔王様、今が大事な時期だと言うのはご理解していただけてますよね?」
静かにキレる。
想像できるキレ方だけど、想像以上に怖い。
できれば彼女のこんな姿は見たくはなかった。
悪魔の笑みと言うのはこういうのを言うのだろうか、優しく、そして綺麗に笑みを作っているのに、俺の目には血に濡れた刀剣の刃のように鋭く、そして危ういように見える。
笑顔が威嚇だと言うのはこの会社で学んだことではあるが、ここまで明確な怒気を含んだ笑みがあっただろうか。
危うい眼光の刃が社長の首元に優しく添えているようにしか見えない。
一つでも何かが起きれば、その刃が引かれて首が斬り飛ばされる。
そんな幻想を抱きそうなほどだ。
「いやぁ、私にも少し休憩と言うものが必要でね。ほら、仕事をするのにも適度な休憩はいるモノじゃないか」
しかし、その眼光を向けられているのは我らが魔王。
この組織のトップであり、最強格である。
さらにエヴィアとの付き合いは長いと聞いている。
この軽口、もしかして何か対抗策があるのではと期待させられる。
「ほう、三時間も姿をくらますのが適度な休憩ですか。寡聞にしてそのようなことを私は知りませんでした。ここ最近私は休みを返上して仕事に従事しておりましてね。家にいる時間はほぼ睡眠と食事を取れるほどしかありませんでした。そのような状況である私に、何か言いたいことはありませんか?」
しかしその期待はあっさりと、淡々と抑揚のないエヴィアの声に切り裂かれた。
なかったか対抗策。
社長の言葉はあくまで苦し紛れの一言。
その場しのぎの言葉でしかなかった。
危うく処刑執行の書類にサインしかけている社長。
「ねぇ、あの怖い人は?なんか滅茶苦茶キレてるけど」
「シィー!静かにしてくれよ母ちゃん、あの人はエヴィアさん。社長の秘書のような人で先輩の婚約者の一人だ。先輩の嫁さんたちの中では一番地位が高い人で、あと、怒らせたら滅茶苦茶怖い人」
その光景を見ている海堂親子がコソコソと話しているけど、小声でもエヴィアには聞こえていると思うぞ。
頼むから迂闊なことをはいわないでくれと願いつつ。
そこまで心配はしない。
しかし、今は海堂の言葉に注意を向ける暇はないと言わんばかりにエヴィアはキレている。
ここまでくる道中で仕事を放り投げて、休んでいたと言う事実を知っている身として社長に同情はできない。
俺もやられたら流石にキレたくなるからな。
なので社長から何度もSOSが送られてくるが……
「……ふぅ、良い茶だ。後でヒミクのお土産に包んでもらおうかな」
俺は目の前の光景を見なかったことにする。
社長、裏切ったなと視線で投げかけても反応しませんよ。
元々俺の仕事はアミリさんと双子天使を巡さんに会わせることが目的なんですから、エヴィアのご機嫌取りは業務外です。
エヴィアへの慰労は、後ほどプライベートで行うので。
「いやぁ、いつもご苦労様」
今はそうやってエヴィアの対応をして反省してください。
しかし、エヴィアの本気は凄いな。
あの社長の首筋に冷や汗を流させるとは。
上下関係はハッキリしているし、いざとなれば戦闘では社長の方が強いだろう。
しかし、今この場での仕事の状況的に見ればエヴィアの方が圧倒している。
サボる上司を見つけてきた部下。
その状況はある意味で最強のカードとなる。
恐らく社長の勝ち筋としては、このまま時間稼ぎをして、教官が戻ってきてそのままうやむやにして仕事を明日に回すように仕向けることくらいだ。
そうでなければこのままエヴィアに連行させられて、強制労働まっしぐらといったところか。
しかし、社長の時間稼ぎの思惑など、エヴィアにはお見通しのようで。
「ねぎらいの言葉は結構です。仕事をしっかりとこなして、私を定時に帰してくれると言うなら文句は言いません」
労うなら仕事をしてくれと言わんばかりに冷めた視線を送り返してきた。
「えっと、定時まであと三時間ほどしかないんだけど」
ピシリと社長の笑みが凍る。
俺たちも色々とやっていたからわかるけど、ちらっとスマホで海堂が時間を確認し、その際に見えたデジタル時計が二時を過ぎているのが見えた。
社長の言う通り残り時間はそう多くはない。
「十分です。魔王様の固有魔法を全力で行使すれば終わります」
普通に考えて、社長決裁を必要とするレベルの仕事が三時間程度で終わるわけがない。
「それ、私が無事で済まないんだけど」
しかし、エヴィアの知識の中に魔王が使える固有能力があるようで、それを使えば間に合うらしい。
俺で言うヴァルスさん的な手段があるのか。
けれど、社長の言葉のニュアンス的に無事では済まないように聞こえる。
「問題ございません。あなた様の耐久値と回復能力は魔王軍で随一です。仕事を完遂できますし、翌日にも影響はさほど出ません。もし仮に出たとしても王宮で保管しているエリクサーでも用意させましょう」
だが、そんな事情はエヴィアには知ったことでははない
そして今のエヴィアに手段を選ぶなんて優しさはない。
確か、エリクサーって国宝級の薬師が、数カ月単位の時間をかけて作るポーションの最上級品じゃなかったけ。
一度だけメモリアに値段を聞いたことがあったが、俺でも買うのを躊躇うほどの一品だ。
俺のダンジョンでそのエリクサーの材料を育てようと計画を立てたから知っている。
「いや、流石にそれを出すのは今後のことを考えると許可できないな」
そしてそれが貴重品だというのを社長は知っている。
故にトップの立場として、断固として認めない。
「であれば、私は〝倉庫〟を今すぐにでも開いて徹底抗戦の構えを見せなければなりませんが」
しかし、その程度で仕事を休ませないのがエヴィアだ。
瞳孔が開いているんじゃないかって思うくらいに瞬きをしない眼光でエヴィアは社長を見る。
一つでも社長が言葉選びをミスると、その場で魔剣を抜き放ちそうな勢い。
「ああっと、エヴィア」
これ以上はまずいと、ここで俺は介入に踏み切った。
別に社長を助けるわけで動いたわけではないので、そこで期待の視線を向けられても困る。
「……」
パアッと明るくなった顔の社長と反比例するかのように、暗く鋭くこれから何かしでかすのではと心配になるくらいにエヴィアの顔がヤバい方向に変化した。
「OK、わかってる邪魔するなって言う気持ちは痛いほどわかる」
このままでは大惨事になりかねない。
社長の助かったと言う顔は見なかったことにして、とりあえず意識を戦闘用に切り替えて万が一、いや、この状況のエヴィアなら百が一くらいの可能性で斬りかかってくるのを想定する。
中腰でも即座に避けられるような姿勢をキープ。
エヴィアの主戦闘は魔剣を中心とした斬撃。
避ける位置をしっかりと見極めてから話しかける。
「俺はエヴィアの仕事を邪魔する気はない。社長なら首根っこを掴んででも連れていって構わないから」
裏切者と嘆く社長を無視する。
俺は両手をあげて、降参の意を示しつつ、守らなければならない者のために動く。
本当に、俺は普通に仲人をしたいだけなのに、何でガチギレのエヴィアを相手にしないといけないんだ。
アミリさんを今のエヴィアと会わせるのは胎児がいる段階で避けるべき、双子天使に会話に参入させるのはお門違い。
魔力は絞っているけど、巡さんにも下手したら悪影響が出かねないから、海堂の側から離れないように注意しなければ。
「こっちも、仕事中だ。その仕事だけはやらせてほしい」
「仕事……ああ、先ほど連絡を受けた件か」
納得、そして理解。
その要素はエヴィアに理性を蘇させる効果を与える。
交渉の余地はある。
と言うより、社長が仕事をしてくれればこんなことにはならなかったはず。
チラリとアミリさんと巡さんを見たエヴィアは大きく深呼吸をした後に目を閉じると。
纏っていた雰囲気を霧散させた。
「慶事の席に失礼した」
そしてアミリさんに頭を下げるエヴィア。
「構わない、魔王様の行いに不義があったのは事実。仕事の放棄は看過し難い行為。魔王様、仕事の再開を進言します」
「え、機王もそっち側?この流れだと、君の懐妊祝いで宴会になって仕事は明日からでいいって流れではないかね?」
「生憎とこの身には忠の子を宿しております。祝いの席であるのは承知しておりますが、飲酒は厳禁。食事に関してもこれからは栄養を優先し胎児が無事成長できる環境を整える予定、なので健康管理を含め宴会は中座する、よって主役がいなくなる宴席に魔王様が居座ることは個人的な事情になることが明白になります。それをエヴィアが看過できるとは思えません」
社長がどれほど働いているかは知らない。
しかし、普段聞いている限り全く仕事をしないと言うわけではない。
過剰に回される仕事に嫌気がさしたのだろうと推察はできる。
エヴィアの働き具合から察して、今日で何連勤目か。
十は超えているのはわかっている。
それほどまでにイスアルとの戦端が開きそうなのか、加えて日本との交渉もある。
将軍位も俺が加入しても、まだ空席がある始末。
フシオ教官が抜けた穴はでかい。
もし仮にあの人がいればまだエヴィアに余裕はあったはず。
「ライドウの件は目を瞑ります、奴もしっかりと仕事をこなしてからの休日です。しかし魔王様あなたは違います。あなたの仕事はしっかりと増やしておきましたので、私と一緒に戻りましょう。戻らないと言うなら、わかっておりますね?」
「ハハハハ、OK。わかった戻ろう。だから、その魔法は待ってくれないかな」
そんなことを思いながら、エヴィアとアミリさんによって仕事に復帰する社長。
体が頑丈で、誰よりも強者であっても、仕事からは逃げ出したいと思うことがあるのか。
勇者は魔王から逃げられないとコマンドで表示されるけど、魔王は仕事から逃げ出せないのか。
初めて知る魔王の実情。
苦笑を通り越して、少し面白くなって来てるが、ここで笑い声をこぼせば、俺の方が大変な目に合う。
しっかりと堪えて。
「邪魔をした」
「いや、そっちも頑張れ」
「頑張ってはいるぞ」
「そりゃそうか」
社長を連れ去るエヴィアに激励を入れるが、彼女の場合逆に肩の力を抜いた方がいいかもしれないと苦笑し、今度またケーキの差し入れでもするかなと思いつつ、転移で去っていく二人を見送る。
「はぁ、本当にこの会社に来てから色々な人に会うね。忠、あんたしっかりと仕事出来てるんだろうね?」
「いや、それよりも母ちゃん。俺たちに精霊の血が入っているって事実の方が驚きだろう?なにそんなのんびりとしてられんだよ」
「ん?何の血が入ろうと私は私、それは変わらないからね、それに精霊って何なんだって話しさ!」
「そうだった、母ちゃんそっち関係の知識はゼロだった」
そして、ようやく俺の本題の仕事に取り込めそうな雰囲気になった。
店長には社長は帰ったと伝えないといけないが、これからもろもろ巡さんにうちの会社のことを食事を交えながら説明しないといけないなと思い。
ようやくここまでたどり着けたことに安堵するのであった。
今日の一言
寄り道しても元の道に戻れればそれは良し。
毎度のご感想、誤字の指摘ありがとうございます。
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現在、もう1作品
パンドラ・パンデミック・パニック パンドラの箱は再び開かれたけど秘密基地とかでいろいろやって対抗してます!!
を連載中です!!そちらの方も是非ともよろしくお願いいたします!!
 




