531 仕事との付き合い方はひとそれぞれ
引きこもっていると聞いて、俺は思わずエヴィアを見た。
「あの愚弟は」
そしてエヴィアはと言うと、頭痛を堪えるように額に手を当てて大きくため息を吐いていた。
「ちなみに原因はわかりますか?」
地球でも引きこもりという問題は色々と話される。
主に人間関係で、人と接するのが怖くなって部屋に引きこもるケースが多い。
多分だけど、前に話していた肛門の危機に関して、さらに深刻な事態になったのかなと俺は予想しているのだが……
「いや、私たちにも話してはくれなくてな」
「ええ、事前にエヴィアが来ると聞いていた時は、むしろホッとしていたくらいなんですけど」
どうやら事情は話してないらしく、両親の二人も心当たりはないと。
さて、情報がない状態で突撃するのもどうかと思うが。
「手間をかける暇などない」
「ですよねぇ」
エヴィアが動かないとは露とも思っていない俺は、苦笑と共に立ち上がり、部屋を出ようとする彼女の後に即座に続く。
事情がどうあれ、まずは話を聞かないとどうしようもない。
エヴィアも流石に無茶なことはしないと思い、俺の知らない建物の中を迷わず進む彼女の後についていく。
この屋敷は三階建てで、左右対称になっているタイプの洋館だ。
使用人たちの部屋込みで、部屋数はざっと百に迫るくらいあるらしい。
その中の一室に迷わず向かって行くエヴィアは、ドレス姿のために優雅に歩いているが、普段のスーツ姿ならもっと雄々しく進んでいたかもしれない。
「ここか」
「ああ」
目的地であるノルド君の部屋は東側三階の一室。
西側にはエヴィアの部屋もあるらしいのだが、そっちは後で行くとして、魔力的な結界が張られているのがわかる部屋の前に着いて、ここかと俺も理解する。
見た感じそこまで頑丈じゃない結界だから、開けるのは容易。
さてどうするかと、顎に手を当てて考えようとした矢先。
「入るぞ」
まるで普通に押し開けるように右手を扉に添えたエヴィアは、魔力放出によって無理矢理吹き飛ばした。
爆弾でもここまで綺麗に吹き飛ばないと思われるほど、粉々となった扉。
破片が粉末状になっているから、その威力は推して知るべし。
「なんだぁ!?」
そして薄暗い部屋の中に踏み込むと、ベッドの上で爆睡してたと思われる人物が、掛け布団を跳ね飛ばしながら起き上がった。
通りで気配が静かだと思った。
というか、
「怯えて引きこもってたんじゃ?」
「大方、気を張って警戒していたが、限界が来て眠ったのだろうさ」
「ああ」
警戒していた割には呑気な姿だなぁと思ってつぶやいたら、その言葉にエヴィアが返してくれてなるほどと頷く。
この館にふさわしく、ノルド君のいる部屋は広い。
カーテンは閉め切り、部屋は暗いが、このくらいの暗さなら余裕で見える。
「食料に、飲料水に簡易トイレ、こっちは風呂の魔道具?マジで部屋に籠城する気だったんだな。こっちは、魔石?ああ、結界を維持するための魔力源か。となるとこっちが結界を展開する魔道具か」
そんな広い部屋の大半を占める物資を見つけて近づいてみて見ると、大量の食料品に飲料水、さらには部屋を改造してトイレと風呂を増設し、キッチンまであった。
部屋の中心に水晶みたいな宝石を台座に固定したオブジェクトがあり、そこに魔石が埋め込まれているところから結界を発動するための魔道具だと推察。
「というか……この結界、たいして機能してないんだが」
そして、その手の魔道具は屋敷を構える際に色々と見ていたおかげで得た知識も相まって安物だというものがわかる。
なにせ、うちには赤ちゃんがいるのだ。
万が一の時、屋敷に籠城することを考えて、教官でも入るのに五分はかかる代物を用意したからな。
いざとなれば、ヒミクが魔力供給すればさらに籠城できる時間を延ばせるという軍事品を許可を取って付けさせてもらっている。
一回試験起動させて、その耐久力を俺自身で確かめている。
いや、まさか渾身のパイルリグレットに耐えうるとは思いもしなかった。
その一品と比べるのは少々失礼かもしれないが、それでも自分の身を守るとしたらこれは……
「お粗末すぎだろ」
見るからに使い古した旧式。
手入れも施されていない。
術式を刻む台座はボロボロだし、刻印も所々かすれていて、いつ結界にほころびができてもおかしくはない。
結界の耐久力は当初の性能よりも大幅に下がっているし、見る限りこれは、防御用の結界だけではなく、隠蔽結界、さらには認識阻害も併用するタイプ。
もし仮にすべての機能が正常に機能すればそこそこいい性能の結界になるだろうが、それでも世代的に型落ちなのは目に見えてわかる。
手入れも整備もろくにせず使うというのは……何と言うかひどい。
ただ使えればいいという魂胆が見え見え。
「おそらく、何も知らずに騙された口だろ。その手の詐欺集団はゴキブリのごとく湧き出てくるからな」
「あ、エヴィア。ノルド君は?」
「とりあえず、メイドに預けて着替えさせている。あの愚弟、こんな粗悪品を掴まされたのか」
「まぁ、何と言うか、人って追い詰められると思考が正常に回らないっていうし、よほど追い込まれていたんじゃないの?」
「それでもこれはひどい。仮にも悪魔の一族が詐欺に遭うというのはどう見てもよろしくはない」
自前で修理して改造する余地もないその代物に、眉間にしわを寄せて見ていると、そっと結界の魔道具を覗き込んできたエヴィアが大きなため息を吐いた。
「これは、父上にも言って一度ここいらの詐欺グループの摘発に動いた方がいいかもしれないな」
そして、自然に仕事のことを考える彼女に俺は苦笑する。
「それは後回し、とりあえず」
このままいくと仕事のことに熱中しそうだから、強引に意識を元に戻すために腰に手を回し抱き寄せる。
「ここは少し埃っぽいからな。居間に戻ろう」
「む、そうだな。その方がいいだろうな」
身を寄せ合い歩くというのは中々難しいが、俺もエヴィアも身体能力が桁違いになっている。
この程度の技は児戯に等しい。
互いに負荷をかけずに寄り添って歩くことなど容易だ。
「……」
「……気にするな」
ただ、その光景を見てなぜかハンカチを取り出して目元を拭うメイドさんの姿がちらほらと見えて、流石にどうリアクションを取ればいいかわからない。
笑顔を維持しているが、流石におれが困っているのを理解したエヴィアが、珍しく申し訳なさそうに顔を逸らしながら伝えてくる。
よほど男とは縁がなかったのだろう。
嬉し泣きするメイドさんたちに見送られながら、居間に戻った俺たちは。
「それで、姉が帰ってきたのにもかかわらず、出迎えなかった理由を聞こうか愚弟」
正座させ、尋問かと思うくらい高圧的な態度で、引きこもった理由を聞き出そうとするエヴィアの姿。
その圧は、戦闘時のそれだと錯覚するくらいに容赦ない。
「いや、ですね姉上。別に俺は姉上を出迎えたくないと言う意味で引きこもっていたわけではなく」
その圧がどれほどかとわかるくらいに、滝のごとく汗を垂れ流すノルド君。
目が明後日の方向にいったり来たり。
どうにか怒りに触れないように努力しているのはわかるのだが、それはエヴィアにとって悪手だよ。
「ほう、では、あんなお粗末な結界で部屋に閉じこもって、さらには腐りかけの食料を買いあさり、さらに機能不全を起こしている魔道具を備えた部屋で何をしようとしたんだ?理解が及ばない姉に是非とも教授してもらおうじゃないか」
下手な言い訳は自分の首を絞める。
あのわずかな時間で部屋にあったものを把握しているエヴィアの観察眼に脱帽するが、ノルド君にとってはそれは悪夢のような行動で。
「え、あれさえあれば籠城はバッチリだって聞いたから買ったのに」
さらに爆弾を投下するような発言がこぼれてしまった。
その囁くよりも小さな声を聞きとったエヴィアは、ビキリと額に血管を浮き出すほど怒りを露にする。
「ほう」
そして俺は知っている。
笑顔というのは、本来威嚇のために備わっている代物だということを。
今のエヴィアの顔を他人が見たら、百人中九十九人は優しそうな笑顔だと評するだろう。
まるで聖母のような慈愛に満ちた微笑み。
その笑顔を見て、怖いと感じるのがきっと残りの一人だろう。
俺にはわかる。
この後ノルド君の末路が。
ちらりちらりと助けを求める視線が俺やカデンさんたち向けられているが、俺は無理だと首を横に振るしかない。
「そうか、そうか、どうやら貴様への教育は他人には任せてはいけないようだな」
なにせ気配でわかるほど、エヴィアの怒気がこの部屋一帯に漂っているのだから。
最早手遅れと言っても過言ではない。
そっと手が十字を切り、冥福を祈ってしまっている。
エヴィアの声色はいたって優しい。
まるで、物事を知らない子供に語りかけるかのごとく優しい。
だけど、その優しい声色が逆にこの場では不安をあおる材料になっている。
「ちょうどいい、お前に縁談の話も来ていたところだ。先方に失礼がないようにここいらで一つ私の手自らお前を再教育するのも悪くはない」
トントンと彼女の指が顎に添えられ、一定のリズムを刻むがごとくその顎を優しく指で叩き思案しているように見えるが、もうすでに彼女の中では決定事項になっているのがわかる。
「え、っと、それを断ることは……」
絶対にろくなことにならないというのは本能的に悟っているのか、冷汗を流しながらどうにか絞り出してきたノルド君の言葉。
「別に構わんぞ?」
「へ?」
てっきり一喝で否定されるものだと思い込んでいたノルド君は、その優し気なエヴィアの言葉に呆けるような声を出して、ぱっとエヴィアを見上げる。
ただ、その姿が俺には、十三階段を登り切った死刑囚が断頭台に固定されてしまったように見えたのは気の所為だろうか。
「私はお前の姉ではあるが、お前に強制させる権利はない。私とて鬼ではない、お前の自由意志は尊重しよう。私も暇ではないからな、お前が嫌だと言うなら手間を惜しんでまで教育を施してやろうとは思わない」
そして、仕方ないと大げさに溜息を吐いているエヴィアの姿が、獲物に跳びかからんとしている虎が息を整えているように見えるのも気の所為だ。
「だったら「ただし」…え?」
僅かな希望が見えて、その蜘蛛の糸のような希望に跳びつこうとしたノルド君の言葉に食い気味で言葉をかぶせるエヴィア。
「それだとしたら、もう私はお前の仕事の斡旋もしないし、令嬢への情報操作もしない。自由というのはそれ相応の責任がある。お前の職歴に関しても色々と手を回してやったが、そうか、私の助けが要らないというのならこれからは自力で新しい職に就くがいい。もちろん自分でやるというのだから、父上たちの力も借りないと言うことだろうな。私の助けを断ると言うのは」
そして、さっきの声色が一変。まるで機械の音声のような単調な声で事実を突きつけるエヴィア。
「ああ、私は嬉しいぞノルド。お前は独り立ちすると言ってくれているのだな。その心意気、姉として誇りに思う。そうだな、余計なお世話だったな。あの魔道具も、あの食料もお前が独り立ちするための準備というわけだったか。これはこれは、私としたことが早とちりをしてしまったようだ」
まるでサプライズを台無しにしてしまったことを悔いるようにわざとらしく言うエヴィア。
このままいけばノルド君は屋敷を追い出され、強制的に自立しないといけないことになる。
それができない事情がノルド君にあるのを、エヴィアは重々承知したうえでのその言葉攻め。
流石悪魔。
「そんな早とちりをしてしまったようだから、最後に確認なのだが」
容赦なく、弟に愛の鞭を振り下ろそうとしている。
「本当に、いいんだな?」
きっと、絶対零度の眼差しで、言葉は慎重に選べという裏が含まれている最後の確認に対して、ノルド君が選べる選択肢はないと後ろに控えながら思うのであった。
今日の一言
仕事でどういう風な立ち位置を取るかはその人の自由。
毎度のご感想、誤字の指摘ありがとうございます。
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現在、もう1作品
パンドラ・パンデミック・パニック パンドラの箱は再び開かれたけど秘密基地とかでいろいろやって対抗してます!!
を連載中です!!そちらの方も是非ともよろしくお願いいたします!!




