496 業務日誌 知床南編 五
正直に言えば、翠のことを勝に伝えるかどうかは迷った。
短い期間であったが、勝とあいつは恋仲だったんだ。
そこには特別な感情もあったって傍から見ててもわかっていたし。
そして、その過程を見守ってきた者としては、最後を看取ったのが私で良かったのかと後悔もあるし、何で私なんだと翠に対しての怒りもある。
だけど、あいつの最後を勝に伝えないという選択肢だけは私は選べなかった。
「……そうか、翠さんが」
「うん、あいつは最後まであいつらしかったよ」
だからこそ、私はけじめをつけるために私の足で勝の部屋に向かった。
普段は私の部屋に勝が来るから、なかなか新鮮な気分で勝の家に向かったけど、いざ玄関のインターフォンを押そうとした時に戸惑ってしまったのは流石に驚いて、少し自嘲気味にも笑った。
翠のことでここまで私が気にしていたんだなと、改めて自覚してからそっとインターフォンの呼び鈴を鳴らし、そして出てきた勝に向けて、よっと軽く手を挙げた私を見て勝が目を丸くして驚いたのを見て、私の気持ちは少しだけ軽くなった。
そして勝の家に入った私はリビングではなく、勝の部屋に通され、暖かいココアを差し出され、それを一口飲んだタイミングで。
「それで、どうした今日は、南が家に来るなんて珍しいな」
これから何を話されるかわかっていなくても、相手の話を聞こうとする勝。
要件を聞かれたことは私にとっても好都合。
「勝に頼まれてた翠の事、調べ終わったよ」
おかげで私はすんなりと翠の話を切り出すことができた。
普段のござる口調じゃなくて、昔の口調になった私を見て、勝は居住まいを正し私の正面に座った。
まぁ、重苦しく話し始めたと言っても話す内容は、そこまで多くはない。
あいつが洗脳されていたことと、翠の最後に勝には何も残さなかったこと。
そこまで話して、勝と翠の関係は終わったと告げればそれで話はおしまい。
立つ鳥跡を濁さず。
それくらい潔い終わり方で幕を閉じた翠。
「私が、見てきて知れたのはそこまでだよ」
さんざん迷惑かけてきた女は別人だと語り終えた勝の答えを待つ。
「……そうか、翠さんはもういなかったんだな」
それに対する勝の反応は私が想像していたよりも冷静だった。
たった一言寂し気にこぼした勝はその後はじっくりと何かを考えこむように自分の分のココアの液面を眺めている。
その姿を見て意外と大丈夫そうだなと、思うのは筋違いだ。
「勝」
「なんだ?」
この子は我慢が得意、いや、辛いことが起きたら我慢することが当然だと思い込んでしまっている。
どうにかして辛い思いを飲み込もうと努力し、そのまま消化できない気持ちを腹の中で溜め込んでしまう。
それを続けてきた。
だからこそ、そんな勝の気持ちを吐き出させる必要がある。
伊達に長年幼馴染をしているわけではない。
「おいで」
北宮には悪いけど、ここは幼馴染の特権を使わせてもらう。
普段だったら私の方が甘える側なのだが、オリンピックよりも珍しいけどたまには。
「辛いときは辛いって言わないと、いけないよ。いつも私が言ってるでしょ?ああいう風に言わないと。勝が潰れちゃうよ」
女として、男を慰めないとね。
ゆっくりと両手をあげて、勝に抱き着いて来いと言わんばかりに向かい入れる体勢だ。
普段の勝だったら、馬鹿なことしてないでとたしなめられる瞬間だけど。
「っ」
翠が逝ったこと、そして普段よりも真面目に話している私がいることで、我慢強い勝の感情が決壊した。
男としての矜持なのか、それともまだ感情が追い付いていないのか、勝は跳びつくように私の胸に飛び込んできたけど、その後は泣き叫ばず、押し殺したように嗚咽を漏らすだけ。
だけど、それでいい。
ゆっくりと吐き出せばいい。
優しく抱きしめてゆっくりと頭を撫でる。
不器用な幼馴染は、悲しさを吐き出す方法が乏しすぎて困りものだ。
「……寂しいよね」
だからこうやって問いかけてやる。
泣きながら頷く勝は歳相応で。
「……悲しいね」
そして、ようやく少年らしく甘えられるようになった。
失恋と、母親の失踪に、父親との血縁否定。
この事件をまとめて受けた勝の少年心は、自分を守るために大人になろうとした。
だけど、大人になろうとしてもすぐに大人になれるわけではない。
ゆっくりと成長して、経験を積まなければ大人になんてなれない。
けれど、大人にならなければ勝の心が持たなかった。
だから私はあえて勝に頼ることによって、大人になったと錯覚させた。
もう、偽りの大人にならなくていい。
ゆっくりと少年の心を思い出せばいい。
あれから時間が経って、勝の心の傷にもかさぶたくらいできただろう。
まだ、痛む傷もあるかもしれない。
「……うん、今は泣いてもいいんだよ」
今回の翠との別れも、勝にとって大きな傷になるかもしれない。
ぎゅっと私の体を抱きしめ、ただただ静かに涙を流す少年の心は、無理矢理大人であろうとしているがゆえにひどく歪だ。
だけどね、勝。
そうやって経験を積んでいって人は大人になるんだよ。
難しいかもしれない。
辛いかもしれない。
目を背けたくなるかもしれない。
逃げてもいい、泣いてもいい、立ち止まってもいい、つらいと叫んでもいい。
だけど、その感情を否定しないで。
その気持ちは何かを大切にするときに優しさを向けることのできるきっかけになるのだから。
ああ、聞こえるか翠。
やっぱり私はお前のことが大嫌いだよ。
なんで勝を泣かせるんだ。
お前だったらもっと簡単に勝のことを笑顔にできただろが、お前だったらもっと要領よく立ち回って誰も悲しませない結末を迎えられたんじゃないか。
相手の意表を突くことが得意なお前が、なに不意を突かれているんだよ。
その所為でここに悲しんでいる人がいるじゃないか。
そんな気持ちをぶつけながら、それでも勝の頭を撫でる手は止まらない。
この子の涙が止まるまで、私はずっとこうしていよう。
「泣こう、勝。今、〝私たち〟にはそれが必要なんだ」
ぎゅっと私を抱きしめる力が強まり、ちょっと苦しいけど、それだけ勝が悲しみを抱えているんだというのがわかる。
ああ、痛いほど勝の気持ちがわかる。
ぽっかりと胸の奥に空いた空洞に隙間風が差し込み、そこが冷え冷えと寒くなる。
それが寂しさとなり、私たちの心を締め付ける。
「っ」
勝の泣き声が大きくなり、その声を外に漏らさないようにそっと頭も抱きしめる。
ねぇ、翠。
「……」
お前の前では見せなかったけど、お前のことは嫌いだったけど、私だってお前がいなくなって悲しいって気持ちくらいは持ち合わせているんだよ。
そして勝にばれないようにこぼした一筋の涙。
お前は私のことを妹だと言っていたな。
その最後の言葉は否定しないよ。
私だって、お前のことは嫌いだったが。
姉がいたらこんなに面倒だったのかと思ったことは何度もあった。
家族に肯定されなくて、お前と比べられて、何度も嫌な思いもしたけど、勝とお前の三人で一緒にいる時間は思ったよりも嫌いではなかった。
むしろ当時の私にとってはそこが私の居場所だった。
翠がいなくなって、勝とずっと一緒だったけど、心のどこかでまたそんな時間が訪れるのを待っている自分がいた。
それをこのタイミングで自覚するとはね。
うっすらと流れる涙の下で、口元に笑みが浮かぶ。
別れの言葉はすでに送った。
だけど、二度とこないあの時間を忘れないように、少しだけ勝のことを強く抱きしめる。
静かに私と勝しかいない空間で抱き合って涙を流し合う。
そんな時間がどれくらい過ぎ去っただろうか。
「ねぇ、勝」
「……」
徐々に涙も収まり始め、少しだけ心が軽くなった。
抱きしめている勝の嗚咽も静かになり、そのままゆっくりと時間が過ぎていく中。
「勝はどこにもいかないよね」
心の中で寂しいと叫ぶ私の声が、心を誤魔化すことを拒み、そしてこの言葉を隠すなと背中を押され、こぼれた。
「ああ」
そんな私の言葉に、抱きしめながら勝は頷いてくれた。
「だから、お前もどこかに行くな」
そして弱まっていた力が再び籠められ、放さないと勝が言外に伝えてくる。
「お前までいなくなったら、僕はどうすればいいんだ」
「……うん」
失うことを一番恐れているのは勝だろう。
そして、それに負けないくらいに私も、失うことを恐れている。
大事にしたい時間が増えれば増えるほど、それを失った時の反動が恐ろしい。
それを知っているがゆえに、私は大学に行きながらも、深い関係になる人物は同性、異性問わず勝だけだった。
それが変わった。
リーダー、いや、次郎さん、北宮、海堂さん、アミーちゃん。
最初は仕事仲間という距離感で接していたけど、気づけば私たちの中で大事な人となっていた仲間たち………
スエラさんにメモリアさんにヒミクさん、そしてエヴィアさん。
次郎さんとの繋がりで仲良くなった異世界の人たち。
教官や、社長、シィクさんとミィクさん、アミリさん。
居場所は作れると思った途端に、大切な人も広がった。
だけど、多くなったと言っても、その一部でも欠けてしまえばやはり苦しい。
この苦しさは何度も味わいたいと思うものでもなく、何度も体験しても慣れることはない。
「そうだね。だったら、私が最後まで一緒にいてあげるよ」
けれども、この苦しさを知るからこそ、私たちはだれかを大切にすることができる。
だから、ここで勇気を出せ。
「南?」
まるで告白のような言葉を言ったからには、もう後戻りはできない。
そっと抱きしめる腕を緩めたことに、疑問に思った勝は、そっと泣きはらした顔をあげて私の方を見ようとしてきた。
ここだと、何か直感めいたものが私の頭に走り。
「好きだよ、勝」
その勢いに任せて、そっと勝の唇に自身の唇を重ねた。
「!」
目を見開く勝、そしてほっと安堵している私がいる。
よくある歯と歯をぶつけるような失敗や、キスした時にむせるなんて失敗をせずに済んだ。
どのタイミングで離せばいいかわからないなんてことはなく、心の中でゆっくりと三秒ほど数えて、そっと唇を離してみると……
「おま、え、なに、え!?」
顔を真っ赤にして混乱してる、勝がいた。
「ニヒヒヒヒ、しちゃったでござる」
そして多分私の顔も真っ赤になっている。
悲しみ相まって、愛おしさ溢れる。
照れ隠しのござる口調にもキレがない。
テレテレと頭を掻いているけど、ついにやったという達成感の所為で勝から離れられない。
「その、まぁ、そう言うこと、でござるし、勘違いしないで欲しいのは、慰めるためにしたわけじゃなくて、ええと、その。本気で、勝のことが、す、好きだから、したわけで」
ああ、だめだ。
恥ずかしすぎて、なにをどう言えばいいか全然まとまらない。
唯々、好きだという心だけは伝えようと必死に頭を働かせようとしたけど、勢いでやってしまった感が抜けない今では何もかもが後付けになってしまって。
「ああ!もう!!とりあえず!!拙者、知床南は、勝のことが異性として好きだったんでござる!!年下、幼馴染属性万歳でござる!!悪いか!?」
自分のことだけど、人生で絶対に黒歴史に残る最低な告白の仕方だったかもしれない。
「なんだよ、それ」
だけど、そんな最低な告白だったけど、勝はキョトンと一瞬呆けた後に。
ちょっと噴き出すように笑い。
「お前らしい、告白だな」
私の告白をらしいと評価した勝は。
「うん、僕もお前のことが好きだ」
きちんと私の顔をまっすぐ見て、好きだと言ってくれた。
胸が張り裂けそうになるくらいに嬉しいという言葉しか頭に浮かばず。
「ただ、一つ文句がある」
「文句?」
そのままガッツポーズを取ろうとしたところで、申し訳なさそうに勝が照れて顔を背けて。
「いきなりすぎだ。馬鹿」
最後の方で小さくなりつつ勝は必至に言葉を選び。
「ウリウリ、そんなに私に告白されたのがうれしかったのでござるか?」
可愛く照れる幼馴染にニヤッと照れ隠しに揶揄って見ると。
「そうだよ、悪いか。お前は、ずっと僕のこと男として見てないと思ってたからな」
いつものように照れながら激しく否定するのではなく、勝は恥ずかしがりながらも素直に話してくれる。
その態度に虚を突かれ。
そして、今更ながら片思いが、片思いではなかったことに気づいた私も相当鈍いなと思いつつ。
「ちなみに、勝って結構モテたりしてるの知ってた?」
勢いで告白したことに対して北宮にちょっとだけ申し訳ないと思い。
一応、将来の北宮への布石を打つためにこんなことを言い。
「え?嘘だろ?」
「ふふ、嘘か本当かは将来わかるでござるよ~この話はここまで今は拙者が一番乗りでござるよ~」
そうなのと聞きたそうな顔をする勝を再び抱きしめて、勇気を出したことに対するご褒美を堪能するのであった。
今日の一言
この後どうなったかって?乙女の秘密でござる。
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パンドラ・パンデミック・パニック パンドラの箱は再び開かれたけど秘密基地とかでいろいろやって対抗してます!!
を連載中です!!そちらの方も是非ともよろしくお願いいたします!!