492 業務日誌 知床南編 一
ちょっとしたトラブルがあったけど、勝の帰りを無事に見送ってからつい溜息を吐いてしまう。
「ふぅ、バレなかった」
そして一応玄関の方をもう一度見て勝が戻ってこないことを確認すると、机の上にわざと放置したように見せた封筒をもう一度手に取り、そしてそっと勝には見えないように隠していたもう一つの紙を取り出す。
「……」
じっと見つめてもその文言は変わらない。
わかっていた。
わかっていたが、それでもやるせない気持ちは変わらない。
「はぁ、私って面倒くさい女だね」
勝が見ていた報告書とは違い、A四用紙一枚と、少ないページに書かれる言葉は少ない。
『特別区画入場許可証』
これは会社内でも、許可がなければ入れない区画に入るための許可証。
件の男、鈴木という不審人物の方に注意がいっていたからこそ気づかれなかった私にとっての本命の一枚。
鈴木という男がアミーちゃんをつけ狙っていても、それは会社の方が対処してくれている。
言わば私の領分ではない。
気にもかけ、いざという時には動くことにためらいはないが、それでも動くべきではないと理解している分こっちの方は気楽だ。
私は、いや私たちと言い換えよう。
魔紋という特別な力を得ても、所詮は個人。
組織に抗える存在など、最近人を辞めて、人外の領域に足腰をずっぷりと沈めた次郎さんみたいな存在だけだろう。
だが、彼とて一国を相手取ることなんてほぼできないし、魔力がなければ鍛え上げられた人程度の力しかない。
故に、宗教組織と関わり合いのある相手に対して個人である私や、勝が何かできるという考えすらおこがましいと私は考えてしまう。
勝のように何かしないとと思うことは美徳だ。
誰かのために行動し、結果を示そうとする行為は高尚である。
だけど、それをやるかやらないかきちんとリスクマネージメントをしなければ、勇敢は無謀になり下がる。
善意は呆気なく踏みにじられる。
「勝ももう少し危機意識って言うのを持ってほしいけどね」
人は善意を持つが、善意だけで満ちているわけではない。
それを知っているがゆえに、幼馴染の行動に時々ヒヤッとさせられる。
だからと言って、その純粋さを失くした幼馴染を見たいかと聞かれれば。
それは違うと頭を振り。
「まぁ、それが勝らしさなんだろうね」
そっと自分の言葉を否定するように吐き出された言葉がそんな勝を求めていない自分の心内を言い表していた。
そんな自分に呆れたと言わんばかりに、苦笑をこぼしてそっとゲームのコントローラーを握ろうと思ったけど、そんな気分になれずそのまま放置して。
「今日は寝ようかな」
明日のこともある。
珍しく今日は早く寝るという気分になって、ベッドにもぐりこむ。
睡魔はない。
だけど、すぐに寝るという技は身に着けているから例え眠気はなくともそのまま眠ることはできる。
だけど、布団に入ってすぐに眠ろうとはしない。
「私の人生、結構変わったな」
きっかけは勝が持って来てくれた。
その話は私にとってきっと人生の転換期になったのは間違いない。
そんな確信を持っている。
もし仮に、次郎さんたちに会わずにいたら私はどうなっていただろうか。
「……」
考えるまでもない。
きっと暗いこの部屋で、無難にすごして、なし崩しに勝に面倒を見てもらえるように段取っていただろう。
それを行わず、私は今の自分の現実と向き合おうとしているのだから人生何が起きるかわからない。
オシャレなんて私からしたら遠い世界の空間に北宮という同年代の女性に手を引かれて入りびたる日が来るとは思わなかった。
北宮には面と向かって言うことは羞恥心という大きな壁によって言うことは叶わないだろうが、心の底から感謝している。
最初は幼馴染で、姉弟のような関係性を続けていくことで諦めていた私が、時折女性を見るような目で頬を赤らめる勝の姿を見ることが出来たのだから。
まぁ、恋のライバルと言う厄介な存在になってしまってはいるけど、それはそれで納得せざるを得ない。
それほどまでに世話になっている。
その恩をあだで返すほど私も落ちぶれてはいないのだ。
そんなことを考えていると段々と思考が鈍り、ああ眠るんだなって感覚が伝わってくる。
それに抗わず、勝が洗ってくれたシーツに包まれ、眠りにつく。
そして翌日、私にしては珍しく目覚ましよりも早く起き、そして身支度を予定の時間よりも早く整えることができた。
「ああ、私、緊張してるな」
その行動の速さの原因を客観的に分析できているのでまだいいが、これからやることに対して必要であっても乗り気でないのが緊張の原因だろう。
すっと姿見でおかしなところがないかだけ確認してアパートを出る。
目的地である会社まで大体三十分かかる。
電車とバスを乗り継いで、目的地である会社の最寄りのバス停で降りると会社は目と鼻の先。
社員証と片手にいつも通り自動ドアを潜り抜けて、普段だったらそのまま一課のあるフロアまで出向いて仕事着に着替えるのだが今日は違う。
「来たか」
「遅れてすみません」
入り口付近に待機していた女性、エヴィアさんの元まで小走りで走り素直に頭を下げると、エヴィアさんは怪訝な目で私を見ている。
「今日は普段の口調じゃないんだな」
「あの口調で話すような場所ではないので」
「……そうか、時間がおしい行くぞ」
どうやらいつものござる口調ではない私に違和感を感じている様子だ。
それもそうか、普段からあんなふざけた口調でキャラを作っている私が、いきなり素面になるんだから何かあったかと思われるか。
エヴィアさんすみません。
ご苦労をおかけしますが、あの姿をあの女に見せるのだけは嫌なんです。
あの姿の私は、あのパーティーの中での私。
あの女に向かい合うのは、この私でいたいのだ。
少し早足なエヴィアさんの後に続いて、いくつかの関所を抜けて、段々と会社の中でも奥まったエリアに踏み込んでいく。
研究棟でもない、訓練所でもない、武器庫でもない。
物々しい姿の職員たちがいくつものゲートを見張り警護している道をエヴィアさんの案内で進んで行くと。
「ここは」
「ここから先は注意して進め、はぐれると下手をすれば一生出てこれなくなるぞ」
床も天井も壁も入ってきた入り口を除いて全て鏡張りの空間に出た。
それも普通の部屋のように正方形の部屋ではなく、正八面体の鏡張りの部屋。
いきなり出た特殊な空間を前にしてエヴィアさんは私に注意を向けた。
一生出てこれない。
そんな言葉に背筋を伸ばして。ゆっくりと歩き始めるエヴィアさんから離れないように後ろをついていく。
何せここは牢獄なのだから。
特別区画入場許可証。
それはすなわち会社内でも特に隔離しないといけない空間に入るための許可証。
ある事件で投獄された人物と面会するために、何度も申請してようやく受理された機会。
将軍候補から晴れて将軍となった次郎さんと、その婚約者であるエヴィアさんの両名の推薦があったからごく短時間であっても面会が可能になった。
ここには熾天使と呼ばれる特殊な存在も投獄していると聞いている。
合わせ鏡による無限境界監獄。
特殊な魔法によって空間を圧縮して、距離感を失くし、さらに入り口を認識させないようにしている特殊な空間。
その空間内一個一個に特殊な独房を併設し、外の世界との交流を断絶するための世界。
迷い込んで入ってしまえば、社長ですら見つけることが不可能と言われている。
そんな空間に踏み込むには勇気が必要だった。
だけど、迷っている暇はないとエヴィアさんの後をついて中に入る。
鏡の中に浮かんだ魔法陣が私を鏡の中に誘い、柔らかい水に浸るような感触とともに異界に入り込む。
当たりを見渡すと魔王の管理する牢獄というのだから暗い空間を想像していたけど、予想と反していたって普通の廊下に出たのだから拍子抜けだ。
「普通だ」
「当たり前だ。牢獄に求められるのは強度だ。そこに奇抜さは不要。どんなものを想像していた」
そんな私の感想に、眉を寄せるエヴィアさん。
言われてみれば確かにそのとおりであるのだけど、それでも異世界の牢獄に来たのだから、こう石畳の中世ヨーロッパ地方で見れそうな感じの牢獄だったり、あるいは魔法陣でがんじがらめにされたあいつの姿が見れるかもと期待していた私にはこの無機質な廊下は予想外もいいところ。
「あんな入り方をしたので中も特殊かなと」
だから素直に感想を述べれば、エヴィアさんは立ち止まり、ニヤッと笑って見せる。
それはまるでわかっていない私を揶揄うような笑みだ。
「ここはとある勇者の末裔の脱獄を期に新築された牢獄だ。設備としては最新の封印術はもちろんだが、魔力炉を使った結界、ジャイアントたちによる特殊拘束具、悪魔族の秘術を使った契約。様々な方法でこの牢獄に固定することに長けた特別製だ。さらに地球で手に入れた監視カメラもそこら中に設置しさらには赤外線による警報装置もつけ、扉には電子キーと魔法陣による二重の施錠だ。見た目は普通だが機能面で見れば我が国の牢獄でも類を見ないほどの特殊な牢獄だ」
そしてツラツラと言われる内容は決して普通とは言い難い内容ばかり。
おまけにスーッと廊下の向こうから滑らかな動きで移動してくるのは。
「ゴーレム?」
「機王の特製のゴーレムだ。あれ一体でマンションくらいは建つ」
「え」
なめらから流線型のボディを持つ白色のゴーレム。
至ってシンプルな形状をしているゴーレムだけど、動きの滑らかさとその体に内包されている魔力量に思わず勝てないと冷や汗が流れる。
それが私たちの前に立つと、その巨体から白い光が照らされ。
しばらくじっとそのゴーレムを見つめるが彼は何もせずそっと振り返って戻っていった。
一体何をしたのかと思えば、ぐにゃりと空間が歪む。
「ここは」
「あのゴーレムを破壊するとこの空間に訪れられないようになっている。あれ自体がこの空間に入るための門番ということだ」
今度こそ私が想像しているような異世界の牢獄みたいな場所にやってきた。
さっきまでいた無機質な廊下はダミーでこっちが本当の牢獄。
「あのゴーレムの転移機能がなければ、三十二の結界を解除しその結界内に封印された空間を踏破しなければならないからな。鬼王であっても踏破に二十日はかかる」
「もしかして、実験しました?」
「ああ、魔王様の秘蔵の酒で釣った。喜んで参加し、終わった後にふてくされていたぞ割に合わないとな」
そこはいくつもの魔力結晶が折り重なった空間。
その結晶が槍のように伸び、中央の結晶に向けて魔力を放っている。
中央に浮かぶ結晶には幾重もの魔法陣に封鎖され、さらに結晶内では拘束具でがんじがらめにされているさなぎのような存在があった。
顔すら覆われ、五感をすべて封じ込まれ外見では誰かすらわからない。
そんな存在が私が求めた人物。
「翠、こんな場所にいたんだ」
「憐れむか?」
「そんな関係じゃないんで」
「そうか」
私がそんな姿を見てポツリとこぼした言葉を聞き、問いかけてきたエヴィアさんの言葉を否定するように頭を振り。
エヴィアさんはそっと手を振り魔法陣を起動させた。
そしてホログラムのように目の前に幽霊のような姿の川崎翠が映し出された。
眠るように目を瞑り、そして何も着ていない姿の彼女が映し出され、そして。
『うっ』
ゆっくりと眠りから目覚める。
そんな翠に向けて私が最初にかける言葉はただ一つ。
「おはよう、翠、嘲笑いに来てやったよ。気分はどう?」
『さっきまではぐっすりと眠れてて気分が良かったけど、あなたの顔を見たから最高に嫌な気分ね』
お互いに嫌悪の感情をぶつけ合う言葉であった。
今日の一言
求めている物に対してはしっかりと手続きを。
毎度のご感想、誤字の指摘ありがとうございます。
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パンドラ・パンデミック・パニック パンドラの箱は再び開かれたけど秘密基地とかでいろいろやって対抗してます!!
を連載中です!!そちらの方も是非ともよろしくお願いいたします!!