453 忙しない時間でも、余裕を保て
忙しい。
ただただ忙しいのではなく、クソが頭につくほど忙しい。
「次郎君、次はエーリッヒ侯爵との面談、その次は西の豪商と呼ばれてるカンデルタ商会の副会長とで、あとは書類整理と決裁、そんで今夜は北側の貴族諸侯との晩餐会」
最近では半ば秘書のような役割を担ってくれているケイリィさんは分刻みと言っていいスケジュールを片手に俺の今日の予定を告げてくる。
そこに出てくる名前を次から次へと最近記憶したリストから引っ張り出すのは最早慣れたものだ。
顔写真と名前を一致させないと後が大変だからな。
あの日のパーティーから引っ切り無しにパーティーの誘いが来ている。
それは俺という人物を知るためのものと、俺が現役の将軍たちとコネクションがあることが周知されたことによる結果だ。
休む暇なし。
最近は娘たちが起きている時間帯に帰れなくて、マジで精神的に悲しくなっている。
「はいよ、アポイントは以上で?」
それでもしっかりと仕事をしないといけない。
「いきなりの訪問件数もついでに聞いておく?」
「止めておく時間の無駄。ケイリィさんが良さげだと思った人だけは後日優先的に回して」
「了解、いつものようにね」
正直、普通に仕事をしている時間が癒しだと思えるほど今の仕事の量は異常だ。
部署に居座る方が少なくて、最近では海堂たちと一緒に飯を食べる機会も少ない。
「この波を超えればある程度は落ち着くから、その気落ちした表情はもう少し隠しなさいよ」
「おっと」
普段出来ていることが出来ないと言うのは中々にしてストレスが溜まる。
だけど、それは弱みを見せていい理由にはならない。
せめて社内や面談途中は気を張っていないといけない。
疲れを感じさせる溜息すら御法度。
そんな環境に身を置いていたら窮屈で仕方ない。
だけど、もう時間がない。
「支持率っていうか、支援者の方は集まってるか?」
「基盤は出来たってところね、ムイルさんが今地盤を作ってる最中よ。それが出来たら築城ってところね」
「先は長いな。だけど、初めてだよ」
「何が?」
刻一刻と猶予は減り、本番に近づいている。
だけど不思議と焦りはない。
一歩一歩しっかりと足を踏みしめて進むしかない現状、焦りは禁物だ。
少しの遅れを取り戻すのにも一苦労ではすまない。
普段だったら、その焦りを意識したりするものなんだけど、不思議とその焦りはない。
なぜなら。
「仕事で、ワクワクするって言うのかな。もっと先に、もっと上に、もっと出来るって思っちまう」
もっと出来ると、もっとやれると自信が漲っている。
くくくくと笑いが漏れ出してくる。
「そう言う所は頼もしいって思うし、あなた、やっぱり鬼王様や不死王様のお弟子さんなのね」
「違いない」
忙しさ、辛さを、楽しんでいる自分がいる。
この壁を乗り越えた先の景色に何があるか楽しみで仕方ないんだ。
「さてと、面談に行くかね」
「ええ」
気力、体力、ともに充実そう思ってただ一日を邁進するのみ。
Another side
そんな次郎の行動を面白くないと思う輩は多々いる。
その筆頭と言えるのが他の将軍候補の参加者たち。
社内には比較的人間に対しては友好的な人材を選定し、配置しているが、友好的イコール信頼していいと言うわけではない。
社内にも派閥があり、出身地が異なる。
そしてある程度の行動は黙認しても、一定のラインを超えることを許さないそんな輩も存在する。
すなわち、その輩にとって次郎の将軍位に挑むと言う行動はそのラインを余裕でオーバーし苦々しく思っているのだ。
次郎が接している会社の人などほんの一部に過ぎない。
そして、次郎の台頭を良く思わない勢力、その次点に位置するのが上位貴族。
彼らの家はそれぞれに歴史を持ち、そしてプライドを持つ。
多くの血族たちが戦争に参加し、その地位を維持してきた。
数々の魔王が入れ替わりながらも、生き残ってきた家格。
その自負が有るが故に、歴史上見たことのない人間の将軍位への就任は看過し難い物であった。
例外は作ってはならないと様々な方面から圧力をかけて、それを封じようと画策したが………
その貴族たちに一番に立ちはだかったのは魔王だった。
姑息に、用意周到に、そして粘着的に。
歴史が紡いできた黒き暗躍。
その毒蛾が次郎の側に来ようとしていた、魔王はそれを読みいち早くその毒蛾に針を突き立てた。
魔王軍は強さ主義。
将軍位を邪魔したければ、真っ向から否定しろと、魔王に言われてしまった。
意外かと思われるかもしれないが、魔王軍は暗躍を表立っては嫌っている傾向がある。
有り無しで問われれば、様々な暗躍は起こってはいる。
今現在でも飛び交っているとも言える。
だが、もし表沙汰になれば卑怯者のレッテルが末代まで貼られる。
言わば、諸刃の剣だ。
その両刃の切れ味は鋭い。
相手に振り翳すときには凶刃と化すが、自身に降りかかったときもまた凶刃と化す。
そして一方的に振るうなら怪我は生じない。
だからこそ判断を誤る者が続出する。
自分なら振り翳しても平気だと、その刃が受け止められ、それが返されることを想定していない。
その刃の鋭さを知っているだけではいけないのだ。
その刃を振るうのなら、振るわれることを理解しないといけない。
だからこそ。
「ほっほっほっ、ワシも随分と舐められたの。この程度の情報隠蔽でワシのことを出し抜けると思われたのだから」
新たな陣営の設立の時はその自信過剰な刃に警戒しないといけない。
「ムイル・ヘンデルバーグ!!なぜ英雄であるあなたが人間の味方をする!!あなただってわかっているはずだ!!多くの同胞が多くの仲間が!!人間たちに殺された!あなたの父や祖父も人間に殺されただろう!!」
表向きに仲間を探すことなんて、誰もが思いつく。
だけど、意外とその仲間探しに対して過剰に反応することはないとなんとなく思ってしまう。
田中次郎は、人の悪意には敏感になってはいるが、まだまだ磨きが足りない。
そして自覚が足りない。
田中次郎という存在は表面上の情報よりも多分に警戒されている。
それこそ、一部の上位貴族の中ではその実力を正確に把握し、その脅威度を高めに見積もっている輩もいる。
表向きは不人気株とされているが、それも情報操作。
信頼出来ない情報を流すことによって、少しでも田中次郎が将軍になれないように邪魔するための企てだ。
それをした貴族はその行動が正解だと思った。
もしやっていなかったら、憎しみという個人感情に分別を持ち、利益を追求できる輩が田中次郎という個人に力を貸す可能性を憂慮した。
事実、結果は出た。
もし手回しをしなかったら田中次郎の勢力は現段階でもそれなりの有力勢力にまで膨れ上がっていたとこれを策略した貴族は思った。
それを成しえる可能性を秘めた後ろ盾を得たのだから。
ムイル・ヘンデルバーグ
ダークエルフの英雄。
知る人ぞ知る、護国の英雄。
そんな英雄が後ろ盾となり、一人の人間を将軍位に押し上げようとしているのだ。
今、ムイルに尋問を受けている一人の悪魔は憤慨の気持ちでムイルを糾弾した。
人が憎くないのかと。
「勘違いしておるの、ワシとてあの時の戦争で多くの同胞の命を失った。そのことに対して怒りもあれば悲しみもある」
「ならばなぜ!!」
ムイルが勢力を拡大するにあたって、この妨害は想定済み。
どこかしらの勢力が妨害してくることは踏んでいた。
だからこそ、秘密裏に行動を起こして次郎の邪魔にならないようにこうやって裏方に徹している。
スエラとのつながりで知りえたケイリィという同族のおかげで次郎が順調に勢力拡大をしていることを知れているからこそ、背後に気を配れる。
穢れ役は老兵の務め。
若い者に花道を作ってやることこそ自分の役割だと。
だからこそ目を、鼻を、そして耳を鋭くしていたらこうやって幾人もの密偵を捕らえることができた。
そしてムイルがその密偵たちの前に現れると揃ってこうやってムイルを糾弾する。
なぜ人の味方をすると。
「勘違いしておるといっている。田中次郎という人はワシらの戦争には関係のない人だ」
「いや!人であるなら!!いずれ我らにその牙をその邪知をその悪意を突き立ててくる!!目を覚ませ!!ムイル・ヘンデルバーグ!!今ならまだ間に合う!!」
だからこそムイルは冷静にその悪魔を諭すように言う。
田中次郎と魔王軍の歴史的戦争には関係ないと。
もし仮に、次郎がイスアルの出身であり、そして神殿の関係者であったのなら、ムイルは全力でスエラとの結婚を防ぎにかかっていた。
だが、にこやかに二人の恋を受け入れ祝福していたのは、そこの区別がついていたからこそ。
憎いのはあの時の戦争で戦った敵の兵士であり、彼ではないとムイルの中でしっかりと飲み込めていたからだ。
だからこそ、この悪魔の言葉にムイルは不快感を示す。
「ほう、ヌシはこう言いたいのか。人であるなら全員敵だと?女であろうが子供であろうが」
「そうだ!!魔王様は人間を利用してダンジョンの強化を考えていた!そこまではいい!人間を利用し我らの糧にすること自体は私自身も賛同できる!!だが!奴らは同胞ではない!!利用すべき家畜であり!!奴隷だ!決して将軍位についていい種族ではない!!」
悪魔という種族は見た目で年齢は測れないし年齢を測ることの意味も薄い。
だが、それでもムイルは目の前で叫ぶ男のことを若く、青く、未熟と評した。
思想が偏り、それこそ絶対だと思っている。
種族への偏見は得てして起きやすい。
味方には寛容だが、敵には厳しい。
そんな輩は幾人も見てきた。
若いころの自分もこの若者と大して変わらぬとムイルは思い。
特段彼の言い分を否定しなかった。
「であれば、悪魔族はワシの敵ということになるの」
だが、容認はしない。
さっきまで抑え込んでいたムイルの魔力が漏れ出す。
それは怒りを含んでいるわけでもましてや殺意が込められているわけではない。
しかし、英雄と呼ばれたほどの実力を持つムイルの魔力は、若い悪魔にとっては圧倒的なほどの実力差を見せつけることになる。
「………ぁ、っ!?」
どうにか言葉を紡ごうとしているが、それすら許さぬムイルはそっと腰を下ろして悪魔と目線を合わせる。
「昔の、ワシの大事な友がちょっとした小競り合いで悪魔族の男に殺された。ヌシの言葉を借りるならワシの大事な友を殺した悪魔族を信用してはならぬということになる」
「ち、違う!!俺はそんなこと言っていないし!悪魔と人は違う!!」
「違わんよ、長い歴史で見ればイスアルと戦っていること自体は良く目立つが、全体的に見れば魔王様が不在の時の我らは異種族同士で戦争している機会の方がはるかに多い。人と戦争し長い間戦ってきたのだから人は信じてはならないと言うのであれば、ダークエルフという種族だけで見てもこの大陸に住む大勢の部族たちと戦争をしてきた。ここまで言えば、悪魔族であるヌシにも理解できるだろう。ワシらは人と戦争するよりも長く他種族と戦争を繰り返してきたと」
そう言うことなら分かるよな?
と一度間を置いて、目で確認をするように視線を合わせるとグッと悔し気に悪魔族の男は視線を逸らした。
「ヌシの言い分を考えるのなら、ワシらは単一種族にならねばならぬ。すべての種族を排除し、その頂点に残った種族のみをこの大陸の主に添えねばならぬ。そこからゆっくりとイスアルと戦い人という種族を皆殺しにしなければならない」
平和な時間は確かにある。
だけど、それと同じくらいに戦争をしていた時間もある。
人だから憎いと思っているような思想では、いずれ人以外にもその思想を持ち出す。
その先に待っているのは破滅。
自分が一番でなければいけないと思う者の末路など、孤独死でしかない。
「その先に争いのない世界があると思うか?終わらぬよ、例え悪魔族がこの世界の覇者になったとしても、その先に待つのは同族同士での戦争、人だのダークエルフだからだの。そんな理由で争っているうちはどうでもいい理由で戦争は始まる」
「………」
もし仮に何でもない民間人がこんな事を言ってもこの密偵には響かなかっただろう。
だが過去の大戦を経験し、英雄とまで言われたムイルが言えばその説得力は格段に増す。
戦争が終わらないと英雄が言うのなら終わらないかもしれない。
そんな考えが浮かび、密偵の男の常識にひびが入る。
気づけばどんどんと言葉数が減っていく密偵。
それを見て、ムイルはふぅとあからさまに溜息を吐いて見せる。
「そんな大言壮語しか吐けんのだからヌシは使い捨ての駒にされるのじゃ」
「!?」
そして同情するかのようにその言葉を投げかけた。
顔を逸らしていた悪魔の男はハッとなってムイルを見る。
「意外か?それともブラフかと思ったか?残念どちらも不正解じゃよ。お前以外に捕まえた者はおる。他の奴はお前よりもあっさり吐いただけにすぎん。だから雇い主に書状を届けた。お前の子飼いの密偵がワシの側で悪さをしておった。今回は目を瞑るから取りに来いとな。そうしたら相手方はこう言いおった。そんな者知らんとな。ヌシの雇い主は部下の命よりも外聞の方をとった。ではこの後のヌシはどうなるかの?」
暗殺者や密偵という職業は必要悪とされている。
所為、穢れ役だ。
だからこそ、不人気であり、なり手も少ない。
だが、その割に消耗度合いが多い。
その理由はこうやってへまをしたときに挽回が効かない。
失敗イコール信頼の失墜。
そして命の危険。
その末路を知っている密偵の男はここまでかと、がくりとうなだれる。
だが、捨てる神あれば拾う神もある。
「そこでじゃ、一つ提案があるんじゃが」
弱みに付け込むことなど暗躍では常套手段。
いや、この程度の事なら隙を見せた方が悪いと言われるだろう。
「ヌシ、転職する気はあるか?」
ムイル・ヘンデルバーグ。
彼を知る古い友人に彼のことを一言で表すのならどう表現する?と聞くとこう返すだろう。
人材ハンター、と。有能であると思える人材をあの手この手で気づけば仲間にしている。
そして粗雑に扱わないことから、気づけば人の輪が広がっている。
ムイルの内心では、次郎を支えるための人の輪が少しだけ大きくなったと笑うのであった。
今日の一言
余裕は大事である。
毎度のご感想、誤字の指摘ありがとうございます。
面白いと思って頂ければ、感想、評価、ブックマーク等よろしくお願いいたします。




