43 時には相手の考えに合わせるのも社会人として必要なことだ
田中次郎 二十八歳 独身
彼女 スエラ・ヘンデルバーグ
メモリア・トリス
職業 ダンジョンテスター(正社員)
魔力適性八(将軍クラス)
役職 戦士
さて、昨日のことだがまた厄介ごとがやってきたわけだ。
しかし残念ながら無情にも日は昇り仕事をしろとせっついてくれる。
やる気を削がれているが、これで飯を食っている身、悲しくも社畜魂で布団を抜け出して装備を身に着け用意する。
さらにやることがあるからあいつらよりも先に訓練場に行かなければならない。
見よ、まさに社会人の鑑だ。
「で、あんた誰?」
「ワシは和銅!! 貴様が田中次郎だな!!」
うわ~、すっげぇ嫌な予感しかしない。
選択肢でYesかNoというのがあれば即決でNoと選びたいが、こういった類はそんな選択肢を取らせてくれないだろうな。
朝っぱらから厄介ごとの匂い。
なんだ?
俺呪われてるのか?
ファンタジーな会社に所属してるから正直笑えねぇぞ。
ステータスも運だけが唯一上がらねぇからな。もしかしてスエラとメモリアと付き合ったことで運がマイナスに補正されたか?
シャレにならん。
ストーカーに気づき、対策を考えながら訓練室に出向けば、いないはずの人影がある。強面の赤鬼が一体。
一本角に合わせ、キオ教官にも勝る巨躯、道着のような着物に鎧を着込み右手には刺のついた金棒を携えている。
キオ教官関係だと思ったが、あからさまな臨戦態勢と次いで言われた言葉で違うとわかる。
「ワシは主が好かん!! 魔王様やお館様の気に入りか知らんが、人間がノコノコと成り上がってからに、ここでわしが成敗して化けの皮をはがしてくれるわ!!」
出会い頭一発に嫌いと言われるのはどうかと思ったが、どうやらこの鬼が社長や監督官の言っていた刺客の一部らしい。
一部といったのは、この鬼が昨日のストーカーと似ても似つかないのもあるが、あれと違ってなんとも分かりやすい敵意だ。
「はぁ、で? 俺のどこが気に入らないので?」
そして対応しやすい。
コソコソとされるよりもこうやって不満をぶちまけてくれた方がこっちも問題点を洗い出せて改善しやすいから、正直こういった輩は嫌いではないのだ。面倒ではあるが
「ふん!! タダでさえ人間は弱いというのに、そやつが一番下とは言え地位を与えられる!! その下につく者が道を違わないようワシが貴様を見定める!!」
要は俺が弱いから気に食わないと。
The鬼といった分かりやすい発言ありがとよ。
ならこっちの対応もしやすい。
すっと、鉱樹の柄を握る。
「ほう、人間にしては話が早い。ぬ?」
一瞬嬉しそうな顔を浮かべる和銅とやらは何やら勘違いしているようだが、気にせず進めるとしよう。背中から抜いた鉱樹は地面に突き刺す。
そして次に鎧も外し、上半身も裸になる。
この会社に入ってから鍛え上げられた筋肉が少し冷えた空気にさらされる。
「おら、あんたらの土俵に入ってやるよ。武器を使うと殺し合いになりかねんのでね、時間もない。殴り合いで先に倒れた方が負けだ」
「カ!! ワシらの流儀を知っているようだの!! その心意気は良し!!」
そして、魔力で闘気を滾らせれば先方の鬼は嬉しそうに子供が泣きそうな笑顔で笑うと右手に持っていた金棒を放り出し、鎧も剥ぎ取るように外し、道着をはだける。
岩のような赤い肌が盛り上がる筋肉が顕になり、見るからに硬そうだ。
キオ教官から聞くところによると、鬼というのは、まどろっこしい知略や奸計といった謀が好きではないらしい。
疑うにしても、わざわざ他人に聞いたり調査したりなどは面倒と言ってやらないケースが多い。
そんなことをするくらいなら、真正面から問い質すといった種族らしい。
そこで、鬼からの疑いというより不満を解消する方法を教官らのアドバイスで学んだのが
「先は譲るぞ?」
「舐めるな人間がァ!!」
交互に殴り合うという土手の上での青春の上位バージョンというわけだ。
挑発がてら人差し指で誘うように招けば、力の加減など一切ない一撃が顔面に直撃する。
ずしりと芯まで通るいいパンチだ。
だが
「あんま人間舐めるのは、感心しねぇなぁ!!」
そんなもので倒れるほどやわな鍛え方をしているつもりはない。
今度はこっちが岩肌を粉砕する気持ちで目の前の強面を殴る。
殴ったら殴り返し、全力なら全力で、避けもせず全て自分の体で受け止める。
弱肉強食、どんなに不利な条件でも正面から平等に肉体面で競い合い勝てば鬼は納得するらしい。
おまけで先手を譲り勝利を収めればなお良しとのこと。
幸いというか教育の成果というか、教官にボコられダンジョンで鍛え上げられた俺のステータスの中で一番高いステータスは。
「ぬぅ……人間のくせになんという体、まるで鉄を殴っているようだわい、拳もなかなか」
「お前のところの大将に殴られて生きてればこれぐらいにはなるよなぁ!!」
耐久値なので目の前の鬼の全力の拳程度ならダメージも軽微だ。
殴られたので、次はこっちの番だと返した拳の味はどうやらお気に召したらしい。
勇よく殴りかかってきた間合いを押し返した。
俺は俺で、最近ストレスが溜まっているので丁度いいサンドバッグが来たと思いながら殴り返してやった。
踏み込みから腰の回転、肩のひねりに握力を加えて破壊力を増した拳を、腰を落とし待ち構える鬼の面に突き刺さした。
全体重を乗せた一撃に確かな手応えを感じる。
そしてそれを開始の合図のように拳の応酬は始まる。
「かぁぁぁ!! 効くわいのぉ!!」
「だったら倒れとけ」
「まだまだ!! 楽しみはこれからだわい!!」
わずかによろけたと思ったら、鬼というのはタフだ。
一発二発では終わらないとは思っていたが、すでに十発以上は顔面に入っている。
それで倒れないのはさすが鬼だ。
これでも素手で岩を砕けるのだが、このもはや最初の怒りはどこへやらすでに殴り合いを楽しんでいる鬼には、それすらも楽しむためのスパイスになっているのだろう。
「クハハハハハハ!! 楽しい!! 楽しいわ!! お館様も意地悪だわい!! こんなやつを隠しているとはの、人間相手にここまで熱くなれるとわのお!!」
「ああ、いいから、さっさと殴れ。仕事がつっかえているんだからよ」
ああ、顔面が熱い。
痛くはないが、邪魔くさい。
何が悲しくて、力の権化である鬼と殴り合いをしなければいけないのか。
ああ、さっさと終わらせてタバコが吸いたい。
「なら遠慮なく行かせてもらうわ!!」
風をすりつぶしそうな勢いの拳が俺の顔面に迫り、俺はただ足腰、骨、筋肉、そして魔力を動員し、ズゴンという衝撃を顔面で受け止めた。
躱すことなど、今のステータスなら容易だ。
だが、それをする必要性が今はない。
避けたら、それだけでこれまでの苦労は水の泡だ。
「いい加減にくたばれや!!」
「ぐふぉ! ワシの腹を割るとは、やるのぉ!!」
「んぐ! こっちは人間なんだよ。お前らと一緒にするな!!」
「ワシと殴り合っておいて人間と抜かすか!! これは愉快じゃ!!」
鬼の巨体をくの字に折るが、拳の先に感じる岩肌がまだ健在だ。
ああ、このままだとジリ貧なのは目に見えている。
さてどうするか。このままグダグダ、耐久力任せの千日手に身を任せるのは危険だ。
ならば。
「っく、さっきから腹ばかり」
「こっちは顔面差し出してんだ!! 文句言うな!!」
戦術の変更だ。
ボディ、ボディ、ボディ、ボディ、さすがにこっちも喰らいすぎて頭がフラフラしてきたが、段々と受けるダメージが減ってきた。
こっちは、感覚が少し鈍くなってきているが、まだ踏み込める。
「おらぁ!! ぬるくなってるぞ!! こいやぁ!!」
「ぬぅ!? ま、だだぁぁ!!」
間髪いれずの連打合戦。だが、相手の力はもはや最初の半分以下。それでも普通の人間なら首を簡単に折れる程度の威力はあるだろう。
まぁ、俺にとってその程度の威力など受け慣れている。
向こうもこっちも決める勢いで間を空けない無呼吸による殴り合い。
「ぷはぁ!!」
「ドッセイやぁぁぁ!!」
今だと思うよりも先に神経が体を突き動かす。
カチリとリボルバーが次の弾丸を装填するかのように、つま先から拳までの一連の動作を和銅の呼吸に縫い込ませる。
ここに来ての会心の出来だ。
相手の力が抜けたタイミング、そこに当たる感覚、クリティカルヒットしたとわかった途端に、さらに一歩踏み込むまでの動作、どれをとっても素手で出せる最高の一撃だ。
それを証明するかのように、決して拳では出していけないような、砲弾でもぶつけたような音が俺の拳の先から聞こえる。
「ふぅ、おお、決まった決まった、生きてっか?」
「ぬぅ、負けたわい」
「生きてんな、おし、これで始末書書かないで済む」
「そっちを心配するか?」
「バカ野郎、どこの世界に喧嘩売ってきた相手を心配する奴がいるんだよ」
あまりの出来についヤってしまったかと思ったが、鬼というのは俺が考えているよりもタフのようだ。
大の字で倒れているが、胸は動いているし、会話もできる。
さっきまでの荒れるような、魔力の流れも今は感じない。
「で? 納得したかい?」
「うむ、主ならワシは文句はない。これは良い報告ができそうだわい」
「負けたのにか?」
「強いものが現れた。それだけで鬼たちにとっては朗報よ」
「嫌な予感がするセリフだなおい」
朝の厄介事はこれまでだと煙草を一本吸い始めるが、また厄介ごとが増えたような気がしてならない。
始末書の心配よりもそっちの心配をしたほうがいいかもしれない。
三度の飯より戦いが好きな鬼と毎日戦うのは勘弁願いたい。
「それに、お嬢も貴様のことを気にしておったぞ」
「……さぁて、仕事仕事」
俺は聞かなかった、明らかにやばいワードが出てきたが、俺は聞かなかった。
そそくさと装備を整え、短時間のわずか十数分とはいえかなり激しい戦いであったから、ポーションは一応飲んでおく。
請求書はきっちりと送りつけてやるという算段を頭の中で組み立てる。
そして次の仕事のことを考える。
「……」
考えてる。
考えさせろやぁ!!
「フフフフフフ、オレッチに気づいたネ。俺の名は――」
「ハンズか? 朝からすまん。あ? 二日酔いで頭が痛い? こっちはそれどころじゃねぇんだよ!! ストレスで胃を痛めそうなんだよ!! 何が悲しくてこんな目に合わなきゃならんのか!! あ? 叫ぶな? 頭に響くからさっさと用件を言え? ああ、実はな巨大な人型のゴキブリが現れてな、お前のところの武器に殺虫剤ないか?」
マジでお払いに行ったほうがいいかもしれない。
ステータスの運だけが、5に固定されているのも解せない。
なんでここ最近、こんな濃いメンツに合わないといけないんだよ。
もっと晴れやかなメンツにしてくれよ。
スエラとかメモリアとかスエラとか!!
振り向いたら全身黒タイツの明らかに台所とか部屋の隅とかに一匹見たら大家族待ったなしの黒いあれがいるんだよ!!
「オレッチを無視するナ!! あ、虫だけにか……お前もつまらん」
「フン!!」
「OK、オレッチも喧嘩を売りに来たわけじゃないんダ。だからな、できればこの刃を右にずらさないでほしいかなぁっテ」
携帯片手に首への寸止め。
いらっとしてやったが後悔も反省もしないし、次も同じことをやったら同じ行動に出る自信がある。
我ながら片手の振り抜きの動作がスムーズだった。
剣術の中でも難しいと言われる居抜き。
それを無意識でできるくらいに俺は苛立っている。
何が悲しくてこいつらは俺の仕事を邪魔しに来てるんだ?
死ぬの? 死んじゃうの? いや、俺が殺す!!
こいつら我が物顔で仕事を邪魔しに来てるけど、それって社会人として最悪のことをしているからな。
「ああ、すまんハンズ。『虫』がうるさくてな。またあとでかけ直すわ」
スマホでの通話を終え、俺の眼光は今だけは教官と並ぶかもしれない。
「ヒッ」
どこぞの戦闘員もどきのような男は一瞬悲鳴を上げるが、どうにか表情を取り繕っている。
まぁ、俺は俺で隙を出さないようにそっと空いた手を柄に添える。
「さて、俺はこれから仕事があるんだ。お前に構ってる暇はない。だからな、選ばせてやるよ」
ニコリと笑みを一つ。
「首と心臓、切るのと刺されるのどっちがいい?」
「デッドオンリー!?」
「俺は仏じゃないんだ。三回も許すほど心は広くねぇんだよ」
「待て待て待て!! 俺はあいつらとは違うんだ!! お前の仕事を邪魔するつもりもねぇし!! むしろ手助けに来たんだよ!!」
「あ?」
全力でブンブンと首を横に振るゴキブリ男、さすが速いのと生命力が取り柄だ。
油がいつ飛んでくるかわからないので気が気でない。
「そやつは、おしゃべりジー。強いものの味方になるという風見鶏みたいなやつじゃからあまり信用せん方がよいぞ?」
「よし、ここで倒しておこう」
なんだ、一瞬信じてみようと思ったが、使えそうで使えないパターンか。
和銅がムクリと起き上がりながら教えてくれた情報、正直信用に足るか足らないかはこの際おいておく。目の前の怪しいゴキブリよりもさっきまでなぐり合っていた鬼の方が信用できる。
その基準から考えると、味方だと思っていると状況が悪くなった途端に裏切る。
一番手元に置いてはいけない人種。
ああ、そう考えると何故か、鉱樹が軽くなった気がする。
「旦那ぁ!? 何俺を売ってるノ!? いやいや、兄さん俺役に立つヨ? 情報とかめっちゃ知ってるヨ?」
「フン! 元からこやつを量るという話を持ってきた時からワシは貴様らとは手を切ったのだ。何を話そうがワシの勝手じゃ」
「イヤイヤイヤイヤ、さすがの俺っちも今回は風見鶏を決め込めないヨ!? 何せこのままいくとテスターが『全滅』しかねないからね!?」
「何?」
今聞き捨てならないことをこいつは言った。
全滅?
でたらめか?
何せ管理しているのはあの監督官だ。
こいつら程度の存在が何をどう起こそうと、あの人なら気づかぬうちに全滅させて鎮圧くらいは実行できそうだ。
その可能性を考えること自体が馬鹿らしいということだ。
「兄さん兄さん、あの方々は確かに強大だが万能ってわけじゃないんだゼ? 見落としくらいは出てくるヨ」
「なら、なぜおれに話を持ってくる。それこそ監督官にその話を持っていけばお前の立場も上がるだろう」
「そこはそれ、俺っちはあれだし? 女の子というか性別が女の存在の目の前に立つと悲鳴を上げられてからの殲滅がパターンなのヨ」
ああ、と思わず納得してしまった。
ただでさえ怪しい存在のような姿だ。
おまけに雰囲気も怪しいとなればなおのこと。
「伝える方法はいくらでもあるだろうが、とりあえず、テスターが全滅するってのはお前からすればいいことじゃないのか?」
「バッカ、テスターが全滅して俺っちたちが関与していることを知られてみロ、なぶり殺しにされル。今回のあいつの計画はさすがにリスクの方がでかすぎル。おまけにあいつはノーリスクときた。ふざけるなって話だヨ」
「なら止めろよ」
「それができたら苦労がないんだヨ。今回は相手が悪いうえに外面も悪くなイ。俺っちみたいなやつだからあいつの裏の顔に気づけるんだヨ」
「……待て、なんだそのあからさまにやばい雰囲気の話は」
「ああ、何せ今回は魔王軍きっての大貴族、そのご子息が関わってるからナ。おまけに評判もいいゾ?」
「俺関係ないだろうが!?」
「ところがどっこい、あいつは下々の仕事も知らなければと好青年ぶりを発揮してお前のポジションを狙いに来たゾ。おまけにイケメンで女の扱いもわかってル」
ああ、くそ、煽られているのはしっかりわかる。
そして、こいつは口がうまいのもよくわかってしまう。
よく現状が理解できた。
まとめると、立場があって口がうまくて、外面がいいけど腹黒いイケメン様が俺の役職を奪いに来ている。
俺がこのまま何もせずいたら役職も奪われ、いずれはスエラも奪われると。
おまけに
「で? 全滅って何をやらせる気だ?」
「……殺し合いだヨ」
気づけばこの会社内でバトルロイヤルが開催されそうになっているんだが。
ああ、俺の日常が……
田中次郎 二十八歳 独身
彼女 スエラ・ヘンデルバーグ
メモリア・トリス
職業 ダンジョンテスター(正社員)
魔力適性八(将軍クラス)
役職 戦士
今日の一言
ゴキブリと生まれて初めて会話をしたが……仲間にするのも俺が初めてか?
今回はこれで以上となります。
誤字脱字があればご指摘の方をお願いします。
感想も頂ければ幸いです。
これからも、異世界からの企業進出!?転職からの成り上がり録をよろしくお願いします。




