3 保険項目をしっかりと考えました。
三話目投稿します。
田中次郎 二十八歳 独身 彼女無し 職業 ダンジョンテスター(正社員)
魔力適性八(将軍クラス)
研修を受け、ダークエルフ魔法使いであるスエラさんにボコボコにされていたのは昨日だ。
新人研修が始まったここ数日で、魔法使いが近接戦闘はできないなんて幻想は水平線どころか次元の彼方まで吹っ飛ばした。
そんな俺は
「次郎さん、生命保険はいかがですか?」
「朝っぱらからなんですか?」
出勤前なのになぜか生命保険の斡旋を受けている。
俺の今の格好は上着を着ていないスーツ姿、そしてここは俺の部屋だ。
歯を磨いて顔を洗ってスーツを着て朝飯をと思ったタイミングで鳴ったチャイムに応えてみたら、スエラさんが書類片手に立っていた。
「いえ、深い意味はありません。ええ……」
「浅い意味はあるんですね?」
普段の知的で自信にあふれる彼女の態度から一変、俺と視線を合わせない、有り体に言えば後ろめたいことがありますと宣言しているような態度。
そして書類のタイトル、生命保険に始まり、重大疾病関連の保険やら、入院費負担関連の書類、その他もろもろの保険項目。
保険証はもらっているが、その内容の穴を完全に埋めるようなラインナップには、怪しさを隠す気がないのかと疑問に思うことすらできない。
「いえ、浅くはない理由が、ええ、ありますが……あるんですけど……あっちゃうんですけど」
「スエラさん口調が安定していませんよ? それと、何故に三段活用?」
できる上司、そんな印象を抱いていた彼女が、ここまであからさまに動揺する内容に対して興味が尽きないが、言えないような事情もあるのだろう。
同年代、下手すれば年上の女性であろう彼女が年下に見えてしまうような状況でこれ以上時間を取られるのは遅刻とかそういう意味でまずい、とりあえずここは
「ええっと、とりあえず朝飯食べてからでいいですか? このままだと遅刻しそうですし、午後の訓練のあとにでも」
「それだと遅いんです!!」
「え?」
いきなり叫ばれて、キョドってしまった俺は悪くないと思う。
「とりあえず、朝ごはんは今から出前させますので部屋に入れてもらっていいですか?」
「いや、さすがに――」
「言い訳無用! いいですね!! ええ、大丈夫です! 男性特有のあれなグッズとかあっても気にしません! この際、愛人がいても気にしません!!」
あまり親密でない女性と自室で二人っきりはマズいと言おうとしたが、なぜかかなり飛躍した状況で大丈夫と断言されてしまった俺はどうすればいいのだろうか。
せめて愛人はダメでしょうくらいは言うべきか?
「もうすぐ朝食が届きますので入りましょう!」
「えっと、どうぞ?」
勢いっていうか、こんな暴走状態のスエラさんが相手では断るというコマンドは実行できなかった。
せめてもの救いは、男が持っていておかしくないものはまだダンボールに入っていて未開封であったことと、昨日のビールがテーブルの上に乗っている程度しか散らかっていないということだ。
なんとなくではあるが、部屋の主をおいてけぼりにして書類をテーブルに展開する彼女の姿を見ると、なぜか前の職場で理不尽な仕事を押し付けられた俺を見ている気がしてならない。
この場合仕方ないというのだろうか?
注文してからわずか4分で届いた、トーストとウインナー、サラダとコーヒーという、ザ洋食の朝食片手に、俺は新人研修が始まるまでの時間で保険の説明を受けた。
有名どころからマイナーなところまで、それこそ差し歯保険なるものまで確認させられた。
さすが仕事ができるという第一印象は伊達ではなく、できれば発揮してほしくなかった手際を見せ付けられる時間であった。
「では! 午前中の休み時間までにサインしておいてください!」
「いや、理由を説明し……って行ってしまったな、いやこの場合は嵐は過ぎ去ったか? いや、また来るのか」
走りはしないが、駆け足で、しっかりと背筋を伸ばした姿勢で歩き去っていたスエラさんの背を見送る。
振り返って部屋の中を見れば、机の上に残る綺麗に整頓されサインが必要な箇所の付箋が付いた保険関連の書類が残っていた。
「次の休憩までにサインできるか?」
軽く山になっている書類の束を見て、次に時計を見る。
皮肉なことに前職の経験からどうにかなるとわかってしまう程度の時間は残っていた。
あとは
「俺のやる気だけか」
今日の講義はギリギリになりそうだなと、覚悟を決めて保険書類にサインしていく。
そのどれもがきちんと頭に内容が入っていて、泣きたくなることに今後の必要性もしっかりと説明されてしまっている。
高給であるがゆえにそれが支払えてしまう。
そして、ここ数日の研修でこれ以上の命の危険やらケガの心配も必要だということも理解してしまっている。
「……俺、早まったか?」
もしかしたら前職よりもブラックな企業に就職してしまったと思ったが、待遇面と勤務時間は圧倒的にこちらの方が上だ。
単純な問題、自身でリスクマネージメントができればかなりいい職場ともとれる。
例を挙げれば高給であることに始まり、今書いている保険書類も前職ではありえないぐらいに安いし、充実している。
なにより、今の俺は楽しんでいる。
仕事という名で現れた非現実に。
「ま、無理なら無理でどうにかなるか」
最悪退職して記憶を消してもらうかと楽観的な考えも浮かぶ。
「とりあえず、サインだけ終わらせるか」
ラストスパートと講義前に終わらせるためにボールペンと判子を走らせる。
「サインできましたか!?」
午前中の講義の中休み、座りっぱなしで固まった体をほぐすように背伸びをしている時にスエラさんは現れた。
スタイリッシュに服装を崩さずに、チャイムというか講義終了30秒ほどで迅速に現れた姿はなんというか、すごく効率的に動いているとしか言いようがない。
「これで?」
「確認します」
カバンに入れていた保険書類を渡せば、スエラさんはその場でチェックしていく。
だが、その速度は尋常じゃない。
本当に読んでいるのかと聞きたくなるほど速い。
その動作、まるで札束の枚数を確認するかのように書類を読んでいく。
「問題ありました?」
「問題ありませんね、安心してください、絶対に間に合わせますので、ええ」
「いや、いったい何に?」
「時間がありませんので、説明は後で」
焦るという言葉しか当てはまらない彼女の態度。
たかが、なんて言葉を使っていいのかわからないが、保険の契約で焦るなんて、現代を生きる俺に想像するとしたら
単純にやり忘れで焦っている。
保険会社の回しもの。
これくらいしか、思いつかない。
だが、前者にしろ後者にしろ、彼女の今までのイメージからして考えにくい。
「ええ、書類は揃いました。は? 何を言っているのです。総務部にきっちりと話を通しなさい。最悪、あなたが魅了魔法でも催眠魔法でも強制呪術でも使って押し通しなさい。でなければ今週は休日出勤確定にしますよ」
すぐそばで耳に手を当てて何やら独り言を言っているように見えるが、これは念話という魔法らしい。
携帯電話よりも便利そうだが、現状魔力のある会社内でしか使えない。
要は内線電話か館内放送のファンタジー版といったところか。
言っている内容はファンタジーどころか現代社会でも聞きそうな内容であるが。
「ええ、では3分でそちらに行きます。すみません次郎さん保険証をお預かりしても?」
「え、ええ、どうぞ」
及び腰になっているのは仕方ない。
ファンタジー的な内容でブラック企業の会話をされてしまっていたら、どうも引いてしまう。
正直、スムーズに財布から保険証を出せたことがびっくりだ。
「確かに、午後にはお返ししますので安心してください」
いや、どちらかと言うとあなたの態度で安心できませんとは、言いたくても言えない。
なにせ聖職者のそれも人気のあるシスターさんの慈愛の笑みってこんなのかなぁって思えるような笑みを向けられたら、そりゃぁ、見惚れるしかないでしょう。
たとえ今回の保険関連で何があったとしても後で何か言うかもしれないが、今この場では何も言えない。
「はぁ、頑張ってください?」
「ありがとうございます。では、失礼します」
綺麗に一礼して立ち去っていく後ろ姿を見送る。
異常という一言で片付けられる今朝からの出来事だがこれでとりあえずは一段落したと思うことにする。
なにせ周りからも何事かと向けられる視線にさらされているのだ、現実逃避がてら今はただただあの笑顔を頭の記録媒体に記憶するしかない。
美人は何をしても得だなぁ……
「俺、午後から何をされるのだろう?」
しかし現実逃避していても、不安はこぼれてくる。
「いかんいかん、何もしないと変なことを考えそうになる」
ならば、煙草でも吸ってくるかと鞄に手を伸ばす。
「って、禁煙中だった」
体を動かしていると自然ときつくなるのは呼吸系統だ。
最初の午後の訓練で文字通り痛いほど身に沁みたが、ならば禁煙といけば苦労しない。
ああいう中毒性のあるものはそう簡単に手から離れない。
そう思っていたが
「ステータス表って便利だなぁ」
最初のステータス確認の時に状態異常の欄にニコチン中毒、肺汚染(中)って書いてあったら嫌でも意識する。
さらに面白いことに、タップすると具体的なバッドステータスも表示されるから笑えてくる。
ニコチン中毒
・思考の沈静化
・内臓機能低下
・持久力低下補正
肺汚染
・持久力低下
・肺機能低下
そんな説明とともに、ステータスの脇に括弧書きで具体的なマイナス数字が書かれていたら嫌でも禁煙するに決まっている。
「代わりに食欲が増えたけどな」
昔に比べたらかなり食べるようになった。
はっきり言えば俺は朝食なんてここ数年食べていなかった。
朝の食べる時間よりも睡眠そんな感じの生活を送っているような俺がここ数日はしっかりと三食とるようにしている。
その分運動しているから、脂肪はつかず筋肉がついていると信じたい。
「ってか、よくよく考えると魔法使いって太りそうな職業だよな」
完全な偏見だが、後ろで魔法を撃つだけではどうも運動しているようなイメージはわかない。
動かないし、魔法を使うというのは脂肪を燃やすというイメージにも繋がらない。
加えて、魔力というエネルギーを補給するため栄養剤やら飯を食べる描写が妙に多いような気がする。
そんな結論だがあながち間違っているとも思えない。
まぁそれでもイコール太るという安直で冗談のような想像でしかない。
しかし見える範囲で何人か俺の言葉が聞こえたのかピクリと反応した女性がいたような気がしたが、気にしない、と言うより気づかないことにする。
そもそも前衛職が第一志望な俺にとってこの考えは余興程度の意味しかない。
というか、たとえ魔法使いになっても魔力を上げて物理で殴れという魔法使いあるまじきポジションになりそうな気がするから結局は肥満という発想にはいかないだろう。
無駄な考えをしていたら休憩の時間は過ぎ去り、講義は始まる。
結局、スエラさんの行動に疑問を覚えながらモヤモヤは解決することなく時間は過ぎ去っていった。
結論というのは遅く出る時と早く出る時がある。
今回は後者で、午前中に感じた疑問は午後になってすぐに解決した。
「安心してください次郎さん。保険体制は抜かりなく、回復体制も万全です」
朝見たスーツ姿のスエラさんも綺麗で可愛かったが、ザ、エルフの魔法使いという高級そうというより効果がありそうな装備を着込んだ彼女の格好もまた格好よく可愛くて捨てがたい。
露出を避けてか布に包まれながらも強調してくる胸元の肌色は見えないがまさに眼福と言いたい気持ちが溢れ出させる。
通常ならそう思えたがあいにくとそんな気持ちが湧き上がる余裕は今の俺にはない。
むしろ、必死に俺を励ましてくれているスエラさんの言葉を理解したくない俺がいる。
「おうおう、コイツが唯一の前衛職希望ってか?」
『カカカカ、なかなか活きが良い魂をしておるのぉ』
主にスエラさんの隣にいる二人?の存在によって
一言で表せば、赤色肌の鬼ヤクザと暗黒骸骨紳士といったところか。
良く言えば雰囲気のある、悪く言えば迫力のある声のヤクザの方は、はちきれんばかりの筋肉を白いスーツで包み、睨めば子供どころか大人ですら気絶するような強面はサングラスで隠しているが隠しきれていない。
頭には三本の角で背丈は完全に2メートルを超えている。
あえて言うならヤバイの一言だ。
もう一人?の老紳士的な声の骸骨紳士は、細身と言うより肉がない体をセンスのある黒いタキシードで身を包み、今にもなにか黒いものを溢れさせそうな底知れぬ髑髏の笑みをシルクハットの下から覗かせる。
背丈は、俺以上ヤクザ未満といったところだ。
あえて言うならヤバイの一言で済む。
はい、さっきからヤバイしか言っていないが仕方ない。
だって剣道の面越しでも、雰囲気と言うか貫禄? むしろオーラ的なものが俺を押しつぶそうとズシンズシンと伝わってくるんですよ。
最初にスエラさんが現れたときは、喜び笑顔になったがすぐ背後に立っていた二人を見てしまったら直立不動で待機するのは生存本能的に当たり前だ。
「あんちゃんの指導を担当することになったキオってもんだ。ダンジョンに入るまでの一ヶ月間よろしく頼むぜ」
『補佐のフシオだ。よろしく頼むのぉ』
「引き続き、次郎さんの担当を続けるスエラです。訓練中の怪我は生きていればなんとかしますので頑張ってくださいね?」
「た、田中次郎です」
ああ、スエラさんがいるから立っていられます。
ですけど先に水分補給していいですか?
さっきから冷や汗が止まりません。
「お二人共分かっていると思いますが、しっかりと手加減してくださいね、いいですね? しっかりと手加減を」
「わかってる、わかってる」
『カカカカ、承知しておるよ』
うん、俺、このあとこの人たちと戦うんだ。
それなら今朝のスエラさんの行動も納得だ。
保険必要だよなぁ、俺、午後の訓練のあとに生きているかなぁ。
「し、質問いいですか?」
「おう、妻は二人居るぜ!」
『ワシは、一人じゃな』
「ど、独身ですって何を言っているんですかお二人共!」
へぇ、スエラさんは独身なんだいいこと聞いた。
と言うか、鬼ヤクザなキオ教官はともかく、髑髏紳士なフシオ教官、結婚していたんですね。
「なんだよ、ガチガチに緊張してるあんちゃんを少しでもリラックスさせてやろうっていう俺の気遣いだぜ?」
『こうも緊張されてしもうたら、教える方としても無理ができんからのぉ』
あ、そうなんですか、見た目に反してお優しい人?たちなんですね。
なんとなく、冷や汗は止まったかも。
「そうだぜ、全力で動けねぇと手加減失敗したら一撃であの世行きだからなぁ」
『カカカカ、実力差的には羽虫を潰すようなものじゃからのぉ』
ええ、全然優しくなかったこの人?たち。
「お? 危険を感じて距離を取る。いい判断だ。そうは思わねぇか?」
『ワシらのような魔法使いにとっては下策じゃが、逃げることを前提としたら悪くはない判断かのう』
しかもしっかりと把握されていますよ。
もうこの人たち魔王か何かですか?
訓練受けたら死ぬしかない未来しか見えないんですけど?
「す、スエラさん質問いいですか?」
「はい、お二人共少しのあいだお静かにお願いします」
「おう!」
『ウム』
「……」
「んな、警戒するなよあんちゃん、とって喰いやしねぇよ」
『カカカカ』
いや、信用できないよ。
特にそちらの髑髏紳士なフシオ教官、あなたは俺の魂の活きがいいなんて言っていますからね?
警戒心は解きませんよ。
だけど質問はしないと。
「さっきさらっと言いましたけど、前衛職が俺一人って本当ですか?」
「そうです、ですがこちらの方でも面談して何人か転職者を募っています」
「手応えは?」
「……芳しくないのは事実です」
そうだろうな。
一緒に講義を受けていればある程度の噂話程度は耳に入ってくる。
その誰もが魔法使いや回復職、あるいは弓使いなど後衛に準じる職業ばかりだ。
前衛、特に戦士など壁役の話なんてこれっぽっちも出てこなかった。
その結果が、体育館並みに広い訓練室で4人というスペースを余らせた結果につながったのだ。
「最初からやる気のないやつに無理やりやらせても役には立たねぇよ」
『然り、己が道を進まず、他の言葉に従い進めるのは愚者の理よ』
「……」
沈黙してしまうスエラさんには申し訳ないが、正直言えばこの二人の言っていることに俺は賛成だ。
仕事もそうだ、嫌な仕事を続けられる人間なんてプライドを持っているか根性が据わっているか、頭のおかしい奴だけだ。
大多数は長続きしない。
そんな状態でプロジェクト的に大丈夫なのかと不安に思うが平社員である俺には関係ないことだ。
どちらかと言うと
「……手加減できるんですよね?」
「おう!」
『可能な限りはのぅ』
明らかに格上、しかも確実にスエラさんより数段は上の存在相手に訓練しないといけないという現実の方が不安で仕方ない。
主に生き残れるかどうかで。
加えて、今朝からの保険騒動で不安は更に倍だ。
さっきの質問も、どうせなら被害を拡散したいという道連れ根性でした質問だ。
戦士が素晴らしいやら高貴な精神なんて持ち合わせていない。
要は、生き残れるかどうかの話だ。
「……うし」
「お?」
『ほう』
「全力で手加減お願いします!!」
「ガハハハハハハ!! 素直な奴は嫌いじゃないぜ!」
『ふむ、己の実力を知る者は生き残れるからのぉ』
「あと、何かあったら回復お願いします!!」
「え、ええ、任せてください」
だが、考えようによってはチャンスだ。
他のメンバーは集団で教えられてこっちはマンツーマンどころか教師役が3人もいる。
訓練の質としては確実にこっちが上だ。
年を食っている分、成長も遅い俺にとってはチャンスなんだ。
あと、まだ楽しいと思える職場なんだ、手放してたまるか。
気合を入れれば、なんとかなる、多分。
ポジティブに考え不安を払拭するように防具を付けた状態で九十度、しっかり腰を曲げて頭を下げたのは割と切実な願いだったからだ。
「それじゃぁ、あんちゃんはじめるぞ!」
「はいって、チャンバラブレード?」
「キオ様ですと、攻撃力を下げないといけないのでこれならと思いまして」
「スエラさん、さすが、仕事のできるダークエルフ」
キオ教官の持つのは青色の見るからにやわらかそうなスポンジの剣。
どこから見てもファンタジー要素はなく、風船割りゲームや子供同士のお遊びで使うような武器のはずなのに、不思議だ。
その手の道の人でも裸足で逃げ出しそうな強面鬼ヤクザが持つと、それが金棒に見えてしまう。
ちらりともしやと思って、もう一人の髑髏紳士であるフシオ教官を見ていれば、そちらもまたスイッチを押すと何やら場にそぐわない明るい音が流れる玩具のステッキを見せてきた。
そちらもそちらで、魔杖とか呪いの杖に見えてしまう。
スポンジでできた武器を構えるキオ教官に玩具のステッキを構えるフシオ教官、こっちは鉄芯入の木刀を構える。
絵面的に見ればかなりシュールな光景だろう。
武器の差的に言えば、文字通り玩具の剣と真剣位の差はあるはずだ。
その差を作ってくれたスエラさんには感謝の念が堪えない。
「はじめ!」
「コテェェェェェェェ!!」
スエラさんの合図と同時に守りに入ってはダメだと思い、先手必勝で踏み込んで、キオ教官のだらりと下がった手元を狙う。
武器の差も相まっての行動だった。
「もちっと考えろや、あんちゃん」
「あ?」
だが、気づけば口の中に血の味が広がっていた。
「やべ、加減間違えたか?」
「次郎さん!!」
天井がチカチカする。
声が遠くに聞こえる。
あと、寒い。
『ほれ、若いの気をしっかりもたんか』
「ガフ!」
『カカカカ、気付けじゃ。ダークエルフの、早く治してやらんとコヤツが死ぬぞ?』
「やっています!!」
遠くに聞こえる声を聞きながら目の前が真っ暗になる。
だが真っ暗になったと思ったら、いきなり体がしびれて体が弾み、次にお腹のあたりが温かくなって、次第に体の感覚が戻ってくる。
「は!」
「次郎さん!! 無事ですか!?」
「俺は?」
「すまん、すまん、手加減間違えた」
『要は、一撃で死にかけたのう』
「マジか!?」
どうやらマジのようだ、くっきりとチャンバラブレードの跡が胴に残っていた。
「それってチャンバラブレードですよね?」
「おう!」
いや元気よく見せられても、死にかけた凶器がチャンバラブレードって笑い話にはなるだろうが、少なくとも当人である俺は全く笑えない。
それに、こっちは胴がへこんでいるのに、チャンバラブレードは欠片も傷んでない。
「どうやって?」
「あ? 打ちどころが悪かったか?」
「いや普通気になりますよね? そんなモノでこんな跡ができるって」
『カカカカ、普通なら死にかけた方を問い詰めるはずなのじゃがのう』
「あ」
確かにそうだ。
本当だったら、殺す気かなんて喚き散らして、あとは傷心して部屋に引きこもってもおかしくはない。
なのに俺は、事後ではなく原因の方を気にしてしまっている。
しかし、俺にはそういう態度をとってしまう心当たりがあった。
「あ~、なんとなくその理由に心当たりが」
「お? なんだなんだ、お前意外とこっちの経験も豊富なのか?」
『ほう? こちらの世界は平和と聞く、珍しいのう』
こっちとは、おそらく戦いとか喧嘩とか、ファンタジーなら果し合いとかだろうか。
「いえ、単に仕事で忙殺されすぎて、死にかけることは何度もあっただけで慣れてしまったんだろうなぁって」
過去の最高記録は四徹、四日連続徹夜して、倒れるように机で寝た記憶がある。
むしろ寝る間際はもう起きてこれないんじゃないかと思ったほどだ。
しかもそれが一回や二回じゃなくて両手で足りないくらいの回数はこなしている。
だから死にかけたことに対する疑問とか恐怖は薄くなっていて、代わりに生き残ったからには次回はそんなことが起きないように、原因を探り対策をしようと心がけるようになってしまった。
「嫌な職業病だなぁ」
「いや、いい職業病だと思うぜ?」
『然り、実にこの仕事向きの病よのう』
人としては終わっている感があるのだが、二人からすれば都合がいいのだろう。
『生への執着は人並み、されど生き残るための対策は人並み以上、要は生き残れば次に活かせる。ほれ、都合がいいじゃろう?』
要は生き残れば次は成長できる。
慢心を抱きにくい体質というわけだ。
「まったくありがたみのない都合の良さだなぁ」
だが、そんな体質になってしまったのは、前職で経験したデスマーチの結果だというと正直納得がいかない。
これが修行の成果だったり、激闘の末の結果であったりであればまだファンタジー的な要素があって少しは浮かれることができるのだろう。
だが、ただでさえ死に対して恐怖心が薄いマイナス方面の耐性に加えて、そんな耐性がついた理由が連続の徹夜が原因とかファンタジーに喧嘩売っているとしか思えない。
「それで、あんちゃん続けるか?」
『仮にも死にかけたのじゃ、今日は別に終わっても構わんぞ?』
気遣う素振りを見せる二人に黙って見守るスエラさん。
「いや、そんな目をされたらやめるとか言えないでしょう」
口と目が噛み合っていないとはこのことか、口では気遣い目では挑発する。
さすがにスエラさんは心配してくれているが俺の意思を尊重してくれているといった感じだ。
「もう一本お願いします」
「よく言った!」
『カカカカ、若いのう』
いえ若くはないんですが。
「そういえば、さっきの力加減ってどれくらいだったんですか?」
「あ? 羽虫をつまむ感じか?」
それ、羽虫にとっては致命傷です。
『次はそっと触れる感じの力加減かのう?』
「ったく、早く強くなって俺が全力で殴っても大丈夫なようになってくれよ」
だらしなく歩いていくキオ教官、そっと離れていき足音を立てず一定の距離をとるフシオ教官。
構えはしないが、準備が完了したようだ。
「それって、人をやめないと不可能な気がします」
立ち上がりながら言った言葉は、ならやればいいという挑発的な笑みで返された。
ああやってやる。
そっと、静かに離れるスエラさんを感じながら頭を振って意識をはっきりさせる。
どうやったらそんな領域にたどり着けるのか、五里霧中、手探り状態で強さを求めるとはこんな感じになるのだろうか。
無理だろうと思う反面、なりたいという願望が奥底でくすぶっている。
その感情は、すごく心地よく感じた。
「すぅぅ」
深く息を吸い
「キエェェェェェェェイィィィィィィィ!!」
吐き出すように点火させる。
「おうおう、吼えるなあんちゃん、いい気合だ」
『カカカカ、心地よし心地よし、生とはこうあるべし』
構えているのに打ち込めない。
だからどうした。
「メェエェイィイィィィィィィン!!」
今は挑むだけだ!!
『どうじゃった鬼王よ』
「悪くねぇな、不死王」
「でしたら、もう少しは手加減をしてください、何度止めようかと思ったことか」
「何言ってやがる。しっかりと手加減したぞ」
『然り然り、でなければこんなにはっきりと形が残り、生きているわけがない』
「だよなぁ、こんな武器でも人間くらいなら血すら残さず消し飛ばせるぜ」
『カカカ、まぁワシならそもそも姿を見せる前に消し飛ばすわい』
「ああ!この将軍様たちが何もしないと暇だから手伝うと昨日言った時から嫌な予感はしていましたが、やりすぎです!!」
大の字になって倒れている次郎さん。
当然ながらそこに意識はない。
左手は肘のところからありえない方向に曲がり、防具は面など原型が残っていない。
胴に至っては粉々になっていて、剣道着を脱がした体など見るも無残なことになっている。
正直、生きるか死ぬかの瀬戸際とはこのことを言うのではないだろうか。
前に私と次郎さんの実力差をワイバーンと赤子で例えたが、将軍クラスになると龍と羽虫ほどの差は開いてしまう。
その戦力差で確かに人の形を保っているのは奇跡というか、しっかり加減してくれているということなのだろう。
しかし、魔王軍七将軍配下の中でも上から数えたほうが早い地位にいる私だから治療が間に合っているといっていいのも事実。
加えて、魔法薬も併用して障害が残らないようにできるのが幸いだ。
「魔法薬もただじゃないんですよ!! それに、ここまでの魔力適性を持った人材を潰すなんてありえません!!」
「花よ蝶よと育ててもいい人材が育つわけがねぇんだよ、それに、こいつ最後の方は楽しんでいたぜ?」
『カカカカ、誠に奇怪よのう。痛みで体など動くわけがないのに、最後は生存本能で動いておったわ。殺されぬとは頭では理解していても、本能ではワシらの存在が命を危機に至らす。そう感じていたから動きを止めんかった』
「……」
そうだ、次郎さんは倒れる直前に満足そうに言っていた。
「ああ、俺は生きている」
心の底から吐き出したようなつぶやき、まるでここまでの人生が生きていなかったと言わんばかりの言葉に、思わず駆け寄る足を止めてしまった。
「伸びるぜぇ、こいつは」
『ほんに、楽しみよのう』
「本当に生きていてよかった」
今日だけで何回彼は死にかけただろうか、骨折だけで言うなら片手では足りない。
最初はのたうちまわっていたけど、数回経験すると叫ばず骨折した場所を押さえてうずくまり、回数を重ねると今度は怪我した場所を押さえながら下がるようになった。
驚くべき進歩だ。
痛みを克服するわけではなく、どうすればリスクを回避できるか、もしくはリスクを最小限に抑えられるか、それを実行してみせた。
治療が終わって寝息も穏やかになった彼の顔を見てつい彼の頬に手を添えてしまった。
「おお」
『カカカカカ』
「っ!?」
「見たか?不死王」
『しかと見た、鬼王』
「あの晩婚種族のダークエルフの嬢ちゃんに春か」
『カカカ、いついかなる年でも春とは心地よいものであろうて』
「『で? どこが気に入った?』」
「知りません!!」
ニヤニヤと私を見下ろす将軍二人に咄嗟に叫び返してしまった。
今の私の顔は絶対に赤くなっている。
なぜこんな態度をとってしまったかもわからないが不思議と、自然に手が伸びてしまったのだから仕方ない。
「いいぜ、言わなくても、このあと樹王のやつと飲みに行けばいいだけだからなぁ」
『カカカカ、良き酒の肴になってくれるだろうよ』
「趣味が悪いですよ!!」
「『なにせ魔王軍だからな!!』」
それからは、あまり思い出したくない。
さんざんからかわれて、結局解放されたのは次郎さんが目覚めてからなのだから。
「おぉおぉぉぉぉぉ、体中が痛え」
ベッドの上で悶えながら、ところどころ記憶が飛んだ一日を振り返りながらうつ伏せで筋肉痛に耐える。
どちらかといえば成長痛に近いかもしれないが、結局は全身が痛いことには変わりはない。
「マジであの内容だと、保険内容を見直しておいてよかったぞ」
心底やってよかったと朝の苦労を、体全体の痛みとともに感じながら、湿布のような貼り薬が何かを治しているような感じに癒される。
うつ伏せから仰向けになる。
片手には端末を握りしめて例のアプリを起動して既に診断終了の文字が浮かび上がっている。
「おいおいおいおいおいおい、耐久値の伸び幅がヤバイ」
そしてその内容に唖然とする。
明らかに格上と戦った結果だろうし、今日の訓練はキツイを通り越して地獄だった。
ならばこの結果も当然だろうと言える。
しかし、同じことをやれと言われれば嫌だと明言できる。
打撲程度では治療魔法は使われず、骨折してもすぐに治療して再開、そしてひどいことに決して血は流されない。
なので貧血とかも起こさなかった。
訓練という身になる午後であったが、同時に嬲りものにもされていたような気もする一日だった。
「持久力と器用が次点で上がっていて、力がそのあと、敏捷と魔力、それと知識は雀の涙、運に至っては変動なし」
訓練の内容から考えると当たり前の内容なのだが。
「このままだと肉壁一直線だな」
折を見て反撃をしているが、それでも圧倒的に防御の方が比率的に高い。
このままでいいのかと自問自答すれば、良くはないと結論が出る。
ならばどうするべきかと考えるが、答えなんてすぐに出る。
「自主練しかないよなぁ」
懐かしい、と高校時代のトレーニングメニューを思い出す。
とりあえず前衛をするにあたって足りないのは敏捷と力だ。
運とか魔力はどうすれば上がるなんて今のところわからない。
「明日になれば痛みも引くってスエラさんも言っていたし、ここはとりあえず。寝るか」
考えても仕方ない。
とりあえず明日は早起きすると誓って、携帯電話のアラームをセットして布団に包まる。
最後にちらりと部屋の片隅に置かれたボロボロの剣道防具の代わりに支給された戦士の装備を見て眠りにつく。
田中次郎 二十八歳 独身 彼女無し 職業 ダンジョンテスター(正社員)
魔力適性八(将軍クラス)
役職 戦士
ステータス
力 25 → 力 39
耐久 30 → 耐久 58
敏捷 17 → 敏捷 20
持久力 19(-5) → 持久力 34(-5)
器用 21 → 器用 36
知識 31 → 知識 33
直感 6 → 直感 7
運 5 → 運 5
魔力 40 → 魔力 41
状態
ニコチン中毒
肺汚染
今日の一言
保険ってすごく重要だと実感した一日でした。
本日はもう一話投稿します




