258 振り返ってみればあっという間だったと思う
カタカタと今回の研修に対してのレポートを俺たちは時元室ではなく、パーティールームで作っていた。
普段は賑やかなパーティールームであったが、今は普段と比べれば非常に静かだ。
俺もいつものテーブル席で、座りながらパソコンの画面と向かい合い報告書の作成にいそしむ。
最初に用意したコーヒーはすでに冷め、たまに喉を潤す程度に口に運ぶだけだ。
左には海堂が同じように作業している。
俺と似たようにその指の動きはたまに文章のチェックで見直すときくらいにしか止まらない。
前の会社で鍛えた甲斐があったと思わせるくらいにサクサクと作業を進めている。
向かいにいる北宮とアメリアは、北宮がちょくちょくどうやって書けばいいかわからないアメリアの指導をしているため時々動きが止まる。
少し離れた場所にあるテーブルでは南と勝が同じ作業に取り掛かっている。
そんな平和な一時が帰ってきていた。
「本当に一日しか経ってないんっすねぇ」
あの部屋から出た海堂は何度も経験したはずなのにぼんやりと誰かの代弁かのようにそう言った。
疲れもあったのだろう。
適度に休息し、疲れを残さないように配慮された研修のスケジュールであっても普段と違う環境、違う仕事の内容。
緊張もし精神的にも負担は少なくなかったはずだ。
即座に各々の仕事場に戻っていった監督官や教官たちと違い、気疲れを感じさせた海堂の一言であった。
肉体は疲れていなくても、張っていた気が緩むだけで体が重く感じることは度々ある。
普段は凛としている北宮や、元気印のアメリア、そしてあまり疲れたという感情を表に出さない勝も研修から解放されたその日ばかりは疲れの色を隠せていなかった。
南だけは、徹夜明けのテンションかのようにスマホを持ち電波があるでござる!!と狂喜乱舞しているところを見る限り、精神的な疲れは現代技術の恩恵によって吹っ飛んだらしい。
そんな例外は置いておいて、俺は俺で疲れてはいるが他の面々ほどではないのでこのまま仕事に取り掛かることはできるが、それを理由に無理にこのまま仕事に移る必要はない。
不十分な状態での仕事は効率的でもないとも言える。
疲れたまま仕事をしてもいい仕事はできない、余裕があり急ぎでないのなら休んだ方がいい。
「研修、お疲れだったな。今日はこのまま解散するから各自疲れを癒してくれ」
その日は各自休養を取るためにそのまま解散し、三日ほどおいてから集まることにした。
その三日間のうちに俺は俺で、厄介な話を終わらせておかなければならなかったので、俺としても時間に余裕ができるのは良かった。
こうやって覚悟を決められるのだから。
他の面々と違って俺の気疲れが少ないのは、まだ気を張っているからだろう。
なにせ、この後スエラたちに監督官のことを報告しないといけないからだ。
自分の心情、そして考え。
難しい言葉になってしまっているが、ようは監督官、エヴィアさんと今回の研修で起きた内容を伝えに行くのだ。
そりゃ緊張もする。
スエラにメモリア、そしてヒミクに久しぶりに会いに行くというのに嬉しさだけの感情になってくれないことに海堂たちを見送った俺は誰にも気づかれないように溜息をこぼすのであった。
ファンタジー世界でハーレムを素直に喜べる精神が今だけは素直に羨ましく思う。
そんなことを思いながらカツカツと、装備をパーティールームに置いた俺は時折すれ違う最早見慣れてしまったファンタジー社員と挨拶を交わしながら自宅である部屋に向かう。
どうやって話を切り出すべきか考えながら進む道のりは考え事をしているせいもあってかいつもより早いように感じた。
ふと、気づけば玄関先が目の前に。
時元室から帰ってきた時間は昼前。
この時間帯なら、いるのはヒミクくらいだろうと考えふと気づく。
冷静に考えれば、スエラとメモリアは今仕事をしているのだ。
家に帰ってもいるはずがない。
「何やってんだ俺」
真剣に考え、緊張した俺はなんだったのかと少し気が抜けた表情でカギを取り出し差し込みドアノブを回せば扉は開く。
「ただいま」
そう言って、玄関に入ればパタパタと軽い足音が聞こえる。
その音にあれと思う。
ヒミクは身長もありその分歩幅も大きい、なのでもう少し間のある足音なのだがと思い。
出迎えてくれた人物を見れば。
「おかえりなさい。次郎さん」
「スエラ、どうしたんだこんな時間に」
「いえ、その」
出迎えてくれたのはいないと思っていたスエラだった。
この時間帯なら仕事をしているはずなのだが、何かあったかと予定を思い返すも心当たりはない。
普段着こなしているスーツはお腹が目立つようになってからゆったりとした服装になっていたが、今の彼女は完全な部屋着、休日スタイルというやつだ。
真面目な彼女がそんな恰好でこの時間帯にいることに何かあったかと心配になり、靴を脱ぐことも忘れ心配するとスエラは言いづらそうに視線を逸らしてしまった。
そんなに事態は深刻なのかと不安になった。
「そこまで心配する必要はないぞ主。スエラは職場を追い出されただけだ」
「いや、それは大ごとじゃないか?」
その表情を玄関の奥、スエラが戻ってこなかったことに様子を見に来たヒミクがひょっこりといつもの割烹着姿で顔をのぞかせ、何があったかを察してスエラに何があったかを教えてくれた。
「む、確かに言い方が悪かったかもしれんな。しかし、実際その通りなのだから仕方ないぞ。スエラがお腹の子を大事にせず普段通りに仕事をこなそうとしたからケイリィに呼ばれた私が引き取ってきた」
ムッと自分がやったことは正しいと証明するかのように両手を腰に当て胸を張るヒミクの言葉にスエラは気まずそうに顔を逸らした。
「スエラ……」
「いえ、その、はい、すみません」
俺も俺で問題を引っ提げて帰ってきたが、スエラもスエラでらしい問題を引き起こしていたようだ。
「まったく、主も言ってやってくれ。お腹の子はスエラだけの子ではないのだぞ。仕事が大事なのはわかるが、それで取り返しのつかないことになったら大変だぞ。本来であれば産休というモノに入っていいと私は思うのだがな」
鬼の首を取ったと言わんばかりに、正論を放つヒミクの言葉にシュンとするスエラはせめてもの抵抗でなぜそうなったかを説明し始めた。
「そうしたいのはやまやまなんですが、新しいテスターの企画が今進んでまして、それで少々忙しくて」
「そういうことか」
テスター課の課長職であるスエラは現状不足しているテスターの補充を担当している。
正直言えば、現状ダンジョンテストは俺たちのパーティーや他の一部の実力者で成り立っているものの、
アルバイトという形が問題になっていて、中には必要最低限の活動しかしない輩もいる。
しかし、この会社にとってテスターという存在は不可欠な存在になっている。
重要なキーパーソンと言える。
それをしっかり管理し、教育を施すための準備をする立場にいるスエラは責任感をもって仕事をしていた。
その責任感の強さが、妊婦という状態を忘れがちにさせてしまったようだ。
魔力によって体が多少無理が利くというのも考え物だ。
そんな状況が続き周囲から見て妊婦のスエラに対してレッドカードを出し、ヒミクを召喚したわけだ。
なるほどなと、納得しつついつまでも立ちっぱなしにしているわけにはいかないので、そっとスエラの手を取りリビングへと誘導する。
この後ひと悶着が起きると思うといささか気が重いが、それで彼女の体に対して気をつかわないかと言われれば違う。
少し恥ずかしがりながら手を引かれるスエラと共にリビングに入る。ヒミクはあのわずかな時間でお茶の準備をしてくれていた。
「主、茶が入ったぞ」
「おう、ありがとう」
リビングのソファにスエラを座らせ、俺もその隣に座るとお盆を持ったヒミクが現れる。
湯呑に入った緑茶を受け取り、そのままほっと一息つく。
おずおずとスエラも受け取り俺と同じく一口飲むとその温かさにほっと一息をつく。
そこからは先ほどの気まずさはない、あまり無理はするなと軽く言えば、スエラは素直に聞き。
スエラの話は一旦そこで終了だ。
それからは最近の出来事の研修でどんなことをしたかと流れで話し。
雑談を続ける。
いつ切り出すか、それを悩むがいつまでもウジウジと悩み続けるのも仕方ない。
「スエラ、ヒミク、大事な話があるんだ」
「なんでしょう?」
「主から大切な話か」
和やかな空気を壊すのも気が引けるが、隠している方が悪い。
覚悟を決める。
「監督官から、出世の話をもらった」
切り出し方としては悪い方法ではないだろう。
事実、ダンジョンマスター、将軍位の話が出ているのは事実だ。
「本当ですか!」
「うむ! わが主なら当然だ」
そのことに我が事のように二人は喜んでくれる。
それ自体はうれしい限りだが、問題はこの後。
「ただ、この話を受けるには問題と言えばいいのかわからないが、いくつか解決しないといけないことがある」
「解決、ですか」
おいしい話には裏がある。
それを理解しているスエラは、何か問題があるのだとすぐに察し俺を正面から見る。
ヒミクも静かに俺の言葉を待つ。
「ああ、俺の今の立場は一テスターでしかない。いくら実力をつけたとしてもそこら辺は変えられない。教官たちが推薦してくれていても不満の声は押さえつけられない」
俺が足りないのはシンプルに肩書だ。
経歴と言い換えてもいい。
長寿の種族が数多くいる魔王軍の中で見れば俺など新参者でしかない。
力をつけ、能力は段々と上位に食い込んできているが、出る杭は打たれる。
そんなポッと出の奴にいきなり重要なポジションを与えられるはずがない。
徐々に地位を上げるならそれに越したことはないだろうが、今の魔王軍に人間が昇進するための下積みがない。
たとえ実力を示し、有能性を証明しても前例がないということが足枷になってしまっている。
教官たちは俺を押してくれているが、それでは足りない。
もっと強力な後ろ盾が必要、いや、この場合は周囲から見て俺が魔王軍を裏切らないようにするための楔が必要と言った方が正確か。
「だから、この話を進めるには地位のある令嬢との婚姻が必要だと言われた」
「……」
「……」
監督官から聞いた説明を冷静に二人にも伝えるが、やはりスエラとヒミクの表情は芳しくない。
それもそうだ。
俺と彼女たちは日本の常識から見れば異常だが、愛し合っている。
俺たちの関係は非常にバランスが取れている。
それは偏に彼女たちの相性がいいからだろう。
うぬぼれた言い方をすれば、俺を好いてくれているからだろう。
そんな関係に出世のためとはいえ異物を挟みたくないと思うのは無理はない。
その雰囲気を感じ取った俺は、素直にこの話は断った方がいいと思った。
俺の立場は不安定でこの話を受ければ一定の地位が得られ、その分安全になる。
もちろん苦労はするだろうが、それだけのことができる力を得られるだろう。
だが、その反面家庭の方はきっとバランスが崩れる。
地位を得るために、その女性を迎え入れればその女性の発言力が強くなるのは必然。
仲良くなれれば一番だが、それでもバランスは確実に崩れる。
例えその相手が彼女たちが知る存在であってもだ。
「……お相手は、聞いていますか?」
それを承知でスエラは相手の名を聞いてくる。
俺のためか、それとも別の不安があるのか。
目の色に不安が見える。
やはり、この話には無理があると判断し、スエラたちを優先しようと思い。
今度は監督官にどういった説明をすればいいか悩み始めつつ。
「監督官だ」
雲行きは完全に黒くなり、彼女たちを不安にさせたことを後悔しつつ、政略結婚の相手を告げる。
「あ、それでしたら問題ありませんね」
「は?」
「うむ、やつなら、まぁ、問題はないだろうが……むぅ」
「はぁ、安心しました。地位があって次郎さんの後ろ盾になるかもしれない令嬢を考えていたら些か不安の残る方ばかりでしたので」
告げたのだが、さっきまでの暗い表情はどうしたのか。
あっさりとスエラは問題ないと言いお茶を飲み始めた。
ヒミクもヒミクで、むぅと唸りながらも何やら葛藤しているがそれでも監督官ならと認めている様子。
「え、は? どういうことだ?」
「次郎さんの立場を私が把握していないとでも思っていましたか?」
そんな困惑する俺に対して、しっかりと考えているんですよとピッと俺に向けて教師が教えるように指を振るスエラの姿は、さっきのオロオロしていたとは思えないほど凛としている。
「次郎さんの不安定な現状を脱却するために出世は必須です。そのためには政略結婚は必須なのはわかっていましたので、私の方でも対応するために調べてその情報をヒミクとメモリアと共有していました。相手によっては反対するつもりでしたが、魔王様も本気で次郎さんを取り込むつもりなようですね」
思っていたよりも早かったですがと口にするスエラに今の俺はどんな表情になっているだろうか。
政略結婚というワードをあっさり口にするスエラ。
むしろ、俺の知らぬ間に対策されていた方が驚きだ。
「私たちとしては、互いに利益だけの関係でこちらの関係には口を出さないでもらえる関係が最低ラインでしたが、エヴィア様なら私が考える限り最高の相手だと思いますよ」
そして、うちの嫁さんたちが今回の話に対してすごい理解を示すことに混乱し始めた。
ますます、今の俺がどんな表情をしているかわからなくなる。
俺を置いてけぼりに、スエラとヒミクは俺よりも深くこの政略結婚に関して考えていたようだ。
そんなことを聞くとふと疑問が口に出てしまう。
「ちなみに、ヤバい相手だったらどうしてたんだ?」
「全力で止めてましたよ?」
そんな言葉が笑顔で出てくる辺り、俺はいい嫁さんに巡り会え支えられているのだろうなぁと思い。
さらに愛されているなぁとどこか気恥ずかしく思いつつもうれしくなった。
そんな感情を抱き、思いつつこの流れでいっそ全部吐きだした方がいいと判断し、監督官とデートする話を切りだし、あっさり楽しんできてくださいと言われ。
終いには。
「落ち着いたら、今後の人生のことを話し合うために食事会でも開きましょうか」
そんなことを笑顔で語るスエラの瞳には女性同士でなければ語れない序列的なモノがあると言外に語っていた。
そんなやり取りに異世界の常識をまだ理解しきれていないのだと認識した。
そして……
スエラたちと話して三日後。
メモリアも同じような反応でまだまだ慣れないといけないことがあるのだと再認識し今日という日を迎え。
「ふむ、問題ないようだな」
珍しく静かだったパーティールーム。
普段だったら報告書を作るくらいなら、雑談交じりで結構騒がしい部屋であるが、この日ばかりは皆静かに黙々と、あの南ですら必要最低限の会話で報告書を作成していた。
それもそのはず。
その原因である存在がパーティールームの一角、ソファーに座る紅の髪の持ち主。
なぜこんなところにと全員が疑問符を頭の上に浮かべつつ、その理由が聞けないまま書類作成を開始し今に至る。
唯一その理由を知る俺は、報告書を仕上げ監督官に提出。
「では、約束通り連れ出してもらおうか」
それによって今日の俺の仕事は終了。
時間は昼より少し前、午後からは半休となり、予想よりも早く休みをもぎ取った監督官は。
「お前の言うデートにな」
部屋に爆弾を落としてから、俺の腕を取りパーティールームから出るのであった。
「「「「……ええええええええええええ!!???」」」」
扉の向こうから聞こえる叫び声を背に俺は、あとで何を言われるのかと思いつつ積極的な監督官、いや、プライベートなのでエヴィアさんに向けて素直にこんな言葉を投げかけた。
「意外と、楽しみにしてたんですね」
「そう、言ったはずだ」
子供が遠足を待ち遠しく思うような気持ちでパーティールームに乗り込んできたエヴィアさんの意外とかわいい面があると思いつつ。
とりあえず、彼女の格好を見て、さっそく行先を決めるのであった。
今日の一言
振り返ると長いようで短いと思うことは結構ある。
今回は以上となります。
次回で今章は終わりになります。
毎度の誤字の指摘やご感想ありがとうございます。
面白いと思って頂ければ、感想、評価、ブックマーク等よろしくお願いいたします。
※第一巻の書籍がハヤカワ文庫JAより出版されております。
2018年10月18日に発売しました。
同年10月31日に電子書籍版も出ています。
また12月19日に二巻が発売されております。
2019年2月20日に第三巻が発売されました。
内容として、小説家になろうに投稿している内容を修正加筆し、未公開の間章を追加収録いたしました。
新刊の方も是非ともお願いします!!
講談社様の「ヤングマガジンサード」でのコミカライズが9号で掲載することが決定いたしました。
そちらも楽しんでいただければ幸いです。
これからもどうか本作をよろしくお願いいたします。




