251 終わった後にもう一度受けたいと思うような研修を、俺は知らない
「はぁはぁはぁ」
こうやって大の字になって倒れこむなんていつ以来だったか。
入社したての頃は、スエラにボコボコにされたり教官たちにしごかれて足腰立たないようにされて、毎日こうやって地面に横になっていたが、あれは横になっていたというより気絶していたという方が正確だな。
なら、ここまで疲労困憊なのはいつ振りかと考えれば、結構ボロボロなケースが多いことに気づき、口元が笑う。
息も荒く、肺も痛く酷使したのがわかるのに、まだ表情筋には余裕があったみたいだ。
しかしそれ以外はダメみたいだ。
体中の酸素が欠乏し、その不足した酸素を供給しようと心臓が高く鳴り響く。
腕や足は感覚が鈍り、力を入れているかいないかもわからない。
ただわかるのは、ずっと握っていた鉱樹の重さのみ。
「はぁ、はぁ」
視線はずっと空を見上げ続けている。
段々と呼吸は落ち着いていっているが、それでもまだまだ呼吸は荒い。
いつもの研修中なら、監督官なり、フシオ教官なりいつまで寝ていると注意兼指導が来るのだが、その様子はない。
『まさか、ここまで成長してみせるとは』
「ハハハハハ!見ろ、不死王。私の魔剣が切られたぞ!!」
代わりにどこからかご機嫌な笑い声が聞こえてくる。
おぼろげな意識の中で、その声元を辿ってみれば根元から断ち切られた一本の魔剣を見て楽しそうに笑う監督官と顎に手をあて感心したように頷く教官の姿が見えた。
笑うとやっぱり美人なんだなぁとぼんやりと眺めつつ、とりあえず平穏なうちに体を回復させよう。
全神経、それこそ集中に集中を重ね、何も考えずただ断ち切ろうと考えた一刀が監督官の想像を超えた一撃を放った。
剣を断ち切る、言うのは簡単だが固定もしていない物体を切るなんて芸当、難しいなんて一言で治まるはずもない。
そして、そんな技をそう簡単にできるはずがない。
運という要素もあるかもしれないが、それ以上に。
「……」
何かが繋がったという感覚が、俺に監督官の魔剣を断たせた。
呼吸がだんだんと落ち着き、あの時、あの瞬間、断てると思った一秒未満、いや、それ以下のわずかな時間を俺はつかみ取り、俺はその瞬間にここしかないと思い全力を出した。
そしてその代価が、この有様だ。
「体に力が入らねぇ」
自分の中にある潜在魔力を初めて使い切ったことに恐ろしさを俺は感じていた。
枯渇という感覚をリアルで味わう。
虚脱感と言えばいいのか、本当に体中の何かが空っぽになった。
空腹とはまた違う、なんとも言えない空虚感。
だが、その気だるく何も考えたくないと思わせるような感覚が今の俺には必要だった。
何も考えたくない、ただこの感覚に身を任せたかった。
『悩み、彼奴と向き合ってやってくれ』
それでもふとした拍子に思い出してしまうフシオ教官の言葉。
なぜあんな言葉を俺に向けて言ったのか、事情も聴けず、かといってそのことばかり考えていてはいけない今の俺の現状。
監督官と俺の関係が変わる問題。
その問題の難解さにお手上げ状態で。
だから、こうやって戦いに没頭できる時間はどう悩めばいいのかと葛藤する俺にとってちょうどいい息抜きになっていた。
「……どうしろってんだ」
スエラにメモリア、ヒミク三人の女性と付き合ってそれに監督官のことも考えろと元社畜のサラリーマンになんて無茶を言う。
それも今まで上司としか見てこなかった女性を異性として見ろと直接言われたわけではないが、ニュアンスとして言われてしまった。
この研修で彼女のことを異性として意識する部分は度々あった。
だがその度に自分のことを諫めていたが、先日の監督官から言われた言葉、政略結婚の話を聞き自分を抑える必要がないという免罪を貰ってしまい、その免罪符をどうすればいいのか判断に困ってしまった。
合法的に使える免罪符という材料のせいで余計に考えがこんがらがってしまった。
どうするべきか、俺はどうすればいいのかと最近、研修以外の時間はそればっかり考えていた。
その間も自分の研修はこなし、ドンドン時間が経過していく。
期限は定められていないが、待たせ続けるのもどうかと思うと悩んでいる間にこの研修もいよいよ大詰め。
終わりが見えている。
嬉しそうに喜ぶ監督官を脇目にこんな余計なことを考えていていいのかと自省するも、すぐに体が動かないからいいやと割り切った。
そして、そのまま大の字になり休憩していたが、鍛えられてきたこの体の回復能力は過去の比ではなくあっという間に動けるようになってしまい。
ロクに考えがまとまらないまま、そのまま今日の研修も終わりを迎えた。
「……ふぅ」
今日も疲れたと自室で煙草を吸うが、その煙のように悩みが消え去ってくれるわけではない。
むしろ、その煙の臭いのようにこびりつき俺の思考を埋めてくれる。
「政略結婚か、考えたこともなかったな」
むしろ、そんな立場に立つ日が来るとは思ってもいなかった。
話を聞く限り会社にとって必要だから持ってきた話。
俺にとっても会社にとっても益がある。
ウインウインの関係というやつだ。
本来であれば飛びついてもおかしくない話、だが俺の心のどこかで踏ん切りがつかずこうやって悩んでしまっている。
どうするか、断るべきなのか。
出世するのならこの話には飛びつくべきなのだが、監督官のことを政治の道具のように扱えるかと言われれば心情的にはできない。
なら、監督官を愛せばいいのかと言えば、彼女のプライベートを知ったのは最近、それだけで恋愛対象に持っていけるかと言えばこれまた余計なことを気にしてしまう俺はうじうじと悩んでしまう。
ハーレムってのはここまで大変なのかと思いついつい不器用な自分が情けなく重いため息が出てしまう。
「いっそ、何も考えず欲望のままに動ければ楽でいいんだけどなぁ」
そんなことを考えられるほど俺は日本の常識を捨てていない。
はぁと三度溜息を吐き、どうしてこうなったかとまた堂々巡りの思考に陥りそうになった。
「……面倒だ」
だが、どうして俺がここまで悩まないといけないのかと最近よく思うことがついに口からこぼれてしまった。
こちとら元々平和に幸せな家庭が築ければいいと思っていた元一般人。
それがひょんなことでスエラと交際することになり、あれよこれよと、公認でメモリアとヒミクという素晴らしい女性とも付き合えるようになってしまった。
地位も名誉もあるわけではない。
資産だってあるわけでもない。
容姿も整っていると言えば整っているかもしれないが、特別なイケメンというわけでもない。
好いてくれる女性に対して全力で応える甲斐性は持ちたいと思っているが、それだけで女性は満足するものかとどんどん自分を卑下してしまう。
「……だめだ、思考がネガティブになっちまってる」
前の会社でもあったが、仕事が終わらないのは自分の手際が悪いからだと自分を責め、思考が暗くなったことがあった。
それを克服するには開き直るのが一番なのだが、開き直るのも意外と労力がいる。
いや、決断力と言うべきか。
「……ようは、俺が選べてねぇだけだろ」
うだうだと長々自分に言い訳していたのを俺はようやく認めることができた。
男としてとか社会的地位とか世間体とか。
色々と必要である常識が俺の思考を縛っていたが、根本を辿れば俺がどうしたいかという意思の問題だった。
その意思をないがしろにして他所からの影響ばかり気にしていた。
それに気づくと自然と俺がどうすればいいかというのがわかってきたような気がした。
「ああ、なんだ。単純なんじゃねぇか」
好きか嫌いか。
仕事で出世できるかできないか。
そんなこと、やってみないとわからないじゃねぇか。
なに、やらないで怯えているんだと俺は自分の思考に笑ってしまった。
世の中複雑にできているが、それは自分が複雑に考えすぎているんじゃないかと思えた。
「うっし、それなら一つずつ片づけていくか」
仕事もそうだ。
面倒なことでもまずはとっかかりから片づけていけばいずれ終わる。
それだけのことじゃないか。
煙草の火を灰皿に押し付け、そうと決まればと時計を見てまだ間に合うと判断した俺は手早くシャワーを浴び着替える。
この時間帯はこの研修中に監督官と会っていた時間。
今回、アポはないが、タッテさんを見つけてアポを取れないかどうかの確認くらいはできるだろう。
思い立ったが吉日。
悩んだら行動しろだ。
服装におかしなところがないか確認した俺は自室を出て、そのまま監督官のエリアを目指す。
その間どう話をするか考えた。
問題を解決する手段は思いついた。
だが、思い返せば自分が持っている経験は日本の一般的な方法でしかない。
その方法が貴族の監督官に通じるかどうかもわからない。
正しいかどうかも分からない。
加えて言えば、間違いなくスエラたちに対しても土下座案件だ。
この話を断れれば一番波風立たず終わったかもしれない。
だが、それだと俺は何か後悔するような気がする。
だからこの道を進む。
そう覚悟を決めた俺の足取りはしっかりとしていた。
監督官のエリアに入り、そしてそのエリアに入るための扉の前に立ち一呼吸おいてからノックする。
たぶん、俺がここにいるのは監督官には伝わっていると思う。
「次郎様、こんな夜分にお嬢様と会うご予定はなかったはずですが?」
「夜分にすみませんタッテさん」
だからだろう、ノックし僅かな時間も置かずその扉は開きその中からタッテさんが出てきた。
いつも通りのメイド服。
ちらりと俺の服装を気にしたような視線。
そして俺の表情を見て何かあったかと思考を走らせたのだろう。
スケジュールと照らし合わせた彼女の言葉に俺は一度頭を下げ、用件を告げる。
「急な申し出で申し訳ありませんが、監督官と会えないでしょうか?」
「……夜分遅くに約束もせず会うのはよろしくないと、此度の研修で習ったと思いますが」
「承知の上です。ですが、そちらの事情も知っているつもりです。可能ならで構いません。もし不都合でしたら、時間を改めます」
本当だったら意思を固めた今、話を進めたかったがこれはあくまで俺の都合。
相手方にも都合がある。
それを押し通すわけにはいかない。
その雰囲気が伝わったのか、タッテさんは、ではと言い後日と言おうとしたがその言葉は途中で止められ一瞬背後に視線を向けたと思うと。
「……お嬢様がお会いになるそうです」
「監督官が?」
「はい、ですのでご案内します」
そっと扉を開け、俺を先導し始めた。
さっきの僅かなやり取り、それを把握していた監督官が念話でタッテさんに話を通したのだろう。
でなければ職務に忠実なタッテさんが言葉を翻すわけもない。
見慣れた道を進み、そして見慣れた部屋に通された。
「どうぞ、中でお嬢様がお待ちになっております」
「ありがとうございます」
「いえ、お帰りの際はお声掛けください」
タッテさんに礼を言い。
そしてノックをする。
「入れ」
扉越しでも聞こえる監督官の声にこれから俺がすることに緊張しつい背筋が伸び、少しぎこちなくなりつつもその扉をくぐった。
「会う約束はなかったはずだが、何か問題でも起きたか次郎」
その先にいたのは寝間着と言うわけではないが、普段の格好ではなくラフな格好にカーディガンを羽織った監督官が出迎えてくれた。
いうなれば、上司という殻を取り払い、女性という雰囲気を前面に出した彼女が目の前にいた。
そんな彼女に見惚れそうになるも気を取り直し。
「いえ、問題はおきてません。今回は監督官にお願いがあって参りました」
「お願い?」
回りくどい言い回しをせず俺は単刀直入で話を切り出した。
うだうだ言うより、はっきり言った方が監督官の好みだろう。
いつものような少し砕けた口調ではなく、少し真面目な雰囲気でお願いと口にした俺に監督官はいったいどのような用件かと思考をめぐらすが、仕事以外の話だと見当がつかないようだ。
「言ってみろ、可能な範囲なら叶えてやろう」
「はい、ありがとうございます」
「礼はそのお願いとやらがかなえられてからにしろ」
俺もまさかこんな願いを口にする日が来るとは思わなかった。
最初は緊張したが、今ではスエラたちに自然と口にすることができた言葉だが、相手が監督官だと緊張してしまう。
だが、ここまで来て怯んでどうするとなるようになれと自分に発破をかけ口を開く。
「監督官、いえ、エヴィアさん」
「?」
名前を呼んだことに一瞬監督官が反応したが、気にするなこのまま突き進め。
「この研修が終わったら、自分とデートしてください!!」
そう思って俺は、内心でやり切ったという達成感と言ってしまったという後悔を胸にこの後の展開に身を任せるのであった。
今日の一言
常識にとらわれて、自分の判断ができなくなる時がある。
そんな時は一つずつ考えるとよい。
今回は以上となります。
毎度の誤字の指摘やご感想ありがとうございます。
面白いと思って頂ければ、感想、評価、ブックマーク等よろしくお願いいたします。
※第一巻の書籍がハヤカワ文庫JAより出版されております。
2018年10月18日に発売しました。
同年10月31日に電子書籍版も出ています。
また12月19日に二巻が発売されております。
2019年2月20日に第三巻が発売されました。
内容として、小説家になろうに投稿している内容を修正加筆し、未公開の間章を追加収録いたしました。
新刊の方も是非ともお願いします!!
講談社様の「ヤングマガジンサード」でのコミカライズが9号で掲載することが決定いたしました。
そちらも楽しんでいただければ幸いです。
これからもどうか本作をよろしくお願いいたします。




