244 たまに会社の投資方向に疑問を抱くことはないか?
「やりすぎだろ」
午後になり、座った姿勢が続き凝り固まった体をほぐすために午後からは運動の時間。
ただ、運動のしやすさとはかけ離れているような恰好を俺たちはしている。
タキシードと言えばいいのだろうか。
堅苦しくも上質で動きやすい衣装に身を包みその会場に踏み入れた俺の第一声は会社の気合の入れ具合に対する感想だった。
精々、シャンデリアが一つあり、それに合ったおしゃれなダンスホール程度の会場を予想していたが。
「せ、先輩、俺たちここで踊るんっすよね?」
海堂が気後れするのもわからなくはない。
天井につるされた巨大なシャンデリアを中心に、この会場を照らすように八方向に配置された小さなシャンデリア。
小さいと言っても中央の奴と比べてだ。
俺から見ればその一つが俺の想像していたシャンデリアのサイズなのだから、中央のシャンデリアの立派さは値段を考えたくないほどの代物だ。
しかし、ダンジョン内で様々な局面に出くわしてきた俺たちなら、シャンデリアの豪華さで驚くことはあるも、それだけならまだすごいの一言で済まされる。
だが。
「次郎さん、あれは楽団ですか?」
「らしいな」
うちの会社はたまに、うちらの常識を壊すような方向に動くから困る。
同じように正装に身を包んだ勝の声に、俺は指さす方向を見ながら硬くなった声色で返すしかない。
ゆっくりと視線を動かすだけでこの場の広さがわかる施設。
ここまでいるのか? と思うような広さだ。
ダンスホールと言うより講堂と呼んだ方がいいような広さの空間の内装から目を逸らし、視界の隅に入っていて意図的に無視していたいくつかの現実と向き合う。
この広大な空間の片隅に綺麗な恰好をした集団、その手にはそれぞれの担当をしている楽器がある。
今は音合わせをしているのだろう、様々な種族の集まる楽団メンバーを指揮者である悪魔が取りまとめている。
これから練習が始まるんだよな? と内心で疑問を浮かべつつ、実は今から本当にパーティーが始まるのではと不安になる。
ダンスの音楽などCDやデータ媒体で済む日本でガチな楽団を用意する魔王軍。
それも一桁で済むような人数ではなく、少なく見積もっても三十人規模の楽団。
ガチすぎる。
そして、現実逃避気味だった思考が現実を認識し始めると段々と周囲にも意識を向け始める。
壁の装飾、テーブルの質、カーテンの配色、そして給仕すら用意している。
どこの王宮だとツッコミを入れたい衝動をこらえ、この服装に着替えてよかったと心の底から思った。
もし仮に普段着でこの空間に入ったら即座に回れ右して全力ダッシュで脱出を図るだろうと確信できる。
「……練習で用意する空間じゃねぇぞ。どれだけ金をかけてるんだ」
「先輩、俺、あの花瓶とか壊したらまずいっすよね」
「次郎さん、ここって土足で大丈夫なんでしたっけ?」
「落ち着けお前ら、気持ちはわかる。とりあえず深呼吸するぞ」
そして、たとえドレスコードに引っかからない格好で会場入りしたとして、その場の空気に一般人の俺たちが適応できるかと言われればノーと答えられる。
この場にあるものすべてが高級品に見え、まるで地雷原に取り残されたかのようにそこから一歩も動くことができない。
田舎者丸出しにキョロキョロとすることはないが、雰囲気的に落ち着かないのもまた事実。
どうにか落ち着けようと、深呼吸するも、ダンジョンとはまた違った緊張感が落ち着かせない。
「おうおう、緊張してんなお前ら」
『カカカカ、仕方なかろう。うむ、今回はなかなか安く済んだ割にはなかなかのようじゃの』
「及第点ってところか、エヴィアの奴が用意したんだ。これくらいは当然か。時間がねぇ割にむしろここまでよく用意できたぜ」
そして、そんな俺たちの背後から現れる教官二人。
「そんな緊張すんな次郎、死ぬわけでもあるまいし」
『然様、いつも通りでいいんじゃいつも通りで』
バシンとキオ教官に背中を叩かれ、衝撃でむせそうになるも、その痛みで多少緊張がほぐれたのも事実。
フシオ教官はあまり普段と差はないが、キオ教官は少し整った格好になっていた。
キオ教官なら和装で来そうなイメージがあったがそんなことはなったようだ。
しかし、一つ聞き逃せないことがあった。
「教官、これが安い部類なんですか?」
「あ? なんだ次郎、お前も不満があるのか?」
「いえ、不満と言うか、これより上があるみたいな言葉が聞こえたような気がして空耳ですよね?」
『カカカカ、空耳ではないぞ。魔王城の新年のパーティーは、まずはあの楽団が倍以上に増えるのお、加えて精霊が飛び交い煌びやかになる。うむ、給仕も増え、柱には国から選りすぐりの彫金士が施した――』
「いえ、もうわかりました。想像するだけで金銭感覚がおかしくなりそうなので結構です」
教官たちからすればこれが簡素という事実に耳を疑ったが、それ以上の光景が日常的なこのお二方なら確かにこの空間は練習用だろう。
ぽかんと口を開くしかない勝と海堂をとりあえず現実に引き戻し、教官たちの言葉で逆に冷静になれたことに感謝しつつ。
これからの予定を思い出す。
「とりあえず俺たちがここで練習するのはわかりましたが、本当に広いですね」
俺たちはここで今から踊る。
それもライブ会場でバックダンサーが踊るようなダンスではなく、優雅といった言葉が似合うような社交場の踊りを。
知識として事前に教本とダンスの光景をとった画像は見たが、見た知識と実際にやるとでは感覚は違うだろう。
ただ、教官たちも言ったが失敗しても死ぬわけでもないという言葉がなんとなく俺の肩の力を抜いてくれた。
「お、相手も来たぞ」
そしてなぜ俺たち男性陣が先にこの部屋で待機しているかと言うと。
本命は後からくると相場が決まっているからだ。
「うわ」
「……」
女性の準備には時間がかかる。
ゆっくりと給仕が扉を開き、入口より少し入った場所で立っていた俺たちはその姿を目の当たりにする。
海堂は素直な感嘆を、勝は信じられないものを見るかのように目を見開いている。
「…」
かくいう俺もその光景に見とれている一人なのかもしれないが。
優雅に、そして堂々といつもと変わらないメイド服のタッテさんを付き従え、普段のスーツ姿ではなく胸元をいやらしくない程度に開けた真紅のドレスを身に纏い現れた監督官のすがたは正しく令嬢。
その歩き姿から何から何まで手本と言わんばかりに礼儀作法すべてが完ぺきだった。
自然と視線を集める女性というのはいるが、監督官の場合それだけではなくその仕草でも視線を集められるほどだった。
「っ」
見とれている場合ではないと、ゆっくりと瞼を閉じ深呼吸をしていると、変わらないと思えるやり取りが聞け、落ち着くのを感じゆっくりと瞼を上げれば。
「う、歩きづらいでござるな」
「だから普段から着慣れておきなさいよって言ったのよ」
「拙者あまりスカートは好まないでござるよ」
「だれだ?」
「だれっすか?」
「だれ?」
「ひどいでござるな!?」
あまりの様変わりした南に俺たちは口を揃えてそこに立っていた女性を本心で誰だか分らなかった。
水色の露出の少なめの衣装をまとった北宮はなんとなくわかる。
綺麗に化粧が施され、頭の上にあるティアラなどどこかのお姫様だと言われても納得できるほど彼女の姿は洗練されていた。
ただ、北宮の場合普段からしっかりと身だしなみには気を配っているためにそこまで別人のように様変わりすることはなかった。
問題は、その北宮に手を引かれ歩きにくそうにしている人物の方だ。
口調、そしてその声から南だというのはわかった。
だが、音声と画像が一致しない。
「いや、だって、なぁ」
「そう、っすよねぇ、あ、でも勝君なら」
「夢か?」
「わかってなさそうっすね」
「拙者だって似合ってないのはわかっているでござるよ!」
そうやって叫ぶ姿は正しく南なのだが、ドレスによって動きが制限され、いつものはしゃぎっぷりが抑制されお淑やかに見えるのが不思議だ。
そして、南の似合わない宣言は、俺たちの抱いた感想とは正反対の感想だろう。
似合わないんじゃない。
似合いすぎなんだ。
監督官と北宮の格好はなんとなく予想はできた。
だが、南の潜在能力を侮っていた。
普段は化粧のけの字もなく、服装も適当にみすぼらしくならない程度の格好。
それに加えて眼鏡、地味とはいかなくても女性らしさを感じさせないのが普段の南だ。
なのにもかかわらず。
薄い黄色の肩をあらわにしたドレスに身を包み、普段はしている眼鏡はその顔になく、代わりにナチュラルメイクが施され、しっとりとした唇には女の色気を感じさせる。
さらには下品にならない程度に耳飾りや髪を結うための髪飾り。
普段はなんとなくで整えられている髪は、うなじをさらしすっきりとした形にまとめられている。
恐らくビフォーアフターの写真を見比べても同一人物とは思えないだろう。
正しく、女は化けるの典型例、いや見本と言ってもいいだろう。
俺と海堂は驚愕から復帰しつつあるが、勝が戻ってこない。
「南、なのか?」
「幼馴染の顔を忘れるなんて、さすがの拙者でも怒るでござるよ」
未だ似合っていないと思い込んでいる南は、勝がなぜそんな言葉を発したか理解していないようだ。
北宮はその様子に気づいているためか、少し不機嫌そうになっている。
「綺麗だ」
「へっ!?」
そして、自然にこぼれた言葉なのだろう。
勝は意図せず、本音を南にぶつけた。
その言葉に、南は一瞬何を言っているか理解できていないようだ。
「あ、えっと」
そして素直な言葉を言ったことに気づいた勝は自分がなぜそんな言葉を言ったか理解できないように戸惑い始める。
それを見て北宮が少し悲しそうにするのにも気づかず。
「海堂」
「はい? なんっすか先輩」
「ふざけろ」
「なんすかその無茶振り!?」
「この空気をなんとかしろ」
そして、その周りは甘酸っぱい青春のような空気に侵され、何ともむず痒い空気になっている。
なので、ここは最近ギャグ担当になっている海堂を使って場の空気を流そうと試みる。
「大丈夫だ、お前ならできる」
「できるって、この空気で何言っても空気読めって話にならないっすか?」
「大丈夫だ」
「なんでっすか?」
「普段のお前とさして変わらないからだ」
「さすがの俺でも怒るっすよ!!」
さすがに悪ふざけが過ぎたか。
怒る海堂をなだめ、気まずい雰囲気を少し流せたことを確認する。
あからさまな北宮の援護は気が引けるが、あのままの空気だとこの後の研修に支障が出そうだったので妨害させてもらった。
海堂が騒ぎ始めたので段々と勝と南の間の空気も元に戻りつつある。
そのタイミングで。
「監督官、講義を始めてもらっても?」
「なんだ? もう始めていいのか? 私としてはもう少し先を見たいところだが」
「その好奇心は、後々の楽しみに取っておいてください」
監督官に話題を振ることによって、完全に場の空気を入れ替える。
ニヤニヤとさっきのやり取りを楽しんでいる監督官と教官二人。
さすがにこれ以上楽しませるわけにもいかず、研修を始めてもらう。
「仕方ない、この後の展開はどうなるか楽しみにして、まじめにやるとしようか」
監督官のことだから、おそらく北宮の感情込みで三角関係になり始めている展開を楽しんでいるのだろう。
そんな監督官相手に、どうにか話の流れを変えられたのは重畳。
「始めようか諸君」
さっきまで良いおもちゃを見つけたような表情から一変、いつもの仕事モードの監督官。
「おっし、やるか」
『カカカカ、始めるとするかのう』
そんな三人を見て、心の中で不安が出る。
このあとやるのはダンス、なんだよな?
今日の一言
変わろうと思えば、だれでも変わることはできる。
今回は以上となります。
毎度の誤字の指摘やご感想ありがとうございます。
面白いと思って頂ければ、感想、評価、ブックマーク等よろしくお願いいたします。
※第一巻の書籍がハヤカワ文庫JAより出版されております。
2018年10月18日に発売しました。
同年10月31日に電子書籍版も出ています。
また12月19日に二巻が発売されております。
2019年2月20日に第三巻が発売されました。
内容として、小説家になろうに投稿している内容を修正加筆し、未公開の間章を追加収録いたしました。
新刊の方も是非ともお願いします!!
また、講談社様の「ヤングマガジンサード」でのコミカライズも決定いたしました。
現在進行中です。
これからもどうか本作をよろしくお願いいたします。