243 忙しさになれれば、人間意外と余裕はできる。
研修を始めて一週間。
と言っても時元室の外では一日も経っていないので数日と表現するよりは数時間と言った方が正確か?
ただ、しっかりと時間経過を体感している身としてはその言い方は些か違和感が生じるので、数日と言わせてもらおう。
しかし、何度か使用しているがこの施設はすごいと思う。
シンプルに使える時間を増やせるのだからな。
ただ、俺のように特殊な精霊と契約し老化を止めるか、魔力体でなければこの部屋の多用はできないな。
もしそれらの条件を無視して使用したら浦島太郎の玉手箱のようなことになりかねない。
良い話には裏がある、薬も飲みすぎれば毒になる。
そんな施設だと、ここで過ごして切に思う。
さて、施設のことで話し始めたが、今日も元気に研修に励んでいる。
今日も今日とて座学。
そろそろ体を動かしたいと思わなくはないが、幸いにしてそんなことを長く思う暇など与えられるわけがない。
内容が変化する分飽きは来ないが、その代わり覚えることが多すぎて頭がパンクしそうになる。
そんな研修を続けているが、あの日、監督官と一緒に話すようになってから、互いの時間に余裕ができればお茶なり酒なりとタッテさんもいるが会話をする機会が増えた。
それなりに良好な関係が築けている、と俺は思っている。
「次郎、そこの小麦の収穫はハクロウ男爵領だ。間違えるな」
「はい」
だからと言って指導に手を抜くような監督官ではない。
相互理解により、むしろより丁寧に、覚えられない方が悪いと言わしめるほど効率的に頭に叩き込んでくる。
俺がパンクする寸前を見極められる分、より緻密な研修スケジュールになったのは気のせいではないだろう。
今は魔王軍の大陸の著名な貴族領の講義。
いずれ社交界にも顔を出すために、こういった知識も必要らしい。
営業でも営業先の担当が何が好きか、接待目的で相手の趣味嗜好を把握することはあるだろう。
接待ゴルフに飲みニケーション、あるいは軽い雑談時に格闘技の話にスポーツ話、野球の勝ち負けにうまい食事処の話。
それは異世界でも同じ。
多少毛色は違えどそんな感じの話は日常茶飯事だ。
その領地特産の品物、有名な貴族の話題、貴族同士で話してはいけないワード、etc。
前の会社にいた時には考えられないような知識を与えられている。
暗記系は苦手でもないが得意でもない俺は苦労しながら様々な貴族の名前や趣味嗜好を頭に叩き込んでいる。
北宮はこういったことは得意らしく、一足先に別の講義に進んでいる。
俺と北宮、別々の講義をしているのにもかかわらず、監督官の話す内容には淀みはない。
魔法で教科書を宙に置き、両手は常に開けておくスタイル。
もう見慣れたもので、俺は俺で段々とこうやって効率のいい講義に慣れ始めていた。
頭が疲れるという感覚にも慣れてきて、ちょうどいいペース配分もつかめてきた。
それが監督官に管理された研修だとわかっていても、やはり自分が進歩していると実感できるのはいいことだ。
「ふむ、区切りもいい。ここで休憩に入るか」
「ありがとうございました」
「お疲れ様です」
そして黙々と講義を受けていれば意外と時間は早く過ぎ去る。
初日と比べ疲れも少なく、それでも普段体ばかり動かしている俺としては、やはりこうやって机に向かうのは苦手ではないが好みではない。
パタンと資料を片づける監督官に頭を下げ、頭から煙をあげるフシオ教官クラスとどうにかついていこうと頑張るキオ教官組より先に休憩に入る。
恨みがましいような視線を南と海堂から受けつつも、余裕があるのだから仕方ないと肩を回し座り続けて凝り固まった体をほぐす。
「まったく、慣れないことやると肩がこるな」
デスクワークをこなしていた前職であったが、元をたどれば体育会系、こういった机に向かった作業や講義というのは何らかの負担を体に生じさせる。
「そう? 私は結構楽しいって思えるわよ。大学の講義よりも面白いし、実用的だわ」
そんなつぶやきに対して現役の大学生である北宮は楽しそうにさっきまで受けていた講義の感想を言ってくる。
「必要なのは理解もしているし納得もしているよ。普通の勉強よりは頭にも入る。ただまぁ、得手不得手の問題は避けられない問題だよ」
「次郎さんって、なんでもかんでも黙々とやってそつなくこなすってイメージがあるから、こういった勉強も得意だと思っていたわ」
監督官が一時退席し、一時の憩いができた俺と北宮はこの研修に入ってから会話する機会が増えた。
席が隣、そして顔見知りで仲も悪くはない。
趣味嗜好は違うが、共通の話題もあり。
こうやって会話をする機会は自然と増えていった。
最初は互いに認識すらしていなかったのに、こうやって職場が一緒になるだけで会話が増えるという人間の関係というのは不思議だ。
「俺みたいなやつは苦手だからこそ、量をこなさないといけないんだよ。努力を怠ればその分苦労するのは自分だからな」
勉強が苦手な姿を見て、意外だと思っていた北宮。
俺からすれば得意そうに見えていた方が意外だよ。
努力は苦ではないが、勉強は得意ではない。
できなさそうに見えなかったのは偏に努力の成果ということだ。
「それにしても今日はご機嫌だな。午後からのやつが楽しみなのか?」
「ええ、楽しみね。社交界って場所もそうだけど、ダンスパーティーなんて出たことないから」
そんな勉強で苦労している曇り空のような俺から見て、今日の北宮は晴れのように、いつもより機嫌がいいように見えた。
表情自体は普段と変わりないが、鼻歌を口ずさんだり、なんとなく雰囲気が柔らかかったりと機嫌がいいのを俺は感じ取っていた。
その理由を深く考えるまでもなく、思い当たる行事に行きつく。
「社交ダンスねぇ、俺は学生時代に体育でやったきりだが、それとも違うんだよなぁ」
北宮が楽しみと言ったダンスパーティーだが正確には少し違う。
異世界でのパーティーはいわゆる、社交の場。
語り合い、相手の腹を探り合う黒い場でもあるが、ほかにも出会いの場も兼ねている。
結婚しなくていいと思ったり結婚できないと思う若者が増える現代日本に対して、異世界の貴族にとって結婚は一つのステータス。
どれだけ素晴らしい旦那に嫁げるか、あるいはどれだけ美しい妻を迎えられるか。
それ次第で他人から見られる視線の色が変わる。
素晴らしい相手なら羨望を、それ以外なら嘲笑を。
愛云々ではなく、血筋やその存在が備えるステータスを重視するあたり、一般人とだいぶ感覚が違う。
貴族とは厳しい世界だ。
そして、そんなダンスパーティであるが北宮が出会いに飢えているというわけではない。
北宮が楽しみにしているのは、その貴族たちが用意する社交場がただのダンスホールで済むはずもなく、煌びやかで華やかになるという場所でまるでシンデレラのように踊れるということだ。
綺麗なドレスに綺麗な舞台。
着飾り、華やかな姿になることは女性にとっては例外を除き喜ばしいことだろう。
まぁ、それはあくまで女性視点の話。
男の俺からすれば、その気持ちに共感するのは難しいが理解できないわけではない。
今日の午後の講義はダンスの際のマナーとダンスの講義。
まぁ実地をかねてのダンスだから、ジャージでダンスの練習をするわけもなく。
その舞台に合わせ、俺たちは午後から事前に採寸を済ませた衣装に着替えるわけだ。
練習用とはいえ、しっかりとしたスーツやドレスを拵えた今回の研修、そして我らがパーティーの女性陣の中で北宮はかなり希望を出したらしく、それが通ったことも重なりかなり午後の研修を楽しみにしている。
「フォークダンスくらいはやったことあるでしょ?」
「ないから困ってるんだよ」
俺が通っていた中学、高校とフォークダンスというおしゃれな行事はなかった。
おかげで俺はこの年でようやくダンスデビューということになる。
うちのパーティーは幸いにして六人の男女三人ずつ比率が一対一なので練習相手に困ることはない。
だが、あいにくと社交場でやるようなダンスを踊った経験がある奴など一人もいない。
ダンスが趣味なアメリアであっても、社交ダンスはジャンル違いでお手上げ状態。
他の女性陣と言えば、北宮は知識はあるが経験なし、南に至ってはコントローラーやスマホでやるリズム系のダンスゲームなら、という彼女たちらしい経験値だった。
男性陣に至っては盆踊りなら踊ったことのある俺。
ステップで高得点を狙う系のダンスゲームならやったことのある海堂。
唯一できるかもしれないという可能性のあるフォークダンス経験者の勝。
男性陣の見事な経験値に俺はもはや笑うしかない。
「先に言っておくが、足を踏んだらすまん」
「……次郎さんが足を踏むって、普通に考えたら結構危ないわよね。戦っている最中とか床踏み抜いているところを見ているけど、大丈夫よね? 加減とか間違わないわよね」
身体能力向上の弊害はこういったところに来る。
加減はできるが咄嗟のことで間違えるということはよくある。
力を制御しきれてはいるが、万が一という可能性は捨てきれない。
俺の発言に、口元を引きつらせ普段からダンジョンで床を砕いている俺の踏み込みを見ている北宮はその対象が自分の足に来るのではと危惧している。
「そこまで力こめねぇよ」
さすがの俺でも戦いで使う踏み込みと、ダンスで使うステップは違うというのはわかる。
それこそ、地面を踏み砕くようなステップがいるとは思えん。
俺が危惧しているのはステップを踏み間違え相手の足を踏んでしまうこと。
魔紋によって身体能力が向上しているので互いに耐久性は上がり、回避性能も上がっている。
だがまぁ、踏めば痛いというのは変わりない。
しかし、北宮が危惧するように練習で足が複雑骨折を起こすような結果にはまずならないと断言できる。
呆れたようにそう言ってやれば、安心したようにそうよねと同意してくる北宮。
「次郎さんからすれば最初のダンスの相手は私たちじゃなくて、スエラさんたちの方が良かったのかしらね」
そして、安全が確保されれば女性というのは話題を広げたがるもの。
海堂みたいな特殊な女性関係を除き、現代日本からすればまともとは言い難いがパーティーメンバーの中で異性と交際しているのは俺だけ。
なので、社交ダンスという男女のふれあいの場で最初のダンスの相手が北宮たちでは不満ではないかと聞いてくる。
しっかりとニヤニヤと口元を笑わせながら、俺の反応をうかがってくる北宮の表情は楽し気だ。
恋バナが好きな女子らしい話だなと思いつつ、俺は思春期の子供みたいに照れるような年ではない。
「気分的にはそうかもな、まぁ、ダンスがうまくなって上手にエスコートできるようになってから誘うってのもありだろうよ」
生憎と北宮のご希望に添えるようなリアクションを取ることはできない。
気楽に返してやる。
そんな余裕な態度はご不満らしく。
「はいはい、どうせ私たちは都合のいい女よ」
「おいマテコラ、言い方に語弊があるぞ、ダンスの練習相手にって目的語を入れろ、目的語を」
ダンスの練習台として都合がいいのは事実だが、北宮の言い方だとまるで俺が異性に対してクズ野郎って感じに聞こえるぞ。
その部分を指摘してやれば、フフンと笑いからかっているのがわかる。
俺も俺でまったくと呆れたように笑う。
北宮は火澄との関連で少々異性との話題を避けている傾向があった。
いくら別れ、関係が終わったと言って心の整理がすぐにつくわけではない。
長い付き合いであった相手だからなおのことだ。
そればかりは時間しか解決してくれないだろうと、極力彼女に新しい彼氏は見つけないのかとかそういった話題は振らないように意識していた。
だが、最近になってこうやって恋バナを展開し、少しずつではあるが幼馴染のことに区切りをつけ、自身の恋愛にも目を向けるようになった。
まぁ、それも。
「ったく、そっちもそっちで俺は練習台だろうが。まぁ、あいにくと本命よりも背が高い分参考にならないかもしれんがな。いや、合法的に一緒に練習できるから問題はないか」
「な、何言ってんのよ、別に私は」
「どもるな、気づいていないと思ったかって聞く方が野暮だぞ」
その北宮にちょうどいい距離感で接してきた人物のおかげだがな。
無意識かもしれないが、たまに気の強い表情が鳴りを潜め、優し気でうれしそうな表情が表に現れるときがある。
それを見逃すほど俺は鈍感でもないし、俺以外にも南とアメリアは気づいている。
前者と後者でその表情に対する感情は違うが、それもそれで青春ってことだ。
そして、北宮のそれを向けられているのが誰がとは言わないが、俺が誰のことを言っているかは伝わる。
「うっ」
目が泳ぎ、頬をわずかに赤らめ少し戸惑う彼女に苦笑し、そのことも頬杖ついて指摘してやれば、分の悪い北宮はプイッとへそを曲げ顔を逸らすしかない。
それをみて笑う俺と少々不機嫌ながらも照れる北宮。
俺も俺でとんでもない恋愛をしているが、北宮も北宮でなかなか面白いことをしている。
そんな、毎日が戦いばかりの日常で、年下の少女の恋愛の行方を楽しみにしているあたり、俺も結構歳をとったなと思う一時であった。
今日の一言
余裕があれば、こんな雑談もありかもしれないな。
タバコが吸えればなおよし。
今回は以上となります。
毎度の誤字の指摘やご感想ありがとうございます。
面白いと思って頂ければ、感想、評価、ブックマーク等よろしくお願いいたします。
※第一巻の書籍がハヤカワ文庫JAより出版されております。
2018年10月18日に発売しました。
同年10月31日に電子書籍版も出ています。
また12月19日に二巻が発売されております。
2019年2月20日に第三巻が発売されました。
内容として、小説家になろうに投稿している内容を修正加筆し、未公開の間章を追加収録いたしました。
新刊の方も是非ともお願いします!!
また、講談社様の「ヤングマガジンサード」でのコミカライズも決定いたしました。
現在進行中です。
これからもどうか本作をよろしくお願いいたします。




