2 新人研修始まりました
連続投稿です
田中次郎 二十八歳 独身 彼女無し 職業 ダンジョンテスター(正社員)
僅かなニート期間を経て、常識の斜め上に属する職業についた俺は現在
「ごフォァ!?」
新人研修を受けています。
ええ、いきなり人があまり出してはいけない系統の声を無理やり出されていますが、新人研修です。
腹に響く衝撃とともに足は地を離れ、白い床に一回跳ねた後、無様に俺は転げまわっていますが新人研修です。
人一人、宙に浮かすほどの威力で殴る。
そんな存在、ゴリラかターミネイターのような存在だろうが、残念だがそんな想像からはかけ離れた見た目の人が相手だ。
俺からして見ればどこにそんな力があるのかと疑問に思う知的でクールな見た目のダークエルフのスエラさん。
新人研修?
それは入社したての社員が先輩、あるいは上司の指導のもと会社に馴染み、仕事の新戦力になるための足がかりだ。
現在、前職であるブラック企業を辞めて、晴れて魔王軍に入社?しダンジョンテスターと呼ばれる職についたわけだ。
そんな俺も言うに及ばずその新人研修を受けていたわけだが、どうやら想像とはだいぶ違っていたようだ。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫に、見え、ますか?」
「見えませんね」
ダンジョンに潜るにはどういうのが求められるか
知識?
それは必要だ。
ダンジョンのことを知らず、突き進むなんて死にに行くようなものだ。
道具?
武器や防具、傷薬を用意しないなんてゲームでも縛りプレイとかの特殊な状況でない限りありえない。
他にも色々準備が必要だろうが、基本的に求められるのは戦闘力だろう。
咄嗟に腹筋に力を入れたはずなのに、衝撃に貫かれ、呼吸が止まった。
結果、再始動しようにも自然に起き上がることはできず、体に活を入れ起き上がらなければいけない始末だ。
新戦力は新戦力でも、物理的な戦闘能力を求められると、苦労はすると思っていたが想定が甘かった。
ブラック企業の後始末に一週間、アパートから会社の寮に引越しするのに三日、そしてさぁ早速ダンジョンテスターになってダンジョンに潜るというわけではないのは理解していた。
さすがにズブの素人や、戦闘に適さない人をダンジョンに挑ませるわけにもいかない。
そのため、正式採用を見極めるために研修期間を設けている。
その研修の三日目、俺は久方ぶりに取り出した剣道着、防具を着込み支給された柄に鍔の付いた木刀を杖替わりにして起き上がろうとしている。
赤子の手を捻る。
そんな言葉が頭をよぎるほど、俺とスエラさんには隔絶した実力差が存在した。
久方ぶりの運動に汗は止まることを知らず、息は乱れる。
対してスエラさんは、スーツとハイヒールという武道をするには決して適していない服装にもかかわらず、木杖を構え汗一つ欠かず俺を打倒し見下ろしていた。
「体の力は上がっているのですよね?」
「実感なされているのでは?」
「鉄芯入の木刀があんなに軽くなるとは思いませんでしたよ」
それなのに勝てない。
いや、まともに打ち合うことすら叶わないのだ。
「レベルの差っていうのを、思い知らされましたよ」
紺色の剣道着に、同色の基本的な剣道防具、それに加えてこげ茶色の木刀だ。
肉体的には一見変わったようには見えないようだが、さっきまで鉄の棒を数十分に渡り振り回していたのだ。
現在の俺の身体能力は、走ればオリンピックで優勝とは言わないが出場できる程度には速く走れ、垂直に飛べば人一人くらいなら飛び越えられる。
確実に能力は向上しているのを実感できる。
「すごいですね、魔紋というのは」
「次郎さんの魂に合わせ魔力を引き出すだけの回路です。それほど驚くことではありませんよ」
最盛期の俺でもできなかった芸当を今の俺ができるのは、魔紋という異世界の技術だ。
会社内やダンジョンの中に存在する魔力という心技体に干渉するエネルギーを、魔紋という回路で魔力適性という器に流し込む。
それだけで俺の身体能力は飛躍的に上がった。
全身にくまなく幾何学模様のように特殊な薬品を塗られた時は思わず害はないかと聞いた記憶は新しい。
「慣れていけばさらに効果は上がります。そして、魔法も使えるようになりますよ」
「それは楽しみですね」
魔紋はあくまで回路だ、魔力を吸収するための道であり放出するための道でしかない。
だが、魔力を受け入れた俺の体は全体的に強化され、しっかりとした知識を得れば適性のある魔法を使えるらしい。
そしてさらに魔紋には副次的な効果がある。
「成長を実感できるってのは素晴らしいな」
ゲームで言うステータス、それを見ることができるのだ。
今は手元になくて見ることはできないが、魔王軍が開発した端末に魔紋経由で魔力を流すと、自分のステータスを数値で確認することができる。
レベルという概念は存在しなかったが、力や素早さ、知識や運に至ってまで数値化してくれるのは運動経験者としては励みになるのだ。
「今週は午前は座学、午後はこのような模擬戦を繰り返してもらいます」
「ダンジョンに入るためにですかね?」
「そうです、ただ概要だけ話してさぁ行ってくださいではこちらも労力を割いて勧誘した甲斐がありません」
それほど厳しい環境なのですよ。
スエラさんの言葉を疑う気はない。
俺が使っている魔紋、当然ながらスエラさんも使っている。
でなければ成人した男を、身長は女性にしては高めといっても俺から比べれば拳骨一つ分は低い、そして細身な体型で成人した男性を軽く吹っ飛ばすことなんてできるわけがない。
ついさっきだって、この模擬戦中で俺は一回、上段からの振り下ろしで彼女の動きを止めることができた。
偶然が重なった結果だったが確かな手応えをあの時は感じた。
だが、動きを止めただけで彼女は片手で俺の一撃を受け止めてから余裕の動作で放たれた反撃は、軽く蹴ったはずなのに動きは俊敏で苛烈だった。
それを痛みとともに体験し、午後はそれを数えるのも嫌になるほど繰り返した。
今日だけで何回地べたを転げ回ったのかわからない。
それほど彼女との実力差ははっきりしているのだ、同僚になってから様付からさん付けに変わっていても先輩と後輩。
先輩からの忠告やアドバイスはしっかりと聞いておかなければいけない。
それが自分自身のためであり、社会人のマナーだ。
それに
「勇者くらいなんですよね? ダンジョンを突破できるのって」
「一個師団や二個師団程度でしたら、軽く防げますね」
会話の節々から出る、異常と言えるような勇者が攻略できないようなダンジョンを作り上げないといけない。
この程度で挫折していてはこの仕事を続けることはかなわないだろう。
そしてその勇者がどれだけ化物なのか知る由は意外とあった。
先々代の魔王と勇者の戦いを記録した水晶が存在するらしい。
それは機密であり、そう簡単に見れはしないがいずれ見せてくれるとスエラさんに言われた。
万夫不当を素で行く人種が魔王であり勇者であるのだ。
通常のデコピン程度の攻撃がミサイルクラスって冗談が笑えないほど非現実めいているらしい。
それを防ぐためのダンジョンを考えるのは並大抵のことではない無茶ぶりだが、逆にここまではっきりと無理ゲーになるとやりがいがあると感じてしまっている。
その為の下準備だと思えば、この息苦しい辛さも楽しさが勝りまだいけると思ってしまう。
「もう一本!」
そう叫び俺は立ち上がり、模擬戦を再開するのであった。
まぁ、そこで一本取れたら良かったのだが
取れるはずもなく、延長に延長を重ねてついさっきまで模擬戦を繰り返し、負けを重ね続けていたのだ。
「全戦全敗って、意外と悔しくないんだな」
いや、悔しいことは悔しいが、スエラさんは俺を打ち倒すたびにダメなところを指摘してくれ、それを俺が実践し次から次へと改善されていくと、自分が強くなっていくのが実感できて楽しさの方が優ってしまうのだ。
楽しい感情が表に出てしまって、ついついニヤニヤしそうな表情を引き締めるべく、よっこいせと防具の入った包みを担ぎなおす。
寮の玄関口を潜り、エレベーターではなくあえて階段で登るのはまだ身体を動かし足りないという、願望の表れかもしれない。
軽く制汗スプレーで匂いを消したが、それでも汗で服が張り付きベトベトした感触は拭えていない。
昔だったらすぐにシャワーを浴びて、冷蔵庫を開き発泡酒を一気に飲み干している流れだが、そんなものは後回しだ。
ポケットから鍵を取り出し中に入り、靴を脱ぐ。
「さてさて、今日はどれくらい上がっているかなぁっと」
アパートの部屋にあった私物の大半は、今回の転職で心機一転ということで売るなり処分するなりでだいぶ減り、今の寮の自室は備え付けの家具以外はだいぶさっぱりとした雰囲気でまとめている。
その中で、俺は迷わず机に近寄り、ぱっと見るとタブレットPCにしか見えない白い端末を手に取る。
と言うより、エネルギー源が俺の魔力というのを除けば、中身はタブレットPCそのものだ。
まぁ、中身は魔王軍開発のアプリ機能がぎっしりと入っているところは現代のものとだいぶ違うという点は除く。
魔紋から魔力を流し、端末を起動、僅かな起動時間も俺にとっては待ち遠しくてしかたがなかった。
「ステータスチェックっと」
起動したらしたで画面をスライドさせ迷わずステータスチェックアプリを起動する。
途端、画面は診断中という文字が流れ、わずか数秒で診断を終了する。
「やっぱり、力と耐久性の上がりがいいなぁ」
今日だけで四時間は体を動かし、そのいずれも鉄芯入の木刀を振り回し、スエラさんに殴り吹き飛ばされ続けたのだ。
上がっていないほうがおかしい。
ステータス表は、上から順番に、力、耐久、敏捷、持久力、器用、知識、直感、運そして魔力と続き、前回の診断と比較するように表が映し出される。
「代わりに持久力はともかく敏捷は少ししか上がらず、知識に至ってはほとんど変動なし、運なんて、上がったところを見たことないぞ」
力は単純に筋肉を鍛えれば数値が上がる、持久力は長距離走とか体力が必要なことをすればいいのだ。
運という要素は今のところ上げ方がわからない。
「午前中は座学研修だったはずなんだが……知識って本当に上がりづらい」
まぁ、下がらないだけマシと思うことにする。
このステータスチェックに新たに身につけた魔紋は決して努力に対して嘘はつかない。
やればやるほど、才能の差というのは存在するように上げやすい能力と上げにくい能力は存在するが決して上がらないわけじゃない。
しかし逆に、努力を怠ればステータスはしっかりと下がるのだ。
赤文字は上昇を、黒文字は停滞を、青文字は減少を指し示す。
幸い今の俺のステータスに青文字は見当たらない。
このままいければいいが、そういかない時も出てくるだろう。
「あとは、研修中にどれだけスキルを付けられるかだな」
端末をスライドさせ次のページを映す。
スキルという項目が映し出され、そこにポツンとひとつだけ表示されている。
『猿叫の威圧
理解不能の奇声によって敵を威圧し、惹きつける
攻撃時に使用すればダメージ上昇(弱)』
うん、要はあれだ。
剣道初心者なら恥ずかしながら面と言い、中級者ならメェン!と叫ぶ。
そしてそれが上級者になると
『ミェィゥエェェェン!!!』
理解不能の奇声が続出するわけだ。
そして、俺もその続出する一派なわけだ。
最初に健康診断でステータスチェックをしたとき、こんなスキルがあると知って唖然としてしまった。
普通剣道を習っていたなら、こう剣術スキルとか刀剣スキルとかそういった剣に関係するものがつくのではと思う。
だが、ファンタジーにも無情な現実はあるらしく
『あなた方のゲームで言うパッシブスキルは存在しませんよ?』
スエラさんいわく、スキルで俺ツェェェはできないとのこと、まぁ、魔紋がパッシブスキルの代わりといえば代わりらしいのだ。
加えて、魔紋を刻んで最初からスキルを持っている人間は珍しいらしく、鍛えていけば一財産になるらしい。
「理解不能言語が生命線ってか?」
相手が怯えれば確かにこちらが有利になる。
そこらへんも考えなければこの業界で文字通り『生きては』いけないだろう。
「さぁて、シャワーを浴びるとするか」
とりあえず、体が資本の仕事だ。
風呂に入り、夕食を取るとしよう。
明日も朝から講習があるしな。
研修四日目の朝
大学の講義室のように後ろに行けば行くほど高くなる段状の教室で、俺は資料とノートを交互に見つつ要点をまとめ、合間に最後尾から同期となるメンバーに視線を送る。
まずはじめに言えるのは、軒並み若い。
少なくとも見た目は俺より年上と言える感じの人物はいない。
主に二十代前半、二十から三といったところだろうか、まぁ、戦闘能力を求められた内容だから若いメンバーが揃ってもおかしくはない。
加えて、募集していた人数に比べて圧倒的に人数が少ない。
元々、百人単位で使用する予定であっただろう講義室の席も半数以下、いや三分の一程度しか使われていない。
しかし、驚くことに男女比率にほとんど差がないということだ。
さらに加えるなら、未成年者はいない。
まぁ、当然だ。
いくら給料がよくて職場環境が良くても、命の危険がありますでは未成年の親御が許可を出すはずがない。
まぁ、場合によっては許可を出す可能性もあるがそんなもの例外だろう。
募集要項は未成年者も入っていたが、漫画やゲームじゃあるまい。
学生が戦うなんて夢物語はファンタジーでもそう簡単には実現することはないらしい。
「ファンタジーは目の前にあるっていうのにな」
最後尾の席だからこそ、小声で気づかれないように頷く。
教壇に立っているのは、スエラさんとは違った別のダークエルフの男性、これがまたイケメンで白衣がよく似合う。
女性のテスターたちはそろって瞳をキラつかせていて真面目に受け、男性テスターは真面目に受けているのが三割と他はおもしろくなさそうに中途半端に話を聞いているのが大半だ。
「ダンジョンのモンスターは大きく分けて二つ」
まぁ、俺はその三割の方だけどな。
いくらなんでも教えてくれる担当がイケメンで女にモテモテだからって、嫉妬と自分の命を天秤にかけるなんて馬鹿らしすぎる。
まぁ、さすがに三十路手前で彼女無しだと、ある程度の諦めがついているってのも理由に挙げられるがな。
他の同期に呆れた視線を送りながら、モニターに表示されている内容を自分なりに重要だと思う部分をまとめてノートに書き写す。
当然、資料の方にもラインマーカーを忘れない。
「ソウルとブラッドだ。ソウルは魔力だけで形成された魔物だ。一般的にダンジョンに徘徊している魔物はソウルの方だ。特徴は、攻撃し傷つけても血は出ず、代わりに魔力粒子が溢れ、倒すと死体は一部分を除き残らず消滅する」
資料に書いてある内容を読み、並行して教師役のダークエルフの内容も頭に叩き込む。
「個体差が無いというわけではないが、能力差に大差はない。知識と技術があれば決して倒せない相手ではない。代わりに、魔紋への影響は少なく手に入れられる素材は少ない」
要約すると死体が残らない量産型モンスターというわけか。
「気をつけるのは、ブラッドの方だ。これは個体数こそ少ないが、各種族のソウルの三倍から十倍のスペックを誇る」
ブラッド、資料を見る限りでは、文字通り傷つければ血を流し、倒せば死体が残る魔物だ。
言うなればユニークモンスターだ。
「君たちはまだダンジョンに慣れていない。出会ったならすぐに無理せず逃げることを勧める」
ダークエルフの教師の言葉に難色を示す反応がちらほらと見える。
強さはソウル個体の数倍、戦うにはリスクと経験がいる、だが、それに見合う魔力とソウルにはない特殊な素材を手に入れることができる。
ソウルのローリスクローリターンかブラッドのハイリスクハイリターンだ。
俺は選ぶなら前者だが、後者を選ぶ奴もいるだろう。
それが、魔紋を手に入れて浮かれたやつならなおさらだ。
魔紋は進化する。
いや、正確には最適化と言ったほうがいいかもしれない。
外部からつけた外付の回路を体に染み込ませるには時間がかかるらしく、促進させるにはエネルギーが必要だ。
それを補うのが魔物との戦闘だ。
体を動かすだけでも魔紋は最適化されるが質は低く上がりにくい。
それに対して、魔物との戦いは最適化に加え、倒せば魔力という魔紋の質を上げてくれる要素を与えてくれる。
三十手前の俺にいたっては加えることに給料も上がるというウハウハ話だ。
「見分け方は簡単だ。ソウル個体をベースにし何らかの特徴が必ず現れている」
魔族や魔物は強さを誇示したがる傾向がある。
それは独特な爪であったり、肌色であり、武器でありと、それがユニークであるブラッドに反映されている。
「本日は以上だ。各自昼食をとったあと、午後の訓練へ」
時間は既に昼頃へと差し迫っていて、切りがいいこともあり、五分ほど早く講義は終わる。
「それと、職種希望調査を明日回収する。各自の初期装備を配布する資料になるので忘れず持ってくるように」
最後にお土産と言わんばかりに連絡事項を残してイケメンダークエルフは講義室を出ていった。
集中から解放されて背伸びをすれば骨がコリコリと鳴り響き、固まった筋肉がほぐれる感じがする。
そして周りはイケメンダークエルフの置き土産の話で盛り上がっている。
「お前なんの職種にする?」
「ん? やっぱり魔法使いかなぁ」
「え? お前もかよ」
「前に出るの怖そうだし」
「だよなぁ」
前衛職なんてないわと続く話を聞きながら、俺は立ち上がりその脇を通り抜ける。
そして、誰も俺に話しかけようとしない。
目が合えば、そっと会釈程度はしてくれるがそれだけだ。
「ジェネレーションギャップってこういうことを言うんだろうなぁ」
その反応をみてつくづく年をとってしまったものだと思ってしまう。
なにせ採用された同期の中で俺は最高齢だ。
そして周りは全員年下で、正直どう話しかけたらいいかわからないし、体の成長が既に下り坂になっている俺と仲良くなるメリットなど少ないと周りは思っている。
と言うかそういう陰口を聞いた。
よってめでたく
「三十路手前のぼっちが誕生したわけだ」
めでたくは決してないが逆に気楽だと考えよう。
「前衛職って人気ないなぁ」
ポジティブに思考を切り替えて移動した先、食堂の片隅でハヤシライスを食べながら進路希望調査のような用紙を眺める。
第一から第三までの希望職が書けるようになって、上の大きな枠組みには、前衛、遊撃、後衛の三種に分かれて職業が書かれている。
と言っても、それを選択したからといって特別なスキルがもらえるわけではなく、ただ単に、希望の職業で用意した初期装備の配布と基本動作のレクチャーをしてもらうわけだ。
「まぁ、人は人、俺は俺ってことで」
サラサラと二、三日のうちに考えていた希望職を書けば、あとは昼食に専念するだけだ。
午後に備えるためにはしっかりと食べておかなければ。
「メェイェェェェンゥゥゥゥ」
腹も膨れ、絶賛奇声をあげている俺の上段からの唐竹割りはこの三日間のあいだにすっかり容赦という言葉がなくなっていた。
常に全力、魔紋による身体サポートを受けて、軽々とはいかずとも少しの無茶で動ける状態、本気で戦っているという感覚は、若い頃を思い出させる。
「ドゥルぅゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」
振り下ろした勢いを無理やり変えて胴薙へとつなげるが、カンと軽く、木同士が当たったような音が聞こえるだけに終わった。
「背中を見せたら襲ってくる。そう思ってください」
わかっているという暇もない。
クールな声ではっきりと聞こえる忠告に従うように身を投げ出し、前転すれば、僅かに背中に何かが通り過ぎるような空気を伝える摩擦音が聞こえた。
「素早く立ってください。座っている獲物ほど格好の的です」
「ツゥルゥキィィィィィィィィ!!」
「立ちながら反撃する判断は素晴らしいですが、同格ならともかく、格上に破れかぶれの攻撃は効きません」
考えるよりも先に体を反応させろ。
「コテェェェェェェェェェ!!!」
「攻撃するときはしっかりと姿勢を整えてください」
フェイント代わりの突きなどはじめから眼中にないかのように、スエラさんの杖は正確に、素早く、彼女の手首に向けて振り下ろした木刀をそらしてみせた。
「でなければ、連撃はただの体力を消耗する無駄な動きに成り下がります。そして、しっかりと攻撃後のアフターケアをしなければ」
これで後衛職だというのだから異世界というのは半端ない。
見えるように、けれど俺に反応できないように滑らかに打ち出された杖に対して、俺ができることなんて体に力を入れて少し跳び上がる程度だ。
「グ」
一瞬息が詰まるが、それだけだ。
かなり痛むが、それでも動けないほどではない。
この数日でよくもまぁここまで痛みに耐性がついたものだと自分を褒める
「ゴハ!」
ことは残念だができなかった。
「衝撃を殺そうとしての判断かもしれませんが、相手の攻撃力を検討してからそういった判断をしたほうがいいです。でなければ、跳んで衝撃を殺す行為はよほどの開けた場所でしか使用するのはおすすめしません」
ええ、実感しています。
だけど、俺が立っていた場所と今俺が衝突した壁とは少なくとも二十メートルは離れていたはずだ。
「特に閉鎖的な空間が多いダンジョン内、もしくは崖等が多い落下の可能性があるエリアでの先程の行動は確実に命取りになりますね」
「き、厳しい」
「あなたが生き残るためにです」
「そ、そうですね」
スエラさんは俺をあっさり吹き飛ばしたのにもかかわらず、表情を変えず、早歩きで歩み寄り、俺の体に触れる。
ほんのりと温かい女性の人肌の体温に痛みと違ったドキリとする。
そんな感覚に体がわずかにはねる。
「? すみません、痛みましたか?」
「い、いえ」
恥ずかしいだけです、とは不謹慎でもあるし羞恥的な意味でも言えない。
「打撲だけですね。治療魔法をかけますか?」
「いえ、骨折とかの時だけで」
「確かに治療魔法は成長を阻害します。ですがそれは耐久性だけです。あまり無理は勧めません」
「前衛なら耐久値は必須ですし、今は体が痛むけど無理って感じがしないから大丈夫です」
頭を向けるように差し出された杖の先を手のひらでどかすように立ち上がり、肩を回したり、足を上げたりすればわずかに体全体各所から痛みが走る。
だが逆に言えばそれだけだ。
骨が折れた感じもしない。血が出ているわけでもない。放っておけば体の熱が痛みを隠してくれる。
「それにスエラさんの加減が上手なので、変なところが痛まないってのは、ありがたいですね」
これで関節が痛むとか、木刀を握るための握力がなくなっているとか、頭をメッタ打ちにされるとかだったらさすがにやばいが、そんなことは今のところない。
「この先はわかりませんが、今のあなたと私の実力差は赤子と翼竜程度の差はあります。そのおかげで私にはかなり余裕があり、現在のようなことができます」
赤子の手を捻るどころの話ではなかった。
「そんなに差が?」
「ええ、ちなみに私と将軍の差も同じくらいですよ?」
スエラさんですらこれだと、パワーインフレ起こっているって次元の話だね、これ
「ちなみに将軍と魔王様の差は?」
「将軍が束になって、ようやく一撃入れられるかどうかといったところでしょうか、それも、カスリ傷程度ですけど」
正直それがどれくらいの強さなのか全く想像できない。
「魔王様にとって俺はアリ以下か」
「戦闘能力的には……微生物でも過多かもしれませんね」
ここまで差があると逆に諦めがつくというものだ。
ようやく、痛みが引き始めて立ち上がる頃に、一息入れようとスエラさんの誘いを断る訳もなく素直に受け入れる。
正直、美人の前での男の意地で立っていた俺は端に移動して面を外す。
「ぷは、そんな魔王様に勝つもしくは互角な勇者は、一応俺と同じ地球出身ですよね?」
「ええ、もっと具体的に言えば十六歳から十九歳が勇者の平均年齢ですね」
「何が起こった、現代高校」
窮屈な感覚から解放されたはずなのに、明かされたファンタジー事情によって妙にモヤモヤとした感情が心うちに現れた。
そしてそんなハチャメチャな高校生なんて、見たことも聞いたこともない。
そもそもそんな高校生がいたら表沙汰にならないわけがない。
それはすなわち
「ファンタジー怖えええ」
「将軍級の魔力適性のあるあなたが言っても、五十歩百歩のような気がしますが」
「実感は一切ないですけどね」
あなたが言わないでくださいと、入社して最初に行った身体測定で判明した結果を知る立場にいるスエラさんは、少し困ったように笑いながら魔法で取り寄せたスポーツドリンクを差し出してくれた。
「どうも、けれど魔力適性八、本当にそんな能力があるんですか?」
「実感できるのはだいぶ先です。最初から自分が強いと実感できるのは魔力適性十の正真正銘異常な存在たちだけです」
その言葉にどことなく納得できない感情をスエラさんから感じ取るが、わざわざ藪をつつく必要はない。
喉を潤すように一気にペットボトルの中を飲み干し、実際の俺のスペックについて考える。
感覚的には全く実感ないが、将来的にはそれこそ年単位で鍛え上げればさっきの戦闘の立場を逆にすることが可能なほど潜在スペックがあるということだ。
「大半の方々は最初は良くてゴブリン並みといった戦闘能力しかありません。しかし、今のあなたなら早々にゴブリン程度なら後れは取らないでしょう。運がよければオークも正面から叩けます」
「それってすごいんじゃ?」
ここ数日、完全にボコボコにされていたためか、てっきり、今のあなたはゴブリン以下ですとボロクソに叩かれると思っていた。
だが想像以上の高評価をスエラさんは俺に与えてくれた。
「ええ、一対一なら私の言ったことに間違いはありません。ですが、ダンジョンで孤立している存在などそう多くありません。勇者の付け入る隙にもなります」
「というと?」
「今のあなたなら、そうですね……隙を与えなければ十体、隙を突かれれば三体で負けますね」
しかし、彼女のしっかりと仕事ができる印象というのは裏切らず。
高くなった鼻はすぐに削ぎ落とされた。
暗に死にますと告げられれば、腹の一つや二つ、いや腹は一つしかないが、立てるのだが、やってみないとわからないとムキになるほど俺も若くはない。
「どこまで強くなれば?」
どちらかと聞かれれば危険を避けるために安全策を考える方に方策を巡らす。
「勇者を倒せるほどに」
「俺、戦う必要ないですよね?」
「想定しているのは、対勇者ダンジョンです。それくらい強くなってもらわなければ困ります」
「ですよねぇ」
最初から提示されてわかっていたことだ。
対勇者ダンジョンの作成、それが、俺が受けた仕事だ。
「あと一本やりましたら今日は終わりにしましょう。ですので、少し本気を出しますので先に連絡事項を」
「?」
休憩が終わりと聞いて、さらにもう少しで終わりと聞けば活を入れるには十分な理由だ。
面をつけながら話を聞く。
「明日の午前中に職種希望用紙が回収されるはずです、なので、今後の午後の研修は場合によっては、担当が代わるかもしれません」
「スエラさんの職種って魔法使いでしたっけ?」
「ええ、ですのでそちらの手が足りなければそちらに回ることになります」
なら、確実に担当が代わるなと、昼間の話や周囲の様子を見れば確信できる。
餅は餅屋と言うが、俺の希望する職種と彼女の職種はかすりもしない。
気合を入れるように最後の紐をしっかりと結び、木刀を片手に立ち上がる。
「分かりました。それでは一本お願いします」
「魔法は使いませんが、魔法使いの近接戦闘能力をお見せします」
こんな美人との研修もこれで終わりだと残念に思いながら、ならばとできるだけ長く粘ろうと心に決めながら訓練場の中央で向き合う。
結果だけ言おう、俺は過去最高の粘りを見せたが、ボコボコにされる結果は変わらなかった。
結論、ファンタジー魔法使いは半端ない。
田中次郎 二十八歳 独身 彼女無し 職業 ダンジョンテスター(正社員)
魔力適性八(将軍クラス)
ステータス
力 13 → 力 25
耐久 10 → 耐久 30
敏捷 12 → 敏捷 17
持久力 8(-5) → 持久力 19(-5)
器用 15 → 器用 21
知識 30 → 知識 31
直感 5 → 直感 6
運 5 → 運 5
魔力 40 → 魔力 40
状態
ニコチン中毒
肺汚染
今日の一言
研修を受け、ダークエルフ魔法使いにボコボコにされています。
本日はこの二話のみです。
明日また、投稿させていただきます。