192 次の日のことを思うと眠れない時がある。
カランとグラスに入った氷の音が俺の手元から聞こえる。
俺とスエラ、メモリア、ヒミクの四人で住む世帯用の部屋。
そのリビングに俺はいた。
電気は付けているがここに居るのは俺一人。
リビングからわざわざ窓際に椅子を持ってきて、なんとなくではあるが見慣れたはずの東京の町並みを見下ろしていた。
時刻はもうまもなく日付を変える。
晩酌のつもりで引っ張りだし、飲もうと思ったウイスキーのボトルは開封こそすれ中身はほとんど減っていない。
タバコも最初の一口だけ吸い、あとは放置していたおかげで窓際に置いておいた灰皿の上で灰となっている。
今は一刻も争うかもしれない時期だというのに、なんて呑気なものだなと思いつつ。
俺ができるのは体を休め、精神ともに万全の状態を保つこと言われていてはそれを実行する他ない。
ダンジョンどころか過度のトレーニング、疲れるような行為全般封じられ、やれることといえば眠気を誘うための晩酌をすることだ。
「……」
だが大義名分があるといっても、酒が旨くなるわけでもなく、いつもより少し味気ない酒の入ったグラスの中身を飲み干し、物思いにふける。
何も考えず、ただ眺めているだけの時間だったら眠気も誘えて良かったのだが。
あいにくと何も考えずぼうっと時間を過ごせるような落ち着いた思考は持っていない。
「やるべきことは、やったか」
だが、考えることなどやった準備に不備がないか、計画に穴はないかという社畜根性たくましい内容ばかりで、つい苦笑してしまう。
クッと口元が釣り上がり、こんなことをしていても時間の無駄だなと思い、数日後には再び大陸に渡るのだと、それも戦場に。それを思って平常でいられるあたり俺の感覚もだいぶ狂った。
こんなこと昔なら心臓が飛び出るほど緊張し、明日への不安で明日など来るなと願って布団の中で丸まっていただろう。
だが、今はどうだ?
心臓は高鳴るどころか落ち着き、視線はさっきから東京の街並みを捉え、頭の中で異世界の町並みと比べている。
「あと一杯飲んだら寝るか」
「なら、その一杯に私も付き合わせてくれないか主」
平和な日本と多少治安が悪くても、平和だった異世界。
その差はなんだと哲学的な思考に陥りかけたのを引き止めるように床に置いておいたウイスキーのボトルに手を伸ばしたが、それより先にすっとそのボトルが持ち上げられ、注ぎ口が差し出される。
「ヒミク、寝たんじゃ」
「なに、主が一人起きているのに私が寝るわけにもいかないだろう。スエラとメモリアには先に休んでもらったがな」
黙ってグラスを差し出し、注いでもらい。
再び琥珀色に染まったグラスを窓際に置き、ボトルを受け取り今度は俺がウイスキーボトルの注ぎ口を向ける。
「なら、一杯付き合ってくれ」
「ああ、喜んで」
魔法で椅子を呼び寄せて、ヒミクは翼が当たらないように椅子の配置を工夫して隣に座る。
カンとグラスを軽く打ち合わし、乾杯といい。
俺は一口ウイスキーを呷る。
口にウイスキー独特のアルコールの味と香りが広まり、少しばかりの火照りを飲み込む。
ヒミクといえば、不思議そうにウイスキーを眺めていて飲む様子はない。
「ウイスキーは初めてだったか?」
「ああ、向こうの世界にいた時には見たことはない」
向こうの世界、それは太陽が世界を統べるイスアルのことだろうか。
魔王と戦う、勇者がいる存在。
おとぎ話のような話が実在する世界。
一度だけ行ったことはあるが、その時の出来事は良い悪いは置いておいて、一生忘れない思い出となった。
「そういえば、ヒミクはイスアルの出身だったんだよな?」
「正確には、天界のだな」
しばらくグラスを眺めていたヒミクであったが、堕天使が酒を不思議そうに眺める光景に少しおかしくなり口元がゆるみつつ、ふと思った疑問をぶつけてみることにする。
「なら勇者については詳しいのか?」
「我々天使は、世界の調停の任を与えられていたからな、勇者もその調停の役割を担う者、それなりの知識はあるぞ」
これから魔王の魂に縛られているアメリアと、勇者かもしれないカーターのやつがいる場所に向かうからなのかもしれない。
「それならこの世界での勇者と魔王の関係ってなんなんだ?」
「突然だな主」
前から聞くに聞けなかった疑問を出してみた。
口元にグラスを近づけようとしていたヒミクは、俺の突拍子もない質問に目を瞬かせグラスから俺の方に視線を向けてくる。
「俺からすれば突然ってわけではないんだがな、俺が持つもともとの知識からすれば、魔王っていうのは世界を滅ぼす悪い存在ってのが常識だったんだよ。人間を皆殺しにし、草木を枯らし、泉を汚し、星を腐らす。そんな滅びの象徴が魔王だ。だけど、この会社に入って俺なりに魔王軍の面々と接してきた。もちろん、社長の姿も見た。そこから思うと俺の常識はあてにはならないってことになった」
俺からすれば、魔王軍は俺とは別の常識を持って、俺の認識からずれている部分はあるが、それでも知性があり感情があり理性がある。
決して相容れない存在ではなかった。
「ありきたりな話になるが、魔王軍と向こうの国の争いは話し合いで解決しないのかって疑問に思ったのさ。スエラから聞けば、最初は話し合いで解決しようとしてたが、人間側から魔王の親族を殺し、そこから泥沼になったとも聞いている。鵜呑みにするつもりはないが、イスアルで僅かであるが勇者の存在と立場について触れてみた感じからすると、その話が間違っていると断言できない」
順序立て、なぜ最初の質問になったかという経緯を話す。
勇者と魔王は敵対関係という答えを聞きたいわけではない。
スエラにもメモリアにも教官にもぶつけなかった疑問。
それは、勇者側の存在であり、今は魔王軍の方に近い立ち位置にいるヒミクだからこそぶつけられた。
「だからなのかな。なぜ、人間はあそこまで魔王、いや魔王軍に属する者を嫌悪し、敵対するのかなと」
「なるほど、主は勇者と魔王が今の関係になった経緯を知りたいということか?」
「そうなるんだろうな」
勇者と魔王は敵同士。
ありきたりの設定で、よくありふれた話ではあるが。
なぜそうなったかという経緯になれば、大抵は魔王が悪いということになっている場合が多い。
だが、この会社にいて本能的に人間とは違う部分は何度も見てきたが、世界を滅ぼすような災害的な面は一度も見ていない。
もしかしたら見ていないだけかもしれない。
この疑問は、ふと思いついたものだが、聞いてしまうとやはり答えというのは気になってしまう。
「何が原因かといえば、恐怖だろうな。そしてその恐怖が助長し排除する。人間ではありふれた話だ。主が考えるような複雑な話は何もない」
「恐怖?」
「ああ、人間にはない。はるかに優れた魔力に寿命。そこにわずかでも凶暴性を見れば人間というのは恐れるものだ。それが年月を経て歪み、人間の常識に魔に属するものは人間にとっては悪だというのが当たり前になった。そこで境目ができてしまっただけだ。許容できるかできないかそれだけの境でしかない。光と闇の争いの境という大きな括りはそこから生まれた。別段、魔族が何かをしたわけではない。ただそこにあるだけで、ダメだった。それだけの話だ」
淡々と常識を教えるようにヒミクは今の関係になっていくまでの経緯を話す。
「そうして長い年月をかけ、境は完成されたが困るのは神々だった」
「神って、神様か?」
「ああ、主が知っているかどうかはわからないが、我々の世界で神の信仰は神自身にとって力そのもの。存在を確定し、神の力を保持するには人間などの生き物からの信仰は欠かせない。そして、最初は一つの大きな信仰だったのが二つに分かれ、力が分散されてしまった太陽神は焦った。月の神である弟の力が自分を超えるのでは、と。事実、一時は超えていた」
なぜだかわかるか? と問いかけてきたヒミクに俺は頭をひねるも答えは出てこず。
わからないと答える。
「魔王がいたからだ」
「魔王が?」
疑問の片割れである魔王がここで出てきた。
「境ができ、信仰が分散してしまい、神への祈りの質が下がってしまっていた。だが、魔族だけはその被害を最小限に抑えていた。魔王が魔族を束ねていたからだ。寿命が人間の何倍もあり力もある。長い月日をかけ地盤を固められた。だが、人間たちは違う。短命ゆえに争いが絶えず、数は多いが信仰は安定しない。長寿の種族もいたが、魔族と比べれば少ない。信仰の質に差が出てしまった。人間の中にも月の神を信仰する者は存在していたからな、数の差もいかせなかった」
手の中でグラスを揺らしながら、ヒミクは段々と変わっていく世界の姿を語る。
それを語るヒミクには特段思うことはないのか、教科書を朗読するかのように話し続ける。
「力を超えられた太陽神は、焦ったのだろう。このままいけば自分の立場が危ぶまれると。月の神からすれば、そんな野心などないはずなのにな。ただ信仰してくれる存在を守ろうとしていただけ。そして勇者というのは太陽神の疑心から生まれた存在だ」
「疑心って、どういうことだ?」
「人、いや、感情を一つにまとめる簡単な方法は共通の敵を作ることだ」
自分の創造主がやったことを愚かだとまではいかないが、落胆の色をヒミクは見せていた。
そして今までの話の経緯から俺はなぜ勇者が生まれたかを察する。
「・・・・・勇者は旗か」
その答えを口に出すと、正解だと言わんばかりにヒミクは頷いた。
「元々はただの思想の違い。だが、途中からは神が労じた争いだ。元々は同じ世界を管理する神であるにもかかわらず、相手の力が増えることに恐怖し、相手の力を削ぐために太陽神は手を下した。都合のいいことに、そのための下準備は整っていた」
魔王というのは言わば様々な種族を束ねる紐のようなものだ。
そして勇者はその紐を断ち切るための場所を決める旗でしかない。
人間に都合の悪い存在は、太陽神にも都合が悪かった。
利害の一致。
ただそれだけの結果で長年の勇者と魔王の戦いの火蓋は切られたということか。
「結果は、主が知っているとおりだ。太陽神は一つの世界を手に入れ唯一神としての地位を確立し、月の神を邪神にすることでその信仰を不動のものとした」
「……勇者には同情しかできないが、その話を知っているのは人間にはいるのか?」
「いないだろう。もしかしたら、相当古い古文書に記された物が存在するかもしれないが、知っているのは私のような最上位天使くらいなものだろう。長寿のエルフも知らないだろうさ」
「なに? ということは、これってかなり聞いたらまずい代物なのか?」
「そうだが、主はそれを承知で聞いたのではないのか? 歴史の裏というのは、大抵そういうもののはずだ」
「……」
やってしまった。
後悔というのは先に立たないと言うし、好奇心猫をも殺すとはよく言ったものだ。
俺は今、素朴な疑問でとんでもない情報を得てしまった。
この情報を知る存在がいったい魔王軍にどれくらいいるのだろうか?
知られたからには、消すしかないとかないよな?
頭痛をこらえるように、自分の迂闊加減に罪悪感が湧き出てくる。
「主、大丈夫か?」
「ああ、自分のアホさ加減に嘆いていただけだ。すまんヒミク、この話は内緒にしておいてくれ」
「? わかった、主が言うのならそうしておこう」
「すまんな」
深く、俺の心情を聞いてこないヒミクに感謝しつつ、長く話しすぎて、日付もずいぶん前に過ぎ去ってしまっている。
いい加減寝ないといけないなと思い。
グッと残った酒をあおる。
先ほど聞いた話を口にしないようにと願掛けし、飲み干した酒は俺の胃をカッと熱くさせる。
「それと、そろそろ寝るか、付き合ってくれてありがとうな」
「うむ、私としては主と二人きりで話せて嬉しいぞ」
内容が内容なだけに、色気も何もなかったのがせめてもの救いでヒミクが雰囲気を楽しめたようで良かった。
「おっと、これを飲み忘れていたな」
そして、最後まで手元に残っていたウイスキーに目がいったヒミクは俺と同じようにグッとあおり始め。
「ああ、無理に飲む必要は」
軽く止めようとしたが、ないぞと言い切る前にヒミクはグラス一杯のウイスキーを飲み干す。
そこでふと、思い出す。
ヒミクは、出会ってから酒を飲んだことがあったか?
いつも給仕に回っていたヒミクなので、思えばこうやって豪快に酒を飲み干す姿など見たことがあったか?
その疑問がよぎったが、さすがに最上位天使だから酒くらいで酔っ払うわけはないと思ったが。
「お、おい!」
フラァと横に倒れるヒミクを慌てて抱きとめる。
「すぴ~」
「寝てやがる」
その横顔を見るとなんとも幸せそうな顔だろうか。
「ったく」
穏やかに、顔を赤らめ。
「あるじ~」
さっきまで真面目に語っていた当人とは思えない姿を見て、俺も一気に肩の力が抜けた。
そっと、ヒミクを横抱きにし彼女の寝室まで運ぶ。
「おやすみ、ヒミク」
最後の最後で締まらない結果となったが、おかげで深く気にせず眠りに就けそうだなと。
ヒミクの寝室から出ようとし、最後に彼女の寝る姿を見届けて俺はそう思うのであった。
今日の一言
時には、時間をずらすのもいい時がある。
今回は以上となります。
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※第一巻の書籍化がハヤカワ文庫JAより決定いたしました。
2018年10月18日に発売しました。
同年10月31日に電子書籍版も出ています。
また12月19日に二巻が発売となります。
内容として、小説家になろうに投稿している内容を修正加筆し、未公開の間章を追加収録いたしました。
新刊の方も是非ともお願いします!!
また、講談社様の「ヤングマガジンサード」でのコミカライズも決定いたしました。




