162 前例があるということは不可能というわけではない。
我ながら馬鹿なことをしていると思う。
いや、この場合は馬鹿なことに挑戦しようと思ったか?
苦笑一つこぼしながらもブオンブオンと鉱樹を振り下ろし、最初はゆっくりと振り始めたが着実にその剣速は速くなり感覚を研ぎ澄ませていく。
この挑戦が無駄になるか、はたまた報われるかは今の状況ではわからない。
だが、目指すべき姿は俺の記憶にはっきりと残っている。
思い起こすのは教官が前にやっていたダンジョンとダンジョンの狭間の壁をぶち破って次元という壁を破壊してみせた荒業。
理屈なんて関係ない。
ただ自身の業を昇華させた現象がそこに存在した。
世界と次元がどういう理屈で構成しているかわからない。
そんな俺が、こんな異常という言葉でしか言い表せない空間から脱出する方法などそう簡単に思いつくわけがなく。
できることをやろうと挑戦するのは自然な行動であった。
「……スゥハァ」
深呼吸一つ。
心を落ち着けてゆっくりと鉱樹を振り下ろしたのが始まり。
記憶に残る笑いながら簡単にやってのけた教官がやって魅せた技。
当人からすれば簡単にやってみせていたのだろうが、だからと言って自分もできるなんて思ってできるほど簡単にあの荒業はできないだろう。
それは頭の中で理解もし納得もしている。
無謀だというのも理解し納得している。
それでも、不可能ではないという認識がその選択肢を俺に選ばせた。
正直、その選択は賭けだったと思う。
それも分の悪い部類に入る賭けだ。
現状で使える時間などそれこそ万全という条件を付けるのなら数時間が限界だと思っていた。
むしろ疲れきって余計なことを考えられないような状況になってからが本番だとすら思っていた。
そんな僅かな時間で人外の業を体得するなんて無理や無茶と言った言葉では足りないほど、無謀な挑戦だろう。
実際、鉱樹を振る時に感じる重さはいつもどおりの感覚で、この調子なら疲れるのも時間の問題だと認識していた。
そして、俺の行動は地平線の彼方まで伸びる一本の蜘蛛の糸を切らずにたぐり寄せるような行為だということも理解していた。
だが、その認識はいい方向で裏切られた。
「?」
最初は体の調子がいつもよりいいのかと思った。
「???」
いつもより疲れず、多くの回数を振り続けられたからだ。
だが、その調子の良さでは片付けられないほど鉱樹を振り続けているのにもかかわらず、一向に疲れが来ないことにさすがにおかしいと気づく。
だからと言って時間を無駄にするわけにもいかないので止めることなく振り続ける。
もしかしたらまたステータスが上がったからまだ余裕が有り、こうやって振り続けることができている可能性があるかと思ったからだ。
「ん?」
だが、その言い訳もさらに一時間ほど経過すれば、限界になってきたかもしれない。
鉱樹を振り続けていったいどれくらいになるか。
体感ではすでに三時間くらいは振り続けていると思う。
「おかしい、これはいよいよおかしい」
それなのに一向に疲れない。
そう、ほんの僅かですら疲れないのだ。
一切体力が減らない。
疲れを感じない。
いつもなら腕の筋肉は張り、握力は低下し、こうやって綺麗に振り下ろすのに苦労しているはずなのだ。
これはどうしたものか?
ランナーズハイならぬ素振りハイ?
日本語と英語のハイブリッドな言語が誕生してしまい、頭の上に疑問符が出てくるが体の動きを止めず振り続ける。
止める時間がもったいないということで振り続けていたがこれはいよいよきな臭くなってきた。
そして疑問というのはどんどんと積み重なってくるものだった。
俺の予測の時間を経過しても疲れは一向に来ない。
それどころか空腹も来ない。
集中力は乱れるが、だからと言って体が動かなくなるわけではない。
異常だと思い、不自由なく動く体を、腕を止めずその事象を検討すると判断するのに時間は大してかからなかったと思う。
そしていざ検討を始め、その検討は時間が経つにつれて情報を増やし、だんだんと現状を俺に把握させてくる。
現状俺の状況は疲れない、いや、もっと正確に言うのなら今の俺の体はこの世界に投獄された段階の状態で固定されているのではと推測する。
でなければ空腹や疲労が訪れないという常時HPMAX状態などありえない。
もしかしたら怪我すらしないのではと思うが、それを確かめるには自傷行為をせざるを得ないので、検証するわけにもいかず後回しにする。
とりあえず、精霊の言う制限を取り払った空間だというのなら正真正銘制限時間が無いに等しい状況だということだけ理解する。
「フン!」
力を込めて再度素振りに集中する。
精霊様の目的はいまいちわからないが、この試練の脱落のさせ方はなんとなくわかった。
手をくださず挫折するのを待ち自分から脱落するように仕向ける手口、正直気に入らない。
だが、甘い。
こちとら反骨精神の塊を鍛え上げるだけのサラリーマン人生を送ってきたんだ。
理不尽に対して反抗する意思だけなら誰にも負けないという自負がある。
ニタリと口元が釣り上がるのがわかる。
時間制限がないのなら都合がいい。
ここから先は根比べだ。
そっちの想定している通り俺が挫折するのが先か、それとも俺がこの世界を切り裂くのが先か勝負するとしようか。
そこから先はまさにどれだけ集中できるのかの戦いだった。
だが、不思議と負ける気はしなかった。
手始めに時間という概念を体から追い出すほど集中し、次につま先から剣の切っ先まで神経を張り巡らすように魔力を張り巡らす。
鉱樹を振り下ろし、見えない何かを切るための準備を着々とすすめる。
一回振っても何も感じられず。
十回振っても何も感じられず。
百回振ったらさっきよりも少し速くなった気がする。
千回振ったらさらに鋭くなった気がする。
ただひたすらトライアル・アンド・エラーを繰り返し、自分の動作を磨き続けるだけの作業だ。
体には常に最善の動きを求め目線は常に前を向き、視線の先にある空間を切り裂くことだけを考える。
切れないという雑念を振り払い、切れると思い込むのではなく、切ると覚悟を決める。
一万回振ったら振り下ろす速度に停滞が見え始めた。
十万回振ったら振り下ろす過程に迷いが見え始めた。
百万回振ったら振り下ろす動作が硬くなり始めた。
集中に集中を重ねているのに、切るという行為をどうすれば昇華できるかという思考も高速で回っている。
何度も何度も繰り返しているうち、結果が出ない現状に俺の理性がこの行為に対してストップをかけようとしてきた。
本当にこれでいいのか。
こんなことをしていても意味はあるのか。
この行為自体が間違っているのではないか。
まるで成果の出ない部下を叱責するこらえ性のない上司のような思考。
それを振り払うようなことはしない。
その思考自体は間違ったものではなく、むしろ俺が頂きに到達するために無駄を排除してくれる思考だ。
そしてその思考は俺の動きを鈍くする働きがあるはずなのだが、そんな理性よりも感情が体を突き動かしてくれるから体の動きは鈍くなることはない。
むしろ無駄を省いたおかげで余計な重量が排除されたがごとく、どんどんと加速していく。
千万回振ったら余計な力が入らなくなってきた。
一億回振ったら無駄を有力に変えられるようになってきた。
十億回振ったら自分の一刀にまだ未熟な部分があると見直すことができた。
まだ俺の一振りは研ぎ澄ませることができる。
だんだんと目的がこの世界を切り裂くことから、この一刀を最高位に導こうという目的に変わり始める。
いや、この時だけで言うならその瞬間こそが変わったタイミングなのだろう。
世界を切り裂くという行為が到達点から過程となり、至高の一振りを求め俺は鉱樹を振るう。
百億回振ったら気のせいかもしれないが、切っ先に何かが触れているような気がした。
千億回振っているうちに切っ先に感じる何かを感じたり感じなかったりと試行錯誤を繰り返した。
この感触を掴めば俺の中の何かが進化すると確信があった。
その確信から与えられる高揚感はなんとも言えない心地よさがあった。
迷うという行為こそが無駄だと思えて、早く振り下ろしたい。
この一振り一振り重ねるたびに、まるで刀鍛冶が一度槌を熱された刀身に振り下ろすかのように鍛え上げられているのがわかる。
それがホンの少し、気のせいだと言われてもおかしくはない。
サボればあっという間に消えてしまうような成果だったとしても、振り続ければそれが積み重なっていくのが手に取るようにわかってきた。
それを続けること一兆回、最初から数えてもいないのになんとなく桁は理解できる自分がいて切っ先では先程から何かがかすめているのが伝わっている。
いま到達すべき頂の領域が見えた気がする。
そうなればさらなる先の景色が気になってくる。
無心に振っているつもりなのに磨かれる俺の一太刀に興奮が隠せなくなってきている。
もはや何回振ったかわからない。
その興奮だけが俺の心を占め始めた。
そしてついに。
「!? カっ!」
俺は嘲笑う。
逃げていた、隠れていた、遠くから見ていた。
いや届かなかった何かに俺は手を届かせた。
そんな捉えた感覚を切っ先から感じ取ったのだ。
変わらない素振りのはずなのに、最初とは感じが全て違う一振り。
手応えがないのに、切っている手応えを感じている。
厚くて薄い何かに切れ込みを、硬くて柔らかい何かに切れ込みを。
焦るなと自分に言い聞かせるまでもなく、この瞬間で今までの中で最高の集中を俺は見せたと思う。
白い世界に光が差し込む。
その光は俺が一刀振り下ろすたびにその輝きを増し。
小さな切り傷が、大きな亀裂になり。
その亀裂がやがて人一人通れるような道へと変貌する。
ああ、楽しい。
そして残念だ。
もっとこの空間でもっと自分を磨きたいと思っているのに終わりというのは絶対にやってくる。
寂しさを助長させるように止まった体の熱が冷めていく。
仕方ないと、これが目的なのだからと我に返った理性はその隙間に飛び込めと体を急かしてくる。
疲れていないのに疲れたと思いつつ、達成感を覚えながらどことなく物足りないという二律背反する感情を感じながらその隙間に入り込み。
「よぉ、待たせたな」
潜り込んだ先、白い世界でも元の世界でもないまた別の世界にいた存在。
そこにいた存在。
確信できる。
話してもいないのに理解してしまった。
「あんたが精霊ヴァルス様かい?」
興奮の余韻の所為で粗野になってしまった口調のまま、シュルルと鳴く巨大な白蛇の上であぐらをかき座る姿を見上げるのであった。
今日の一言
誰かができたのなら自分でもできる可能性は存在する。
今回は以上となります。
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