161 余裕を持つことは必要だが、余裕を保つのは困難である。
試練と言われて、いったい何が来るのかと考えるのは当然の行為だと言える。
なので情報収集を行ない、身近なところに聞くのが手頃であった。
そんな手頃な存在であるムイルさん曰く、試練という形を取るのは上位精霊のみだと聞いた。
中位精霊より下は、どちらかといえば交渉という形に落ち着くことがほとんどだということ。
要は、上位精霊たちはそれほどまでに自分という存在に自信がある。
なので上から目線の試練という形をとりたがるのだ。
そして、そんな存在たちの試練の性質は何を司るかによって概ね予測ができるという。
火属性なら好戦的で戦いを好む反面、火を使った作品、特に鍛冶といった自分の作品を捧げることによって鍛冶に力を借りることがある。
水属性なら静かな姿から普段は戦いを好まないが、一度荒ぶると戦い以外の試練を与えられない嵐の海のような性質もある。
そういった話を聞く中、時空という性質を司る精霊ヴァルスの試練は謎に包まれている。
試練を受けてきた尽くの人物たちがわからないと口にするからだ。
いや、正確には試練を受けていたはずなのに、その試練の内容を忘れてしまっているのだ。
おかげで情報はゼロだ。
だからこそ、対策の立てようのない俺は戦うことのみ万全を期し今回の契約に挑んだ。
正直自然現象と呼べるような上位精霊相手に戦いを挑むこと自体無謀だということになるが、それを言っていては話は進まない。
なので何が来てもいいようにと心構えだけはしていた。
『試練の内容はいたってシンプルよ。時間の有限をなくした無限監獄の中から脱出しなさいな』
そのつもりだった。
この精霊はまるで少しコンビニに行ってくると気軽に言うように、ただ一言俺にそう言い目の前の景色を一変させた。
「ここは?」
さっきの世界がモノクロの世界だとしたら、ここは地平線に一色の黒を残した白の世界。
遮蔽物も何もない、ただ一面に地平線が続くだけの世界。
「……マジか」
規格外だとは思っていたが、ここまでとは思っていなかった。
この世界がいったいどうやって作られたかという話はこの際置いておいたほうがいいだろう。
問題なのは、ルール説明が一言で終わり、追加の説明が一切ないということ。
「ガチで、砂漠の中の一粒の砂金を探せってか?」
そして精霊からの試練を言葉通りに受け取り、その内容に愕然としながら目の前の現実を受け止める。
しばし呆然と立ち尽くす中で、追加の説明どころか、姿も現さないところなど何も起こらないということはそういうことなのだろうと判断するしかない。
そして目の前に用意された手がかりという要素を辞書から一切排除した世界でいったいどうしろと言いたい。
「……はぁ、こんな状況は完全に想定外だ。それに監獄って言う割には開放的だが……限度があるだろ」
監獄ってもう少し窮屈なものだろう? という疑問がはさまりつつ、捜索範囲的にその窮屈な空間の方が良かったとも思う。
そしてどんな突発的な状況になっても慌てていては損をするという思考が身にしみているおかげで冷静でいられることはありがたい。
だがしかし、かと言ってすぐに状況が好転するわけではない。
手探りで何か行動を起こすにしても、このただただ広い空間を前にしてなにか思いつけというのはいささか無茶振りではないか?
戦うことや、それに類似した状況、或いは少々斜め上に行くような試練を課せられると思っていたが、まさかの放置で来るとは思わなかった。
「ここでじっとしていることが救助される側の最善で定番の行動なんだが……太陽はないが明るい、寒くはないから凍死や脱水症状で死ぬ可能性が低いのは幸いか。あるとしたら餓死か、或いはこの地平線の彼方にいる何かが来てそれに襲われるかだ……」
まずは状況の整理と言わんばかりに体感している情報を口にし、次にこの状況で訪れるだろう最悪の状況である死ぬことを想定する。
手持ちの食料は三日分、切り詰めて五日といったところ。
飲み水に関してはムイルさんが魔力を流せば水が湧く瓢箪を用意してくれたおかげで心配はいらない。
もし仮に食料が尽きれば待っている未来は一つしかない。
「それで試練を乗り越えるってことにはならないよな?」
しかしそんな未来が最良かと言われれば首を横に振らざるを得ない。
救助されるまで生き残ることがこの試練を達成することだとは思えないからだ。
なら、別の何かがあるのかと思うがそれを思いつくには情報が足りない。
自分に言い聞かせるように、言葉にすることで情報を整理し思考をまとめようとするが、前提条件が間違っているのかなかなか行動指針が決まらない。
進むか、とどまるかの判断でここまで迷うのはある意味じゃ遭難者と一緒だなと無駄な思考が混じり始めた。
「となると、精霊様が言っていたこの空間から脱出しないといけないわけだが……」
精霊ヴァルスは言った。
無限監獄の中から脱出しろと。
有限の時間を取り払ったと。
与えられたヒントはこの二つ。
そこを読み解くしかこの状況を打破できる方法はない。
無限というのはこの地平線が続くという意味での空間的無限なのか、あるいは時間的意味合いでの無限なのか。
どっちにしろそこを考えていても埒があかない。
「どうしたものか?」
とりあえず無駄な体力を消費することを避けるために行動の指針を決めるべく再び頭をひねらせる。
「何もない、わけじゃない。一応魔力はある。逆に言えば魔力しかないとも捉えられるが」
第一印象で何もない光景だと思ったが、目を瞑ればそれに反して普段よりも濃厚な魔力を感じ取ることができた。
この空間自体魔力で構成されていると言われても信じられるくらいに魔力が濃い。
「空間転移ができる奴なら普通に脱出できる代物なのか? いや、そんな簡単な話ではないか。転移にも対策を打っていると見るべきか……まぁ、どっちにしろ転移魔法は使えないけど」
魔力があるのならどうにかする方法が浮かぶのではと考えつつ、何か見つからないかと眼球に魔力を回し視力を強化しながらあたりを見渡すが地平線と白い空間以外に見つからない。
そんな状況で遭難した経験などない俺が無い知恵捻って思い浮かぶのは、誰もがすぐに思いつくような在り来りな内容ばかり。
序盤から手詰まりな状況な雰囲気を醸し出しているが、ここで膝をつくわけにはいかない。
どうにかせねば俺の明日がないからな。
「……俺がやるべきことというかやれることというか……一つしかないよなぁ……この考え自体スゲェ馬鹿らしいというか、脳筋だけど」
考えて考えて、思いついた方法を取捨選択し、その中で一番確率が高そうで、一番馬鹿らしい方法しか取れない現実に涙が出てきそうだ。
考えている最中に思い出したとある日の出来事。
できるできないの問題ではなく、それしか現状実行できないことにため息を吐く。
だが、そんな方法をやらないという選択肢はなく。
そっと、背中の鉱樹に手を伸ばし、時間制限以内にできるかと悩むよりも、一度決めたのなら覚悟を決めてやり遂げろと心を叱咤し、早速作業に取り掛かるのであった。
Another side
時空の精霊ヴァルスにとって契約者という存在は娯楽であった。
悪い言い方をすれば、悠久の時を生きる精霊である存在の暇つぶしの道具でしかなかった。
なので今回の人間も同じように対処をした。
無限監獄。
時空の精霊の名が示すように、かの存在は空間と時間を司る。
その名に恥じない力を行使し、空間を捻じ曲げ前後左右上下ともに永遠に続く空間。
そんな場所に田中次郎と名乗った人間を幽閉した。
『さて、彼はどういった反応を示してくれるかしら?』
試練という名目で、精霊ヴァルスは自分だけが見られる景色を楽しんでいた。
長い年月の中でヴァルスの楽しみは、危機的状況になった時の試練に挑んだ時の最後の輝きを見ること。
要は死に際に見せる輝きが見たいがゆえにこのような環境を作り出したのだ。
悪趣味と言われても仕方がない話だ。
挑んでいる存在はじきに来る死を感じながら必死に解決策を模索する。
その姿を楽しむというのだ。
『前のダークエルフの子は三日目で発狂しちゃったからね。この子はどこまでもつかしら』
攻略できると思っていないあたり、この精霊の性格はお察しだろう。
精霊ヴァルスの見てる景色では、田中次郎がその場に立ちつくし何やら必死に考えている様子が見える。
『この子は慌てないのね。これなら少し期待できるかも?』
精霊ヴァルスも外道ではない。
この試練にも攻略方法は存在し、決して攻略方法がないわけではないというのは理解している。
だが、精霊ヴァルスが用意した方法が田中次郎にできるかどうかまでは想定していない。
そして期待していると口にしていても、その期待は前よりも長く楽しめるという感覚に過ぎない。
『でも、この子は気づいているかな? この監獄の本当に恐ろしいところに』
ニヤニヤという擬音が似合いそうな笑みを、その薄暗い空間に身をひたし誰からの目にも止まらない場所で浮かべた表情を伝える声色だけが響く。
今回の試練の本質、そこにまだ気づいていないという思惑通りに進んでいることにほくそ笑む。
『あら? この子変わったことを始めたわね』
だが、そんな精霊ヴァルスの思惑など知ったことではないと、精霊の見る景色で田中次郎は背負っていた武器を振り回し始めた。
『あらあら、そんなに体力を無駄にしちゃって、閉じ込められたことがそんなにショックだったかしら?』
体力と言っても肉体的なものではなく精神的なもの。
疲れというのは体が疲労を溜め込まなくても精神に溜め込めばそれだけで体に反映されるのだ。
一見何も考えずに、ただ恐怖を紛らわせるような行為に今回の契約者も今までの契約者と同じで、あっさりと終わりを見せるのではと落胆の色を見せ始める。
ただ今までの挑戦者と違い、今回の挑戦者は心が折れるのが、絶望するのが早すぎるのではないかと思う。
『まぁ、いいわ。いつもみたいに倒れて死にそうになったら時間をまき戻して領域のそばに放り捨てればいいのだから』
それならそれでいい。
終わるのが早いのなら、さっさと終わらせる。
ただ、死なれたらこの楽しみもなくなってしまう可能性があるので必要最低限の処置だけ施す。
それで今回の試練は終わり。
あとは再び、無限の時間の中を微睡むだけだと精霊ヴァルスは考える。
所詮は暇つぶし。
ほかの精霊たちも内容は違っても似たようなことはしている。
ただ、その娯楽の過程を経て、楽しませてくれたという事象に対して、報酬として精霊にとって瞬きをするような一時の時間を貸出しているに過ぎない。
そう思って、大して期待せず精霊ヴァルスは眺めていたのだが。
『……なんなのこの子』
おかしいと思い始めたのはいつだったか。
時間を止めた空間、それは餓死なんて言うつまらない結果で終わらせたくない精霊ヴァルスの配慮からくる設定だった。
この無限監獄の本質的に恐ろしいのはその永遠の時間ということ。
生き物というのは刺激がなくなれば生きていけなくなる。
たとえ高級料理を出されても同じ料理ならすぐに飽きてしまう。
たとえ絶世の美女を抱けたとしてもいずれは飽きてしまう。
たとえ数多の財宝があろうともその財宝を使うことができなければ飽きてしまう。
無限監獄というのは何もしなくても生きていけるという事象の究極の形態だ。
お腹がすかない、眠くもならないとおよそ生物が生きていく中で必要な欲求を停めて過ごすことができる空間。
そんな世界に長いこと生活することでまともでいられる存在がどれだけいることだろう。
一日いや一週間くらいならまだ、普通に過ごすことができるだろう。
もしくは一人ではなく二人ならまた話は違っていただろう。
だが、試練は一人で行われ、今までの挑戦者たちも食事が必要ではなく、死ぬ心配もない空間で何もせず過ごすかただひたすら歩き続けてきた。
そしてその二択で、その二択とも最終的に精神が折れて無気力になり同じ結末を迎えた。
たとえ体が平気でも、暇というのは生き物の心を殺す毒となる。
終わりがない変化がないということは、生物に絶望をもたらすには十分な殺傷能力を持っているのだ。
それなのにこの田中次郎は延々と武器を振り回し続けていた。
まるでその行為自体が目的だと言わんばかりに。
一日なら当たり前だと言おう。
一週間なら普通だと思おう。
一ヶ月なら長いほうだと認めよう。
一年なら意外だと驚こう。
そして彼は。
『まさか十年も剣を振り続けるなんて』
お腹は空かない。
眠くならない。
疲れないという空間。
表の世界では一秒たりとも時間が経っていない世界で、精霊ヴァルスが読み取った時間で田中次郎は十年もの期間剣を振り続けた。
『この子は何を目指しているの? なんでこんなに頑張れるの?』
その疑問で応えてくれる声はない。
田中次郎と精霊ヴァルスは物理的に繋がっておらず、そして田中次郎は精霊ヴァルスの声が聞こえない。
だが。
『え?』
声の代わりに、人間の努力が精霊の声に応えてくれた。
ピシリと空間に亀裂が入る。
『まさか』
いや、亀裂ではない。
『そんな』
空いた口が塞がらないというのはこのことだろうか。
それは確かに、切れ込みだった。
同じところに何千何万何億何十億と振り下ろされた結果だ。
いや、同じ場所を切るのではなくその振り下ろす一振りをそこにないものを切るための一振りまでに昇華させた。
そんな結果を前にして精霊ヴァルスは事実を見る。
切り込みはだんだんと大きくなりそしてついに、人一人が通れる道が完成した。
そこでようやく田中次郎の動きは止まる。
『馬鹿ねぇ、本当に馬鹿ねぇ』
そっと剣を下ろしその道に滑り込むように消えていく光景を精霊ヴァルスは確かに見た。
そして、同時に人間の偉業も確かに見たのであった。
そんな光景に向けて馬鹿と口にしていた精霊であったが、その言葉に称賛が含まれていたことに気づくのは当人だけだっただろう。
Another side end
今日の一言
意地を張る時には張らねばならぬ。
ただ、その結果馬鹿だと言われることが多い。
今回は以上となります。
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