14 仕事を教えるには自身も経験し覚えないといけない
投稿します。
田中次郎 二十八歳 独身 彼女無し
職業 ダンジョンテスター(正社員)+リクルーター
魔力適性八(将軍クラス)
役職 戦士
今日から本格的な勧誘を始めた。
ビジネススーツで身を固め、探査眼鏡を装着し、カバンの中に求人チラシとエヴィア監督官に許可をもらった作成資料を入れて、胸ポケットには名刺入れまで装備した。
一応職質されないように身分証を持っているので問題はないだろう。
やっていることは怪しげな勧誘と間違われそうな内容であるがそこはヘタに踏み込まない方針で行けばいいだろう。
そう思っていた俺が確かにいた。
そう、いた。過去形だ。
「さすがにこれは予想していなかった」
今の俺は敗者の容貌を表しているだろう。
一日中歩き回り疲れた足を癒すように駅近くの公園にあるベンチの背もたれに身を投げ出し自販機で買ったコーヒーを呷る。
見た目は完全に営業で疲れ、帰社する前に公園で一服するサラリーマンだ。
「魔力適性者が一人も見つからないってどうなっている?」
加えて営業に例えるなら、営業先を巡って成果ゼロとも付け加えよう。
この前飲みに行った時は多くはないが少し歩けば確かにいた。
そして今回は新宿や原宿、またはファンタジー的、ゲーム的な方面に知識があり、理解してくれそうな秋葉原にまで足を延ばしたが結果は空振り。
バスに乗り、電車に乗り、歩いて回り、目つきが鋭くならないように気をつけながら辺りを見回していたが見つからない。
もしかしたら通り過ぎただけで、人の動きが緩やかなら見つかると思い昼食をメイド喫茶で済ませたが、奇異の視線をおそらく常連であろう面々に向けられてオムライスを食べるだけで終わってしまった。
精神的に疲れるだけで終わってしまった昼食であったが、成果はゼロ。
そして今日は丸一日活動する予定になっていて、まだまだ午後が残っている。
さらば羞恥心と恥を忍んでやった行動であったが、反省と後悔しか残らなかった結果は仕事へのモチベーションを確実に下げた。
しかし、テンションが下がったからという理由で午後からの仕事を投げ出すわけにはいかない。
投げ出せば廻りに廻って、自分に負債の結果がのしかかってくる。
なので、どうにか気合をいれ、遅くなる足取りにムチ打って動き出し、同じ箇所に戻りまだ行っていない場所を巡り、社畜根性を出しながらどうにか探し回り。
そして最後の追い込み、悪あがきと言われるかもしれないが駅周辺を張り込み行き交う人の中を探ってみた。
結果はベンチに座りコーヒーを呷っている俺自身が物語っている。
配ったチラシなど一枚もなく、鞄を開ける用事など財布を取り出すときだけだ。
当然胸ポケットの名刺など使う機会などない。
「……はぁ、どうするかねぇ」
初日の滑り出しから躓いてしまった。
やり方を変えるべきなのか、それとも方針を少し微調整すればいいのか微糖のコーヒーを味わいながら考える。
視線はまっすぐに、紫煙のように俺の周りを漂う魔力を追う。
風はあるはずなのに一切影響を受けないこの魔力の煙、そこに買い物帰りなのだろうか、エコバック片手に目の前の紫煙の中を通り過ぎるブレザー姿の学生。
そして付き纏うように伸びる魔力。
「ちょっと、そこの君!」
咄嗟の反応であった、ベンチから飛び起きるように男子学生を呼び止めていた。
「……俺ですか?」
俺も人のことは言えないかもしれないが、目付きが悪い少年だと思ってしまった。
あと、小さい。
そしてその少年が返してきた声など、まるで自分であってほしくないという願いが込められたような声だった。
「ああ、急に呼び止めてすまない」
怪しい男を見るような視線で見られて居心地が悪いが話しかけてしまった以上行けるところまで行こう。
しつこいと思われたら素直に引けばいい。
とりあえずこれ以上印象を悪くしないように営業用の口調で話しかける。
「〝私〟はこういうもので、ちょっとだけでいいんだ話を聞いてくれないか?」
さっきまでベンチの上でだらけていた人間が急に飛び上がって声をかけてきたらそれは怪しまれるなと自分の中で思いながら、上着の胸ポケットから名刺を一つ取り出す。
それと一緒に、眼鏡の向こうで魔力が彼の体内に入っていくのをしっかりと確認する。
「MAO corporation テスター課 田中次郎……本名ですか?」
「本名だよ、これ免許証」
どこかにいそうでいない名前に偽名を疑われるが、免許証も見せればどことなく納得の色を見せてくれる。
素性を明かすというのはそれなりの信用は得られるものだ。
本来であればここまでやる人は少ないかもしれないが、これからやることのほうが明らかに怪しい内容だ。少しでも得られる信用は多いに越したことはない。
「それで、その、田中さんがなんの用ですか? 一応急いでいるんですけど」
それでも信用の有無の差などドングリの背比べ程度のものなのかもしれない。
雰囲気に反して真面目な少年なのだろう。
一応こちらに気遣って話は聞いてくれるようだ。
それならさっさと話を進める。
「ああ、私はスカウトをやっていてね。名刺に書いてある通り我が社の施設のテスターを探している。それにどうかと思ってね」
「スカウト? その割にはサボっていたように見えましたけど」
「まぁ、そう見えるよな。うん、これでも一日中歩き回っていたんだ。休憩していたと思ってくれれば助かる」
実際その通りなのだが、この言葉も事情も何も知らない人からすればただの言い訳に聞こえるだろう。
「手短に話そうか、あまり遅くまで話したら親御さんも心配するだろうし。このチラシを見てくれないかい?」
あまり感じない手応えに、駄目でもともとと割り切り求人のチラシを差し出す。
「……ゲームの求人ですか?」
相当葛藤して言葉を濁してくれたのがわかる。
だがこれで彼が魔力適性保持者なのが確定した。
正直、これを見せた瞬間におかしな人認定を受けても仕方ないと思っていた分も含めて一安心だ。
適正数値はこの角度から見る限り五と書かれている。
十分な数値だ。
「ある意味そうなるかな? 体感って話ならどこのアトラクションにも負けないって自負はあるよ。まぁ、テスターって書いてある通り危険もある。おそらく君が想像しているよりも」
ここで危険を説く必要は本来ならないのだが、黙るよりも説明したほうがいいと判断した。
実際、正真正銘体を張って、全力で挑むのであるから安全を考慮したアトラクションよりは迫力もスリルも負けてはいない。
仮どころか実際に戦うのだから後で知るよりも先に教えていたほうがのちのちの信用にもつながる。
一応命の保証はあるが、トラウマの保証はされていない職場でもある。
これで縁がなければ残念だが、騙して来てもらって人間関係が最悪になるよりはましだ。
「信じられないかな?」
「まぁ、正直」
「信じられないのも無理はない、普通の人が見ればおかしな内容を書いてあるのは間違いないからな。それにこういったものは実際に見てもらわないと想像もできないだろう。一応資料を渡しておくから興味があったら連絡してくれ私の名前を出してくれれば連絡はつくようになっているから」
「わかりました」
素直にカバンの中に資料とチラシを入れてくれるのは助かる。
これでそこらのゴミ箱に入れられたらさすがにショックだ。
「何か質問はあるかい?」
「質問だらけの内容な気がしますけど」
ごもっともと言いたくなるが先を促す。
「とりあえずはなんで俺なんですか?」
当たり前といえば当たり前の質問だ。
これがアイドルのスカウトとかだったら逸材やら容姿がいいとか言えるのだが。
魔力の適性があるなんて言ってもわかるわけがない。
頭がおかしいと言われて終わるのが落ちだ。
「……実際に見たほうが早いか」
だったらこうした方が早い。
「度は入っていないから掛けてみてくれ、それで私が君をスカウトした理由がわかる」
「? ……!?」
「煙みたいのが見えるかい? 私の胸元のペンダントから出ているのが魔力だ」
魔力という言葉を聞いて眼鏡を取ったり掛けなおしたりと手品を前にした客のような反応に少し手応えを感じる。
「一応言っておくと、適性のない人にそれを渡してもただの伊達眼鏡になるだけだよ」
「……」
説明も付け加えて話すが、俺が想像するような表情を彼は浮かべない。
俺の中の予想では、驚くか胡散臭そうの二択が有力であった。
しかし、その予想とは裏腹に彼は何やら真剣そうな表情でその眼鏡をじっと見ていた。
「仕掛けはあるのですか?」
「この場合、魔法的な仕掛けがあると答えたほうがいいだろうね。わかりやすく言えばその眼鏡もこのペンダントも電池のように魔力を溜め込んで使える代物ってことになる」
雲行きがわからなくなるというのはこのことだろうか、それとも純粋なこの少年を心配するべきなのだろうか。
俺が言っていることは、許可された範囲で全て本当のことを言っている。
あの会社、いや魔王軍の内情をすべて把握しているわけではないが、かれこれ数ヶ月間働いてきてあれが夢幻、ドッキリの類ではないのは間違いない。
これで実は違いますと言われたら、新手の詐欺どころの話じゃなくなる。
壮大な妄想を現実に持ち込んできた、俺の頭がおかしいということになる。
「とりあえず、眼鏡を返してもらっていいかな?それ、一応試作品だから」
「あ、はい」
受け取った眼鏡を掛ければ問題なく作動しているのがわかる。
「見てもらった通り君には魔力を受け入れるための適性がある。付け加えればこの適性は万人が持っているというわけではない。今日一日歩き回ったが見つけられたのは君だけだ。理解はできたかな? 私が君をスカウトした理由を」
「……とりあえずは」
思ったよりも深く考えてしまう少年のようだ。
本当に変な宗教団体の勧誘に引っかからないか心配になる。
「深くは考えなくていいよ、仕事というのは嫌々でするものではない。義務感という感情で嫌な仕事をやり続ける人もいるが、そういったのは少数だ。君がやりたい、いやあえて現実的な言葉で表すなら、嫌と思うことを仕事にするのは自分にも周りにも迷惑になる場合がある。誘っておいてこういうことは変かもしれないがうちの仕事は相当な変わり種だ。じっくり考えて、無理だと思ったのなら忘れてくれた方がいい」
「わかりました」
「うん、私の話を聞いてくれてありがとう。今日はもう遅い。もう帰ったほうがいい。連絡先は書いてあるから何かあったら連絡しておいで」
「はい」
ゆっくりと、それこそ途中から俺の話を聞きながら何か別の何かを考えていた少年は日が暮れた公園を歩いていった。
見送るように、その場に残った俺は少年の姿が見えなくなり久しぶりの営業口調に疲れを感じ、凝った体をほぐすように肩を回す。
「今時の子どもはあんなに真面目なのかねぇっと、近くに喫煙所は……ないか」
そこからの流れ作業でタバコを取り出したが、ここが禁煙エリアで近くに喫煙所がないのを思い出し渋々タバコを元の位置に戻す。
「ヒットはしたが確率は五分、いや、それ以下といったところか」
初めてのスカウト、これでよかったのかと思うような反省点が多い会話の内容であった。
加えて手応え的には少しはあったのか、それとも無理なのかと懐疑的な感触しか残せなかった。
来てくれたら嬉しい。
その程度の期待でいいかと思い直す。
「気になるのは、途中から何を考えていたかだが」
この眼鏡を貸出して魔力というものを目の当たりにした彼の雰囲気がガラリと変わったのは印象的だった。
最初は未知のものに遭遇しこれが現実だと理解しどう判断するか迷っているのかと思っていたが、話を進めるに連れそれとは別の方向それももう一歩先のことを考えていたように見えた。
だが、それを確認するすべは俺にはない。
頭の中を読む術などあったらもっと別の人生を送っていただろう。
「ま、縁があればまた会うだろよ。とりあえず帰るか」
今日はもう遅い、明日の予定を考えればこれ以上のスカウトはできないだろう。
もしかしたらこの時間帯からの方が効率はいいかもしれないが、それはまた今度検証する。
それよりも考えることが山積みだ。
今回のスカウトで判明した反省点の洗い出しによるマニュアル作成、今後のダンジョンへ挑むに辺り備品の買い出しとスケジュール及び報告書の作成、海堂の研修資料の作成、教官との研修スケジュールのすり合わせ、装備の整備とメインのダンジョンテスター、更に今日やった新メンバーのスカウトという実働的な仕事もある。
思い浮かべるだけで事務作業もろもろやることが多いのがわかる。
そして、現在の部署、いやこの場合チームと言い換えたほうがいいだろう。
チームには俺しかいなくて、これを全て俺一人でやりくりしないといけない。
「頭が痛くなる」
やりがいがあると一言で切り捨てられれば良かったのだが、手が足りないという実感がある。
「せめて海堂がモノになればなぁ」
今日も綺麗に教官たちに宙に飛んでいた後輩の姿を思い出す。
実力的には研修の最初の俺、駆け出しの駆け出しレベル。
七転び八起きと失敗を繰り返し身につけていく時期の後輩にそれを望むのは酷だ。
一緒にダンジョンに挑むにはまだまだ時間がかかる。
理解しているがもう少し早くならないかと、ないものねだりをしてしまう俺がいる。
「しばらくは週休一日かね?」
その反面、どうにかせねばと仕事脳で理解してしまう自分がいるのに苦笑が漏れる。
人手が揃うまでの期間、正直スカウトの仕事を受ける前、コツコツとソロ活動をしていた時の方が時間的余裕はあった。
それこそ個人の時間は今よりは確実に取れていた。
だが、ソロの時はソロの時で問題はあった。
ダンジョンに挑むのに限界を感じたわけではないが、効率の悪さは身にしみて実感したからこその今がある。
それを解決しようとしたが故にこういった状況になったのだ。
第一に自分の行動に一々文句を言っていても始まらない。
コツコツと、目の前の仕事を一つずつ片付けていけばいいだけのことだ。
要は。
「いつものことか」
なら、なんとかなると心の内から自然と言葉が出てきて、寮までの道のりを帰っていく。
「それで、スカウトの調子が悪いと私に愚痴りに来たのですか?」
「どう見ても買い出しに来ているだろメモリア」
今日は土曜日、昨日の遅れを取り戻すために朝からダンジョンに挑む準備をしている傍ら昨日のスカウトのことを話せば、変わらないドライな言葉を返してきてくれる吸血鬼娘。
お馴染みのカウンターの上に並ぶのは回復薬や包帯といった消耗品の数々だ。
「件の新しい方はご一緒ではないので?」
「まだ研修が終わってないからな、意識してカバーするにも限界はある。せめて自衛ができる程度のレベルになってからだな。幸い少しずつだが確実にステータスは上がっている。そう遠くないうちにこの施設に来るだろうな」
「聞いた話では相当の女好きだとか、このままでは最奥のエリアに入り浸りそうな気がします」
最奥の施設、未成年は立ち入り禁止のピンク色の施設群のことだろう。
「否定する要素を探している時点でもう手遅れだろうな、注意しておこう」
相変わらずの情報網、身内組織である時点である程度の噂話は仕方ないが、メモリアに入ってくる話はほとんどが踏み込んだ話だ。
仕事が終わって搾りカスのように残った体力を振り絞って綺麗な女性を探す海堂の行動など筒抜けだろう。
「……別のダンジョンに挑むのですか?」
「ああ、これからパーティを組むからな。いつまでも同じダンジョンばかり挑んでいるわけにはいかない。下見がてら一通り挑んでみるよ」
まぁ、メモリアの場合観察眼が鋭いというのもあるだろうから実際に見たからなのかもしれないがな。
今回も、いつもなら購入しない解毒薬を見て俺がダンジョンを変えることを予見した。
「でしたら、臭い消しの薬も買っておいたほうが役に立ちますね。無機物の多い機王様のダンジョンは嗅覚の面では他のダンジョンに後れを取ります。逆を言えばあなたが経験していない方法で他のダンジョン内の魔物に見つけられるかもしれませんね」
いかがですかと、普通の店なら手に取り紹介するところを会計しながらチラリと棚の方に視線を一回向けるだけで済ますこの吸血鬼娘は商魂があるのかないのかわからない。
「ヨンキュッパ……結構いい値段するな」
だが、彼女が勧めてくるときは必要というわけではないが役に立つ場面があるということだ。
じっさい無機物のゴーレムたちは音や視覚には反応していたが、臭いに反応したということはなかった。
今後は生物を相手にすることを考慮すればあって損はない。
香水のような容器に入った無色の液体、表示価格は四千九百八十円。
約五千円の出費は決して少なくない。
「効果期間は?」
「一吹きで約三十分、見た目は液体ですがそれは一種の魔法。簡易魔法と呼ばれる品物です。なので一定時間は効果が発動します」
簡易魔法、一種類の魔法しか発動しない代わりに魔力を持っている存在なら簡単に発動できる消耗品だ。
研修時の説明では理論上やろうと思えばこういった初歩的な魔法から戦争に使うような対軍用の広域殲滅魔法まで用意できるらしいが、ランクが上がるにつれて持ち運びできるようにするまでとてつもない費用と時間が掛かる。
また、簡易魔法と化した魔法の形態は様々で杖の形をしていたりこういった香水瓶のような形をしていたりと別名魔法の品と呼ばれる。
だが、高ランクの代物はリスクに見合わないコストが発生し、一定のラインを超えた簡易魔法は無用の長物と化している。
例を挙げたらきりがないが一つ例を挙げると、先ほど挙げた殲滅魔法を簡易魔法にするためには魔王の潜在魔力を使い切るほどの魔力が必要らしく。
それを用意するくらいならその分で殲滅魔法を十数発放ったほうが得ということだ。
「使用回数は?」
「その瓶で約五十といったところでしょう。残量は液面が減るのでわかりやすいですよ?」
「使うとしたら逃走用か、匂いで追跡するタイプも間違いなくいるはず」
三十分というのは意外と少ない。
ダンジョン内で歩き回れば三十分などあっという間に過ぎ去る。
その都度使うのも手間だ。
更に両手がふさがることの多い戦闘中にはおそらく使えないだろうことを考慮すれば、更に用途は絞られてくる。
「こちらは終わりましたが、それも追加しますか?」
「あんた、実は強かとか言われないか?」
「少なくとも覚えている限り言われたのはあなたが初めてですよ」
悩むのは効果と用途、嫌味なことに使用回数がそこそこ有るから元は回収できるという値段設定だ。
だが、こうやって言ってくるということは必要になるということだ。
「加えてくれ」
「分かりました」
結局は新たに出費することにする。
これが吉と出るか凶と出るかはわからない。
不要だと思えば、次回から買わなければいいことだ。
「さて、行くか」
「またのご来店を」
「おう」
準備が終わり淡々とした声に送られ、相棒となった背負子を背負い、店を出てダンジョンに向かう。
魔紋というのは本当に便利だと思う。
薄暗い場所でも周りを捉える視力、整地されていない地面でも飛び回れる足腰、そして
「ゴブリンってのは本当にしつこい、なぁ!!」
片腕で鉱樹を振り回し胴体を断ち割るほどの腕力を与えてくれる。
ゴーレムとは違った生々しい、生きているものの動きに合わせ鉱樹を振れば上半身と下半身が泣き分かれる。
「ゴキブリか!!」
倒しても倒してもきりがなく湧いてくる姿は台所のGを彷彿させる。
そして事務所で見るゴブリンとは違う理性を感じさせない瞳には侵入者を殲滅せんと狂気を宿らせている。
一体一体は断然ゴーレムよりも弱いが、こうも足場を潰すように群がれていてはいずれ数に押し潰される。
だが
「キィィィィエェイィヤアァァァァァァァァァァァァァッァァァ!!!」
その数も、生物であるという前提から逃げられなかったみたいだ。
気合一閃、左から右に叫びながら薙ぎ払い。
ゴーレムとは違い、感情の起伏があるゴブリンに猿叫は有効みたいだ。
動きを止めるもの後ずさるもの、様子は様々であるが気合に押されているのは共通している。
そういった敵は倒しやすい。
腰の入っていない攻撃や防御など一振りで複数のゴブリンを仕留められるほど隙だらけだ。
また、俺の持っている鉱樹と、ゴブリンの持っている少し伸びた短剣程度の包丁では間合いが違う。
戦国時代に槍が主流だったのも、敵より遠くから攻撃するためだ。
更に攻撃射程のある鉄砲に取って代わられたのはある意味では自然の摂理とも言える。
「エァアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
短剣ごと叩き切りゴブリンを魔力の粒子へと変えてみせるが、数えるのが億劫になるほどまだまだ奥から増援はやってくる。
「フン、最初のパーティでのチャレンジにと思ったがあまり向かないかね?」
俺の奇声で呼び寄せているというのもあるかもしれないが、実際に対峙し感じたのはこのダンジョンの趣旨は洞窟という地の利を生かしたゴブリンによる圧殺、いやこの場合は体力の消耗と言い換えればいいのだろう。
最初から質で消耗戦を仕掛けてきた機王のダンジョンと違い、ここは個体単体の質は圧倒的に劣るがその分を数で補っている圧殺思考のダンジョンだ。
俺個人なら逃げるも撃退するも可能だと判断できるが、それは仮にもソロで階層突破をした実績があるからだ。
初心者にここを突破してみせろと言っても土台無理な話、何回か奇襲も受けた。
見通しの悪い洞窟内、加えて小柄なカラダを利用した狭い道でも展開できる利点、そんなものに奇襲を受けて全滅して会社をやめたテスターも何人かいるはずだ。
平地なら雑魚でも地の利を活かせば厄介な存在に成り上がれるいい見本だ。
「っと、感心している場合じゃないな」
それでも、弱点がないわけではない。
「突破して、マッピングしないとな」
気づいた弱点の一つは装備が近接武器しかないことだ。
一層だからそういったゴブリンしかいないのかと思ったが、機王のダンジョンでも四種、階段前のボスを含めれば五種のモンスターを配置していた。
だが、このダンジョンは数こそ厄介であるが装備も攻撃も単調、これなら慣れればいくらでも対応が利く。
実際切り込みながら一点突破すれば、あっという間に包囲網は抜けることができた。
「機王のダンジョンよりも改善点が見つかりそうだな」
初心者向きではないが、ダンジョンになれるという意味合いではここはいいかもしれない。
ゴブリンから逃げ切り、メモ帳にマッピングする。
「そろそろ切り上げるか」
パタンとメモ帳を閉じ、時計を見ればすでに職務規定の五時間は過ぎていた。
ここでやっていた内容はどこぞの幕末志士がやっていたことと同じだが、ここではそれが有効だった。
敵が集まったら逃げて、数が減ったら辻斬りの如く襲いかかる。
要は切っては逃げてを延々繰り返していただけだが数える気にもなれないほどの敵は倒せたし、敵が来ない間にそれなりのマッピングもできた。
自分なりに丁寧に描き込んだメモ帳片手にタバコを咥え、周囲を警戒する。
「手慣れてきたものだな」
メモ帳に描かれた地図は最初と比べて大分ましな形をしている。
要所々々、攻略するときの要点と改善点を忘れないうちに描き込んでいったら完成した代物だが、人間自分が使うと考えると手は抜かない。
妥協するにしても、最低限のラインは設けるからそれなりのものには仕上がるのだ。
こうやって最後の方は悠々と安全を確保して無事脱出してこられる程度の代物はこさえる。
ここを出れば、あとは晩酌のビールが待っていると思い少し力を込めて脱出装置をくぐり抜ける。
「少しいいですか田中さん」
だが、どうやら仕事上がりのビールはもうしばらくお預けらしい。
戦闘よりも厄介ごとが俺の目の前に舞い込んできた。
ダンジョンに入るつもりなどないというのが見て取れる私服姿の優男が立っていた。
「ああ、あんたはほかのパーティの。何か用か? 見ての通りダンジョン上がりでな、できれば明日にしてくれると助かるのだが」
見覚えはある。
研修の時もそうだが、最近だったらリクルーターの会議の時に同席していたパーティリーダーの一人だ。
「単刀直入に言います。あなたが採用した人員をこちらに回してください」
暗に疲れているから後日にしろといったつもりであったが、目の前の優男はこっちの話など聞いていない。
「……はぁ」
口調は一応敬語だが、不遜な態度は手に取るように感じ取れる。
目線に姿勢、加えれば表情もそうだ。
完全に俺を見下している。
敬語も一応俺が年上だからという体面を気にして使っているのだろう。
前置きも何もなくいきなり要件を切り出してくるような奴に溜息をこぼしても文句は言われないだろうし、言われても気にするつもりもない。
なのであからさまに見せつけるついでにタバコに火をつける。
「一応聞いてやる。お前、どういう考えで俺にそれを言った」
目には目を不遜には不遜を、ハムラビ法典に従ったわけではないが、こういった輩にわざわざ敬語で話すつもりはない。
そもそも名前もあやふやな相手だ。
礼儀など最初から守るつもりはない。
「それをあなたに言う必要が?」
「っは、そうかい。なら、俺から言うことはないよ。せいぜい頑張ってくれ」
そして質問にも答えないと来た。
「どういう意味ですか?」
「言ったとおりだ。話はここまで、前置きも終わりもない。俺はお前の話を聞くつもりはない」
仕事というのは筋を通すのが常識だ。
人に物事を頼むときは殊更それが重要になる。
自分の不始末を拭ってもらうときは尚更だ。
「……年上だからって威張るなよ? ランクにも載らない落ちこぼれが」
「おお、化けの皮剥がれているぞ青年?」
好青年の顔が台無しだ。
向こうから売ってきた喧嘩を買ってやったのだが、普段からこうなのかそれとも魔法を手にして天狗になっているか妙に短気になっている。
有り体に言えば、雑魚臭が漂ってくる。
最初から俺に対して苛立ちをぶつけていたが、ここに来て殺気も混じってきた。
これはいよいよ小物っぽくなってきた。
「口には気をつけろ、俺が本気になれば」
セリフも想像していた三下っぽく、笑いをこらえる。
「っく、本気になればねぇ」
あとに続く言葉を想像するまでもない。
優男の言葉を聞くのも面倒になってきた。
交渉なんて大層なものではなかったが、口でダメなら今度は力ずくでと、魔力の揺らめきを感じ取って優男が戦闘状態に移行したのがわかる。
「大方、大見得切って大丈夫だと宣言してあの話を蹴ったが躓いてどうしようもなくなった。解決策は人員の増強だ。だけど大見得を切った手前監督官に直接交渉はできない。なら唯一その権利を持っている俺から奪えばいい。そんなところだろう」
「……」
沈黙は肯定なり。
そして、殺気は増大したと。
こっちは完全武装に対して優男は無手、殺気と武装が噛み合ってない。
噛み合わなくても俺などどうにでも調理できるという表れだろう。
「浅いなぁ、もう少し頭を使え。人を使うってのは権力があるか頭があるかの二択で決まる。お前の立場がどっちに属するかわかるだろう?」
ストレス発散を兼ねた挑発の答えは顔面ぎりぎり脇を通り過ぎる拳大の炎球だ。
「おいおい、まだタバコ吸っている最中だったんだぞ?」
おかげで横に伸ばすように咥えていたタバコが半分に減ってしまった。
もったいないとこぼす。
「うるさい、説教がしたいならこれぐらいできてから言うんだな。まぁ、できるわけないだろうがな」
攻撃してきたことで幾分かすっきりしたのだろう。
顔に余裕が戻っている。
さっきの炎球は確かに速かった、初動作次第では直撃するかもしれないし当たればやけどでは済まないだろう。
「はぁ」
「わかったら、俺の言うとおりに」
余裕というのは肥えると慢心に姿を変える。
そして慢心した姿を見せ付けられる行為ほど見るに耐えない。
「ああ、うるさい……脅すってのはこうやるんだよ」
それに、さっきの炎球よりも早いものなど飽きるほど見てきて体感してきた。
ゴブリン程度ならどうにでもなったかもしれないが、俺とゴブリンを比べられるのは心外だ。
なれた感覚で一瞬で思考を切り替える。
すでに灰しか残っていないタバコを吐き出し、一足踏み込む。
そして落ちきる前に鉱樹を抜き取り切っ先を喉元に突きつける。
たったそれだけの動作に、全力でもない動きに目の前の優男は反応できていない。
そんな優男の喉元一センチ、少しでも前に突き出せば間違いなく突き刺さる距離に鉱樹を据え置いた。
「当てる気も何も感じられないようじゃ、脅しにもならねぇよ。きちんと殺気を武器なり魔法に載せてやらんとな。相手に本気が伝わらないぞ?」
ほらこんな風になと魔力を少し漏らしてやる。
俺は事なかれ主義ではあるが、決して平和主義ではない。
トラブルは起こるなと願うことはあるが、やられたら我慢して相手を許しましょうなんて言葉は口が裂けても言えない。
やられたらやり返す。
刺す気はないが場合によっては刺してもいい、そんな気持ちで俺は鉱樹を抜いた。
それだけで殺気というのは案外簡単に乗せられる。
殺気としては弱いかもしれないが、鉱樹が突きつけられ僅かでも殺気を載せてやれば現実味というのは伝わるものだ。
殺気とは文字通り殺す気持ちだ。
隠しきらず、わずかでも漏らしてやればこの通り。
「打ってきたんだ。刺される覚悟くらいできているよ……なぁ?」
すっと僅かに刃先を喉元に触れさせる。
さっきまで赤かった優男の顔がみるみる青く染まっていく。
「……ふん、やめだ」
それを見てこっちが弱いものイジメをしているように感じてだんだんと思考が冷めていく。
相手に当たらないように鉱樹を引き背負子に収める。
そして、フラフラと崩れ落ちる優男の脇を通り過ぎていく。
ここで何かをすれば後々問題になる。
ここまでボロクソに負けたのだ自分で誰かに言いふらすことはないだろう。
「……これであいつ辞めたら俺の責任になるのか?」
ふと、気づき入口で振り返るが呆然と座る優男の姿しか見えない。
「まぁ、いいか。その時はその時だ」
結論、喧嘩腰で来た奴に遠慮はいらない。
気にしたところで俺に何の得はない。
それよりも。
「だれか、見てたか?」
ダンジョンから出てきた時から感じていた視線の方が気がかりであった。
普段であったら気のせいだと切り捨てていただろうが、ダンジョンから出た直後の神経が鋭くなっている状態で感じた感覚だ。
誤りではないだろう。
優男の脇を通り過ぎるよりも先に感じなくなったが、まるで値踏みをされているような視線は後味の悪さを残していた。
「ったく、今日のビールはまずそうだな」
気にしても仕方がない。
とりあえず、部屋で筋肉痛で動けなくなっているだろう海堂に差し入れがてら一緒にビールを飲むとしよう。
田中次郎 二十八歳 独身 彼女無し
職業 ダンジョンテスター(正社員)+リクルーター(スカウト)
魔力適性八(将軍クラス)
役職 戦士
ステータス
力 153 → 力 284
耐久 220 → 耐久 302
俊敏 90 → 俊敏 142
持久力 111(-5) → 持久力 199(-5)
器用 102 → 器用 188
知識 40 → 知識 45
直感 29 → 直感 36
運 5 → 運 5
魔力 98 → 魔力 157
状態
ニコチン中毒
肺汚染
今日の一言
仕事中のトラブルは起こるだろうが、できれば勘弁願いたい。
嫌な予感しかしていないから無理だろうが。
久しぶりのダンジョンの内容でしたが、やはり戦闘描写というのは難しいですね。
海堂のようなキャラが非常に書きやすいことに笑いながら次話に挑んでいきたいと思います。
これからも勇者が攻略できないダンジョンを作ろう!をよろしくお願いします。