141 ただ心のあり方に
Side ヒミク
暗かった。
ただ暗かった。
封印されていたときの私の周りはただ暗かった。
思い出すのは封印されていた時のことだ。
あの悪魔から勇者を守るため、その身を挺して守った。
強大な魔力のもとに放たれる一撃、最上位天使である私でも全力で防がねば命を落とし消滅するであろう一撃。
その攻撃の前に勇者を守るために身を潜り込ませた。
そこに感情はなかった。
ただ主神に言われた使命を果たすために自分の体を犠牲にした。
勇者を守らなければ魔王には勝てないと判断したからそうしただけ。
ただそれだけだった。
私が勇者と一緒に旅をしたのはただ世界の安定を願った主神の言葉に従っただけ。
はっきり言えば、仕事だからと割り切って勇者の指示に従っていた。
そこに愛だの恋だのといった感情は欠片も存在しない。
『俺は■■■■■よろしくな!』
だから私は勇者の名前を知らない。
いや、認識ができなかった。
認識したくなかった。
私たち天使は容姿や権力、身体の強さで好き嫌いの感情を決めない。
魂のあり方、私たち天使はそれぞれの感性で魂のあり方を感じ取れる。
私はそれを温度で感じ取れる。
主神から力を与えられ私が同道することになった勇者の魂は、私の感覚からすれば粘りつくような感覚を伴う冷たい魂であった。
人間の感性からすれば顔は整い、笑顔はやさしげに、そして会話にも気遣いが見て取れた。
だが、私の目には冷たいスライムのような存在に見えた。
そんな存在が薄気味悪く笑い、女性にへばりついているようにしか見えなかった。
勇者は当時一緒に旅をしていた女性をアクセサリーのように扱うのを当然のように振舞っていた。
それを体現するかのように、パーティーの女性は王女であったり教会の聖女であったり、元盗賊であったり、彼は意図してかあるいは偶然か異性を選んでいる傾向があった。
そんな勇者が最終的に彼女たちと関係を持つのは自然の流れであった。
王女は力を求め、聖女は盲目に愛を信じ、元盗賊は保身を、それぞれ異なった感情を元にして愛は育まれていった。
それを私は遠目から見ていた。
人間というのはそういう生き物だと、そう思っていた。
そして当然だが勇者は私にもそういった誘いをかけてきた。
だが、私は断った。
勇者と私の関係は仕事だけの関係、ただ世界の安寧という目的を達するためだけの関係。
必要であればこの身を差し出す必要もあったかもしれないが、当時はその必要がなかった。
だから断った。
だから私はかの存在を名前で呼ばず勇者と役職で呼び続けた。
それが私の線引きだった。
私の態度に対して勇者は、フラグが足りなかったとこぼしそれを始まりにして必要以上に私に話しかけてくるようになった。
天気の話、おいしい料理の話、綺麗だった景色の話、自分が活躍した冒険の話。
そのすべてに対して私は淡々と返事を返し続けていった。
スライムから話しかけられても、たとえそのスライムが魔王を倒すためのスライムであってもそこに感情はわかない。
いつしか私のその簡素な反応に対して、次第に勇者は私に話しかけなくなってきて、旅の最後の頃には私のことを鉄仮面と呼ぶようになった。
そんな関係になれば当然、勇者は思い通りにならない私をパーティーには決して置かなかっただろう。
過去に男の騎士や魔法使いが勇者の態度に苦言を申し出た時、勇者はその力を以って男たちを放逐した。
私もそうなれば良かったのだが、私の天使としての力は勇者の力を増幅する。
それを知っていた勇者は私を手放さなかった。
仲間とも言えない、ただ私が勇者の力を増幅し、勇者はその力を振るう。
対等ではない、力を貸し与えるだけの一方的な関係。
道具と道具を使う主、それが私と勇者の最終的に落ち着いた関係だ。
私としてはそれでよかった。
ただ仕事をこなせば目的を果たせる気楽な立場だった。
姉妹から聞いた勇者の話では、もっと心躍るような物語が繰り広げられた。
太陽のような熱意を持った主神と似た気質を持つ勇者、小さくともしっかりとした柱を持つ勇気を持った勇者、ひねくれているが誰かを見捨てることができない不器用で優しい勇者、考えることが苦手で何かをする時にも失敗続きであったが決してくじけない勇者。
そんな姉妹の話を聞いて多少なりとも期待していたが、現実を見て、こんなものだと割り切った私の心はずっと最後まで冷め切ったままであった。
好き勝手に世界を西へ東へ北へ南へと転々と移動しては暴れまわり、目に余る態度に対して苦言を呈しても耳を傾けず自分こそ正義だと疑わない勇者を見て、何かを言うのを諦めたのはいつだっただろうか。
気づけば手綱を握るのではなく餌で誘導し世界の安寧のためにその力を振るわせるだけの作業に移っていた。
ああ、つまらなかった。
ああ、やりがいというのは感じなかった。
私の心の中にあったのは、私を生み出した父と呼べる顔もろくに覚えていない一方的に力だけを与えた存在から見放されたくないという焦燥感からくる仕事に対する義務感だけであった。
村を救っても勇者が感謝され、街を救っても勇者が感謝され、国が救われたら勇者が。
その作業を繰り返し、魔王との決戦前に私は力尽きた。
魔王を守る最後の守護者との戦いで勇者の力を決戦のために温存したがゆえ私は力尽きた。
あの悪魔に敗れたのだ。
役に立たなくなった私を勇者はこれ幸いにと命を助けたければと関係を迫ってきたが私は首を横に振った。
傷は放っておけば致命傷だが、幸い生命力には自信があった。
魔力が温存できた勇者なら魔王に不覚を取ることはないだろうと思った私は、ここで役目を終えることを伝えると勇者はそっけなく返事をし、あっさりと私をその場に残し魔王を討伐しに行った。
それを見送ることなく私は残った魔力で結界を張り治療をするために眠りについた。
これで役目を終えたと思った私は心の重しが少しだけ取れたと思いながら眠りにつく。
だが、予想以上にあの悪魔の呪いは深刻であった。
治るまでに時間が掛かり、一度眠りについてしまってからなかなか起きることができなかった。
本来であれば私の命はそこで尽きていただろう。
結界に気づいた魔物に食い殺されるか、魔族に八つ裂きにされるか少なくともろくな未来は待っていなかっただろう。
あるいはまた別の可能性があったかもしれない。
その可能性の中で権力欲が強い魔族に捕まったのは、悪い結果であったが最悪ではない結果だったと言えるであろう。
眠ったままの私は五感のほとんどを封じられ、身動きもできない状況まで封印を重ねられた。
そんな私ができたのは体を衰わせないために魔力を練ることだけだった。
封印越しに生み出した魔力が吸い出される感覚を常時味わい、それ以上に魔力を生み出さなければ私の命はなかった。
だから私は吸われる以上の魔力を生み出し続けた。
人間では気が遠くなるような時間でも、天使である私であれば平気であった。
ただ、生き残ることのために魔力を生み出し続けた。
十年もすれば外部からの干渉もあり、なんとなく私の魔力で何をなされているか理解し、私の状況を把握する情報を集められるようになった。
そこで私はダンジョンコアにされたことを知った。
さらに十年を掛ければ僅かであるがダンジョンに干渉できるようになった。
それを繰り返すこと幾年。
天使の私でも数えるのも面倒になった頃、ダンジョンの操作系統にようやく干渉できるようになった。
そこから管理者に気づかれぬように私の封印を解くのにさらに数年。
そしてついに私は封印からの脱出を果たした。
身に纏う封印具まではさすがに解除できなかったが、いざとなれば攻撃を身に受け強制的に解除すればいいと思い、私を封印していた部屋の前に待機していた魔族を倒しそのままダンジョンの中を徘徊し始めた。
五感のほとんどを封じる封印具のせいで迅速に動き回ることができず、ダンジョンを脱出するために使える手段が私の魔力を使った探知のみというお粗末な状況だった。
その魔力もある程度の出力まで抑えられてしまっては、全力を振るうことができない。
四肢にはなにやら重りのようなものも付けられ体を動かすのも不自由であった。
それでもモンスターは倒すことができたから、体の調子を調べることも兼ねて接敵したら倒すを繰り返すことで出口を目指した。
ダンジョンの特性としてモンスターが弱くなることで出口に近づいていると判断できたのが唯一の救いだった。
そして目も見えず、何も聞こえず、話すこともできず、香りも感じず、温度も感じない。
ただ魔力で周囲の形を把握し移動して回っている間、私ができるのは考えることであった。
考えるのは私の存在意義、そしてこれからのこと。
帰ることはその時の私にとって二の次であった。
ダンジョンという敵地で、もしかしたら命を落とすかもしれないというのにそんなことを考えていた私は、それでもいいかもと少々投げやりな考えをその時は持っていた。
主神のもとに帰るのも帰巣本能程度、ただ帰らねばと漠然と思っているに過ぎない。
戻ればまた世界のためにと謳う長女に仕事を任せられると思うとその本能も薄れてしまう。
帰らなければと思うが、帰るにしてももう少しゆっくりでもいいのではと思ってしまう。
そんな思考で動き回っていたとき、また魔族と戦うことになった。
数は四、私を見るや否や魔法を放ってきたがその程度でこの拘束具を壊せるはずもなくこの身に受けても傷一つつかない。
精霊を召喚したが、中級ではさっきの魔法と同じだ。
せめて上級を召喚してくれないかと少し待ってみたが、一向にその様子はなかった。
追い詰めればもっと強い攻撃が出てくるかと思ったが、魔法でもなんでもないただ魔力を形成しただけの玉を複数用意し放つだけでその魔族たちは逃げ出してしまった。
それならそれでちょうどいい。
このままダンジョンの外まで案内してもらおう。
時間を潰すのは外に出てからでいい。
そう思って今度は殺さぬよう追い立てる。
モンスターの強さ的に魔族たちは順調に外へと案内してくれている。
このまま行けばそう時間がかからず外に出ることができるだろう。
そう思いながら襲い掛かってきた精霊をほどほどの力で吹き飛ばしていると、私の目の前に立つ魔力を感じた。
「……」
「ッハ。ファンタジーのお約束ではあるが、正直戦いたくはなかったね」
その魔力を感じた時に私は一瞬だが思考が止まってしまった。
魔族や魔物とは違う柔らかく暖かな温もりをもつ魂。
その魂からは傷つきながらも折れず大地に根付く大樹のような頼もしさを感じた。
一目惚れだった。
すっと、視覚に映る魂の色が愛おしかった。
ただそこに静かに立ち様々な者たちを支える力強さ。
ああ、私はその魂の色に惹かれてしまった。
「できれば会話で解決できないかな? 『天使』さんよ」
そう声をかけてくれるそれだけで私の感情は揺り動かされた。
ああ、この封印具がもどかしい、この魂の持ち主と話がしたい。
この魂の持ち主の顔が見たい。
魔力で私に向かって話していると感じているのではなく自分の耳でしっかりとその声を聞きたい。
どうすればいい?
私はどうすればいいんだ。
封印具が邪魔だ。
ああ、邪魔だ。
全力で振り回せば壊れるか?
もどかしい、早く声をかけなければ目の前の魂の持ち主がどこかに去ってしまう。
ああ、それだけは嫌だ。
嫌だ。
姉妹の言っていたことがわかった。
理解してしまった。
勇者と天使は相性がいいと姉妹は言っていた。
前の勇者の時それは嘘だろうと思っていたが、ああこういうことか。
ああ、あなたが私の勇者だ。
邪魔だ。
この封印が邪魔だ。
両手両足、身に付けた武を駆使して振り回すが一向に外れる様子がない。
私を封じるための品だから当たり前かもしれないが今はその性能が恨めしい。
早く封印具を外さねばと思っていると、彼の魂の色がさらに強くなった。
大きな大きな大樹。
すべてを支え、強い光からその枝葉を広げることで和らげてくれる安らぎを与えてくれる大樹。
ああ、素晴らしい。
その色をもっと見せて、私の魂を見て。
さらけ出すように私は気づけば魔力を大きくしていた。
彼の魂に応えるように私も魔力を強める。
だが、彼はそれを敵対行動だと思ってしまったようだ。
聖剣に匹敵する武器の魔力が大きく跳ね上がった。
ああ、違う。
私はあなたと戦いたくない。
違う、違う、私は。
彼の攻撃を懸命に障壁で防ぐ。
どうにかしなければと必死に考えているが、何も思いつかない。
悲しい。
この魂の持ち主に攻撃されるのが悲しい。
そして、何もできない私が悲しい。
このままでは私は彼に倒されてしまう。
それでもいい、だけどせめて彼の顔を見たい。
そう思って、私は何もせずその魂をじっと感じるとピタリと彼は攻撃をやめてくれた。
千載一遇のチャンス。
このタイミングを逃したらもう二度とない。
でも封印具が外せない。
不自由な両手で必死に外そうと試みるが、外せない。
段々と力を込めて、多少の傷は覚悟しようと思ったとき封印具越しに彼の魔力を感じ取った。
私は今掴まれている?
彼の魂は私のことを気遣うような雰囲気を出している。
心配してくれている。
それだけで私は喜びを感じる。
そのまま、彼は私の周りを動き回って次から次へと封印具を外していってくれる。
そしてついに、この忌々しい封印が解かれた。
ああ、どんな姿をしているのだろう。
と浮かれる気持ちを感じているとふと思った。
あれ?
私、彼とどんな会話をすればいいんだ?
魂の雰囲気からして彼は人間だ。
だとすれば会話は必須。
それは良い、私としても彼と話したい。
だが、封印されて幾百年、最後に人間と会話をしたのはあの勇者が最後。
そもそも、はいといいえと情報を伝達していただけのあれを会話と呼んでいいのか?
さっきとは違う焦りが湧いてくる。
どうしようと焦るも一向にいい案が思いつかない。
そうこうしているうちに、封印は溶けていく。
ああ、最初の印象が肝心だというのに。
私はどうすればいい、どうすれば?
そういえば前の勇者は、最初に勇者と呼ばれて喜んでいた。
姉妹も出会った人間は勇者と呼ばれたことを喜んでいたと言っていた。
なら最初の挨拶はそれで行こう。
それで間を持たせる。
封印が解かれるギリギリのタイミング。
さぁ行くぞ!
「勇者よ、よくぞ私を解放してくれた。礼を言う」
「いや、人違いだ」
あれ?
反応が違う。
勇者と呼んでも喜ばないぞ。
むしろ嫌そうな顔をしている?
その表情もなんというか、かっこよくていいのだが、いやいやそれどころではない。
魂の雰囲気もあまり喜んでいない。
となると……切り出し方を間違えた?
どうしよう!! 最初の印象が大事だというのに間違ってしまった。
焦る気持ちをどうにか表に出さないのが精一杯で、内心ではオロオロと焦っていると。
「あと、とりあえずこれを羽織れ」
彼は視線をそらしながらマントを差し出してくれた。
ストンと何かが落ちる音がして静かにそれを受け取りながら、彼の気遣いに心が温かくなる。
そのまま、どうにか一緒に同行しようと話を進めるが、彼は一向に了承してくれない。
天使が厄災のような存在だというような雰囲気を出す彼の存在は新鮮だったが、私としてはその対応に困った。
どうにか、アピールし嘘を言わず一緒にいれるようにしたが、芳しくはなかった。
その、さすがにな。
この気持ちは言わなかったぞ?
恥ずかしかったから。
だから申し訳ないが、もう一つの理由を正直に彼に話した。
そうして彼が魔王軍の人間だということを知るが、不思議と敵対していたのにもかかわらず嫌悪感が湧かず、むしろ彼がいるなら私もという考えが浮かんだ。
だからだろう。
「よし! 私は堕天する!」
「なぜその結論に至った」
一緒にいたい。その一心で言った言葉に彼は疑念の視線を向けてきた。
その、言った私も無茶苦茶な話だと思うが、できればそんな視線を送らないでほしい。
それと理由が建前になってしまうのは許してほしい。
私も初めての気持ちでこの感情を説明するのは恥ずかしくてな。
そのあとも色々と説得してアピールもした。
自慢ではないが、神から創造された私だ。
容姿にも自信がある。
それにもなびかなかった彼に好感を持ったのは内緒だ。
「……仕方ない、お前を連れていく」
「本当か!」
粘り勝ちと私でも思う。
でも、彼からその言葉が出たときは本当に嬉しかった。
それと一緒にこのタイミングしかないとも思った。
ずっと一緒にいたい私は契約として彼の唇を奪った。
本当ならこんなことをする必要はない。
堕天にも関係ない。
そもそも堕天は主神にはもう従いませんって意思表示するために翼を黒く染めるというだけだから元に戻せないだけで簡単にできてしまう。
ただ彼とのつながりが欲しかった。
ただそれだけの想いが突き動かしただけなのに私の胸がいっぱいになった。
そのあと拳骨されたが、幸せでいっぱいな私には関係なかった。
ちょっとはしたないかなとも思って契約だと言って貫いた。
そして彼の名前を聞いた。
ジィロ
何度も何度も口ずさんで覚えた私の主の名前。
その名前を口にするだけで私の心はほんのりと温かくなる。
それから色々とあったが、主の奥方にも会った。
少し胸が切なくなったが、奥方たちは私にも好意的に接してくれて主のそばにいることを許してくれた。
ここにいるにはなにか仕事をしないといけないらしいが、しばらくは主の訓練に付き合えばいいらしい。
任せてくれ、戦うのは書類仕事より得意だ!
「主!」
「なんだ?」
「訓練のあとにどら焼きを食べないか?」
「好きだなぁ、気に入ったのか?」
「ああ!」
なにせ、主が最初に約束してくれた食べ物だからな。
この幸せをいつの日までも。
今回で今章は以上となります。
最後はヒミクの視点で締めてみましたがいかがでしょう?
面白いと思って頂ければ幸いです。
次回から新章に入ります。
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