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「アレに何の変化もないか」
ディンガルン家の当主、カートス・ディンガルンは相変わらず偉そうに老執事に問いかけた。
それはレイシアが街を徘徊している明け方の事である。誰も起きていないような、朝早くにカートスは自身の信頼する臣下である老執事と会話を交わしていた。
こんな時間に会話を交わしている所を見るに、あまり人に聞かれたくないような話なのだろう。
つい先日、様子を見に行ったというのにカートスは『魔剣・ゼクセウス』の事を気にしているようだった。元々カートスは用心深い――いいかえれば臆病な性格をしている。
『魔剣・ゼクセウス』を手元に置いているだけでもカートスにとっては心臓に悪い事なのだろう。
「はい。子爵様。アレは何も変化は見られません」
「そうか…」
「お気持ちはわかります。私もアレが何か不吉を呼んでくるのではないかと不安です。しかし子爵様は少し心配しすぎなように思えます」
『魔剣』におびえるのは人として当たり前の事である。
それでも怯えすぎなようにも老執事には感じられた。
カートス・ディンガルンは小物である。
このユトラス帝国の筆頭貴族達と渡り合える力など欠片もない。皇帝からの信頼もそこまで高くはない。いつ居なくなっても良いと思われているからこそ、この領地を与えられているのもカートスは理解している。
そんな大物からすればとるに取らない小物――それがカートス・ディンガルンという男であった。
しかし彼は小物なりにこの貴族社会で生きてきた。
自身を小物だと理解しているからこその生き方があった。
彼は小心者であるが、此処まで心配しすぎるのも珍しい事であった。それ故に老執事は不安に駆られていた。
「アレはつい数か月前、突然商人が手に入れたと持ってきただろう」
「はい。そうであります。『封紙』の貼られた状態で突き刺さっていたのを見つけたと聞きましたが…」
「アレが何故そんな状態で、商人達の手の届くような場所に突き刺さっていたのか。それをお前は疑問に思わんか」
「…それはさようでございます」
「アレは力を欲する者が求める者であり、売れば驚くほどの高値になる。そんなアレをだ。『封紙』を貼った奴が持っていかなかったのは何故だ」
そうカートスがこんなにも不安で駆られてしまうのは、納得の出来ない事があったからだ。
『魔剣・ゼクセウス』。
様々な伝説を残した『災厄の魔剣』と呼ばれる物。
それが『封紙』が貼られた状態で放置されていた事。
そして『封紙』を貼った者がそれを持っていかなかった事。
不可解な事はそれである。
そもそもあの『魔剣・ゼクセウス』に『封紙』をあんな風に貼れる者が居るともカートスには想像もできなかった。
まともな者なら自身が破滅の道に至ると理解できる。だから『魔剣』を恐れ、手にしようとさえ思えない。
でも破滅が先に待っていても、力を求める者はこの世界に少なからず居る。
それにそういう意味で『魔剣』を求めなかったとしても、骨董品としてほしがる者も居る。
『魔剣』は危険であろうとも、希少品なのである。
だからこそ売ればかなりの高値になる。
カートスが『魔剣』・ゼクセウスを手中におさめているのも、お金を手に入れるためである。
ルインベルは傭兵と冒険者の溢れる街。沢山の人々が外から訪れるため、それなりに黒字である。安定した金銭は手に入る。生きて行くだけの金銭は充分だ。
それでももっとお金がほしい。
そう望むのは誰にでも感じる当たり前の事である。人には欲があり、カートスは恐怖心よりも欲が勝ったというただそれだけの話だった。
「それは…、そうでございますが」
「…考えても仕方がない事は私にもわかっている。しかしどうもアレを見ていると不安になって仕方ないのだ。アレがいきなり牙をむくのではないかと」
それは何処か怯えを含んだ声だった。
カートス・ディンガルンは底知れぬ恐怖を『魔剣・ゼクセウス』から感じ取っていた。
「どちらにせよ、私どもに出来る事などありません。その不安は仕方がありませんが、あと二日の我慢です」
「…うむ」
「大金が手に入ると思って、ご機嫌にでもなっててくださいませ」
「そうだな…」
カートスは結局の所、『災厄の魔剣』に対する不安はあったものの、そういって頷くのであった。
「ところで二日後の闇オークションの警備を頼んだ『紅月傭兵団』との話し合いを先日終えました。子爵様の望む、銀貨二十枚で手を打つ事が出来ました」
「おお、そうか」
カートスは、老執事の言葉に頬を緩ませた。
しかし一日で銀貨二十枚とは破格の額である。
このユトラス帝国の通貨は、ユトラス金貨、ユトラス銀貨、ユトラス銅貨、ユトラス銭貨に分かれている。銭貨二十枚=銅貨一枚、銅貨三十枚=銀貨一枚、銀貨三十枚=金貨一枚の価値がある。
一般市民の一カ月の収入が銀貨二枚~銀貨四枚ほどだ。
市民達は銀貨ですら滅多に見る事がなく、金貨なんて別次元のものという認識である。
銀貨二十枚は、一般市民の約五ヶ月から十ヶ月ほどの収入である。カートスが主催する闇オークションには、それだけの価値のあるものが品物として出されるのだ。
「当日の運びに関しても現状問題はないかと思われます」
老執事は恭しく頭を下げて続けた。
それからしばらくカートスと老執事の間で、二日後に行われる闇オークションについての事が話しあわれた。
そんな会話を扉の前で聞いていた者が居た事に、カートスも老執事も気づく事はなかった。