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この世界には四つの大きな大陸と斑に存在する多くの島が存在する。
南のアーデュス大陸、北のヒルトア大陸、西のエヴァント大陸、東のオセトニアスト大陸。
四つの大陸の中でも最も巨大な面積を誇るのはアーデュス大陸であった。しかし土地に反して、アーデュス大陸の人口は、他の三つの大陸に比べて圧倒的に少ない。
何故かと言えばその大陸には北半分にしか国家は存在しない――いや、国家が存在出来ないのだ。アーデュス大陸の南には魔物が溢れる危険地帯――キレイドアと呼ばれる地帯が存在するためであった。
金稼ぎを目的とする傭兵や冒険者などといった者達以外その場所に足を踏み入れようとする人はほぼ居ないと言える。
アーデュス大陸の国家には時折キレイドアから溢れだした魔物を退治しなければならない状況に陥る事がある。そんな背景もあってアーデュス大陸の国家は軍事国家ばかりであった。魔物に対処する力がなければ国家は成り立たないのだ。
そして最もキレイドアに隣接しているのが、ユトラス帝国と呼ばれる大帝国である。
アーデュス大陸の北の五分の一もの領土を持つそこには、キレイドアで金稼ぎをしようと集まった傭兵や冒険者たちが溢れている。
とりわけ、最もそれらの人種が溢れ、治安が悪いとされいる街がユトラス帝国の最南に存在する街、ルインベルである。
そんな街は魔物の侵入を防ぐために巨大な壁で覆われている。
三つの門があり、そこで常に目を光らせているのはこの街の治安維持を務める警備隊と呼ばれる存在達であった。
傭兵や冒険者と言った輩は基本的に愛想が悪い。普通の人々に怯えられそうな風貌をしているものも多いし、気性が荒い人種が沢山いる。
それもあって警備隊のメンバー達は外からやってくる彼らが問題を起こさないように監視する役割を持っていた。
「おい、貴様止まれ」
その日も、警備隊の黒い制服を身に付けた背の高い男は一人の冒険者らしき風貌の人を引きとめた。
その人は男か女かもわからない。
口元と目元だけが開いた兜をかぶっていて、顔は見えない。かろうじて見える瞳は美しい青色だった。
腰に長剣を下げたその人物は、耳や尻尾といった特徴が布ごしでもわからない事から種族は人間である事だけが呼びとめた男にも理解出来た。
「……何」
聞こえてきた不機嫌そうな声は、男にしては高く、女にしては低いと言える性別を判断するのも難しい声だった。
「お前、此処に何の用だ」
「…ほしいものがあって来ただけよ。貴方達を煩わせるような事はするつもりはないから、さっさと入れてくれないかしら」
疑うような警備兵の目を見て、その人はそういって答えた。
その口調にようやく警備兵は、その人が女だと理解する。
それと同時に何故若い女が顔を隠しているのだろうという疑問も沸いたが、事情があるのかもしれないと勝手に納得した。
「…名はなんという?」
「レイシア。答えたわ、中に入っていいかしら」
女はただそう告げる。
「レイシア、光を指す古語か。良い名前だな。ではレイシア、お前が俺達の世話にならない事を祈ろう」
「ええ、なるつもりは現状ないわ」
男の言葉に、レイシアと名乗った女はただそう答えて街の中へと足を進めるのだった。
*
警備兵と会話を交わした後にルインベルへと足を踏み入れたレイシアが真っ先に行った事は今夜泊る宿を探す事であった。
キレイドアでひと稼ぎをしようと考える傭兵や冒険者が集まるこの街は常に宿は満杯と考えて良い状況にある。
実際に溢れだしてしまった彼らはストリートチルドレンのように外で寝泊りもするものも居るぐらいだ。
(…どうにか、何処か取れればいいけれど)
レイシア自身、ルインベルにやってきたのは初めてだが、事前情報ぐらい手に入れてからこの街に来ていた。
もしかしたら宿が取れなくて、適当な場所で野宿をする事も覚悟した上でレイシアはこの街にやってきた。しかし出来れば宿で寝泊まりをしたいというのも本音である。
ルインベルにはおよそ十軒以上の宿が存在する。
手当たり次第にレイシアは宿をめぐるために街中を歩いていた。
一つ目の宿、「すまないねぇ、満室なんだよ」。
二つ目の宿、「満室だから無理だ」。
三つめの宿、「もう空きはないんだよ」。
四つ目の宿、「さっきの人で満室になったんだ」
五つ目の宿―――………。
結論だけ言えば全滅であった。
この街は宿が足りないというのをレイシアは身を持って実感した。一応宿を増やそうという動きはあるらしいが、おいついていないらしいのだ。押し寄せてくる冒険者たちに。
アーデュス大陸では此処十数年国同士の大規模な戦争は行われていない。キレイドアから魔物が押し寄せてくることは度々あるかもしれないが、アーデュス大陸は概ね平和なのだ。
戦争が起こっていたならば、現在宿に滞在している傭兵達はそちらに回っていた事だろう。戦争が起こっていないからこそ、戦いしか能のない人々がキレイドアでひと稼ぎをしようと集まっているのだ。
レイシアはある目的があってキレイドアに隣接しているこの街までやってきた。
「はぁ…」
宿が見つからない現実に思わずレイシアはため息を零した。
この街の治安はあまり良くない。女一人で一晩過ごすのは危険な事になる場合がある。一応顔を隠しているものの、レイシアは自身の顔が整っている自覚ぐらいはあった。
顔が不細工でも女なら誰でも良いと襲いかかるようなケダモノのような男ももしかしたらいるかもしれない。顔を隠していても女一人で旅をしているからと狙われたらたまったものではない。
冒険者なんて仕事をしているのだから、常にレイシアは命の危険と隣合わせで生きている。
弱ければ死ぬ。
この世は所詮、弱肉強食。
弱者は強者に甚振られる。平等なんてこの世にはない。
そんな事レイシアはとっくに知っている。
戦争で負けた国の民が全て奴隷へと落とされる事だって、この世界では当たり前のようにある事なのだ。
それを思えば現在奴隷でないだけ、レイシアはマシだと言えた。
しかしだ。出来ればレイシアは好意が欠片もない男に性的に甚振られるのは嫌だった。このまま野宿をすればそんな事になる可能性も高いのだ。
襲いかかってくる男を蹴散らす力ぐらいレイシアにはあるが、眠っている間というのは、人は気をつけてはいても無防備になるものなので出来れば宿に泊まりたかった。
(どうしたものか…。ルインベルに来たのははじめてで知り合いも居ない。宿が満杯となると、野宿しかないか。それならば魔物も、男達も、色々なものを警戒しなければならない)
思考を巡らせながらも、レイシアは街中を歩く。
まだ時間は昼間。
ルインベルの街には沢山の人々が賑わっている。
今、レイシアが歩いている通りは丁度お店の立ち並ぶ通りであった。野菜屋、果物屋、武器屋、飲食店など様々なお店がそこには存在している。
宿をとる事が出来なかったレイシアは考えても仕方がないと息を吐いて、お店を見てまわる事にした。
この街にたどり着いてすぐ宿探しを始めたために、街を見て回る暇さえなかったのだ。
どちらにせよ、しばらくはこの街で過ごす事をレイシアは決めている。それならば街について少しでも知っている方が今後のためにもなるのだ。
まずレイシアは腹ごしらえをする事にした。
この街の情報はまだそこまで知らない。だからどの店が美味しいとか、そういう情報もレイシアは知らない。が、とりあえずは食べられればいいかとレイシアは歩き始めた。
レイシアが入ったお店は二階建ての食堂である。
どうやら一階がお店で、二階が居住区になっているようであった。
何となく雰囲気と自身の勘から決めた食堂であったが、そこそこ人のにぎわう雰囲気の良いお店だった。
四人用のテーブルと二人用のテーブル、そして一人用のテーブルが幾つも存在している。一番数が多いのは四人用のテーブルである。一人用のテーブルと椅子なんて店内で数えるだけしかない。
一人で来店する客よりも二、三人で来店する客が多いようだった。
見れば今店に居る客は冒険者風の外見の者が多い。此処は宿に近いし、冒険者達が多く訪れる場所なのだろうとレイシアは結論づけた。
一人席が少ないのも世界を旅する者達は基本的に一人では危険だからと一人で旅をしないからだろう。
鎧を身に纏い、顔を隠して、一人で入って来たレイシアは一瞬だけ店内の人々の注目を浴びた。
が、すぐに彼らは興味を失ったように食事を始めた。
(美味しそうな匂いだ)
店内に入ってすぐ、レイシアはこの食堂内に充満している様々な料理の匂いを嗅いだ。
お肉の匂いがする。焼き魚の匂いがする。きちんと調理された料理の匂いというものは酷く食欲を誘うものである。
一人で世界を旅し始めた当初は、世間知らずだったレイシアは苦労したものであった。金銭のやり取りで騙されて、一銭も残らず奪われた事もあった。
そんな時の食事だなんて最悪である。お金もなく美味しいものなど食べられるはずもない。心からもうこんなもの食べたくないと思えるものにも手を出した。
そういう最悪の場合を経験したからこそ、レイシアは美味しいものを食べれる時には食べようと心掛けている。
それにこの地域に来たのは初めてなため、この際に地域特有の料理を食べられないかと期待していた。
そのため、レイシアが一人席に向かう足は軽かった。
椅子に腰かけ、兜越しにメニューを見る目は生き生きとしていた。
地域一押しのメニューを発見し、レイシアはそれを頼む。
危険地帯とされるキレイドアには他の場所では見られないような魔物や植物が未確認なのも含めて大量に存在するとされている。冒険者達が危険を知ってまでキレイドアに足を進めるのはそれらを持ちかえって、お金を稼ごうとしているからである。
レイシアの選んだ地域特産のその料理はワイバーンの肉を使ったものだった。メニューに載っている絵は、ワイバーンの分厚い胸肉のステーキである。
それだけなら他の地域でも此処よりも安くはないが頑張れば食べれる。しかし重要なのはトッピングとソースである。
他大陸では滅多に手に入らないとされる植物がたっぷりと使われている。それらをこんなに多く提供する事が出来る街は此処だけである。
ワイバーンのステーキだけならレイシアは口にした事があったが、ルインベル特製のソースをかけたものを食べるのは初めてである。
レイシアは心のそこからわくわくしていた。だらしなくも口から涎れが垂れそうなほどであった。
「おまたせしました。ワイバーンステーキのルインベル特製ソースでございます」
しばらくしてレイシアにその料理を持ってきたのはまだ若い、十代ぐらいの男だった。
この食堂の制服を身につけている茶髪のその男は、レイシアに向かってにこやかに笑いかけている。
「ありがとう」
レイシアはその運ばれてきた料理を食べたいという思いからか、その声は明るい。
兜によって表情の大部分は隠れてしまっているが、その声からレイシアが笑みを浮かべている事が見てとれる。
運ばれてきたワイバーンのステーキからは香ばしい肉の匂いが醸しでていた。特製ソースと肉の交わった匂いは酷く嗅ぐ者の食欲を誘う。
「一つ質問をしてもいい?」
そして料理を受け取るとレイシアはその男に話しかける。
「はい。何でしょうか。お客様」
男はレイシアの言葉に笑顔で答えた。
「私は今日この街に来たばかりなのだが、宿が取れなかったの。何処か泊れる所を知らないか」
此処は冒険者が多く訪れているようだったため、そういう情報を此処の店員が知らないかとレイシアは思ったらしい。
レイシアの言葉を聞いたその男はすぐにそれに答えた。
「そうなのですか。あ、それなら家にお泊まりになりますか?」
「いいのか?」
「はい。宿が取れない冒険者の方々を時々泊らせてますし、問題ありません。母さん――店長にいってきます」
その言葉を聞いて、レイシアは迷わず頷くのだった。
そしてそのままこの食堂に泊らせてもらう事が決まり、レイシアは美味しい食事が食べれて、泊る場所も決まったとご機嫌そうな様子を見せるのだった。