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目を見開く。
《魔法》を放った少女が。
《魔法》に狙われたレイシアが。
地面へと叩きつけられた氷の刃。
それにどんな力が働いているのかはわからないが、それが霧夜の所業だという事は二人にもわかった。
少女が睨みつける。
まるで親の敵でも見るかのように、霧夜を。
そして次なる《魔法》を練ろうと詠唱が開始される。
今、この場に存在するのはレイシアと霧夜と少女、そして既に命を失った警備兵達の死体だけである。
少女は油断しきっていた。
レイシアが身動きを取れない状況である事に。
それならば自分が負けるはずなどないのだと。
だけど彼女は読み違いをしていた。
此処に存在する魔剣は、『災厄の魔剣・ゼクセウス』である。
魔剣が只の武器ではない、只の剣ではない。
その認識が少女には乏しかった。
それ故に、少女は誤った。
詠唱を始めていた少女が、地面へと叩きつけられた。上から押し付けられるかのように。起き上がることもままらならないほどの力がそこにはあった。
――それは何かと言えば、重力である。
霧夜は重力を操る事が出来る。とはいってももちろん限度がある。そもそも霧夜は重力をかけ、人や物を地面にたたきつけるのは得意だが、それ以外の重力操作は苦手で、ほぼ出来ない。
レイシアと少女が目を見開いている。
霧夜はレイシアの手から離れて、飛んだ。
他に敵が居ないからこそ出来る事である。彼は少女へと飛びかかる。そして、少女の体へと突き刺さるのだ。
そして、殺す。それと同時に魂も喰らう。
食事が終わると霧夜は少女から離れた。少女はもう既に息がない。驚いた表情のまま、その顔は固まっている。地面にたたきつけられたまま死すなんて彼女からすれば屈辱でしかないだろう。
少女が死に、《魔法》が解ける。
レイシアを凍らせていた氷も解けて行く。しかし、《魔法》が解けても凍傷はなくならない。
その痛みにレイシアは未だに動く事が困難であった。それを見かねて、霧夜はため息を吐いて告げた。
《じゃあ、俺が運ぶ。此処に居てもヤバいだろ》
「なに、よ、それ」
霧夜の言葉にわけがわからない、といった様子のレイシア。レイシアが意識を朦朧とさせている中で、霧夜に変化が訪れる。
霧夜の周りを彼の魔力が蠢いた。
黒い、歪な雰囲気を纏う魔力が宙に浮いている魔剣を囲う。
そして次の瞬間には、霧夜の姿は別の存在へと変化していた。
真っ黒な大剣、それが霧夜だった。
だけれども蠢く魔力が晴れた先――そこに存在するのは一人の男である。
背はレイシアよりも少し高い、この世界ではほとんど存在しない黒髪黒目。
その髪はくせ毛なのか、あちこち撥ねている。軽装な服装のその人は、驚きに目を見開くレイシアに近づく。
「……ア、キか?」
「ああ。ちょっと失礼するぞ」
霧夜はレイシアの疑問に頷くと、レイシアに向かって手を伸ばし、そしてレイシアを抱きかかえた。
「ちょ」
横抱きをされて、思わずといったようにレイシアは声を上げる。
が、抗議の声など霧夜は無視である。そのままレイシアを抱えたまま霧夜はその場から離れた。
*
レイシアはお姫様であった。
昔のレイシアは、少なくとも国が滅ぶ前のレイシアは、何処にでも居る夢見がちで優しいお姫様だった。
王族は政略結婚なども多い。そんな中でレイシアの両親は互いに思いあって結婚した。そのため、夫婦仲は良かった。
そんな両親にレイシアは憧れていた。
未来に希望しかもっていなかった。絶望がある事を知らなかった。
その頃のレイシアは幸せな結婚というものに憧れていたといっていい。
ラインガルの王族として、それにふさわしい男を娶り、ラインガルを共に栄えさせていく。当時のレイシアの夢はそれだった。
だがしかし、その夢は当の昔に潰えてしまった。
そのような未来などレイシアは望んでいない。
しかし、だからといってレイシアが結婚に憧れを持っていないのかと言えばそうではない。
よって横抱き――所謂お姫様だっこにされている現状はレイシアにとって酷く不満なのであった。
「…お、ろしなさい!」
「お前な、助けてやってるんだから少しは大人しくしろよ」
レイシアを抱えて走りながら、霧夜は呆れた声を上げた。
駆け抜けながら人に遭遇する事もあったが、街の人々が探しているのは魔剣である。魔剣が人の姿をしているとは欠片も思わないであろう彼らは霧夜達を攻撃する事はなかった。
「というか、人の姿になれるなら最初からなればよかったでしょ! アキが魔剣ってばれなきゃ襲われる事もなかったのに」
「…人の姿になるのは魔力を多く使うし疲れるんだよ。あとこれ、長時間は持たない」
「は?」
「多分、ギリギリ街から出るまで持つぐらい」
魔剣はあくまで武器なのだ。よって人の姿を取れるとはいっても長時間は難しいらしかった。
「ふぅん。ま、それはいいわ。いいけど、横抱きだけはやめなさい」
「これが抱えやすいんだからいいじゃねぇか」
「いやよ! 私は夫以外に横抱きは許したくないの!」
「……レイシア、お前案外女らしい所あるんだな。でも今は我慢しろ」
レイシアの意外な一面に霧夜は思わず呆れた。そんな様子欠片も見せていなかった癖に内面は案外乙女らしかった。
「レイシア!」
街の郊外へとレイシアを抱えたまま駆け抜けて行く霧夜を引きとめる声があった。
霧夜がうっとおしそうに振り向いた先に居るのは、ガイザーである。あのレイシアがぶちのめして、配下にした《赤鴉》のメンバーだ。
彼は傷だらけのレイシアとそれを抱える霧夜を見て険しい顔をしている。
「…その男は、それにその怪我は」
「…詳しい話は、あとよ。ガイザー」
レイシアは霧夜の腕の中で話し始める。
「私には叶えたい野望がある。それを叶えるために私はキレイドアに入る。貴方達が私についてくると言うならばキレイドアに来なさい。全てはそこで話すわ」
不遜な態度でレイシアは言い放った。
それにガイザーが返事をする前に、「アキ、はやく街を出るわよ」という言葉と共にレイシア達はその場から消えていったのであった。
――そしてレイシアと霧夜はルインベルの街を後にするのであった。
第一章は終わりです。