16
レイシアの手の内で、レイシアによって振るわれながら霧夜はレイシアの強さに感嘆していた。
レイシアは速かった。
素早く動いて相手を戦闘不能の状態に追い込む。
それが驚くほどに速い。それでいて的確に人の急所へと攻撃をする。
――戦の神、レオソドアの加護を持つ元最強の軍事国家ラインガルの王家。
その凄まじさを霧夜は肌で感じていた。
その戦いぶりは『最強』と呼ぶのにふさわしかった。
今まで魔剣として生きた百二十年の中で、加護持ちを見た事がある。そして、加護持ちを葬ってきた事がある。
だからこそ、思う。
レイシアの加護が今まで見てきた加護持ちよりも強い事を。
それでいてレイシアがその加護の使い方を熟知している事を。
どうすれば勝つ事が出来るか。
それをレイシアは体で知っている。
それはそれだけ戦いに身を置いていた証。五年前までお姫様として生きていたならば決して手に入る事のなかった経験を積んだという事である。
レイシアの事を警備兵達は、魔剣に狂っていると思っているようであった。
そうして騒ぎを起こしているレイシアを拘束し、魔剣を封印しようと企んでいるように思えた。
しかし、霧夜は決してこんな田舎街にあるような『封紙』などで封じられるような存在ではない。そもそも折角レイシアという面白い少女に出会い、これから楽しくなりそうな所で、他の人の手に渡るのはなんとも嫌だった。
人の魂を喰らいながらも、面倒だなと霧夜は思考する。
負けるとは思っていない。
そこそこ戦えるだけの人が十数人集まったとしても、レイシアを止められるものはそうはいないだろう。
でも懸念はある。
この世に絶対というものはないのだから。
そう、自分が人間として生き、死んでいき、そこで終わると思っていた霧夜のように。
実際に、レイシアに一つの予想外の事が襲いかかった。
「《氷刃》」
それは突如放たれた言葉。
それと同時にレイシアを氷の刃が襲った。
背後からの突然の攻撃だったが、それは霧夜が動いた事によってレイシアに直撃する事はなかった。
《魔法》と呼ばれるものがある。
それは魔力を形にする力。
それは加護同様、使える者の限られているものだ。生物は誰でも魔力を持っているものだが、《魔法》を使える者と言えばそうはいないのである。
それには、生まれながらの才能が関係する。
その《魔法》をレイシアに放ったものは、まだ若い少女だった。
色白の肌の茶髪の愛らしい少女。彼女の耳は尖がっていた。
それは彼女がエルフ、もしくはハーフエルフであるという証である。
エルフは加護持ちが生まれる確率が圧倒的に低い。しかしその代わりに彼らの中には《魔法》を使える才能を持つ者が多く生まれる。
何故だか不明なのだが、加護持ちは《魔法》が使えず、《魔法》が使えるものは加護持ちではないのである。
よってレイシアは《魔法》というものを使う事は出来ない。
「あんた、誰よ、私の邪魔をするの?」
レイシアが目を細めて少女を見た。
少女は睨みつけるようにレイシアを見ている。
「ああ、悲しき事よ。この女性の心は既に魔剣に支配されてしまっていらっしゃるのでしょう。神よ、我が主よ。この哀れな女性の不幸を取り払うために私に力を授けてください」
表情を変えないままに放たれた言葉は、酷く宗教的な言葉だった。
その言葉を聞いてレイシアは眉を顰める。
(…聖教会が来てたのか。最悪ね)
《俺があれだけ面白い奴が来るといいと思って言いふらしてたからな。自分が此処に居るって》
(あんたのせいね。責任もってあれどうにかするのに手を貸しなさいよ)
《元から貸すつもりだっつーの。お前が死んだら折角楽しめそうなのがチャラになるだろうが》
心中でレイシアと霧夜はそんな会話を交わす。
聖教会――それはこの世界においての最大宗教である。他の考えを持つ者を徹底的に排除する、過激な集団だ。
彼らの崇める神は光の女神・レイナシア。
アルラミネの加護を持つ人は聖教会において『神子』として保護される。
聖教会は魔剣の存在を認めない。どのような手を使っているかは定かではないが、魔剣を彼らは回収し、破壊するという噂である。
霧夜は正直、聖教会に回収されるのは勘弁してほしかった。
折角楽しい出来事がこれから起こる事が予想されるというのに、それを見る事なく魔剣としての剣生を終える。そんなの冗談ではない、とさえ思う。
「我が主よ。我が主よ」
神への言葉を虚ろな瞳で言い続けるその人は見ていると酷く盲信的で不気味である。
そして彼女の口から《魔法》の名が告げられると共に、彼女の魔力がその形をなしていく。
普通、《魔法》には詠唱を使うのが一般的であるが、詠唱なしでその人が《魔法》を使えている事から、彼女の《魔法》の才能が高い事が窺えるだろう。
氷で出来た先のとがった物体が幾つも出現する。
それは、人の体なんて簡単に貫いてしまいそうなほどであった。
あらゆる方向から向かってくる氷の刃。
それだけではない。
生き残っている警備兵達が襲いかかってくる。
レイシアは舌打ちした。
《大丈夫か》
(微妙ね。私《魔法》使える人とあんま戦った事ないのよ。でもなんとかするわ)
《ま、ヤバそうなら俺が補助する》
十数個もの氷の物体がレイシアに襲いかかっていく。
レイシアはそれを一瞥するとすぐに行動に移った。
飛び上がる。
上空へと飛び上がったレイシアを追いかけるようにそれは追いかけてくる。レイシアは舌打ちをすると建物の壁に足を付いて方向転換をする。
氷の刃と向き合う形になったレイシアは一閃を放つ。
向かってきたそれを全て破壊し得る抜群のタイミングでレイシアは魔剣を振るった。
その所業に霧夜は素直に感嘆した。
《やるな》
(これ位やれなきゃ国なんて作れないわよ)
《ま、そうだな》
会話を交わす。
その間にもレイシアは命の危険にさらされている。
地上へと降りるそのタイミングで襲いかかってきた警備兵達。彼らの攻撃を跳ね返し、避け、どうしても対処しきれなさそうな場合は霧夜が勝手に動いた。
少女と魔剣の動きはまるで舞うように、洗練された動きだった。
敵の数は確実に減らしている。しかし、それでも多対一という不利な状況は変わらない。何より、この場に《魔法》を使えるものが存在する事が一番の問題であった。
レイシアが警備兵達と攻防を繰り広げている間に、一つの《魔法》がその人によって完成する。きちんとした詠唱をもってして完成したそれが、放たれる。
「《氷大陸》」
現れるのは、巨大な氷の塊。
それはレイシアのすぐ頭上に出現する。
そしてそれの大きさはとんでもないものである。それの標的はレイシアだけではなかった。
レイシアを捕らえようと動く警備兵達も、それの下にいた。
それは、その氷の塊は、警備兵達もろともレイシアを押しつぶした。
《魔法》を使えるものは加護を持たない。
加護を持つものは《魔法》を使えない。
加護により圧倒的な戦闘スキルを持つレイシアも《魔法》は使えない。
どうあがいてもそうなのだ。何か理由があるのかもしれないが、現在その理由を知るものはいない。
レイシアは《魔法》を使える者と遭遇したのは、数えられるだけである。
それ故にレイシアは《魔法》というものをよく理解していなかった。
だからこそ、レイシアは驚いた。驚いて咄嗟の行動が遅れた。
それが致命傷となったのである。霧夜が《おい!》と声を上げながら対処しなければ息絶えていただろう。
レイシアが行動に遅れたのを見かねると霧夜は勝手に動いた。
上空から降り落ちるそれに向かって、一閃を解き放つ。
レイシアの上空の僅かな部分のみを霧夜は斬り抜いた。
それが落ちてくる。横はまだ押しつぶされる範囲内であり、避けられない。一瞬行動の遅れたレイシアは霧夜が斬り抜いた僅かに落ちてくる丸い氷の部分に向かって、魔剣を振り上げた。
そしてそれを粉砕するが、安心するのはまだ早かった。
落ちてきた氷の欠片は、レイシアに向かって降り落ちてきた。
普通の氷であるならば、何も問題なかった。痛みは伴うだろうが、氷の塊が落ちてくるよりは断然マシであった。
だが、それだけでは終わらない。
この場に存在する《魔法》を使う者は、《魔法》を使う技術と才能を驚くほど持ち合わせていた。
レイシアへと降りかかった氷の欠片。
それはレイシアの体に触れると同時にレイシアを凍らせていった。触れた部分が凍っていく。結果としてレイシアは体の三分の一が氷漬けの状態にまでなっていた。
右手首が、左足が、右腰が、右頬が、左肩が、凍っていた。
それでは動く事もままらならない。
魔力によって形成された氷である。普通のものより簡単には解けない。
レイシアの周りを囲っていた警備兵達は氷の塊に押しつぶされて、その命を失わせていた。
それを考えればレイシアは生きている事自体が幸いと言えた。
鎧を身につけ、兜を被っているにも関わらず、内側まで見事に凍っていた。
そんなレイシアを冷たい目で聖教会からの使者は見つめていた。
「しぶとい」
不機嫌そうな声を上げると彼女は手を振り上げる。また氷の刃が出現される。その数は有に二十を超えていた。
それは動く事もままらないレイシアにはなす術もないものである。
「…ふざけんじゃないわよ」
レイシアは吠えた。
このままでは死ぬ。確実に命が刈り取られる。幾ら加護持ちだからとは言っても、死なないわけではない。寧ろレイシアは圧倒的な戦闘スキルがある事以外は普通の人間と大差ない。
でもそんなの認めたくない。いや、認められない。
此処で死ぬわけにはいかない。死ねない。
叶えたいと願った野望がある。それを叶えるための一欠片――魔剣を手に入れるという事に成功したばかりなのだ。
《あー、仕方ねぇな》
霧夜を地面に突き立て、なんとか動こうとしているレイシアに霧夜は面倒そうに口にした。
《此処で、お前に死なれても俺が面白くない》
霧夜がそう口にした直後、氷の刃がレイシアに襲いかかろうと迫ってきていた。
それを横目にレイシアはくそっとでも悪態をつくような表情を浮かべていた。
もう無理か、と思うその時、突如としてレイシアに襲いかかろうとしていたそれが何かに押されるかのように地面へ落下した。