14
霧夜は物思いにふけていた。
レイシアとメナトの会話を聞きながら、故郷というものを思い出していた。
普通に両親が居て、姉が居て、幼馴染が居て、友達が居て。
今の彼を知るものは納得しないだろうが、暁霧夜は人だった頃人畜無害な平凡な少年だった。
普通を体現したような少年、人に優しく出来る平凡な少年。
今からは想像も出来ない性格だったわけである。
彼は昔の人間だった頃の自分の事があまり好きではない。というのも、昔の彼があまりにも人を信じすぎ、あまりにも純粋すぎたからだ。
それ故に彼は人間として死亡し、絶望したのである。
真っ白な心は案外すぐに染まりやすい。純粋だったからこそ、ちょっとしたことですぐにそれは真っ黒に染まってく。
今の性格の曲がった彼は、昔の自分の人畜無害な様に嫌気がさす。
でも、昔の自分に嫌気がさしたとしても、彼は人間だった頃の記憶を酷く大切にしていた。
人間として生きた期間なんてたった十四年程度である。魔剣になってからの百二十年に比べると短い。だけれども、幼いころの記憶というものは人にとって重要だ。
それは人の性格を形成する大事な期間であり、幼いころの記憶というものは誰でも少なからず覚えているものである。
『災厄の魔剣・ゼクセウス』と呼ばれる彼とて、それは例外ではない。
明確な人格がそこに宿っているからこそ、余計に人間だった頃の記憶は彼にとって大切だった日々なのだ。
もう戻れない日々を思って、心を揺らす。
そんな女々しい事、彼はしたくない。だけれども過去を思い出すとその頃に戻りたくなる事が少なからずあった。
――少なくとも人間だった頃、一人の人間と仲良くしさえしなければ彼は魔剣になる事はなかっただろう。
この世界で魔剣になる事もなく、平凡に生き、平凡に人生を終えた事だろう。
それでも良かった。そんな未来があったなら、きっと彼はそちらを選んだだろう。
でも現実として彼は死亡し、魔剣になった。
それは変わらない事実。
だからこそ、それを受け入れた。変わらないなら魔剣として楽しく生きようじゃないかと考えた。
そう、その姿こそ、『災厄の魔剣・ゼクセウス』。
過去を振り切った人間が魔剣として生きる事を決めた姿。
助けを求めても誰も助けてくれず、そして人間として死亡した男の末路。
流されるままに生きて、人間として死亡したからこその姿。
《囲まれちまったな》
霧夜は周りを囲む武装した男達を前にして呑気にレイシアの心中で声をあげていた。
その様子に焦りは全くない。
「メナト、どういうつもり?」
霧夜だけではなく、レイシアに関しても顔色一つ変えなかった。レイシアは鋭く目を細めて、メナトを見る。
その右手では霧夜の柄を握っていた。
「…レイシア姫が、悪いんです」
メナトの声は震えていた。
「レイシア姫が、僕らを見捨てようとするからっ。僕らにはレイシア姫の力が必要なのに。戦神、レオソドアの加護を持つ貴方の力がっ」
メナトだけではない。周りを囲む男達もレイシアの事を悲痛そうに見つめている。それは心の底ではレイシアと敵対したくないという思いがある事を見てとれた。
「ふぅん? で、この人達は全員元ラインガルの民かしら?」
レイシアはそういいながらあたりを見渡した。
「そうですよっ…。皆、ラインガルを取り戻したくて集まってるんですっ。貴方はそんな思いを無駄にするんですか! お願いです。レイシア姫、僕達と一緒に取り戻してください。ラインガルを!」
泣き出しそうに顔を歪めて、メナトは必死にレイシアに言い募る。
だけど、その声はレイシアの心に届く事はない。
それはレイシアの瞳が語っていると霧夜は思う。レイシアの目は一切迷いを生じなかった。その海のように青い瞳は、強い意志を示していた。
「だから、何」
ため息交じりの冷たい言葉が、その場に響いた。
真っすぐにラインガルの民だった人々を見て、只レイシアは言った。心からの本心であろう言葉を。
霧夜はその清々しいまでにはっきりとした態度のレイシアに思わず笑った。
《くははっ、やっぱ面白いわ、お前》
敢えて心中ではなく、周りに聞こえるようにその声は放たれた。
突然の笑い声、この場を楽しんでいるような声に、メナト達は目を瞬かせた。何処から声が聞こえてきたのだろうという疑問がその顔には表れていた。
「何、喋ってるのよ。メナト達が驚いているでしょう」
《はっ、いいじゃねぇか》
そう口にする彼は酷く楽しそうだった。
魔剣として楽しく生きると決めてから、様々な人の手に霧夜は渡った。
こいつは面白いかもしれない、そんな期待と共に仮契約を行ったりも幾度としてきた。だけれども全部全部ありきたりで、詰らないと思う事が多かった。
飽き飽きしてた。
詰らなかった。
だから、霧夜はわざわざ自ら『封紙』に封印された状態を偽装して、闇オークションなんてものに出荷されてみようと企んだ。
その後、盗まれたら面白い事になるんじゃないかとわざと盗まれ、結果としてレイシアの手に渡った。
その事を霧夜は幸運に思う。
何故ならレイシアと霧夜が出会ってまだ数時間も経過していない、そんな状況でありながらレイシアは霧夜にとって予想外の光景を、行動を沢山見せてくれたから。
「レ、レイシア姫、それは」
「魔剣よ、魔剣。『災厄の魔剣・ゼクセウス』よ」
ふふっと笑って、レイシアは得意気に言い放つ。
メナトはその言葉に顔色を徐々に青くさせた。
レイシアと和やかな会話を交わしているから忘れがちになるだろうが、霧夜は『災厄の魔剣・ゼクセウス』と呼ばれる凶器である。
数多の人の魂を喰らい、力を蓄えた凶悪な魔剣というのが、彼に対する一般常識である。
「…ま、魔剣を自分のものにしたのですか」
「そうよ。というか私はさっき魔剣を手に入れにきたっていってたじゃない」
「いえ、本当に手に入れられるとは…」
《ちげぇよ。俺は誰のものにもなってねぇし》
レイシアとメナトの会話に割り込むのは、話題に上がっている彼自身であった。
確かに霧夜はレイシアを使用者として認めた。人間だった頃の自分の名前を明かしてまで契約を認めた。
だけどそれは別にレイシアの所有物になったつもりではないのだ。
寧ろ感覚的には共闘者、いや、仲間、それか野望を叶えるための只の目的を達するために結ばれた関係といった方が正しいだろう。
「え、あ…」
「周りが混乱してるからアキ、ちょっと黙って」
《はいはい》
面倒そうに、だけれども了承の言葉を口にした彼は実際に周りに聞こえるように喋る事をやめた。
メナトや周りの男達は『災厄の魔剣・ゼクセウス』が平然と会話に混ざっている様に理解出来ないものを見るような態度である。
多くの魔剣は自我を明確に保っていないものが多い。それ故にこのように人のように喋る魔剣というのは珍しいのである。彼らが驚くのも無理のない事だった。
「さてと、メナトを含むラインガルの元国民達、私は貴方達と共に国を奪還しようとは思わない。これが私の本心。だから、やるなら本当勝手にやりなさい」
そういってレイシアは霧夜を鞘から抜く。
真っ黒な剣身が、露わになる。
それを右手で手にしたまま、レイシアは続ける。
「私をどうしても奪還戦の仲間に引き入れたいっていうなら、私は容赦しないわ。私は私のしたい事を邪魔されるのが大嫌いなの」
そう、言い放ったレイシアは『災厄の魔剣・ゼクセウス』をメナト達へと向けている。
邪魔をするならば斬る。
そうその目は、その口調は、その態度は言っていた。
それはレイシアのラインガルの民達との決別を強く表していた。
強い意志のある青い瞳は射抜くかのようにメナト達を見据えていた。
そこには人を斬る覚悟があった。人を殺す事を躊躇わない意志があった。
「う…あ」
それにメナトは怯む。
国を奪還するという目標を口にしていたとしてもメナトはまだ少年である。レイシアのその強い瞳と、こちらを殺す意志にメナトは怯えを示していた。
声にならない声を上げるメナト。
それを横目にレイシアは問いかける。
「どうするの? 私と戦う? 戦うなら、殺すわよ」
そう告げたレイシアに周りの男達は一瞬ためらったように固まって、そして――レイシアに飛びかかった。