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レイシアは駆ける。
助けてくれてありがとうございます、なんてお礼を言おうとしている女性なんて放置して駆けだす姿は何とも冷たい。
レイシアにとって自身が助けた女性の生死なんて至極どうでもよい事だった。
今のレイシアが関心を持っているのは『災厄の魔剣・ゼクセウス』の事だけだった。どうしてもそれを手に入れたい、そう願うレイシアは他の事を思考する事を放棄した。
地面を強く蹴って、一心にそれを求める。
深く考える事を得意としない彼女にとって、あの魔剣を手にするための最短の方法は奪い取るという単純なものだった。
魔剣に引きずられるように駆けているアイドのスピードも尋常なものではなかったが、レイシアはそれを上回っていた。その素早さは加護も一つの理由であるだろうが、それだけではない。
加護があったとしても、それで驕って放棄するのであれば、加護持ちだろうと加護なしに負ける事がある。レイシアは、強大な加護を持ちながら強くなる事を努力し続けた女だった。
それ故に、彼女は強い。
今だって充分にレイシアは普通の人からは考えられないほどの力を持っている。彼女自身、誰にも負けるつもりはなかった。そして、『強くなる』と誓ったその日から、彼女は一度も誰にも負けた事がない。
それは、言うなれば執念の賜物だ。
誰にも負けない。
誰よりも強くなる。
その執念による鍛錬――、彼女の体は、彼女に答えてくれた。
誰よりも強くなる、という執念は自分がこの世界でちっぽけなたった一人の人間だと知っているが故の執念だ。
自身が強い事実を彼女は知ってる。だけれども自身が最強ではないという事実も彼女は知っている。
誓ったその日から負けた事がない、だからといってこれからも負けないという保障にはならない。彼女の頭には驕りはない。
レイシアは、敗北を知っている。
この世が、何があるかわからない事を知っている。
そう、だからこそ、彼女は強い事にこだわり、強さを誰よりも求めている。
現状の自分に彼女は満足していない。幾ら敵を葬れるほどに自身が強くなったとしても、それではまだ駄目なのだ。
野望を、彼女自身の野望を叶えるために、強い事は必要不可欠だった。
そう、もっと、もっと強くなるために。
自身の野望を夢から現実へと近づけるために。
彼女は魔剣を求めてた。
「みぃつけた」
街を駆け抜けるレイシアは視界にアイドと魔剣を捉えると何ともあくどい笑みを浮かべた。
何処か楽しげなその声は酷く不気味だった。
レイシアは笑い、そして一気に跳躍し、アイドの目の前へと着地した。
突然現れた人影にアイドは一瞬怯む。しかし、その手の中の魔剣は待ってましたとでも言わんばかりの存在感を放っていた。
「あ……ああ」
魔剣を手にしている自分を圧倒するかのような未知の存在であるレイシア。
アイドにとってみれば、レイシアは未知の怪物。その怪物を前にアイドの思考は停止していた。
頭が真っ白になったアイドは、自身の頭を支配していた破壊欲が徐々に引いていくのを感じた。
魔剣という力を手に入れ、その力をふるまう事が出来る快感。
強大な力を手に入れ、それにより溢れた破壊欲。
――恐怖心は、時に人の頭を冷静にさせるものである。
カランッ。
という大きな音と共に、アイドの手から魔剣が滑り落ちた。
魔剣が音を立てて、落ちた。
それは地面へと突き刺さる。
「あぁああああ」
それを落としたアイドは膝をついた。
その表情は絶望に染まってる。彼は泣き叫ぶように声を上げ、悲痛にその顔を染めていた。
恐怖心により、快感で埋まっていた彼の脳内に隙が出来た。それによって、アイドは自覚した。理解した。
自分が、何をしたかを。
自分が、何を切ったかを。
力に酔いしれ壊れたアイドは一度冷静に戻り、そしてまた壊れた。
圧倒的な絶望に。
救いの手を求めていた。が、此処に居るのはレイシアと魔剣だけである。
彼らがアイドに救いの手を差し伸べる事などあり得ない。
地面に落ちたそれは思った。
(つまんねぇの。喰うか)
思考した次の瞬間には、それは動いていた。
誰の手も借りる事もせず、それは地面から自分で這い上がった。そして絶望に酔いしれ、頭を下げたままのアイドに背中に無情にも突き刺さる。
「なっ――」
アイドが声を上げた。何が起こっているか理解出来ないといった声を。
魔剣の周りを黒い魔力が渦巻いた。不気味に揺れるそれは次第に大きくなっていく。
それは、彼の食事の始まりの兆候。
真っ黒に蠢く魔力がアイドを取り囲んでいく。そしてそのまま――、その魂を喰らいにかかった。
その様子をレイシアは黙って見ていた。
止める様子は一切ない。顔色一つ変えずに只、レイシアはその食事を見ていた。
一切、視線は逸らさない。
自分と同じ人が、その魂を魔剣に喰らわれる様子を見つめ続ける事が出来る。
加護持ちとはいえ、そんな人間が居た事、それに対して食事を行いながら彼は歓喜していた。
(やっぱり、この女面白そう)
アイドの魂を貪る事に対して、彼は何も思っていなかった。
彼の感覚としては食事をしながら面白い女の事を考えている程度の事なのだ、アイドの魂なんて。
食事を終るとそれの周りを渦巻いていた黒い魔力は、それの中へと戻っていった。
それは、アイドの体から自身を引き抜くとじっとこちらを見続けるレイシアの前へとやってきた。
それは、宙に浮いていた。
レイシアは、魔剣が宙に浮いているにも関わらずやはり顔色一つ変えなかった。
ただじっと、見つめていた。そして、その顔に表情が現れる。
それは、恐怖で歪んだ顔ではない。
それは、得体のしれないものを見る顔ではない。
レイシアは、笑っていた(・・・・・)。
被っている兜から垣間見える口元は、確かに弧を描いていた。
魔剣は、それを見て声を上げた。
《くははっ、おもしれぇ》
魔剣は笑った。
笑い声を上げた魔剣に、レイシアは一瞬目を瞬かせた。
流石に声を外に響かせられるとは思っていなかったらしい。そんな驚いた様子のレイシアとは正反対に、魔剣は酷く楽しそうに声を発する。
《お前、俺を使いたいか?》
真っすぐに自身を見つめる女に、彼は問いかけた。心から、楽しそうな不気味な笑い声を上げて。
魔剣の問いかけにレイシアは、沈黙したまま、ただ魔剣を見続けていた。
海のようにすんだ青色の瞳は、まるで玩具を見つけた子供のようにキラキラと輝いている。
魔剣の誘い。
それは本来、危機感に満ちた危ういもののはずである。
だけど、誘いをかけられたレイシアの心に不安はなかった。
ただ、レイシアはそれに、それの力に釘付けだった。
人気のない、薄暗い裏路地の中で魔剣と少女は見つめ合う。
レイシアはしばらく沈黙した後、場違いなほどに嬉しそうに声を上げた。
「ええ。私は貴方を使いたいわ」
笑ってる。
心から嬉しそうに、楽しそうに、期待に満ちたように。
それが人の魂を喰らったその現場を見てすぐだというのに。
すぐ足もとには、魂の抜けたアイドの体が転がっているというのに。
それは、明らかに普通の感覚ではない。
彼女は魔剣と相対するそれよりもずっと以前から、歪んでる。魔剣が人の魂を見ても動じないほどに、その心は歪んでる。
《はっ、いいぜ。俺を使ってみろよ》
それもまた笑って告げる。
レイシアはその言葉に頷くと、それの柄をつかんだ。
それに触れた瞬間、レイシアの心に響くのは魔剣の囁き声だ。
アイドにやったような暗示をそれは、レイシアにも行いだした。殺せ殺せと、自分の力を使えとずっと心の中で囁き続ける。
「黙れ」
魔剣の囁きに対する返答はたったそれだけだった。
冷たい声。何処か怒気を含んだ声。戯言を口にするなとでもいうようなその言葉に、魔剣は笑い声をあげている。
《くははっ。俺に黙れとか言う奴はじめだ》
「私は貴方は頭の悪い魔剣ではないと思っていたけれど、貴方も他の魔剣みたいに殺せしか言えない馬鹿なの?」
その言葉は、レイシアがまるで他の魔剣を知っているかのような言葉だった。
《なんだ、お前他の魔剣も知ってんのか》
「ええ。魔剣を手に入れたかったから。でもどれも会話が通じない、殺せしか言えない頭の悪い魔剣ばかりだったわ」
この世界に魔剣と呼ばれるものは数えられるだけしか存在しない。それも全てが曰くつきの、恐ろしい歴史を刻んできたものばかりだ。
強さを求めたレイシアは、魔剣を使う事を望んだ。
この五年、魔剣を使おうと魔剣を求めた。だけれども、手にした魔剣は確かに力を持つものの、「殺せ」しか言えない理性のないものばかりだった。
そんな只「殺せ」「倒せ」などといった単純な事しか言えない魔剣などレイシアは要らなかった。その程度の魔剣なんて、必要ないと思ってた。
彼女は頭の悪い、魔剣達の「殺せ」という言葉を酷く鬱陶しく思っていた。常にその鬱陶しさを感じ続けなければならないのかと思うと、ちょっと力が手に入るとはいっても魔剣ではなく今使っている愛剣を使い続けた方がマシだと考えたのだ。
だからこそ、今まで手に渡ってきた魔剣は全て手放してきた。
《ははっ、何だお前。魔剣と会話が通じないからって手放してきたのかよ。しかも魔剣の暗示を受けながら正気を保ってるとか随分イカレてるな》
それはずっと、笑ってる。
魔剣の破壊欲を煽る暗示は、魔力を使った特別な物である。だから、並みの人はすぐに耐えられなくなる。魔剣の暗示は、精神汚染とも言えるものである。幾ら肉体的に強くても、魔剣の暗示を受けてもなお正気を保ったままで居られる人はよっぽど精神が強いか、イカレているかのどちらかしかない。
そしてレイシアの場合は、後者だと言えた。
「イカレてようと別にいいのよ」
《つか、俺と会話しようとした奴とかお前が初めてだ。普通の奴ならまず魔剣と会話しようともしねぇしな》
そもそもの話、こうやって魔剣とまともに会話を交わす時点でレイシアは変わっていると言えた。普通の人ならば、魔剣と会話をかわそうとはまず思わない。
「そうね。私もこうやってまるで人と話してるみたいに魔剣と会話が出来るのははじめてよ。今までの魔剣は馬鹿みたいに同じことしか繰り返さなかったもの」
《はは、やっぱ面白いな、お前。で、何でお前そんな魔剣ほしかったわけ?》
魔剣は笑って、聞いた。
「お前じゃないわ、私はレイシアと言うの」
《ふぅん。光の名を持つ女が俺の使用者ねぇ。で、何で俺をそんなに使いたいわけ?》
軽い調子で問いかける魔剣の口調はとてもじゃないけれど、『災厄の魔剣・ゼクセウス』の声には見えない。
どうやらアイドに殺せ殺せと魔剣らしく暗示していたのは全部演技らしかった。
魔剣と少女は、普通に会話を交わしている。周りからすれば目を剥くほどの光景だろうが、魔剣と少女は平常運転だった。
「私には、野望があるのよ」
《野望ねぇ? そこは夢とかじゃないのかよ。何だか悪巧みみたいだぞ。面白いからいいけど》
それは、レイシアに興味津々なのか心底楽しそうに声をあげていた。レイシアを使用者と認めたわけなのだから、心に直接語りかける事も出来るだろうに何故か魔剣は声をあげていた。
「ええ。悪巧みよ。私はね、国を作りたいの」
《国?》
魔剣は思わず聞き返した。それは軽く言うべき事ではない。
「ええ。国よ。誰にも負けない最強国家をつくりたいの」
レイシアは清々しいまでの笑顔でそんな野望を言い放った。
『災厄の魔剣・ゼクセウス』は、明確な自我のある珍しい魔剣である。
何故なら、魔剣というのは元から明確な自我がないか、あったとしても人の魂を喰らう事によってその精神を崩壊させたものばかりだからである。
『災厄の魔剣・ゼクセウス』、彼は百二十年の剣生の中で数多くの魂を喰らい続けた。だけど彼は自我を保ったままだ。
そして、明確な自我があるからこそ彼は退屈していた。
面白い事をずっと求めていた。楽しいと思える事をずっと探してた。
そう、そのために、自分が面白くなるためにわざわざわざと『封紙』に封印された状態のようなものを作り出していたような愉快犯――それが、彼である。
だからこそ、今彼は歓喜していた。
レイシアが予想以上に面白い事実に。
レイシアを使い手にしたら面白い事が起こるという予感に。
国を作るというのは、簡単な事ではない。寧ろ目標と掲げても出来る事ではない。それでもその野望を叶えたいがまでに魔剣に手を出した。
その事実だけでもレイシアが本気な事が窺える。
本気で国を作ろうと心から思っている事、それだけでも彼は面白かった。
《俺を手に入れたからって国はつくれねぇぞ?》
「知ってるわ。さっき言ったでしょう。私は最強国家を作りたいの。私の強さをもっと高めるために、貴方が欲しいのよ。私はもっと強くなりたい。強くならなきゃいけないの」
貴方が欲しいなどと誘い文句のような事を言っているが、全く色気も欠片もない。
レイシアは只強さを貪欲に求めていた。そして、強くなるための第一歩として『災厄の魔剣・ゼクセウス』を使いたかった。
《くっはははっ。俺は手段かよ。やっぱ面白いよ。でも強くなったからといって国は作れないだろう?》
「いいのよ。とりあえず強くなれば誰にも負けないもの。死にさえしなければどうにでも出来るもの。それに私はね、戦う事しか出来ないもの。戦って勝利して服従させる、それが一番人口を集めるのに手っ取り早いしね」
《ははっ。とんだ脳筋女だな》
「脳筋?」
《脳内まで筋肉でできてるんじゃないかっていうお前みたいな奴の事を指す言葉だよ。俺の故郷では、そういう奴を脳筋っていってたんだよ》
レイシアの言葉に彼は何処か懐かしそうに口にした。それに対し、レイシアは疑問を口にする。
「魔剣に故郷なんてあるの? あ、制作された場所って事?」
《違う違う。他の魔剣はどうだか知らねぇけど、俺は元人間だからなその頃の故郷って意味だ》
「はい? あんた人間だったの?」
《一応な。人間だったのなんて十五年ほどだし、魔剣として生きてる方が長いけどな》
さらっとそれは自分の出自について語った。歴史家が聞いたら飛びつくような内容だが、レイシアは只少し興味深そうに聞いていた。
「面白いわね。何で魔剣になったの?」
《は、俺の事はどうでもいいだろ。それよりお前は何で国なんて作りたいんだ? それも最強国家だなんで、ラインガルのようにでもしたいのか?》
レイシアがラインガルのお姫様だった事など知りもしないそれは軽くそう問いかけた。
「ううん。ラインガルのようにはしないわ。もっと、強くするの。ラインガルのように滅びが来ないように、もっと、もっと力を示して、滅びない国を作りたいの」
レイシアは首を振って笑った。