10
聞こえてきた悲鳴は少し離れた場所からだった。レイシアはその悲鳴のする方へとすぐさま駆けだす。
「ま、待ってください」
レイシアの後ろから、悲痛そうなメナトの声が響く。だけどレイシアはそれに振り向く事さえせず、一直線に向かっていた。
悲鳴を耳にしたレイシアの思考した事と言えば、助けなければなどという正義感に満ちたものではなかった。
只、その悲鳴にもしかしたら『災厄の魔剣・ゼクセウス』に関しての騒動が起きたのかもしれないと期待していた。
レイシアは決して善人何かではない。
人が困っていたら助ける。でも、人の命と自分の願望どちらを取るかと問われればレイシアは自身の願望を取るだろう。
レイシアは、そんな女だった。
レイシアが駆けだした先――、視界に入ったのは、真っ黒な大剣を手にした男だった。赤髪のその青年の姿は返り血に染まっていた。
だというのに、得物である大剣に血が一滴も付いていない事が不気味であった。
そこは広場だった。
人気の多い、住民のにぎわう広場。
普段は人々の笑顔に溢れているはずのその場所に、今響くのは悲鳴である。
誰もが恐怖に顔を強張らせていた。その、青年の持つ真っ黒な大剣を見て顔を青ざめさせていた。
それも当たり前と言えばあたり前である。
その大剣は、明らかに普通とは呼べなかった。
一目見ただけでもそれが恐ろしいものであると人に本能的にわからせるような、そんな雰囲気があった。
レイシアはそれを見て口元を緩めた。
あれが、『災厄の魔剣・ゼクセウス』であると確信したからである。
レイシアは青ざめる住民達の事も、魔剣を手にして明らかに精神が異常な青年の事も考えていなかった。
ただ、『災厄の魔剣・ゼクセウス』を見据え、その存在の事だけを考えていた。
だから、魔剣が振るわれ、若い女性が犠牲になろうとした時飛び出したのは善意からではなかった。
鈍い金属音と共に、レイシアの長剣と『災厄の魔剣・ゼクセウス』が交差した。
片手でそれを受け止めたレイシアは驚いた。加護によって尋常ではない腕力を持つレイシアが、受け止めるのがギリギリなほどそれは重かった。
思わずレイシアは長剣を両手で持つ。
レイシアに向かって魔剣を振り下ろしたアイドは怯んだような表情を浮かべた。
『災厄の魔剣・ゼクセウス』が自分の手元にあり、その力を自由に振舞う事が出来る状態にあるというのに自分の振るった魔剣が受け止められた事に動揺したからであった。
何処か臆した様子を見せたアイドを見逃すレイシアではなかった。
その一瞬を見逃さずにレイシアは動いた。レイシアは跳躍する。
その跳躍力もやはり普通ではなかった。悠々とアイドの頭上を越えた。鎧を身につけておりながらの、その跳躍は加護によるものであった。
一般的に加護とは一つの効果しか与えない。
例えば腕力だったり、例えば手先の器用さだったり――――。でもレイシアは複数の効果を持つ加護を持ち合わせていた。
そう、これこそレイシアの亡き祖国であるラインガルが最強とされた所以。
ラインガル王家の血筋に加護を与えている神の名は、レオソドア。この世界でも最強と称される戦の神である。
その神の与える加護は戦の才能。
ラインガルの王家はその戦の才能により勝利を手にしてきた国だった。
ある王女は自身は戦争では成績を残せるほどに武の才能はなかったものの、軍師としての才能は他大陸にまで名を響かせるほどだった。
ある王は剣術においては右に出るものがいないほどの才能があった。僅か五歳にして王国騎士団の騎士と張り合えるほどであった。
ある王妃は普通の武器の才能はなかったが、暗器に関しては右に出るものがいないほどの使い手であった。
ある王子はどんな重いものでも持ち上げられるほどの怪力で、戦時中その怪力を持ってして敵を圧倒した。
ラインガルは、そういう国だった。
そしてレイシアは歴代でもトップクラスの加護をその身に宿していた。
レイシアにある加護は、正に戦う才能と呼ぶのにふさわしいものだ。
要するに頭で考えて軍を率いるなどといった軍師的な事は出来ないが、敵を倒すなどといった事は簡単に出来てしまう脳筋がレイシアなのである。
「――っ」
アイドの目に何が起こったかわからないという戸惑いが見えた。
目の前にいた女が突然消えた。そしてそれを意識した時にはもうレイシアの振るう剣筋がアイドを捉えようとしていた。
後ろから襲いかかるレイシアの斬撃。
それを止められるはずがなかった。だけど、それは止められた。
――他でもない魔剣、そのものによって。
カキィインという金属音と共に長剣が弾かれた。
魔剣が、動いていた。
アイドの手を借りる事なく、自分だけの力で。
魔剣を握ったままだったアイドの手はあり得ない方向に曲がっている。それに対してアイドが悲鳴を上げない事を見るに、痛覚というものが麻痺しているように見えた。
『災厄の魔剣・ゼクセウス』が自らの力で動くだけの力を持っている事、それを目にして初めて魔剣を見るレイシアは驚いた。
そして、次に魔剣が行った所業にもっと驚愕した。
レイシアの長剣を受け止めた魔剣の周りを突然、黒い魔力が渦巻いたのだ。
そしてそれは、次の瞬間、周りの全てを吹き飛ばした。
文字通り、全てをである。
レイシアも突然のその魔力に飛ばされた。どうにか、着地したものの飛ばされた何名かは地面に突き刺さったり、ガラスに体を突っ込ませ、命を失っていった。
着地したレイシアは魔剣に引きずられるように走り去るアイドの姿を捉えた。
その後ろ姿を見たレイシアはすぐに体勢を立て直して、追いかけるのであった。
*
アイドは裏道を駆けていた。
目は虚ろに揺れ、正気など彼には欠片もない。
裏道には人が少ない。
とはいっても皆無なわけではないので、アイドの姿を見た者はすぐさま逃げ出した。
建物と建物の間の細い道、そこをふらふらとしながら移動する。
アイドは『災厄の魔剣・ゼクセウス』に引きずられるように歩いていた。
正気を失ったアイドの心には二つの感情が溢れだしていた。それは、人を切りたいという欲望とレイシアに対する恐怖である。
魔剣を手にして、誰よりも圧倒的な力を持っているはずの自分が止められた事、それがアイドにとって信じられなかった。
自分は圧倒的な力を手に入れたはずだという思い。ならばそんな自分を止めたあの少女は何なのだと言う疑問。未知なる存在に対して、人は恐怖を無意識に覚えるものである。
事実アイドは魔剣を使用している自分を圧倒するようなレイシアに対する恐怖を隠せないでいた。
そしてアイドとは別に、『災厄の魔剣・ゼクセウス』もまたレイシアについて思考を巡らせていた。
(俺を普通の長剣で片手で受け止める女か…)
但し魔剣の思考はアイドとは全く正反対であった。その心はレイシアに対する好奇心で満ちていた。
(俺が魔剣になって百二十年…。加護持ちは何度か見たけど、あの女はその中でもとびっきりの加護の強さだな)
『災厄の魔剣・ゼクセウス』は思考を巡らせた。
魔剣として生きた百二十年、その間に彼は多くの人を見てきた。その中に加護持ちは幾人か存在していた。
加護持ちの人と加護なしの人の差というものは、大きい。そしてこの世界で英雄として名を響かせているもののほとんどはなんらかの加護持ちである。
魔剣は心の中で笑う。
『災厄の魔剣・ゼクセウス』は面白い事に何時だって飢えている。
その剣生に寿命というものはない。
彼に自我があるからこそ、余計退屈を感じている。彼の性格故もあるだろうが、彼は自分が面白ければ何でもよかった。
人が死のうが、使用者が自身を犯罪に使おうが、魔剣である彼にとってどうでもよい事だったのだ。
只、彼は楽しみたいだけだった。
「あぁあああ」
アイドが喚いている。
自分の頭の中が真っ白になって、何を口にしていいかわからないようで、思わず口から出たうめき声。
言葉にならない声をあげてアイドは歩く。
ふらふらと、目的もなく。
時折心配したように声をかけたものは問答無用で魔剣によって命を奪われた。
べっとりとした返り血はいつの間にか『災厄の魔剣・ゼクセウス』に吸い尽くされ、姿を消した。
自分の体(剣身)に血がついているのが不快というという理由で彼は血を吸い尽くす。
血肉を断ち切るという行為やその魂を喰らうという行為は魔剣の力を増幅させる事である。百二十年もの間、幾人もの人を切り、魂を喰らってきた彼の魔剣としての強さは魔剣の中でもトップクラスと言えた。
それは百二十年という魔剣にとっては短い歴史の中で、それだけ血肉を貪り、魂を喰らってきた証。
『勇者』を喰らった魔剣――それは他に例を見ない。
というのも『勇者』は数百年に一度現れた『魔王』を倒すために現れる存在。その存在の数は少ない。
そして『勇者』が大抵、『人間』である事も『勇者』を喰らった魔剣が他に例がない一つの理由である。
『人間』はこの世界では長くて九十年、平均寿命は六十代後半である。世界でも魔剣の数は限られている。魔剣が新しく生まれるなんて数百年に一度、いや千年に一度ほどである。それでいて、いつの間にか歴史から姿を消した魔剣も存在する。
そんな魔剣がたまたま『勇者』が出現した短い期間に『勇者』と接触出来るか否かと考えれば接触出来ない確率の方が圧倒的に高い。
だというのに『災厄の魔剣・ゼクセウス』は『勇者』と接触し、その魂を喰らった。
それが、偶然か否か。
何故、『勇者』を喰らったか。
それは、きっと当事者にしかわからない。その当時を詳しく知る者など今は生きているかどうかも怪しい。
当時の『勇者』と『災厄の魔剣・ゼクセウス』の間にあった出来事を解明しようとする歴史家は存在する。
しかし、幾つか説は上がるものの、明確な証拠はない。
そういう歴史家は、魔剣本人にそれを聞くという発想が頭からないのである。一番手っ取り早い方法は明らかにそれだというのに。
「あああああああぁああああああ」
うめき声が聞こえてきても、魔剣は興味なさ気に何も反応を示さない。
それどころか、魔剣は何とも酷い事を思考していた。
(あーあ、もう俺が殺せって暗示しなくてもこいつ狂ってるしなぁ。つまんねぇの。わざわざ狂えばいいと思って色々言ったのにさ。こんなにはやく狂うとかメンタル弱すぎだろ)
『災厄の魔剣・ゼクセウス』は魔剣であるからという理由関係なしに、性格が悪かった。
彼はアイドが予想外に簡単に狂ったため正直面白くなかった。
(……こいつ、喰うか? いや、でもこいつはつまんねぇけどあの女は面白いからしばらくこいつに使われておくか。そっちの方が楽しそう)
彼は思考する。どうすればもっと楽しくなるか、面白くなるか。
(折角俺を使わせてやってるんだからすぐにこいつが殺されるの面白くねーと思って一端引いたけど、あの女と相対した方が面白いかもな)
『自分を使わせてやっている』なんていう上から目線の思考故に、一端彼は引いた。
だけれども、相対した方が面白くなったかもしれない。それを思って、先ほど引いた事を少し後悔する。
(今から戻るか? いや、あの女、なんとなく俺の事追ってきそうな気がするな。なら、いいか)
彼は、自身を見たレイシアの目を思い出して『追いかけてきそう』と直感的に考えた。だからもう、いいかとそのまま真っすぐアイドを進ませるのであった。