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ラインガルと呼ばれる国があった。
西のエヴァント大陸最大の軍事国家。最強の国。
そう昔は囁かれていた国。
加護を与えられた王家の引き入る軍は最強というのがふさわしい働きぶりをしたものだった。
国土も広く、栄えていた大国。
でも――、今はもう存在しない国家。
ラインガルは滅んだ。
僅か五年前にその国は姿を消した。
元々国土は広くてもラインガルは資源が豊かではなかった。農業の出来ない地帯しかもたなかった小国が、周りの国を侵略していく事によって栄えていった大国――それがラインガルだった。
ラインガルの歴史は闘いの歴史――、歴史家がそう称するほどにラインガルは戦で栄えた国だった。
しかし当時の王はそれを拒んだ。
戦い、領土を増やす事をしなかった。
元々当時の王は加護が弱かったのもそういう考えに至った一つの理由だったのだろう。飢饉が起きなければそれでも良かったかもしれない。
だけど大きな飢饉が起きた。
人を死に至らせるに充分な飢饉だった。
王はそれをどうにかしようとした。でも戦を起こそうとはしなかった。豊かな領土を、食料を周りから奪おうとはしなかった。
その事に国民は不満を抱いた。
そして他国がそそのかした。
その結果、王と王妃は殺害された。そして唯一の子であった王女は、レイシア・ラインガルは姿を消した。
表情の消えたその顔を見て、メナトは笑った。
それは、人懐っこい年相応の笑顔ではなかった。
「やっぱり、貴方はラインガルの姫、レイシア様だったんですね」
笑ってる。だけれども泣きそうな顔。
「お前は誰?」
レイシアは問いかけた。その顔にはまだ表情はない。無表情で、警戒するように問いかけた。
「僕は、僕と母さんは…、元ラインガルの民です」
それを聞いてレイシアは何とも言えない感情を抱いた。
そして思い出した。メナトが五年前にこの街に流れ着いたと言っていた事を。恐らく王家が滅亡し、ラインガルという国が消滅して他国に流れるしかなかったのだろう。
この五年――、ラインガルが滅んでからレイシアは世界を放浪していた。幸いレイシアは加護が強かった。そのため、どうにか死なずにレイシアは生きて行く事が出来た。
世界を放浪する中で、一度もラインガルの民と会わなかったわけではない。
現在、元ラインガルの国民達は様々な場所に流れ着いている。
「レイシア姫……、貴方は魔剣を求めていると聞きました。もしかして……、もしかしてラインガルを取り戻して、くださりますか」
泣きだしそうな声だった。
懇願するように震えていた。
それに対して、レイシアは無情だった。
首を振った。拒絶するかのように横に。
メナトの表情が、強張った。そしてレイシアに掴みかかった。レイシアはそれを拒絶はしない。受け入れるかのように大人しく肩を掴まれた。
「どうしてっ…。知ってるでしょう! ラインガルが今どうなっているか!」
「知っているわ」
レイシアは答えた。取り乱す様子はない。
ラインガルは今、悲惨といっていい姿になっている。反乱軍は王家を倒してもラインガルという国を消滅させる気はなかった。
寧ろ王家に代わって自分たちがラインガルを率いる、そんな思いだった。
でも彼らをそそのかした他国は違った。
王家が倒し、ラインガルの情勢が不安になっているのを確認するとラインガルに攻め入って、滅ぼした。ラインガルはその国の一部として取り入れられ、民は奴隷にされた。
そこから逃げ出した者はメナト達のように潜んで生きてる。でも捕まったものは過酷な状況にある。
そう、そんな事レイシアは知っていた。
「メナト、私は貴方の願いは聞き届けられない。もうラインガルは崩壊した。例え私がラインガルを取り戻したとしてもお父様達が作ったあの頃のラインガルは作れない。それに私は目的があるの。その目的を叶えるためにラインガルの再建は必要ないの」
だけれども、レイシアはそう告げた。
はっきりと拒絶した。
形あるものはいつか崩れてしまうもの。最強の国家、ラインガルは滅びた。八百年の歴史を持つ国はあっけなく滅んだ。
それはもうレイシアにとって終わった事だった。
レイシアにもう姫という自覚はない。レイシアは叶えたいと願う野望がある。ラインガルの再建よりもレイシアにとってはそれが大事だった。例え非情と言われようとも、それがレイシアの真実だった。
メナトは泣き崩れた。
膝を地面について。
「……ラインガルを切り捨ててまでっ。なにを……叶えたいんですか」
メナトは問いかけた。
レイシアは答えようと口を開く。
「私は――」
だけどその野望は最後まで答えられなかった。
突如、悲鳴と爆発音が響いたのだ。
*
廃墟の中、立っているのはアイドだけ。
周りに居た人々は、死んだ。アイドの手で殺された。アイドはそれが大切だった仲間達だとは理解しない。
彼は力に飲まれてる。
廃墟の床にべったりとこびりついた真っ赤な液体。血液の匂いが鼻をかすむのも今のアイドは気にしない。
『災厄の魔剣・ゼクセウス』には血液はついていない。いや、ついていたけれどもそれを即座に魔剣自身が排除したというのが正しい。最も魔剣自体の血液がどうにかなっても、アイドは返り血で真っ赤に染まっている。
その場で死んでいる人々は見るも無残な姿だった。
誰もが驚愕と泣きだしそうな顔で、死んでいる。大切だった仲間に殺された人々の心情は堪ったものじゃないだろう。
それは、そんな状況で笑っていた。
笑みを零して、不気味な笑い声をずっとアイドの心の中で囁き続けていた。
アイドは、魔剣という毒に、魅了され、犯された。
正気など既にないアイドに向かって、魔剣は囁く。
もっと力を振るいたいだろうと。もっと大勢の人に力を振るえばいいと。
何処までも楽しげな笑い声と共に、囁いて、誘導する。
アイドはその言葉に従う。
強大な力が手元にある事実。その力を振るえる事。それに対してアイドは興奮していた。自分が切ったものが何かも理解せずに、ただ圧倒的な力を振るえる事が快感だった。
そして、アイドは魔剣に囁かれるままにその血まみれの姿のまま一歩踏み出す。
そして禍々しいオーラを放つ『災厄の魔剣・ゼクセウス』を手にしたまま廃墟の外へと出るのであった。
そして、一人の少女と一つの魔剣の運命が、交差する。