『空がとても青いから』第一章
『空がとても青いから』の第一章です。自殺した明里のことを調べ始める風切たち。
第一章
六時間目終了のチャイムが鳴る。
「今日はここまでだ。ここはテストに出るから憶えておくように」
古典教師がそう言って教室を後にすると、生徒たちは一斉に騒ぎ出す。
昼のホームルームで自殺した生徒についての話があったが、学年が違うせいもあってか暗い雰囲気になるということはなかった。
ただ、風切はその生徒の名を心に刻み込んでいた。
――明里高斗っていうやつだったんだなー。
心の中でその名を繰り返し、重い頭を机に載せてぼんやりとする。
「おい」
すると丸めた教科書でポコンと叩かれた。
「いてっ。何すんだよ、鷹崎ー」
風切は体を起こし、そちらを向く。
「お前、授業を聞いてたのか?」
鷹崎は腕を組み、風切を睨んだ。
「え、まあ、聞いてたはず……」
「数学の教科書で古典を勉強する気か」
「あ」
鷹崎の指摘した通り、風切が机の上に出していたのは数学の教科書だった。
「あー、やっべ、うっかりしてた。つか授業が終わる前に言えよ」
「そこまでしてやる義理はない」
「まあまあ、教科書が違うとか些細なことだよ。そもそも、風切君は古典の教科書さえ出してたら授業を理解できてたの?」
千夜が振り返り、飄々とした口調で言う。
「ん、ちょっと待てよ。それって俺のこと馬鹿にしてる?」
「皮肉を自分で理解できるようになっただけ賢くなったらしいな」
追い打ちをかける鷹崎。
「お前ら、あんまり風切をいじめるなって」
風切の前の席で原石が溜め息をつく。
「えー、だって風切君をからかうと面白いんだもん」
千夜が笑うと、秋葉も「確かに」と頷き後ろから風切の頭をわしわしと撫でた。
「要するに愛され系なんだよ、お前は」
「なっ!」
その言葉に過剰反応したのは原石だ。
「千夜は風切のことが好きなのか?」
そう尋ねる原石の顔は赤い。彼の好意のベクトルがどこを向いているのかすぐにわかる態度だった。
千夜は「やだなー」と言うと、
「私が風切君のことを好きだったら、君は私のことを嫌いになっちゃう?」
と、小首を傾げる。
「おお、プロの技だ! さすが小悪魔千夜!」
秋葉は笑って手を叩き、自分もからかわれていることに気付いた原石は赤い顔を更に赤くして固まる。
「プロの技はいいけどさ、俺を巻き込まないでくんね?」
風切はガクッと肩を落とす。
「くだらんな」
鷹崎は肩を竦めた。
生徒たちが教室を出ていく中、入ってくる者が一人。
茶色の髪をした目付きの悪い男子生徒は、
「すいません、風切先輩はいますか?」
と、誰が相手というわけでもなく口にする。
風切は「俺か?」と、立ち上がった。
その反応に気付いた少年はすたすたと彼らの方へ歩み寄る。
「あの、平井康一郎といいます。ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
真っ直ぐな瞳が風切を射抜く。
風切は髪の色や素行のせいもあり、二年まではよく上級生に呼び出されることがあった。しかし今、この後輩は何の用があるのだろうと首を捻る。
「先輩が明里の自殺現場にいたって、ほんとですか?」
『明里』、『自殺』というワードははっきりと響き、帰ろうとしていた生徒たちもこちらを向く。
「おい、それは今ここで話さなくてはいけないことか」
一番反応が早かったのは鷹崎だった。やや厳しい口調に、平井は一瞬だけ臆した様子を見せる。
だが、彼はすぐに自分を取り戻す。
「確認するにはここに来るしかないと思って。風切先輩がここで話したくないなら場所を移します」
「ま、場所は移した方がいいだろうね。この年頃は好奇心旺盛だし?」
千夜はにやりと笑い、
「いっそ屋上行けば? きっとゆっくり話せるよ」
と、続けた。
平井は千夜を睨み付け、一歩前に出る。
「待て、落ち着け!」
原石は千夜は庇うように腕を回す。
「今の言葉は、俺に喧嘩売ってますよね」
平井の冷たい視線を受けても、千夜はどこ吹く風。
「おいおい、先に喧嘩売ったのはどっちだよ」
秋葉は落ち着いた声で言葉を紡ぐ。
「目の前で人が死ぬってどういうことだか分かってるか? ショックも受ければ周りから注目もされる。ちょっと無神経じゃないか、お前の聞き方は」
ピリピリとした空気を感じ、風切は「あー!」と声を上げた。
「いいっていいって、俺そういうの気にしないし! ま、さすがにここで話すのはあれだけどさ。平井だっけ、お前もただの好奇心で聞きに来たわけじゃないんだろ?」
風切の言葉に、平井ははっとした様子を見せ「すいません」と頭を下げた。
「俺は、明里の親友なんです。好奇心で来たわけじゃありません」
「最初にそう言ってくれればいいんだよー」
風切はとりあえず笑い、平井の肩を叩いた。
「ま、場所を移して話そうぜ。どこがいい?」
「食堂とか、今はあんまり人いないんじゃない」
千夜の言葉に、平井は頷いた。
「じゃあ、食堂でお願いします」
「おう、行くか」
風切は立ち上がり、友人たちの方を向く。
「こういう話はさ、俺だけのほうがいいと思うんだ」
「大丈夫なのか?」
鷹崎はちらりと平井を見る。まだ不信感を拭い切れていないらしい。
「大丈夫大丈夫、俺強いし」
確かに、今まで上級生に呼び出された時は返り討ちにしてきた。
「俺、暴力とか振るうつもりはないですけど」
平井の方も、鷹崎にはあまりいい印象がないようだ。
「ほら、早く行くぜ。平井」
再びピリピリした空気にならないよう、風切は平井の腕を掴んで駆け出した。
残された四人は顔を見合わす。
「厄介事に巻き込まれるに千円」
「俺も」
千夜と秋葉がそう言うと、原石は「賭けをするなよ」と溜め息をつく。
「そもそも、全員同じじゃ賭けにならん」
鷹崎は腕を組み、眉間に皺を寄せた。
放課後の食堂は確かに人が少なかった。数人の生徒がパンを買いに来る程度だ。
奥の方に陣取った二人は、向かい合って座る。
「えーっと、まず、聞きたいことって何だ?」
風切は愛想笑いと共に尋ねる。
平井は先程のように真っ直ぐな視線を風切に向けた。
「明里は、本当に自殺したんですか?」
風切は目を瞬かせた。
「あれは……、自殺だろ」
思い出したくない光景を脳裏に浮かべる。
明里は誰かに突き落とされたわけではない。事故でもない。自分の意思で飛び下りたのだ。
「そうですよね……」
平井は難しい顔で風切から目を逸らした。
「あいつは、死ぬ前に何か言ってましたか?」
「んーと、ちょっと待てよ」
風切は頬を掻き、記憶をたぐり寄せる。
――空がとても、青いから。
その言葉を、思い出した。
「空がとても青いからって、言ってた気がする」
「空がとても、青いから?」
「ああ、何してんだって言ったら、そう返ってきたな」
「他には何かありませんでしたか?」
平井は身を乗り出し、更に問いかける。
「えーと……、思い出せねえ。というか、それだけだったと思う」
「そう、ですか……」
平井は下を向くと、「空がとても青いから」と呟いた。
風切は居心地の悪さに視線を彷徨わせる。
「あのさ、俺が話せることって、これくらいなんだけど」
「あ、はい。ありがとうございました」
平井は我に返り頭を下げる。そして立ち上がると。
「失礼なことも言ったかもしれません。すみませんでした」
と言い切り、食堂を駆け出していった。
風切はそれを見送ると溜め息をついた。
「あー、やっぱつれえわ」
額を押さえて、上を向く。
「人が死ぬところを思い出すって、きついな」
しかし、と風切は平井のことを思い返す。
「親友が自殺するって、もっとつれえんだろうな」
――空がとても、青いから。
「何でそんな理由で死ぬんだ?」
風切の中に疑問が生まれていく。
「俺に何か、できることってねえのかな」
ぼんやりとそう呟いたが、自ら死を選んだ後輩のためにしてやるべきことなどあるのか。
――俺、明里ってやつのこと全然知らねえし。
それなのに、彼のことが忘れられない。記憶が、フラッシュバックする。
思えばほんの一瞬だけ、明里はこちらに手を伸ばそうとはしなかっただろうか。
それが記憶違いなのか、事実だったのかは正直定かではない。
――あの手を、掴んでやりたかった。
そう思いながら、風切は立ち上がった。
「俺はどうにかして、あの手を掴むべきだったんだ」
記憶違いでもいい。それでも、風切は自分のすべきことに思いを馳せた。
伸ばされた手を、拒絶するわけにはいかない。
風切が教室に戻ると、残っていたのは鷹崎と千夜だけだった。
「おかえりー。原石君は部活で秋葉君はバイトね」
千夜は手を振り、そう告げる。
「お前らは?」
「私たちは塾まで学校にいる」
「学校からの方が近いからな」
この二人は帰宅部でバイトもしていない。その代わり、週に三日塾に通っている。塾自体は同じなのだが、大手のため入塾テストでクラスが五つに分かれるらしく、千夜は一番上の、鷹崎は二番目のクラスと違うのだそうだ。
「何か言われたか?」
鷹崎に問われた風切は「うーん」と息をつく。
「本当に自殺だったのかとか、何か言ってなかったかとか、それくらい」
「本当に自殺だったのかってそれ、遠回しに疑われてない?」
千夜の言葉に、「まさか」と風切は笑って椅子に座る。
「そこまで敵意は感じなかったぜ」
「それならいいんだけど」
「俺、ちょっと明里のこと調べてみようと思うんだ」
何気ない口調で言い、それとなく二人の顔を伺う。
「いいんじゃない?」
「そんな暇があるならな」
二人が否定的なことは言わず、風切としてはほっとする。
「それでさ……」
「手伝いならするよー。どうせ暇だし」
「俺は暇じゃない。だが、多少なら手伝ってやる」
風切は思わず二人の手を握ったが、鷹崎はそれを振り払う。
「お前の成績がこれ以上下がるのを防ぐためだ。放っておいたら今まで以上に勉強に身が入らんだろう」
「お、おう!」
「ま、今日はあと一時間ぐらいしか時間ないけど、サポートするよん」
千夜はそう言って立ち上がり、歩き出す。
どこへ行くのかと不思議がる二人の方に振り返ると、にっと笑った。
「この学校の情報屋のとこ」
千夜は先程までいた教室のある南棟の海側、更に南にある二階建ての文化部棟の廊下をすたすたと歩き、一番端にある部屋の前で止まる。
そのドアには『漫画研究会』というプレートが掛かっている。
「ここって、漫研?」
「そう、漫研」
風切の問いに頷くと、千夜はそのドアを開け放った。
「やあ、元気?」
明るく挨拶をすると、三人の女子生徒がこちらを向く。
「あ、海戸せんぱーい! どうしたんですか?」
茶糸の髪をショートツインにした小柄な女子が嬉しそうに立ち上がる。
「安本さんたちにちょっと聞きたいことがあってね。あ、この二人は私の友達の風切君と鷹崎君」
千夜が二人を示すと、安本と呼ばれた少女は、
「安本るるです。よろしく、先輩方」
と、お嬢様よろしくスカートの裾を摘んでお辞儀をする。
「あ、ああ、よろしく」
風切は少し戸惑いつつも右手を上げた。
「で、後の二人が」
「山里瞳です」
「香川リナです……」
瞳という少女は黒髪をショートカットにしており、背が高く意志が強そうだ。
対照的に、リナの方は長い金髪をウェーブさせており、おずおずとした様子だった。
「三人とも二年生なんだけど、この学校の生徒のことに一番詳しいと思うよ」
「買いかぶり過ぎです」
千夜の言葉に瞳はクールに返す。リナの方は真っ赤になって首をふるふると振る。
「で、先輩は何が知りたいんですかあ?」
るるはそう言って千夜の手を握る。
「昨日自殺した明里君のこと」
部室内の空気が一瞬凍った。だが、千夜はそんなことは気にせず言葉を続ける。
「この風切君が目撃者でさ、色々気にしちゃってるの。教えてくれないかな?」
そして、まるで男が女を口説くようにるるに顔を近付けた。
するとるるは「はい!」と嬉しそうに声を上げ、瞳とリナの方を向いた。
「二年男子のファイルどこだっけ、瞳ー」
「もー、ほんとは外部に漏らしちゃダメなんだよ? あくまであたしたちのネタ用なんだから」
瞳はやれやれと溜め息をつき、後ろの棚にずらりと並ぶファイルの中から一冊を選んだ。
「なあ、ネタ用ってどういうことだ?」
「俺が知るわけないだろう」
「だよな」
風切と鷹崎は小声で囁き合う。
「ファイルの貸し出しとかは?」
「それは海戸先輩でもだめですよお」
「じゃあ、明里君のことだけ教えてよ」
ここでるるは、少し迷うような仕草を見せる。
「あ、でもー、先輩ってば最近会いに来てくれなかったからなー」
「仕方ないな、どうしてほしい?」
千夜はにやりと笑った。
その妖しさに風切と鷹崎は一歩引いたが、瞳とリナは慣れているのか表情を変えない。
「あたしのこと、好きって言って?」
るるが拗ねたような口調で千夜を見上げる。
「それだけでいいの? 君は可愛いね」
千夜はるるの頭を抱くと耳元で、
「好きだよ」
と、艶かしい声で囁いた。
るるの顔がぽっと赤くなり、ファイルを持っている瞳の方を向く。
「何でも教えちゃいましょ! 瞳、リナ!」
「ほんとあんたは海戸先輩のこと好きねー。まあいいけど」
瞳はファイルを開き、風切に問いかける。
「明里の何が知りたいんですか?」
ぽかんとしていた風切は我に返って頭を回そうとする。
しかし、自分が何から調べていいのかとっさに思い付かない。
「えっと、何で死を選んだのか、とか?」
「そこまではあたしたちも知りませんよ。噂だと遺書も無かったらしいし」
「え、無かったのか?」
「だから風切先輩の証言が無かったら、事件になってたかもしれないんですよ」
「マジ?」
風切は刑事から何度も状況を聞かれたことを思い出した。
――だからあんなに執拗に確認してたのか。
「とりあえず、明里というのはどういう生徒だったんだ?」
鷹崎が尋ねると、瞳はファイルを見つめながら口を開く。
「結構苦労してたみたいですよ」
「苦労?」
「はい、一年の時に両親が借金抱えて自殺しちゃって、親戚もいないから学費を出すのも大変だったとか」
「へえ……」
風切は最後に見た明里の姿を思い出した。
「バイトは色々してたみたいだけど、何でか二年になってから全部やめてるんですよね」
「全部やめたって、それでどうやって学費払ってたんだ?」
風切の疑問に瞳は肩を竦める。
「それも分からないんですよ。ま、お金には困らなくなったんじゃないですか?」
「あ、あの……、宝くじに当たったのかもしれません」
リナが小さな声で言い、るるは「そうかもねー」と続けた。
「変な話だよね。お金に困って自殺するならわかるけど、お金に困らなくなってから死ぬなんて」
千夜は顎に手を当てて首を傾げる。
「ちなみに人間関係とかは?」
「バイト漬けだったから校内の友達は少なかったみたいです。平井くらいですね、ちなみに二人共同じ二年五組です」
「二年五組というと、化学の竹田が担任か」
「おー、鷹崎先輩、よく憶えてますね」
「あの教師は教え方が悪い。悪い意味で記憶に残ってる」
「鷹崎って教師にも厳しいのな」
風切は苦笑する。
「教師に質を求めるのは当然のことだ。通知表は教師より生徒がつけるべきだな」
「あ、それは面白そうだね」
「話が逸れてるって」
風切はそう言うと、「うーん」と考え込んだ。
――何で明里は金に困らなくなったのか、だよな……。
「他に何か知りたいことあります?」
「バイトをやめてからのことだからバイト先は関係ないよなー。わりい、平井についても教えてくれねえか?」
「ま、いいですけど」
瞳はぺらぺらとファイルをめくる。
「平井はまあごく普通の家庭環境で、特に苦労はしてないみたいですね。一年の時からバスケ部に入ってて、結構友達も多いです。でも、一番の親友っていえるのは明里だったとか」
「そっか、だからあんなに真剣だったのか」
「ちなみに友達になったのは二年になってからですね。席が隣同士になったのがきっかけで」
「へ、へえ……」
――何でそこまで知ってんだ?
風切は頬を掻いた。
「あたしたちが話せることはこれくらいかな、役に立ちました?」
「おう、助かったよ。サンキュー」
礼を言うと、風切は気になっていたことを尋ねてみた。
「ちなみにさ、俺らのことも詳しかったりすんの?」
「自分の情報、客観的に聞きたいですか?」
瞳の言葉に、風切は慌てて首を横に振った。
「遠慮しとく」
「俺もだ」
鷹崎もそう答え、千夜の方を見る。
「私もいいや。私のことを一番知ってるのは私自身だし」
「ま、そうですよね」
「じゃあ、そろそろお暇しようか」
「えー、海戸先輩もう行っちゃうんですかあ?」
寂しそうなるるを、千夜はぎゅっと抱きしめると、
「ごめんねー、私も忙しいのさ」
と言い、瞳とリナに「じゃあね」と手を振った。
漫研の部室を出た風切と鷹崎は、前を歩く千夜を見つめる。
「なあ、千夜ってあの子とどういう関係なんだ?」
「彼女は可愛い後輩ってとこかな」
千夜は振り返り、「ははは」と笑う。
「それ以上でも以下でもないよ」
「向こうはそれだけではないようだったが?」
「安本さんの気持ちまでは知らないな。私は自分を知るだけで精一杯だもん」
「へー」
風切は呆れつつ思った。
――原石には見せられない光景だったな。
教室に鞄を取りに戻った三人。
「じゃあ、私たちはそろそろ行くね」
「あ、そうだよな。手伝ってくれてサンキュー」
「気にしないで」
千夜は笑顔で答えるが、鷹崎は少々渋い顔をする。
「あまり、深入りし過ぎるなよ」
それは風切のことを心配しているが故の言葉だった。
「ああ、気を付ける」
風切はしっかりと頷く。
千夜と鷹崎が出ていくと、風切は一人になった教室で机にもたれ、息をついた。
「空がとても、青いから……」
窓から外を見るが、もう空は赤い。夕暮れの色を見せている。
「ほんと、どういう意味なんだろうな」
風切は腕を組み、普段あまり使わない脳をフル回転させる。
――キーは二年になった時に何があったか、か。
二年になった途端バイトを辞めたというのだから、そういうことになるのだろう。
「まさか宝くじが当たったってこともねえだろうし」
それならばクラスメートも漫研の部員たちも知っていそうなものだ。
「何か、人に言えない出所の金?」
「まだ残っているのか」
突然の声に、風切はびくりと体を跳ねさせた。
教室の入口に、白衣姿の教師が立っている。
「あ」
そうだ、彼が明里と平井の担任、竹田哲郎だ。
風切が二年の時に化学の授業を担当していたから顔は覚えている。鷹崎のように教え方までは覚えていないが。
竹田は白髪混じりの髪をオールバックにし、どこか神経質そうな雰囲気を漂わせている。
風切は、尋ねた。
「竹田先生は、死んだ明里について何か知らないっすか?」
竹田は目を大きく見開き、ギリッと奥歯を噛み締める。
「興味本位で聞くな。お前には関係のないことだぞ」
「関係なくないっす。俺、目撃者なんで」
真剣な眼差しで竹田を見つめると、彼は「そうか……」と呟く。
「お前が、そうだったのか……。明里は、何か言っていたか?」
「空が、とても青いから」
「はあ?」
「そう言って飛び降りました、明里は」
「空がとても青いから……、それだけか?」
「はい」
竹田は少し考え込む様子を見せたが、すぐに風切に背を向けた。
「部活もないなら早く帰りなさい。あまり妙なことに首を突っ込むんじゃないぞ」
そう言って去っていく竹田に、風切は舌打ちをした。
「妙なことって」
――あんたのクラスの生徒が、自殺したんだぞ……。
そう叫びたいのを、ぐっと堪えた。