2.覚悟と決意
デモンシティの夜空を彩るはずの月や星々は雲に隠れ、街を不気味な静けさが覆っていた。
以前は夜明けまでにぎやかだった街のメインストリートも、昨今の人族と蛮族の対立を受け、今はひっそりと静まり返っている。
酒場の灯りは落とされ、酔っ払いの姿も見えない。
そんな中、街のある一角だけは賑やかだった。
笑い合う男たちの声や何かを壊す音。悲鳴も響くが、その声は長くはづづかず、やがて聞こえなくなる。
誰かが魔法を放てば建物は崩れ、崩れた瓦礫に火を放つ。
その場所から逃げるように走り去る小さな影があった。
後ろを振り返りながら、ただひたすら建物の陰に隠れながら動き、追手を巻く。
後ろからは数人の男たちが、野次りながら追いかける。
捕まったら殺されると、コボルトのボルトは荒い息を吐きながら、必死に逃げ回った。
(逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ……)
デモンシティに移り住み、何とか手に入れた小さな宿屋兼酒場。
細々と、それでも冒険者の皆さんに気に入られ、安定した経営をしていたが、人族の冒険者たちにより奪われ、燃やされてしまった。
悔しいと思うよりも先に、自分の命を守らねばと必死に足を動かす。
そんなボルトの目に、一軒の洒落た喫茶店が飛び込んできた。
『喫茶店 リリアパイ』
愛らしいレタリングの看板に書かれた文字に、希望の光を見出したボルトは、磨りガラスをはめ込んだ木製扉を叩いた。
磨りガラスの向こうに人影が映る。
「どなたですか?」
「助けてくださいっ!」
追手に気付かれぬよう音量を落として、ボルトは叫んだ。
この喫茶店では、店のなじみ客の冒険者が働いている。
彼らならば、自分を追いかける者たちに対抗できるのではないかと、淡い期待を抱きつつ、まずは我が身の保身を願った。
果たして、ボルトの前の扉は開かれ、ボルトは室内へと倒れ込む。
倒れ込んだボルトをフランは抱きかかえると、傷だらけのボルトの様に慌てて尋ねる。
「その格好っ! どうしたんですか?!」
「そんなことより……ブロウ! キュア・ハートをかけたってくれるか?」
傷だらけのボルトの姿をみたリリアは、事情を聞こうとしたフランを止め、窓から外の様子を窺うブロウに声をかけた。
そこで初めてボルトの様子に気が付いたブロウは、慌ててボルトの傷を癒す。
「何が有ったんや……」
「蛮族狩りです」
「穏やかじゃねぇな」
リリアの問いにボルトが答え、その答えにフェイの顔が歪んだ。
奥の調理場から出て来たレッドが「最近は何処もそんな感じだよ」と痛ましそうな表情を浮かべる。
部屋の奥には賄いを食べ終わった少女が、つまらなそうにボルトたちを眺めていた。
ボルトの傷も治り、何処か場の空気が緩みかけた瞬間、勢いよく店の扉が叩かれた。
その音に身体をビク付かせるボルト。
「ここにコボルトは逃げて来なかったか?!」
おどおどするボルトを落ち着かせるように肩を叩いた面々は、扉の向こうから聞こえる怒鳴り声に、目配せし合い、無言のまま配置に付く。
扉に近い所に前衛のフランとブロウが付き、その近くにある窓から外を窺うリリア。
フェイは、前に出ようとするレッドにボルトの保護を押し付け、銃を構えながら扉の前にいる二人に目配せし、軽く頷いた。
自分が厄介事を運んできてしまったと、カタカタ震えるボルトを抱きかかえ、カウンターの裏に隠したレッド。
「大丈夫だ……じゃなくて、大丈夫よ。私たちに任せて」
レッドの言葉に頷きつつも、ボルトの身体の震えは止まらない。
外に応対に出たフランとブロウの誰も来ていない旨を告げる声が店内に響く。
その言葉に納得出来ない冒険者たちが喧嘩を売る様な態度をとり、両者の間に居る居ないの応酬が続く。
殺気立つ雰囲気に店内から表の様子を窺うフェイは、銃口の狙いを定め始めた。
リリアは、何かをためらう様に目を伏せる。
カウンターの裏からそれらを見ていたボルトは、此処に逃げ込めば助けて貰えると考えた自分を恥じた。
(ゴメンナサイ、ゴメンナサイ……)
弱い自分が嫌だった。
震えるボルトのことを励ますようにレッドは頭を撫でたが、その優しさがボルトにとって居た堪れない。
ボルトが自己嫌悪で首を垂れた瞬間、ものすごい音がして、木製の扉が半壊した。
ビクッと怯えるボルトと、カウンターを乗り越えたレッド。
フェイが銃の引き金を引こうとしたとき、表から「そろそろ行こうぜ」という言葉が漏れ聞こえて来た。
どうやら、彼らは何処かに向かったようで、フランとブロウは壊れた扉から店内に入ってきた。
「ふぅ……台風一過ですね」
フランがおどけるが、ボルトは心苦しさでいっぱいになる。
「ありがとうございます」
「一体、何がどうなってるのかしら?」
首を傾げるブロウの言葉には答えず、ボルトは「皆さん、この街を出てください」と声を上げた。
「私の店は、反乱軍に属する冒険者たちによって壊され、放火されました。雇っていたコボルトたちも……」
あの時の何も出来なかった悔しさを思い出し、ボルトはグッと唇を噛みしめた。
ボルトの言葉にブロウが店の奥にいる少女をチラリと見る。
少女は、何処から持ち出したのか分からぬ数個のビー玉で遊んでいた。
ビー玉のカチカチとぶつかる音が部屋に響く。
「ふむぅ……どうしますか、お姉さま」
フランがリリアに尋ねた。
リリアは、ぼんやりとテーブルの上で動くビー玉を眺めていたが、ハッとしたようにフランを見る。
「反乱軍が動き出すようです。逃げますか? この町を捨てて?」
「反乱軍かて、元々あった不満って奴やろ……根っこではなんも解決しとらんかった」
何処かぼんやりと諦めた風にリリアが呟く。
フェイは溜息交じりの言葉を漏らした。
「つまりは……蛮族軍を追っ払っただけじゃ解決にはならなかったか」
「敵は、蛮族侵略軍だけじゃなかったってことね。獅子身中の虫が暴れ出した」
ブロウは肩をすくめたが、四人の言葉を拾ったボルトは「蛮族軍?」と首を傾げた。
「追い払った……って?」
不可思議そうなボルトの視線に、「あぁ」とフランが口を開く。
何事かを説明しようとしかけたフランだったが、少女が遊んでいるビー玉に目を止めると「センジュさん」と少女に声をかけた。
「それ、信号弾じゃないですよね?」
答えが否であって欲しいという気持ちが周囲にだだ漏れの疑問は、是という回答を伴って返ってきた。
センジュは無造作にビー玉をフランに投げ渡す。
フランはアワアワとお手玉するように空中に投げた後、落とさずビー玉を受け取った。
その様子を横目で見ていたリリアは、「信号弾……」とポツリと呟く。
何のことだろうと不思議がるボルトの前で、それは起こった。
「わギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」
目を見開き、頭を掻き毟り、恐怖の表情を浮かべるリリア。
地獄の底から湧き出るような唸り声と、この世の終わりを告げるかのような叫び声を足したとしたらこのような声になるに違いないと、ボルトは恐怖で固まりつつ思った。
「お姉さま、落ち着いて!」
「落ちつけ! リリアっ!」
「リリアっ!」
フランとフェイはブロウに助けを求めるような視線を送る。
ブロウはリリアに駆け寄ると、サニティを掛け、ギュッと抱きしめた。
「あはは~でっかい溶岩の湖やで~」
正気を失い、ブツブツ呟いているリリア。
フランの持つビー玉を、震える指で差した。
「こいつの……ちょっとばかしデカイのを投げたんや。20万の大軍が……一瞬で塵や……アハハハハハハ」
そう言うと、カッと目を見開き、狂ったように笑いだした。
見開いた目からポロポロと涙が零れて行く。
慌ててブロウはリリアにサニティを掛け、フランはビー玉をポケットに隠した。
「一体……何が、どういう事なんですか?」
ボルトが恐る恐る尋ねるが、誰も何も答えなかった。
「20万の大軍って、何ですか? リリアさん……」
自分の発した言葉を耳にした瞬間、ボルトは何かに気付きハッとする。
「もしかして、蛮族軍?」
ギクリとフェイとフランの肩が揺れる。
ブロウは黙って目を閉じた。
レッドは強い眼差しで、見つめていた。
「皆さんが、蛮族をやっつけてくれたんですね」
パッと明るくなるボルトの表情とは裏腹に、3人の表情は暗い。
リリアが髪の毛を掻き毟り、暴れ出す。
ブロウは慌ててリリアを抱きしめて押さえつけ、サニティを掛ける。
「おう。ちょっと空気よめや、犬コロ」
平時のフランとは違う、低く唸るような声に、ボルトは怯えた。
鋭い眼差しがボルトを睨み、これ以上口を開いてはいけないと警告する。
「え、あ……」
口をパクパクとさせるボルトに、フェイがダメ押しする。
「そうだぞ、犬コロ。ドレイクエンペラーをぶっ潰したなんてのは真っ赤な嘘だ」
「……」
ボルトは言葉を失くし、大きく目を見開いた。
フランは「クソ人形が!」と小さく叫ぶと、フェイの腹に拳をめり込ませる。
フェイが崩れ落ちるのを確認もせず、フランはボルトにニッコリと笑いかけた。
その笑顔が、心底怖かった。
「こ、今夜デモンシティで決起集会をするって……し、支配者を、せ、静粛して、街を占拠するって……」
恐怖のあまりカチカチとなる歯により、言葉が思う様に紡ぎだせなかったボルトだったが、男たちの嫌な笑みを思い出し、怖さよりも悲しみが胸の中を占め始めた。
「……私の店は、その前哨戦だと笑ってました」
ポツリと寂しそうに呟く。
そのボルトの姿に、リリアから溢れていた狂気が、スッと静まって行くのを、その場にいた全員が感じた。
ブロウは抱きしめていた腕を緩める。
「反乱軍は……潰さんとな」
微かな声がリリアから漏れ、スクッとリリアは立ちあがった。
ボルトは何処か神々しいリリアの姿から目を離せなくなる。
リリアが発した囁くような声は、小さなモノなのに何処か力強さを感じさせ、ボルトの耳に残った。
「お前に出来るのか? リリア」
「わかりました! やってしまいましょう、お姉さま!」
心配そうなフェイの声に、フランの明るい声がかぶさる。
レッドは「お前らは、ココに居ても良いんだぞ」と全員に告げた。
「私には好きな人が居る。そいつとの生活の為にも、この街はこのままがいい」
「待て、レッド! 最後は逃げたとはいえ、お前とは何年も組んだ仲だ。一人で行かせるわけにはいかねぇ」
フェイの言葉にレッドの頬が赤くなる。
そんな二人の雰囲気を壊すかのように、リリアはフンッと笑った。
「アホ抜かせっ! ウチがおらんと戦力半減やろ」
「流石お姉さま♪ コレで反乱軍も一網打尽ですね♪」
キャッと可愛らしい声を上げるフラン。
しかし、フェイは心配そうにリリアに尋ねる。
「お前に出来るのか、リリア? 反乱軍には、お前の命の恩人が居るんだろ?」
「……意思決定はした」
ボルトは急な話の流れについて行けず、キョロキョロと辺りを見回すと、コチラを見ていたブロウと視線が交わった。
柔らかな笑みを浮かべたブロウ。
「私も、デモンシティは今のままで残って欲しいわ」
全員が闘う意思を固めた時、レッドはリリアの前に立ち「お前が蛮族軍を潰したのか?」と静かに尋ねる。
「おいトカゲ人間。その話題はスルーしろや」
噛みつくようにフランが声を荒げるが、自分の肩に乗った手にハッとして振り返った。
そこには静かな瞳をしたリリアが立っていた。
「フラン、エエねん……何時までも、引きずられるわけには、いかんしな」
「お姉さま……」
リリアの視線とレッドのソレが交わる。
ボルトは、ただ黙って見てるしか出来なかった。
邪魔をしてはいけないと、本能が告げていた。
「堂々としろ。この街に住むたくさんの命と、希望を守ったんだろ」
「ストレートやな。流石に、思い出すと辛いわ」
「辛いか……それは、お前が英雄だからだ」
キッパリと告げたレッドの言葉に、リリアは「そうかもな」と苦い笑みを浮かべる。
重い空気の中、フェイは動いた。
レッドの肩に手を置いたフェイは、その身体がカタカタと微かに震えているのに気付く。
「どうした、お前らしくねぇ」
「私だって!」
思わずと言ったようにレッドは叫ぶが、一瞬で冷静さを取り戻し、自嘲気に呟いた。
「流石に、怖いさ……」
「しばらく会わないうちに、少し女々しくなったんじゃねぇか?」
「そうだな。たぶん、好きなヤツが居るから、だから、かもな」
弱々しいレッドの台詞にフェイはハッと笑う。
「お前に好きなヤツが! そりゃ傑作だな……でもよ、そいつに逃げられるなよ」
「あぁ……」
レッドの視線にフェイは気付かなかった。
一方、覚悟を決めたリリアにブロウは微笑む。
「リリア、蛮族からデモンシティを護って……今度は、人族から守るのね。なんだか、デモンシティの守護神みたいよ」
フフッと笑いながら告げたブロウの言葉に、フランはパッと笑顔を浮かべる。
「お姉さまが神様になったら、凄く楽しそうですね」
フランにギュッと握りしめられた手を見つめたリリアは「神、ね」と呟いた。
リリアの呟きを拾ったフランは、幸せそうに笑う。
「はぃ! 英雄の次は『神』です。私が、最初の信者ですよ」
フランの邪気のない笑顔に、リリアの顔にも笑みが戻る。
「そやな……この街を守るためやったら、それもいいかもな」
「街を守る神様。ルーフェリア様みたいですね」
リリアの笑みにフランの言葉は弾む。
そんな二人にブロウが声を掛けた。
「行きましょう、南瓜の神様? どうぞ、デモンシティをお守りくださいませ。微力ながら、お手伝いさせていただきますわ」
ブロウの仰々しい台詞に、リリアは笑いだした。
「よーし! ウチは人間辞めるぞ!」
リリアは、ずっと被り続けていた南瓜を脱ぐ。
その晴れ晴れとした姿に、やっと元気が出たとフランは手を叩いて喜び、フェイは叫んだ。
「こうなりゃ、何処までも着いてってやるよ、リーダー」
つまらなそうに店の奥から見ていた少女の口元に笑みが浮かぶ。
「お前ら、大変そうだなぁ」
振り返った面々にセンジュは告げた。
「フェイ、レッドは預かってやる。この角は目立ってしょうがないからな」
「あぁ、任せた」
「私だって、戦えるっ!」
置いていくなと憤慨するレッドに、フェイは「頼みがある」とニヒルに笑う。
「帰ったら、とびきり上手いリリアパイを頼む」
「あ、あぁ……」
フェイの言葉に赤面したレッドはコクコクと頷いた。