4.父の心
アンペアが、それを耳にしたのは十数年前だった。
蛮族と人族が共存する都市がある。
曰く、そこではコボルトだからと言って不当な扱いを受けない。もちろん、『絶対に』などという事はないが、蛮族の治める地に比べたら、待遇に天と地以上の差があるだろう。
曰く、コボルトでも店が持てる。コボルトだからと言って、店を構えられる可能性がゼロという事はないらしい。
その噂を耳にした時、そんな夢みたいな場所があるはずがないと仲間たちは笑い、信じようとはしなかった。
それでも、アンペアは、その夢物語にすがりたかった。
親の良く目を抜いても、アンペアの息子のボルトは頭が良く、目端の利く子供だった。
料理の腕も良く、人当たりも良い。
ボガードやゴブリン達に比べると、確かに力はないが、世の中力だけではないはずだと、隙を見てボルトを外の世界に逃がした。
見つかったらタダでは済まない。
それでも、こうして蛮族に飼い殺しにされるよりは、自分の力で夢を掴んでほしいと、アンペアは息子の姿に夢を見たのだ。
ある時、アンペアが食事の支度をしていると、「美味そうだな」と一人の少女が声を掛けて来た。
偉そうな少女は、アンペアの作った料理に舌鼓を打つと、ごそごそと紙飛行機を折り始める。
不可思議草に眺めるアンペアに向けて、作った紙飛行機を飛ばすと「邪魔したな」と帰って行く少女。
アンペアが「何だったんだ」と呟いて、紙飛行機を開くと、そこには息子ボルトの筆跡で『元気です』と一言書いてあった。
アンペアは涙した。
息子の安否を知る機会など、絶対に訪れないと諦めていたのだ。
それが、どういうわけか、息子からの手紙を受け取ることができた。
「……!」
手紙を見ていたアンペアだったが、この手紙の存在をゴブリンやボガードたちに知られたら大変だと、断腸の思いで焚火の中に突っ込んだ。
じりじりと紙は燃え、息子の文字が炎の中に消えて行く。
黙ってジッと見つめていたアンペアだったが、ボガードの呼び声に慌てて涙を拭うと走りだす。
自分には息子などいなかったのだと言い聞かせて。
やがて、数年の時がたち、ドレイクエンペラーが誕生したという噂が流れた。それとともに、デモンシティ奪還へ向けて進軍するとの通達が出る。
これまで幾度となくデモンシティへ進軍しては、ライア山脈に阻まれ失敗していたのだが、今回は何時もとは違っていた。
ドレイクエンペラーが誕生し、彼によってアーティファクトである浮遊城を起動させることに成功したのだ。
コレにより、補給の心配なくライア山脈を越える事が出来るため、デモンシティまで辿りつける兵の数が極端に増加する。
それに加えて、蛮族と人族が共存するはずのデモンシティについて、不穏な噂が流れて来た。
どうも、デモンシティに住む人族の一部が、蛮族をデモンシティから追い出すと言っているらしいのだ。
デモンシティは、コボルトにとって最後の希望の地である。
アンペアは息子ボルトの無事を祈っていた。
そんな折、アンペアは、ある場所に向かうよう指示する夢を見た。
とても鮮明な夢で、そこでデモンシティの使節団と会う様に伝えて来たのだ。
半信半疑ながら、アンペアはその場所に向かう。
吹雪の中、凍えながら辺りを警戒していると、やがて飛空挺が姿を現した。
敵か味方かと伺うアンペアの前に現れたのは、背の高いほっそりとした少女と、小柄な少女。
岩の陰に隠れていたアンペアを見つけた小柄な少女が「お姉さま、あのコボルトとではないでしょうか?」とコチラを指差した。
アンペアはゆっくりと岩の陰から二人の前に姿を見せる。
「お前らが、デモンシティの交渉団ってヤツか?」
「おう、リリア・U・フィロメントや」
「私はフランです。センジュ様より、手紙を預かっております」
「センジュ?」
アンペアは首を傾げる。
誰だろうとアンペアが首を傾げつつ、手紙を受け取る。
「てっきりボルト君がいるかと……」
「お姉さま、ボルトさんは、冒険者の店がありますよ。こんなところにいるはずないじゃないですか」
「そやな……」
ボソボソと話す二人の会話を耳にして、アンペアは驚く。
なんと、この二人は自分の息子の事を知っているのだ。
「ボルトを知っているのか?」
気持ちに合わせて尻尾がブンブンと動く。
こんなところで息子の知己と会えるなど思ってもみなかったからだ。
「ああ、以前一杯食わされてな……」
リリアと名乗った少女が苦笑する。
人族である目の前の少女たちから、ボルトに対して親しさを感じたアンペアは嬉しく思いながら、手紙を読んだ。
その手紙はボルトからのもので、現在デモンシティで冒険者の店を開き、たくさんの冒険者に利用して貰っていると書かれていた。
アンペアは泣いた。
「ど、どうしたんです? 突然」
「息子は、元気でやってるそうだ。冒険者の宿まで開いて……」
「息子?」
首を傾げる二人に、自分はボルトの父親だと明かす。
「おぉ、それは良かったな」
「コボルトきっての出世頭ですね」
自分たちもボルトの店を利用しているのだと言う二人は、そう言ってボルトの近況を話してくれた。
その話にアンペアは確信する。
「アイツをデモンシティに行かせたのは良かったんだ」
一人で送りだした事に、余計な苦労をさせてしまうのではないかと悩んだ時もあった。
あのまま平凡なコボルトとして、ボガード達に虐げられつつも、共に歩んだ方が幸せかもしれないと後悔した時もあった。
それでも、手紙の内容や少女達から教えられた話を聞くと、伝説を信じて、希望を夢見て、デモンシティへやったのは間違いでなかったと確信できた。
それが嬉しくて、新たな涙が零れて来た。
そこでふと気付く。
「お前たちがデモンシティの交渉団、か?」
「そうです。この方が全権大使のリリア様です」
背の低い少女が嬉しそうに告げるが、対照的にリリアは表情を曇らせる。
「交渉は決裂したけどな……」
苦悩する表情に、アンペアは「話が通用しないからな」とカラリと笑う。
「これから、デモンシティはどうなるんだ?」
アンペアの質問に、背の低い少女は現状で起こり得る可能性が高い、最悪のシナリオを話しだす。
「蛮族に侵略され、住民は皆殺しにされ、生き残った者も奴隷となり……滅びると思います」
「なんとかしてくれよ。なっ!」
アンペアは縋る眼差しをするが、二人の少女は沈痛な面持ちになる。
「あそこはっ! デモンシティは、俺たちコボルトの最後の希望なんだっ!」
「そうしたいのは、山々なのですが……」
二人は顔を見合わせる。
その雰囲気に、自分が無理な事を言っているのかと気付いたアンペアは、力なく笑う。
「俺らは下っ端で……何も手助けできねぇ」
何も言えなくなった少女二人に、アンペアが「手紙、ありがとな」と礼を言ったところで、飛行船から「出発するぞー」と少女の声が響いた。
背の低い少女が飛行船に向かって、了承の言葉を叫ぶ。
「お姉さま、戻りましょう」
促され、別れの言葉を述べようと口を開いたリリア。
彼女の口から出て来たのは「もし、何とか出来たら……」という、苦しげなものだった。
「よろしくな」
どこか諦めた様なアンペアの言葉。
リリアの瞳の中に、どこか生気を失くしたコボルトの姿が映った。
お互いに達者でと言葉を交わし、少女たちは飛行船に戻って行く。
飛行船が遠ざかると、アンペアはヘナヘナとその場に崩れるように座り込んだ。
すぐに蛮族軍に戻らなければならないと思いながらも、動くことができなかった。
成功した息子の姿を垣間見れたのは嬉しい。
けれど、今後、蛮族軍がデモンシティを襲い、息子の店諸共、全てが壊される。
息子とは死体か奴隷としてしか再会できないのだと思うと、身体からすべての力が抜け、その場から動く事が出来なくなった。
「戻らねぇとな……」
どのくらいその場に留まっただろうか?
空が夕暮れに赤く染まり、星空が天空を支配しようとした頃、山をつんざくような爆音が轟き、衝撃波が辺りを襲った。
たたらを踏み、崖から転げ落ちるアンペア。
運よく雪の上に落ちたアンペアが、その後見た物は、信じられない物だった。